2004年07月30日

50*僕らが旅に出る理由

 最近、パイナップルづいている。それは妹の「パイナップル豆乳ローション」ブームの副産物なんだな。
 というのも「材料に芯の部分を使う」ってんで、作り置きをするたび丸ごと買ってくるんだから気前が良いやね。能書き通り(ムダ毛が生えなくなる!)かは定かじゃないが、彼女がその代物に凝っている間は恩恵に浴する事ができそう。
 まぁ果物全般ストライクゾーンの僕としては棚ボタな展開だ。大体、こんなにパイナップルを食ってる日々なんて人生でも滅多にないね。前世がハワイイ人なら(?)別だろうけど…。なーんて言ったら生まれ変わりを信じてるみたいかな。
 でも輪廻転生ってのは、信じるも何も万物流転の道理だよなぁ。ただ、細胞の塊に生命を宿す(見えないチカラ)ってのは、固定された人格みたく単純なモンじゃないでしょ。もっとさ、空気の中に散らばり漂っている何かの集合? じゃないのかな。
 だってさ、楽しくないんだよー。たとえば偶然の出逢いとか直感めいたひらめきを「前世の縁です」って言われてもなぁ、それじゃ「決められた運命は変えられません」ってのと大差ないじゃんか。 ま、そんなに小難しく考える事でもないか。
 見知らぬ土地に懐かしさを覚える、いわゆる既視感覚ってのもそれかな? としたら、むしろ(きっと前世で良い思い出が沢山あったのねー)って悪い気はしない。けど大抵の眺めって、どっかで見覚えあるもんだよねぇ。そういうのってTVの見過ぎかなぁ、ハバナ旧市街でも感動とかなくて普通にウロウロしてたし。
 しかし色々な人が、色々な所に出掛けてゆくね。北極圏でオーロラ見たとか、アフリカ大陸を回ってきたとか、そんな冒険じみたツアーも出来る時代なんだ。僕らが旅に出る理由、それは人それぞれなんだなって思うよ。つくづく。
 だって僕は未開と呼べそうな土地も、先進的な町並みにも心躍らないからなー。やっぱ僕の楽園は南国で、しかも山岳地よりは海沿いか島だわ。もちろん、そこに人の営みがあるってのも大事だけど。
 そう思えば、自分が知ってる海外って割と共通してる。台湾、メキシコ、キューバ、ハワイイ、グアム…これって前世的な嗅覚だったりして? しかし韓国だけは例外だな、まぁ渡航回数では一番多いけど修学旅行と仕事の出張だから。
 ソウルの中心街がほとんどで、蒸し暑い夏と厳寒の冬しか記憶にない。それでも、場末の古い家並みに迷い込んだ時は前世かと思った。何というか、アジアのギリシャ? 人気のない入り組んだ裏路地は、知らないのに堪らなく懐かしい感じで。妙に胸が鳴って、怖いんだけど帰りたくない気持ちだった。
 外国から届く便り、これも良いもんだよね。洒落たポストカードも好きだけど、売れずに埃を被ってたような間抜けなのが最高。五大陸の様々なカードをさ(南極はないけど)、部屋の箪笥に貼り付けて眺めてんだ。そして、ふと気付くの。
 減ったなぁー、って。
 すっかり手紙も書かなくなって、用件はメールで済ませてるもんな。ただ、手書きとはどうも勝手が違ってんだよね。特に長文になると、スクロールしても内容を俯瞰できなくなるし。それとは別に、便せんなりカードを買い込んだり選んだりするってのも、メールじゃできない楽しみで。
 絵葉書屋さんってさ、妙に心をワクワクさせると思わない? 夢のある仕事だなって思ったりするけど、需要も減ってるのに生計立てられてるのか気になったりもする。池澤夏樹氏の小説に「絵葉書用の写真を撮って旅をしてる、雇われ写真家」が登場するんだけど、そんな人生も良さそうだなぁ。
 そういえば、オンサンデーズで原爆だか水爆のポストカードを売ってたの。買わずにはいられなかった、あれこそ(狂気の美!)ってヤツだ。海面に立ちのぼるキノコ雲、禍々しいのに目が離せなくなる。畏怖という、一種の神々しさに。
…というフリで「もうすぐ終戦記念日〜」なんてオチ、そりゃないわな。

平成16年7月22日

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2004年07月15日

49*明るい町に降り注ぐ雨

 高架下で丸石のようになってる猫。
 夕立が降ってきた。まるで電気を帯びたような、大粒の雨が肌を叩く。
 この懐かしさに似た感覚、ボビー・ブラ〇ンの曲でも耳にしたみたいに(この辺は人によってクワイ〇ット・ライオットだったり、まぁ色々だろう)。だからって、まんま昔に返るとか匂いが甦るとかでもなくて。今にいながら、今の色が抜けてゆく…そんな感じ?
 雨に打たれてると、濡れる程に目の前の雑事の縛りが緩くなってゆく気がする。浄化ってコトバだと少し違う、ただ自分がシンプルになってく。
 僕は川の近くに住んでいる。
 何度か引っ越しをしたけれど、結局は下流へ移動しただけで、ひょっとしたら離れられない関係なのかも? って思ったりして。生まれて物心付くまでは、アパートの窓から見える集積場から落とされるゴミを満載して「夢の島」へと向かうダルマ船が頻繁に行き交っていたものだ。
 堤防を乗り越えると、打ち寄せるゴミから野球のボールが手に入った(どんなに洗っても臭いが消えなかったが)。そういう遊びで溺死する子供もいたし、腐敗した豚一頭が浮いてたりしたなぁ。大昔は荒ぶる川と呼ばれもしたし、父親の世代は泳いで遊んだらしい。でも、僕が知ってるのはコンクリに押し込まれて虚勢された水面だけ。
 当時の悪臭を知っているせいか、今は潮の匂いしか感じられないし、得体の知れない浮遊物も消えた。それを思うと僕は(時間はかかるけど好転してるんだ)って感じるし、何よりも川が立ち直ってゆく経過を実感できる事が嬉しかったりする。
 だからかなぁ、僕的に「千と千〇の神隠し」って大した映画じゃないと思うんだけど、ハクが名前を思い出す場面で必ず涙腺が緩くなる。今こうしてワープロに向かってても、ずいぶん観てないのに胸が苦しくなってくる位。
 ここでの僕は、tomだ。そういったアダ名なんて、引っ越しの回数分かそれ以上は持っている。そしてそれらは、信徒が教父から与えられるように他人が名付けた僕の名前だ。更にいえば、そこに込められた意味どころか理由はすごーく適当なんだよなー。
 もっとも僕は与えられた名前を受け入れているし、受け入れる事でコミュニティ内に存在してるというアダ名の側面も理解してるから全然OKなんだけどね。
 それに僕は、自分で自分に与えた「ひみつの名前」も持っている。
 どこか遠い国の部族は、本名を隠して明かさないんだそうだ。それを知られるとチカラを奪われてしまう、そんなような理由だったと思うけど。確か原キリスト教(つまりユダヤ教か?)でも、全能の神ヤハウェーの名を口にする事は許されなかったという。そして現在では、本当の発音を誰も知らない…。何だか、近頃いわれる「プライバシー(個人情報)の秘匿」に似てるね。
 逆に(名前を奪われる)って考えると、イージーな地名改編が頭に浮かんできたんだ。名前に宿る「土地の記憶」を消す事で、ある種のチカラを支配する…。それって昔は神事に則って行われていたんだよね、場合によっては文字通り命懸けの一大事。現代じゃ一介の不動産業者や、あるいは村おこしを口実に書類の上で片が付くけど。
 この川も、古い名前と一緒にチカラを奪われたのかもしれない。それを取り戻す日が来たら、再び町を呑み込むのだろう。だとしても、立ち直ってゆく感じが好きだな。
 …あ、空が明るくなってきた。
 長田 弘の「驟雨」という詩を思い出して、あの一節の一言でこの空気すべてが語られている事に改めて感動する。

平成16年7月15日

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posted by tomsec at 19:34 | TrackBack(0) | 空想百景(ALL) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする