2004年06月26日
48*銀座の6月
確か「パリの4月」というジャズの曲があったなぁ、そう思った銀座の路上。
たまたま、友人の個展で久々に足を延ばしたんだ。前に来た時も彼の個展で、同じように山チャリ漕いで来た気がする。銀座の外れ、雑居ビルの小さな貸し画廊。誰もいない小さなスペース一面の不可解なオブジェ(というかインスタレーション)を眺め、芳名帳にサインして。
銀座の画廊は、中学の美術の先生に連れ回されたものだ。あの先生に会わなければ、僕は現代美術なんて判らなかったかもしれない。ジョージ・シーガルに始まってフランシス・ベーコン、大島渚や横井忠則などなど…。キース・ヘリングなんて、まだ出てきたばかりの頃だ(あれは原宿のギャラリーだったな)。
高校時代は、銀座でビル掃除をしてた。中学の時に親戚の中華料理屋で皿洗いやったのを除けば、これが一番最初のバイト。場所は別にどこでも、地元じゃなければ構わなかったんだ。今と違って(都市のエネルギーを吸収しなければいけない)って思ってたのは、やっぱり美術の先生に影響されてたのかな。
家で制服を着替えて、毎日2〜3時間程度。銀行とか重厚な建物は、独特の匂いがするって思った。でも未だ鮮明に覚えているのは、窓から見た殺風景な景色だわ。狭い空を囲むように軒を連ねた、古いビル特有の装飾的な造りと不似合いなダクト。今頃の季節は暮れるのが遅いから、残照に染まって外国みたいに見えたっけ。仕事そっちのけで、ずーっと見入ってたりしてた。
まぁそういった訳で、僕にとっては三越とか和光よりも、銀座っていうと古びたビルの路地って印象のほうが強い。例外なのは、銀四交差点の天気雨だね。勤め人としての生き方を諦め切れず、面接のハシゴをしてる合間に本屋に立ち寄ったんだ。そこで何げなく「イルカのアヌーからの伝言」って本を買ったのが僕の人生に大きく関わってくるんだけど、それは別の話。
で、次の面接に向かう途中で一瞬だけ通り雨が来て。
そんな事は、勿論すぐ忘れてたの。っていうか、実際には起こらなかったのかもしれない。だけど数年前、よしもとばななの短編で通り雨のシーンがあってね。すごく生々しく思い出したんだ、その時点では気が付かなかった細かな点まで。そして(自分が唄いたかったのは、まさにこういう事だったんだ!)って分かちゃったんだよね。
口はばったいんだけど、簡単に説明すると「僕個人の主義主張や価値観を押し付けるんじゃなく、所詮そんな事は誰でも知ってるんだから、耳にした時にこの天気雨のような気分に浸れたらいいじゃないか」って感じかな。幸せは一瞬でしかなく、だからこそ大切な瞬間を思い出せる事は素直にさせるし良い気持ちを生む…。唄で啓蒙しようなんて勢いなしに。
ところで、画廊から出た薄暗い廊下に貼ってあったポスター。そうだった! 今週までなんだ、オノ・ヨ○コ展。ジョン○ノンには興味ないけど、この人の世界はもっと知りたい。天気雨だけじゃなくて、実は彼女がいなければ僕の唄は確立されなかったんだから。
彼女のアートみたく、触れた人が(YES)を見つけられる唄を。
平成16年6月24日