2003年10月29日

24*孤独と踊る者

 先程、母親から将来の心配をされてしまった。

 ま、客観的にも当然といえるかもしれない僕の生きざま。今まで何度も繰り返し話し合い、その度に僕は気持ちを新たに思うのですよ。道なき道をゆく覚悟、といいますか。

 しかし年を取ると心配性になるというが、母親が子供の心配を生きがいにしてるのなら一種の親孝行かもしれないね。祖母の話なんだけどさ、昔より母親の事を心配するようになってきてるの。僕から見てると(ばあちゃんはおふくろをダメな大人だと思ってるの?)って言いたくなったりして。母親は黙って言わせているんだけど、ああいう親子関係を僕と再現しようとは思ってない筈なのに。やっぱ見え過ぎる距離だから口を挟みたくなるのかね。

 年寄り全般、心配が好きだなって思う。それは相手が頼りないからじゃなく、構って欲しいからなのかなぁ。干渉にかこつけて、まだ自分が必要とされていると認めてもらいたがってたり。要するに寂しいのか、素直じゃないんだから。年と共に遠回しになってくものなのかね? アレ困るよ、気が利かない僕には。

 僕は、故・天本英世氏のように老いたいと思ってるんだ。あの人はクリーニング店の隅に寝起きして、開店前の早朝から店が閉まる夜まで外を歩き回って暮らしたのだそうだ。そして大好きなスペインに出掛けて、また日本で仕事して。そんな逸話を聞いた時、僕はドキッした。僕は、そんな朝の天本氏に出会っていたんだよ。

 その頃の僕は親元を離れて暮らし、初台で遺跡発掘バイトをしていたの。ちょっと野暮で前夜の居所を早く追われてしまい、冬の早朝から始業時間まで行く当てもなく公園のベンチに座っててさ。霧の濃い早朝で人気もなく、背の高い痩せぎすの男が音も立てずに歩いていたんだ。結構シュールでしょ? 僕も薄気味悪くて非現実的な想像に駆られたもの。

 そう。ユダヤ教みたいな帽子の下は白髪で、その人の不思議な静けさを湛えた表情は今も妙に思い出せる。だけど実際の天本氏については、実はよく知らない。ただ僕の中では、あの光景と彼の逸話がリンクしたんだ。年を取るというのは孤独な事だとしても、あの表情には一種の強さがあった気がしてくるんだよ。

 周りの友人は家庭を持ち遠ざかってゆくし、やがて家族は死んでゆく。そうなってから絶対的な孤独に気付いたりしたら、それは何て耐え難い事だろう。結婚して仕事して子育てしてさ、忙しくて感じずに済ませていても孤独が消えた訳じゃなかったって。

 最近、年寄りと接する機会が増えた。小姑みたいで煙たがられてる人なんかは「このこのぉ〜」って、こっちからベタベタ触ってると孫に甘えられてるような顔になるから面白い。どっちが甘えてんだか。僕が顔を合わせるのは昼間だけど、分別ありそうな人なのに夜中になると暴れ出したり錯乱したりするって話を聞くんだわ。やはり不安が不安を呼んでパニックになるのだろうか…? 

 それはもちろん環境のせいでもあるけれど(病院というのは患者を管理し制御する仕組みだから、ある程度の個人の尊厳は剥奪されてしまうのだ)、老いるとは「死に近い場所を生きる事」なのかと思う。わがままも痴呆も、死という絶対的な孤独への恐れと抵抗の手段かもしれないって。

 あらゆるものが去ってゆくのを肌で感じながら、それを受け入れる以外ない日常。分かり合える人も身につけた知恵も失われてゆく、だから人の手を求めたくなり、非現実へ目を逸らしたくなったりするのかな。誰も自分の話は聞いてくれないし、自分のために立ち止まる人もいない。

 彼らの目に光を見た時、見知らぬ異国で話し相手を見つけた時の目付きだと思った。そして逆に、互いの焦点が繋がる瞬間まで、向き合ってる筈の僕らの心が絶縁体のように離れてた事も解ったんだ。どんなに太陽を眩しく暖かく感じてたって、それも光速8分の一方通行でしかないように…。って、分かりにくい譬えだなぁ! そんな孤独があるって事さ。

 今の僕に打つ手はないし、それに孤独を手なずけるなんて無理だとしても、その手ごわい相手と仲良くやっていく道はある。それが僕の中の、天本氏の静かな表情なんだ。

平成15年10月29日ku24.jpg

posted by tomsec at 22:40 | TrackBack(0) |  空想百景<21〜30> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年10月18日

23*内省的な初冬の気配

 あ、もう夜中だ…。なんとなく喉が渇いて、飲み物を買いに外に出る。
 毎年の事のような気もするけど、冬の星座と夜の匂いは(父親とマラソンしてた小学生の僕)にさせるなぁ。今年も早々と、そんな季節になりましたか。
 しかし真夜中に外出するの、割と久々だわ。高校生から20になる時期に続いた、行き場のない夜と変わらない。空気が澄んでいるせいか星が良く見えて、明るい下弦の月が眠そうに僕を見下ろしていてさ。
 ところで、自販機の下に必ず下水のフタがあるのは何故かしら? やはり店主は、そこに誰かが落とした釣銭を回収してるのかなぁ?

 最近になって突然、友人Nが古い文庫本を返却してきたのね。
 僕が中学2年に転校してきてからの付き合いで、一人旅とMTBの師匠で現在は唯一のバンドメンバー。で、先日のスタジオ練習の後で彼が「部屋の中を片付けてて…」と言いながらセカンドバッグ(しかもニセモノの!)を取り出してきたのよ。
 どこかで見覚えのある、と思ったら僕の物でさ。中に入っていたのは、フリージャズのピアニストが書いたエッセイ。なんだよ、それも僕のじゃん。すっかり忘れてた、でも今になって…?
 本屋の付けたカバーに、若かりし僕の文字で「昭和57年9月10日」と書いてあった。という事は、まだ14歳だった訳か。ちょうど祖母のアパートで一人暮らしを始めた時期だ、というか彼と知り合った年だ。一人で映画や美術展に行き、初めてのライブに行き、フリージャズを聴きに行ったりしてたっけ(だって他に興味が一致する人がいなかったんだもん)。

 そうだ、筒井某の全集を買い揃えていたのもこの頃だ。その作家の熱烈な信奉者だった僕は、彼の影響で山下某というピアニストのエッセイを読んだのだった。そして、六本木のPというライブハウスにまで聴きに行ったんだわ。
 そうそう。アメリカンニューシネマの影響で米軍のフィールドジャケットを着て行ったが、なぜか恥ずかしい事に髪形はアイパーだったんだぞ。チャージという新しい概念の入場料を支払って、外で初めて酒を飲んだのだ。あれはジンライムだった。あと、演奏が始まる前に、スーツ姿のヤサ男に話しかけられて気が動転したのも覚えてる。
 初めて聴いたフリージャズは、ナベサダやオーレックス・ジャズフェスしか知らない僕には理解不能な約束事と緊張感の洪水だった。ガキだった僕には異質すぎて、気取った背伸びを即座に後悔した。だけど徐々に混乱と興奮で訳が分からなくなってしまったのは、単なるデタラメじゃない(何か)があったからなんだろう。

 その(何か)としか言えないものが、僕をハイにしたんだ。混沌とした渦の中に溶け出した時、自分もプレイヤーの一人のようになった。キメや、主題に入るタイミングが霊感のように降り注いでくる感じ。フリージャズは、集中して向き合う事を求められる音楽だと思う。真剣にならなけりゃ何も聴こえてこないんじゃないかな、って。
 その頃の自分は何かに飢えていたし、音楽にしろ現代芸術にしろ貪欲に向き合っていた気がする。物の譬えに「レコードを擦り切れるまで聴いた」というが、まさにそういう状態だったんだわ。80年代前半にはまだそんな時代の空気が残っていたし、当時の自分もまた必死になって何かを掴みたがっていた。それがうまく重なった時に、僕はフリージャズと出会っていたのかな。

 もしも今の自分がフリージャズと初めて出会っても、それほどまでには感じられない気がする。新奇な要素を受け止める熱が、自分の中に確かめられないというか。あんまり認めたくはないけれど、多分そういった理由で僕はフリージャズから離れてしまったのだろうなぁ。心地よいものに魅かれる事自体は、自然だと思うんだけどね…。
 センチメンタルと微妙に異なる、そんな内省的な気分にさせる初冬の気配でした。

平成15年10月18日
ku23.jpg



posted by tomsec at 22:38 | TrackBack(0) |  空想百景<21〜30> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年10月12日

22*唄と天気雨

ku22.jpg
 久しぶりに、気持ちの良い雨上がりに出会えたな。
 仄かに温かく、しっとりとして澄んだ空気。なんと言いますかね、空も鳥も木々も耳をすましているような感じがする雰囲気。おまけに、ドラマチックな夕空。呼吸が新鮮。
 改めて思ったのは、やっぱり僕は天気雨と雨上がりと虹が好きだって事。正確には(それが好き!)っていうより、その状況の一瞬にシアワセな気持ちがあるんだと思う。僕の幸福って、遠くを捜さなくても間に合ってしまうのね。永続性はないけれど。

 逆に考えてみると、これから先の人生に何が起ころうと(そういう些細な日常の中に潜むシアワセは、不幸に感じる時も救ってくれるんだなぁ)という気がする。僕の選ぶ頼りない行き方の中で、それは心強い支えにも思えたりして。
 僕は時々、自分の唄を作るのね。で、最近の詞のモチーフが割と(その辺)にある気がするんだ。以前の詞が押し付けがましく聞こえるようになってきて、僕は(自分の外側に向かって何を言ってるのか?)って思ったんだ。言うべき事など、何もなかったんだわ。
 誰でも、大切な事を知らない訳じゃないんだよね。何かを訴えたり、説明したりするコトバでは伝わらない要素を。そういう何かを思い出す一瞬って、たとえば僕にとっての雨上がりみたいな空気があるんだろう。すべての輪郭が白く輝いている事、自然の物も人工的な物も等しく光を放っている事に改めて感じ入るような。

 ところで、自分で作詞作曲した唄だけで250近くあった。他の人に詞を提供して編曲した物と、唄のない曲は除外した数でね。ノートやテープに残ってないのも、もう唄えなかったりするのも含めて。ハタチから作曲を始めて、単純計算で1年に約15曲かぁ。一番古い唄の歌詞は20年前の物だから、13歳の時に書いた詞だわ。
 こんだけやっててプロを目指さなかったのは、自分でも不思議。好きな事して飯を食うのは、もちろん望むところよ。だけど自己満足というか、自分の中で完結してるから好きなんじゃないかなぁ。別にプロじゃなくても、僕は唄うたいな訳だし。
 たとえば絵を描くのがそうだった、と思うのね。課題のために描いているうち、あざとさが目について楽しめなくなっちゃった。描く事そのものは嫌いじゃないんだけど、何かが違ってしまったから。僕は自分のビートで踊らなきゃなぁ、と。

 小さい頃に学校で「将来の夢」というのがあって、僕は「作家」と答えたのね。何かを創る、という意味で。その点に関してなら、もう夢は叶い続けているんだなあ。誰かに認められなくても、自分自身が太鼓判を押してんだから間違いじゃないでしょ。
 あとは声の出し方なのよ。自分の作りたい唄が、自分の唄い方と合わなくなっちゃったんで。今までは(上手くなろう)とか全然なかったのね、ギターの弾き方にしてもそうだけど…。という事は、以前よりも僕の自己完結の範囲が拡がったって事かな? 相変わらず自分のためではあるけども、自分の唄をイメージどおりに表現したくなってきたとか。
 っていう理由もあって、ちょこちょこと近所の空き地なんかで練習してたの。仕事の後、日が落ちるまでの何十分でもね。ここしばらくは日が短くなってきたしサボリ気味、秋が深まるにつれ指がかじかんだりして余計に腰が重くなるんだろうな〜。南国指向の僕としては、寒い季節は今一つ精彩を欠くというかインドア志向に拍車がかかるので。

 それでも冬の匂いだって嫌いじゃない。おいしい水のような風、内側が凛としてくる感じは寒さの中でしか味わえないね。運よく雪の朝に出歩いたりすると、尚更に。寒い国に憧れる人の気持ちも分かるな、僕は行かないにしても…。ま、旅というのは色々な人との出会いに尽きるけど。
 こないだ大阪に行った時、梅田のタリーズコーヒーで異国の空気を感じたのよ。雨雲が去った薄日、穏やかな風と空気感が時間の流れ方を変えたみたいだったな。僕の好きな、ゆったりとした南国の時間。それは案外と近場にもゴロゴロしてるのかもしれなかったんだ、南国じゃなきゃダメだと思い込んでいただけで。
 まさにトラベリング・ウィズアウト・ムービング!…って、そういえばジャミ○クアイどうしてるんだろ?

平成15年10月12日


posted by tomsec at 22:36 | TrackBack(0) |  空想百景<21〜30> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年10月06日

21*不思議な物体

 芸術の秋…という言い回しも使い古された感のある昨今ですが、久しぶりに展覧会というものを見てきました。といっても、展示されてるのは「アート」なんてベタベタしたもんじゃなくて「物体としての人間」なの。生前に了承を得ている遺体を特殊加工で固めて、それを様々な切り口で見せる趣向だったんですね。何だか、すご〜く楽しそうでしょ?

 って、そんなキワモノ見たがる人が多すぎて驚いちゃったよ。うっかりすると格調高い油絵なんかのよりも混んでた、でも大方を占める若者は医療系の学生さんだったみたい。医学的な専門用語で鑑賞してたし。つまり僕みたいな興味半分というノリに合わせたエンタテイメントではなかったのね。それでも毛細血管だけの肺を見て(サンゴみたい)とか思ったり、生後3カ月と4カ月の胎児では大違いって事に感嘆したり。

 受精した卵子が、人間になるために細胞分裂してくのは2→4→8→16→32…って、まるで音楽のビートなのね。更に64→128→256…って増え方、コンピューターのメモリ容量? みたい。面白い符号だよね、なぜ倍々なのかなぁ。そんなの別に面白くもないって? 実は僕もなんだけさぁ、しかし誰もそれを不思議に思わないくらい当たり前って、どういう事なんだろう。一見して当然なのは、それが人間にとって(あるいは生物にとって)普遍的な要素だからかもね。

 ところでジョージ・シーガルというアーティストがいて、彼の作品が僕とアートの最初の出会いだったの。まぁ80年代初めの話だから、今ではもう現代美術の中でも古典に属するのかもしれない。人を石膏で型取りして提示する、近頃は「フィギュア・アート」なんて呼ばれ方をされたりしてるタイプの原型といってもいいんじゃないかな。立像のサラリーマンとか、額に飾られた妊婦の腹部とか、レリーフ状の性器とか…。僕はそれを思い出したりもしてたな。

 たとえ学術的な目的だろうが死体だろうが、飾ってしまえばショウ(見世物)なんだなぁって思った。神経組織の人体、骨格の人体、血管の人体、筋肉の人体…。表皮と皮下組織で縞になって、皮膚の各部がハッチ状に跳ね上がって、片側の付け根を切り離された筋肉を放射状に拡げて…。あまりに芸術的な職人技なもんで、ここまでくると人体を鑑賞するかテクニックを鑑賞するか迷っちゃう。フグの刺し身なんかでさ、見事な包丁さばきで盛り付けられてたりするじゃない?

 そんな不埒な僕の傍らで、眉をひそめながら「モデルになった人がいるんでしょうに…」と言った御婦人がいたの。確かに、その人が御存命なら侮辱に値するわな。でもこれが本人だし、こうやって見やすく加工するのに何体もの試作品があったんだよね。失敗作として、日の目を見なかった人体の山が。

 免罪符の如き「学術的な展示だから」という名目を取っ払ってしまえば、そこにあるのはグロテスクな好奇心なんだな。場内の、医学的関心を意識した真剣な視線。その中に、きっと皆(死者への冒涜)という罪悪感から逃れる言い訳を抱えていたんじゃないかと思う。でもさ、免罪符なしに楽しめない事のほうがグロテスクな気もするよね。何かの理由で人は死ぬんだし、死体は死体なんだしさ。

 この文化では「食人族」ってグロテスクの権化のように言われたりするけども、もしも彼らがこの状況を見たら(何!?)って思うだろうね。彼らが食べるのは人の肉ではなくて、特定の誰かである事が重要なのだそうだから。この会場に飾られているのは死体と呼ぶ以外に名前を持たない物で、そこに群がる人々は異様に映るに違いない。死体なんて滅多に見られないような世の中も含めて。この過密社会で生きてるのは決して不死の人間じゃないのに、死体は町のどこにもない。今じゃあ、西洋医学に看取ってもらわなきゃ往生もできない社会…。

 でも一番面白かったのは、会場の外かも。

 どうやらビジュアル系のライブがあって開場待ちしてたらしいんだけど、周囲がコスプレ少女で埋め尽くされていたのね。なんとも皮肉めいた偶然! 片や「素の状態」というか究極のミニマムな人体で、それと比すれば装飾過多な「自分ではない自分へと肥大しようとする指向」が外を取り巻いている訳さ。出来過ぎてる。

 物としての人体に、これほど執着する奇妙な心理よ。皮を剥がれた人体に群がるのも、何の格好だか着ぐるみを被ったようなのも、何かが共通してるような。

平成15年10月6日ku21.jpg

posted by tomsec at 22:34 | TrackBack(0) |  空想百景<21〜30> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする