前回のオチを引きずるようだけどさ、ポストカードで見た水爆のキノコ雲って入道雲に似てるんだよねぇ。
日曜の昼下がり、表を歩いてたら山のような入道雲が!…というのは見間違いで、どんよりとした雲に薄日が差してただけだった。今日は珍しく雨だったもんね、それにあれは都会の真ん中じゃあ滅多に見られるもんじゃないか(いえ、下町ですがね)。海とか山にでもあるまいし、だからこんな町中だと違和感あるんだ、思い違いにしてもね。
大体、山みたいな大きなものって見慣れてないんだわ。山が見える場所に住んでたのって、山口県での2年間だけだもんなー。それも低い丘に毛が生えたような山だったから、家並みの向こうにそびえる…って程じゃなかったし。
あとは関東平野の、どちらかといえば海寄りで育ったからね。大阪近辺の人にとっては、この辺は逆に「山が見えなくて、なんか落ち着かない」って感じらしいけど。
僕だけかもしんないけどさ、東京の人間から見た関西って印象は東京〜横浜みたいなもんなんだよ。だけど案外、というかやっぱ積み重ねられてきた文化の成り立ちが別物なんだね。それ以上に、山の話を聞いて(世界の見え方が違うんだな)って気がしたの。良い悪い関係なしに、ただ同じ眺めを想像もつかない感じ方をしてるなんて面白いじゃん?
僕だったら、山が覆いかぶさってくる圧迫感の方が却って落ち着かないのね。温泉地とか旧街道の宿場町とか、そういう山の方に行った時の感じは異郷に身を置いてる気分なんだよ。心地よい疎外感がね、僕にとっての山に近い土地の空気。
そう、山口県にいた時だってそうだった。言っちゃ悪いが実際イナカでさ、建物や道は整備されててもTVが4局しかなくて(番組も古いし)電車は近くに走ってないし(しかも何分も待たされる)お店と平らな道が少なかったのね。学校の給食がなくて、外でパン買って公園行ったりしてたなぁ。
呑気な土地柄というか、相手にされてなかっただけだとしても僅かに温かい感じ。まぁ教師からも(東京モン)という目で見られてたし、当然そんなガキは他にいなかった訳で、それでも何も言われなかったのは妙だよね。あの時期の記憶だけ、起きぬけの夢みたいにイマイチ中途半端なんだけど…。何かトラウマでもあるのか?
ところでその公園、そりゃあもう桁外れに広いんだわ。道から外れた子供が迷ったとか、野犬の群れが住んでるだとか聞かされてたけど、代々木公園サイズから数倍の公園があってさ。すでに手の入った自然ではあっても、誰も来ない自分だけの世界を身近に感じられたのは貴重だったと思う。
時折、ふいに思い出すんだ。誰にも見つからない高台で、学ラン着たまま何するでもなく過ごしてた事を。そんな場所が欲しいから記憶を辿ってしまうのかなぁ、なんて考えてみると山の見えない町には気持ち的に逃げ場がないね。海も見えないし。
僕は、ずっと川のそばで生きてるなーって思う。友達と一緒に部屋を借りてた頃を別にして、の話だけど。生まれた場所から、ひとつの川を下流に向かって移動してるだけなんだよね。これも何かの縁なのか、二つの川に挟まれて暮らしてる。
台湾でも、土手に上って川を見た時、妙に安心したんだ。そんで(あー、やっぱり川なんだ)って思ったの、人の気配がある川ね。そういえばハワイイでも、ローラーブレード履いたまま橋の上で放心してたなぁ! って、こうなると結構こじつけっぽいか。
メキシコは例外で、ユカタン半島の大地は石灰岩だから川がなかったのよ。でも真っ平らで山もなかったから割と馴染めたのかも。ハバナでも川沿いを走ったっけなぁ…(まだこじつけてる)。
平成16年8月15日