2003年12月26日

33*自己批評的空想百景

 さて、短めにしてみた前回までの3話。やってみての感想は(やはり違うな)でしたが、読まれた方々はどのように思われたでしょう?
 文字数でいうと、通常が2,000文字を越える量なのに対し、1,500文字程度に抑えてみたんです。つまり短いといっても、たった500字減らしただけ。しかしながら、この「空想百景」と名付けたコーナーには合わなかった気がして。一応は(ひとつの内容を3分割する)という感じで、視点は一緒で角度を変えたつもりだったのよ。でも1話ごとだと、一本調子で論文みたいな…。
 たとえば新聞の社説とか、体験レポートなんかだったらオッケーだと思うの。話の筋道から脱線しない、まっすぐに展開する書き方ね。だけど僕の中では、ここは何かを論じるとか報じる場所じゃあないんだな。むしろ脱線なり逸脱なりで、3段論法ならぬ3段抜かしで小ネタから小ネタへ飛躍したい訳。それを文字数を削ってやるなんて、力量あれば可能かもしれないけど僕には無理だわ。そう思った。
 内容に関しては、趣味の話題だと専門的な片寄りが出て説明が増えそうなので気を付けているつもり。あとは資料なんか引っ張り出さずに、うろ覚えの不正確なまんまで確かめない事にしてる。それを始めるとキリがないし、勢いが萎えるからなんだけど。あとは固有名詞は出来るだけ使わないようにしたり、伏せ字にしたりしてるかな。これは検索に引っ掛かったりして、特定の固有名詞に関する情報として読まれたくないから。ま、そこまで気にするほどじゃないだろうけど。それと、身の丈を越えないように。
 と、こうやって書き出すと決め事だらけみたいだなあ。そんな気はないんだけどさ、何だってルールがないと面白くないからね。エッセイだかコラムだかを読むのは田口ラ〇ディも好きなんだけど、もし自分が書くんだったら池澤〇樹の月面宙返りを狙ってみたかったのよ。意外な着地、って感じを。とはいえ真似するのは難しそうなんで、も少し間口を広げて不時着あたりを目論んでいる次第なのね。首尾のほうは、ともかくとして。
 ところで最近、高橋源一郎の書いた文芸批評(批判ではない)を読んでる。ファンというほど読んではいないけど、僕の言葉や文章にとって特別な存在なんだ。その彼のデビュー作に出会ったのは二十頃だったっけ、そんで詩人としての自分を改めて意識させられんだよなぁ。
 小学6年の国語の時間、将来の夢という授業があったんだ。僕は「作家」と答えたのね、物書きじゃなくて「作る人」という意味で。だってクリエイターなんて言葉がまだ存在しなかったから、他に言いようがなかったんだもん。それから何年も経って、僕は自分を詩人という事にしたの。誰かに言ったりはしなかったけど。以来、僕は具体的な定義は何もないまま詩人でいる。多分この先どんな肩書もないと思う、未来の夢だって未だにないし。
 実は「作家」と答えたのも、将来の夢なんて思い浮かばなかったからなのよ。単に自分の好きな事を、好きなようにしていたいだけだったんだ。だから職業としても生き方としても夢が無いままで、だけど結果的に望んだ通りにはなってきているんだけど。自称で良ければ、僕は既に絵描きで作詞作曲家なのだ。もしかしたらネットコラムニストかもしれないし、写真家かもしれない。
 小説のような長い文章は、中学2年の時によく書いてた。でもそれっきり、5年前にメキシコ旅行の日記から書き起こすまで長いブランクがあったんだ。詩とは違って文章を組み立てていく、その筋力というのは絵や音楽の比じゃなくてさ。たかが一カ月の旅行記を書くだけで3年もかかっちまったよ。だけど、そこら辺から言葉や文章に対する自分の反応が変わったと思う。それが以前と何が違うのか、うまく説明出来ないんだけど。
 今年の初めに、友人が書いた物語を読ませてもらったの。そして(自分の言葉は物語向きじゃないな)って感じたんだ、架空の世界を描くのには向かないとね。いつかは書けるようになるかもしれないにしても、今の僕は筋書きのない読み物を書く事にしよう…。そうして、ここにコラムだか何だか判らないコーナーを設けさせてもらった訳ですな。
 そんな空想百景、いつも読んでくれて有り難う。そういえば、他者を意識して何か作るってのは初めてなんだ。だから、読み手を無視して書いてるんじゃないのですよ。意外だった?

平成15年12月19日


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2003年12月09日

32*帰る場所(短編3)

 たった2年間だけだった、親元を離れて自活してたのは。その最後の冬に、僕は外壁補修のバイトをやってたの。そこそこの金額で週払いだったから、嫌々ながらも仕事に行ってた。夢も大志もあるじゃなし、しかも暮らしはジリ貧状態。恋人も友達もない、なぁーんか殺伐とした心模様だったなあ。でも毎日(困ってる人に募金したい)とか思ってた分だけ、犯罪者になる可能性は薄かったけど。
 その仕事で、郊外の巨大な病院に行ったんだ。屋上近くの壁に張り付いてさ、見渡すと遮る物は地平線まで何もない勢いよ。透き通るような大空を映すガラス窓、向こう側の部屋には白いベッドがあって。誰かいるのに気配はなくて、何も見ないようにしてたけどね。足場の上では、人の生き死になんて考えたくもないからさ。
 某マンモス団地にも行ったな。団地の屋上までエレベーターで上がってから、手摺りを越えて足場に移るのね。ぴゅーって風が吹き付けて眺めると、地上の地下鉄は本当に頼りない命綱に見えたな。まるで外界との接触を断ちたいのかって位、周囲には目ぼしい町並みもないし。まるで糸でつながれただけの、孤立した都市のようだと思った。生活に必要な店は一通り揃っててさ、団地内ですべて事足りちゃうのもね。
 眼下に拡がる団地の景観は小綺麗で明るくて、計画的に配置された緑とレンガの小路、噴水の周りにベンチがあってさ。どしっと構えた建造物群に、隙間なく仕切られた窓があって…。それは人の住処というより、蚕棚っぽく見えちゃったのね。快適そうに造成されてるのが却ってウソ臭く感じてしまった。実は(落下の名所)とか言われてたんだけど、他所の住人が飛び降りるんじゃないなって…なんとなく思った。
 古い西洋の言葉で「死を想え(メメント・モリ)」というのは、どこか日本の武士道に通じるものがあるような気がする。もちろん命を軽く見積もるとかではなくて、突然やって来るかもしれない終わりの瞬間を意識しながら生きる、という意味で。インディアンの言葉で「輪を閉じる」というのもまた、そういう感覚に似てるんじゃないかな。「今日は死ぬのに良い日だ」っていう詩を読むと、民族とか信仰とか価値観が違っていても人間には相通じる感性がある気がしてくる。
 かつては死が身近にあったのに、現代社会では自分で死ぬという選択さえ許されない。といって誤解を招くと困るけど、問題は死ぬ事じゃなくて生きる事なんだ。様々な装置によって強制的に生かされている人々の、定義の上では生きているという状態を遮断する決定権は誰にもないって事も含めて。
 人の夢、と書いて(はかない)と読む…そこに儚さがあるような。

平成15年12月9日
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31*家持つ人々(短編2)

 10年前ってさ、夜中に台場までドライブ行くと寂れてたよなぁ。走り屋がフネカン(船の科学館)でいたちごっこしてた頃ね、夢の島には倉庫しかなくて草っ原に遺体が投棄されたりしてた。それが青海あたりから目茶苦茶な勢いで工事始めて、今じゃ見違えるようになっちゃってビックリよ。久々に行ってみたら、夜中の夢の島に小学生が歩いてんの! 一瞬、ついに僕も見ちゃったのかと思って青ざめたね。あの辺は、間違ってもそんな場所じゃないぜ? 少なくとも、まだ今は。
 江東区で、児童の急増に学校が不足する事態…なんだそうだ。一学期の間に、一学年の学級数が倍になる? そりゃあ不自然だよな、本来は町ってのは自然発生的な集合体だったろうに。それが今や、人為的に作られる時代になったって事なのかね。開発業者だとか、不動産屋によって。そういうのって、何だか気持ち悪いけどなあ。
 その事でインタビューに答える父兄(当事者)が行政を非難してたの。いわく「家を持とうと思うのは当たり前なんだから、行政の怠慢だ」とかって。ふーん、当たり前なのかねぇ? 確かに都心に出るのも至近だし、埋立地だけに物件も高くはないのだろうけどさ。だけど江東区は、以前にも児童が急増した事があったんだって。それに対応して学校を増やしたものの、すぐに児童数は急減して相次いで廃校にしなきゃならなかったそうだ。そんなの昔っからの納税者にしてみりゃあ、大いなる税金の無駄遣いでしょ。
 一時期、欠陥住宅が話題になった(今もかな)。聞くところによるとさ、一昔前は住人が現場に立ち会うもんだったらしいね。毎日顔出して職人に茶菓子ぐらいは振る舞ってさ、何食わぬ振りで手抜かりないかチェック入れてたって。今は地鎮祭とか建前とかって、滅多に見聞きしなくなったもんなあ。
 新しい土地に住むとか家を構えるって時には、土地との契約を結ぶ儀式があったんだよね。今は住む事自体には意味がないんだなぁ、そこがどういう土壌や風土なのかも。地盤がゆるかったり水捌けが悪かったりしても、それは単に売り手が悪くて買った方には責任ないってだけの話でね。
 ま、これだけ過密だと気にしてられないんだね。そこが地面なら住むしかない、残された自然を開発して悠々自適…ってのに比べりゃあエコロジーなのかな? しかし色んなニュースがあって非難の応酬だよなぁ、己の都合を押し通す為の正義とか権利とか。どこかに悪の元凶がいるような幻想って、ハリウッド的(あるいは時代活劇か)だなって思うんだけど。
 そういうのって、な〜んか気持ち悪くない?

