2004年03月22日

42*我が心の耳垢

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 春ですな。こう暖かいと、そろそろ屋外でギター弾きながら唄の練習を再開したくなるってもんだ。でも、まだ指先が動かなそうなので後日にしようっと。
 そうそう、このくらいの時季って(冬は終わった!)って油断しがちなんだよね。んで、急に冷え込んで足元をすくわれるっていうか大風邪を引いたりするの。桜が咲いてから雪が降ったりするからなー。特に僕は寒いの苦手なので、ちょっと春めいただけで浮かれちゃう。
 思えば、僕には雪にまつわる思い出って少ないかもなぁ。

 スキーに初めて行ったのは、ハタチだった。そして金髪。友人Nと夜中の製本バイトして、日銭で懐を温めて出掛けたのだ。彼の車で、当然ながらチープ&ハードな日帰りスキーさね。
 僕はまったくの初心者だから直滑降&転倒専門、安手のウェアじゃパンツまで濡れて冷え冷え。夕闇迫る湖畔の路肩で、持参のガスコンロでインスタントラーメンを煮て食べた。帰り道は迷いに迷って、裏磐梯だった筈が喜多方にいたっけ。
 二度目のスキーは4年後の、初めてのリゾートバイト。別のバイトの冬休みを利用して、八方尾根まで出稼ぎに行ったのだ。バイトの空き時間は滑り放題! という謳い文句に(これで一気に上達!)するかと思いきや、毎晩タコ部屋でバーボン三昧。だってさー、ゲレンデから降りてくると板とブーツをレンタルする時間じゃなかったんだわ。

 そして勤め人となり、先輩の運転で東北の工場を回った時も雪だった。福島から秋田に向けて、夜中の山越えをする羽目になっちゃって。安達太良山の駐車場で休憩してたら、吹き降ろす強風で車が滑り落ちそうになるし、尾根道は更に激しい猛吹雪で(僕は助手席だったんだけど)視界ゼロ&スリップの連続! 秋田側に下る坂道の左右には横転したトレーラーの見本市よ。なのに突然に降り止んだ銀世界は、凍りついたような無音で息を呑むほど繊細だった。
 僕の記憶に焼き付いている雪景色って、なぜかどれも静止画みたいなの。真夜中で、人の気配がなくて、無気質でさ。メタン・ハイドレート、だっけか? 深海の底にある凍ったガスと泥の固まり、まるでそのような感じなのね。忘れた頃に、心の奥底から突然ボコリと浮上してくるイメージ。詞を書こうとしてる時なんかにね。

 最近は全然なんだけど、僕は寝る前に詞を書く事が多い訳よ。でも日記みたく私的だったりはしないんだ、その辺て誤解されがちなんだがね。たとえばラブソングだったとしても、その日TVで観たドラマだったり隣り合ったカップルだったりが折り重なってるもんなの。寝入りばなに見る、一日分の走馬灯っぽい感じ。
 そういう時にね、ボコリと波打つんだ。思い出そうとしても見つからない写真に似てて、どうでもいい時に鮮明に浮かんでくる。だからって、その光景の状況とか人間模様なんかは不思議なくらい飛んじゃってて。精神状態だけ、それを目にした一瞬に戻ってる。
 うまくすると、頭で変換するより早く一行目が書けてるのね。そしたらしめたもので、あとは勢いに任せて考える間もなく歌詞が出来ちゃう。とにかくカタチに置き換える最初の文字が切り出せたら何とかなるの、関係ない他の記憶が詞に足りない要素を何とかしてくれるから。

 たとえば旅をしたとして、面白いもので(その事をモチーフにして書きたい)なーんて思ってるうちはダメなの。耳に詰まった垢がゴソッと削げ落ちる感じで、ある日突然カタチになるんだな。しかも思った通り、じゃない感じでね。ひょっとしたらそれも訓練次第でコントロール出来るものなのかもしんないけどさ、でも案外そうしちゃったら力が弱くなりそうで。
 狙いどおりに作るのって楽しいけど、そういうんじゃあ自分自身を楽しませる力ってのは持ってない気がするな。