平成15年12月9日
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30*過密(短編1)

 ちょっと今回、話のボリュームを減らしてみようと思います。今までの文章量だと、携帯端末で読むには多すぎたみたいなのね。で、そういった御意見を実験的に反映させてみようという試みなんですわ。まあ単に小分けに出してく、それだけなんですが。
 皆様の御意見、ご感想などお待ち申し上げてます。では以下本文で。
 小学生の頃、団地の隣の塀から落ちて頭を打ったの。記憶がないんだけど、救急車に乗って3日間ぐらい昏睡状態だったらしいんだわ。その時に腰骨を痛めて以来、腰痛は持病のようになっちゃってて。治ってからも季節の変わり目なんかに動けなくなったりしてさ。
 とはいえ、ついにコルセットを装着する羽目になるとは…。さすがに原因は、そんな大昔のケガと違うんだけど。体を使う仕事が好きだから仕方ないにしても、もうちょっと普段のメンテナンスに気を遣っていれば長持ちしたのかもしれないな。ともかくこうなってしまった以上、腰痛と共存してゆく人生というものを考えてゆこうと思う近頃。
 ところで最近て、医療事故の話題が目に付くね。治療の方法も機材も薬品も次々と新しくなるのに、現場にいながら全部に熟知しろと言うのも無茶な要求だよなあ。だからって「仕方ない」の一言で済まして良かぁないけどさ、割と間近で見てると誰が悪いとかいう話じゃないって感じるんだ。
 一年前、大学病院てところで診察を受けた事があるのね。大きいしハイテクな感じにも圧倒されたけれど、ギッシリ! っていう位の混雑ぶりの方が凄かった。大体、初診から手術して抜糸まで、いっつも違う医者でさ。とにかく患者を捌かなきゃならない、それは分かるにしても、あんなふうじゃあ不信感も募るってもんだわ。
 あの殺人的な慌ただしさ、ヒューマンエラーどころじゃないって。細分化/専門化する医療、それに慢性的人員不足が招く意欲低下。面倒を見切れない程の患者を抱えなければ、成り立たない病院経営(一般企業みたく売り上げ伸ばすとか出来ないし)、そして普通に死ぬ事を許さないような生命倫理。
 すべての問題は、過密だ。…ある時、そう気が付いて腑に落ちたんだ。
 戦争も環境破壊も、結局は人間が多すぎるせいなんだよね。実際それが唯一、あらゆる問題を解決出来る手段ではないかとさえ思う。だって、文明の進歩(というか便利さ)には歯止めなどかけられないもん。理性なんかより、やっぱ快楽の方が強いんだから。社会共産主義が腐敗したのも、エデンの園から追放されたのも理屈じゃないからね〜。
 ロジックじゃ上手くやれないのは分かった、でも快適さに流されてるような現状もヤバい。だからって戦争で人減らしするような暴力性の時代からはオサラバしたいしなぁ…。

平成15年12月9日
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2003年12月02日

29*雑貨屋Sと味の世界

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 家の、すぐ近所にSという雑貨屋がある。昔ながらの雑貨屋だから、もちろん舶来品なんて置いてはいない。駄菓子からタワシまで、ベタベタに身近な小物であふれている店だ。ここに越してきて20年以上経ち、周囲の景観は変わってゆく中で相変わらずイナタイ店構えでやってる。
 それはそれで味があり好きなのだが、以前から店の主人が苦手だった。顔を合わせると「よお、今日はどうしたぃ?」と話しかけてくる。といって別にこちらを見知っているからでなく、さりげなく情報収集をしているのだ。とぼけた口調で所在を聞き出し、中途半端な時間帯に行けば「仕事、何やってんだっけ」と探りを入れてくる。下心なんてないのは分かる、下町に生まれ育ったオヤジの性なのだろう。ウザい上にゲスを絵に描いたような風貌で、母や妹なんかは一切利用しないが。
 しかし便利には違いなく、ちょっとした空腹とかタバコを切らした時に重宝しているのも事実。夜中に電球が切れた時も、11時過ぎまで開けてるのは有り難い。それでも最近は僕も(あそこで買う位なら、駅前まで行くか)と思うようになってきた。その原因は、みかんの不味さだった。
 口の悪い妹に言わせると「あそこの青果は昔っから腐ってた」という事らしいのだが、確かに品が悪いとはいえ食えない程ではなかった。それが近頃、買うたび後悔させられる事ばかりなのだ。袋に1個ぐらい痛んでるのがあっても仕方ないと思うけど、中身が干からびてたり皮が中身に張り付いて剥けなくなってるのばかりでは腹が立つ。20個入りで5個しか食えない! 妹いわく「仕様がないじゃん、それがSなんだってば」
 雨の日に傘差して帰り道、通りすがりの八百屋の店先に、カーバイト光に照らされて美味そうな果物…。いやいや、手荷物が増えると傘が持てないし。そう言い聞かせながらも、間もなく家の明かりが見えようかという場所に雑貨屋Sがある。降参々々、こりゃあ買うしかないよなぁ。このところ毎回、そういう思考ルーチンで不味いミカンばかり食っている。今度こそと期待して手に取る1個、3袋も購入したから45個の期待を裏切られ続けたら(頑張れ小売店)という思いはあれど0勝45敗15引き分けのミカンではいけない。
 食べたい気持ちがイメージする美味しさに遠ければ遠いほど、欲求不満は高まり不味いと感じるものだ。CMで肩透かしを食らうのが、このパターンだろう。そして、それとは微妙にズレるのだけれども「イメージした味と実際が違っているほど不味いと感じる」という事もある。Sで買った、グレープフルーツの缶詰が正にそれだった。ま、買う方も買う方なんだが。
 どうも僕は目新しい物に弱い。というか、どこかで心地良い裏切りを期待しているのかもしれない。中学の時にオシャレ雑誌でカンパリソーダなる飲み物を知り、酒屋の安売りでまとめ買いをしたのが始まりだった。僕が勝手に思い描いた(マイアミビーチの午後の味)と全然違っていて、その時からカンパリ=不味いと決まった。その後も、コーヒーの炭酸割り的なジュースで失敗していたりする。
 それはともかく、グレープフルーツの缶詰。缶切りで開けたら、出てきたのは煮しめたカズノコみたいな代物だった。缶ミカンの鮮やかさと比べて、何故こんな色を付けてしまったのか理解に苦しむ。しかも独特の苦み走ったシロップで胃がムカムカした。この場合は見た目が美味そうだった訳ではないが、はるかに予想を上回る不味さだったのだ。
 もっと分かりやすいケースでいうと、メキシコ旅行の「チョコだと思ったらモーレ・ソース事件」がある。モーレ・ソースは、世界3大ソース(なんかトムヤムクンみたいにウソくさいが)の一つと言われている、メキシコ料理に欠かせない調味ソ−スらしい。それを板状のルーに固めた物が、現地のスーパーで売られていた。それは一見、知らない人間にはどう見てもプレーンなチョコレートケーキだったのだ。
 一緒にいたメキシコ人に「指で取ってなめてみろ」と言われたのだが(そういう事は問題ないようだ)、僕は当然のように甘い物だと認識して躊躇なく口に入れてしまった。あれほど、見た目と実際の味覚にギャップがある経験は二度とないだろう…願わくは。最初に物凄い違和感だけがあり、次の一瞬には咳き込みながら「おえ〜!!」と叫んでしまった。超甘口カレーのルーを、親指一本分ぐらい食べちゃったのだ。しかもチョコケーキだと思い込んで。
 で、何の話だっけ? そう、見た目と味のギャップについて。ついでだから書くが、山口県のスシの話。ちょうど持ち帰り寿司が流行り出した頃で、小学生の僕は好物のマグロを最後に残して折り詰めを食べていた。いよいよメインディッシュ! と思ったそれは、口に入れたら赤身ではなく奈良漬けの握りだった。まだアボガド巻きなどというニューウェーブ寿司が話題になるより数年早く、山口県の持ち帰り寿司では。漬物を握るなっての、オニギリじゃねえかよ。
 あと、韓国の高麗人参ガムね。これは逆に案外いけた、さすが奥地の恋人ロッテだけはある。ゴボウみたいな独特の土臭さを美味いと感じる、そんな意外さも含めて。パッケージは板ガムのコーヒー味に似た色で、ちゃんと高麗人参のイラスト入りだった。
 とまぁ、とりとめなくも趣旨一貫した話題ということで。

平成15年12月2日

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