平成15年3月21日


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2004年03月03日

41*燃えよ!イイオンナ

 ヘザー・ロックリア。ずっと気になってたハリウッド女優で、最近やっと名前が判明した。演技とか私生活とかは知らない、ただ画面に映る表情や仕草が魅力的なの。若干、トウの立った美人で、笑うとできる目元のシワもまた素的な感じ。年齢が現れる部分がチャーミング、というのは年の取り方として理想的かもしれない。
 しかし考えてみれば、目元のシワに魅力を感じるのって不思議だ。魅力的なシワと、そうでないシワがあるの? と自問してみる。それをいうなら「石庭に侘び寂を見る」という心の主観性と似たようなものだろう。だって、神経質に整えた砂利じゃんね。侘び寂の砂利と、そうでない砂利。

 ところで、僕には「モテモテ願望」がある。まるで絵に描いたみたくカワイコチャンがキャーキャー寄ってくる、そんな単純なイメージへの憧れが。
 そんな嘘臭い願望を体現してる(と僕の目には映った)青年がいたのね、彼女がいようが関係なくグイグイ迫ってくる女性が後を絶たないような。壮絶な入れ食いラブライフ状態。
 そりゃもう羨ましい! というか、心底あやかりたくてさ。彼の爪の垢ゴクゴク飲む勢いで観察してて、ちょっとした発見をしたの。彼の目元は優香に似てる、って。もちろん性格だってモテモテで当然だったんだけど、そこはやっぱり太刀打ち出来ないし。

 ちょうど(癒し系)なんてフレーズが旬だった頃でさ、すでに優香も巨乳アイドルじゃなくなってて。TVなんかで見かけるたびに僕は、あの半開き気味の瞳がポイントだと思ってたのよ。それから鼻の下を伸ばすような話し方ね(高松しげおかよ)。
 微妙にトロンとした眼差し、そこに彼と優香の共通点を見いだした僕は(これぞモテる秘訣では?)と短絡的に結論付けた。たとえばベティブープの誇張されたアイシャドウね、半開きの瞳ってのは性的な恍惚を連想させると思ったのよ。これが半開きの口となると、知性的にビミョーだけども。
 僕は以前から、瞳に芯がある人を「眼力がある」と呼んでる。メイクで作られた「目ヂカラ」なんてのとは別ものとしてね。優香眼は、そういった一種の緊張を強いる力とは逆の安心効果がある気がしたんだ。
 でもその効果で引き付けられちゃう人って、不安を多く抱えてるって事になりそう…。おおっ、ノーサンキューだぜベイビー!

 浅草で仕事をしてた頃は、特に(色気は所作)って感じたな。あの界隈は芸事の師匠がとても多くて、今も地元の女の子が普通に稽古通いしてるのが珍しくないんだ。そうすると普段の所作ってのも違ってきてさ、たとえば三社の時期なんて地元以外の神輿担ぎが大挙して祭り装束が入り乱れる訳よ。だけど浅草の女のコって一目で分かるの、きりりとした色気というか所作が自然に決まってるから。帯の締め方がだらしない、なんてのは論外でね。

 背筋や立ち居ふるまいがすっとしている、そういう女性の色気は年を重ねても衰える事はない。ただ、習い事に即効性はないからなあ。もし自分が女性で(イイ女になりたいな)って思ったとしても、結局は目先のダイエットやエアロビに走ったりするだろうけど。服とか小物に金をかけたりね。そういう買い物は、消費という楽しみと(キレイになった自分)という妄想をも与えてくれる。身につければ即座に効果が実感出来る、という満足も与えてくれる。10年、20年で二束三文だろうが。
 そう、長期的なスパンで物事を見れないんだ。これは女性云々じゃなくて、今は「結果を出す」という言葉が象徴するような価値観の時代なんだな。100年後のために木を植える、9世代先の子供達に遺すという考えが根を張る土壌は期待出来そうにないのかも。
 だって所作の色気を絶賛してる僕自身、思い描く「モテモテ願望」のカワイコチャンは外見優先なんだもの…。

平成15年2月11日
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posted by tomsec at 21:41 | TrackBack(0) |  空想百景<41〜50> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする