2005年05月31日

81*リゾネイター

 こないだ、DVDを衝動買いしたのね。タイトルは「ワッツタックス」ってんだけど、その辺の詳しい内容はレビュー書いちゃったから置いとく。その中で、何度か「共鳴」って表現が出てきたのよ。で、思ったの。
 人間ってさ、外部からの振動に心を震わせて喜怒哀楽を表してるんだな…って。
 悲しい話に沈み込み、明るい雰囲気に開放感を味わう。ある意味、それだけなのかもしれないよなぁ。というかむしろ、それだけでいいんじゃないかってね。心なんて空っぽの、たとえばギターの胴体みたいだとしても。
 ちょっと飛躍し過ぎてて、伝わらないかな? まぁ魂の定義は色々だから、とりあえず(人間=心と体で出来てる何か)と考えた場合ね。体ってのは自分と外側の境界で情報を伝達する道具で、その体から送られた情報に対して心が対応を判断してる…と。こういうのは「唯心論」とかいうのに近いのかな、それはともかく。

 そんで今度は人生論入っちゃうけど、たとえば(自分の名が語り継がれるような足跡を歴史に残す)という行き方もあると思うのね。まぁそういった功名心とか目的意識ってのも何かしら「共鳴」の結果だったりするのかな、でも僕の思った事とは範囲がスレるので「反映」という区切りに分けておこう。
 僕のイメージで言うと、その共鳴した瞬間で完結してる感じなのよ。種が芽吹いて大樹に育つような連続性のある話じゃなく、ひとつの事柄への反応が次の事柄に対する反応に連鎖してゆくような…。
 もうちょっと具体的に言えば、事実かどうかは知らないが「インディアンの生き方」というのに譬えてもいい。元からの環境を変えないようにして、また去った後も痕跡を残さないような暮らし方。母なる大地の上に生まれ死んでゆく事に、人もケモノも変わりがないからね。
 残るのは、誰かの心に刻まれる思い出だけ。ならば僕は、相手とが互いに良い思い出となるように出会ったり別れたりしよう。そう思う。

 時々、僕は(どうして死ぬのは悲しい事なのか?)って考えてみたりするんだ。そりゃあ未練や依存もあるだろうけど、きっと何か悔いを残してるからなんじゃないかな?…などと思ったりもして。やり残した感じ、というか。
 死にゆく者は「納得の行く思い出を、大切な人との間に作れなかった」と不甲斐なく思い、見届ける側は「大切な事を伝え切れていなかった」と感じたりして…。だけどこれは想像に過ぎないんだけどね、まだ僕が身近な人と死に別れてないから。
 所詮、きちんと伝え合ったって「今生の別れ」が楽しい思い出にはならないだろう。でもいつか(全力投球できた)と思えたり、そう出来なかった自分と相手とを容赦したら、その死から得る何かは違ってくるよなぁ〜って気がするんだ。
 それにはね、怒りや憎しみの言動に共振して何かを壊したりするのと違う反応をしてようって思うのよ。実際どうかは分からない、けど「ひとつひとつの輪を閉じる」っていうインディアン的な言い回しに通じてるんじゃないのかなぁ。
 だからって僕は悪感情を否定する気はないのよ? 仙人じゃないし未熟者だからさ、むしろ出てくる気持ちを押し殺す方が毒になるもん。ただ、出し方を変えてみるだけでね。ものは言いようだから、いかに響かせるか? って部分で。

 じゃあ、どんな響きを善しとするか…となれば、やっぱ最もリアルな基準は自分自身だから「箱鳴り」だよなぁ。共鳴体である自分が、気持ち良く震動してるかどうか。自分から響かせた音が、ある範囲の空間を充たしてゆくような感じ?
 もし誰かのビートが気持ち良くなくっても、それを自分好みに変換して震わせてたら気にならなくなるかもなぁ。隣に座った人のヘッドフォンから、シャカシャカ音が聞こえてきてもね。
 僕は(自分のビートで踊っていよう)と思うんだ、そして(それを身に付けよう)って。そんな自分鳴りしてる音が、周囲の共鳴体を経由して変換された音を聴いてみたいな。
 ま、音響的には単なる「ハウリング」にしかならなくてもね。

平成17年5月31日
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2005年05月30日

【台湾の7日間('02.12/13〜20)】はじめに〜ダイジェスト7日間

[はじめに]

 僕が行ったのは、高雄より南です。
 旅行期間は2002年12月13日(金曜)から20日(金曜)までの8日間です。
 行った理由は、暖かそうだし安く上がりそうだったからです。それから、普段の生活以上にノンビリしたかったからです。気持ちの良い草っ原のような場所を見つけたら、そこで毎日過ごそうと思っていました。
 これは、僕にとって初めての台湾旅行であると同時に、初めての一人旅でした。
 現地の情報と助言をくれた、旧知の友人Nに感謝します。
 それでは、旅の顛末をご覧ください。



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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】1日目―1 「高雄へ」


2005053070d61395.jpg 海外旅行は、メキシコのカンクン(とキューバのハバナ)に行って以来だ。
 あれから6年も経っているが、飛行機に乗るのは本当に面倒極まる。この手間だけは何とか省略できないものかと切実に思う。飛行機が旅を苦痛にしている。
 時間前に搭乗手続きしてもらったのに、ナイフで手荷物検査に引っ掛かってしまった。
 いわゆるアーミーナイフで、以前にもグアムで同じ目に遭ったのにうかつだった。折あしく、アメリカはテロに過敏になっている。そのため、ノースウェストは現地受け渡しも出来ないと言われた。
 必要ないとは思うけど邪魔にはならないし、持っていて困る事はない。ひょっとしたら野宿するかもしれないし。
 仕方がないのでカウンターに引き返し、リュックを戻してもらってナイフをしまった。やれやれ、とんだ二度手間だ。
 出発時間は5:26PM、ゲートからバスで移動して飛行場の片隅へ。そこには、座席が左右3列しかない小型ジェット機が待っていた。

 中華民国、つまり台湾はサツマイモのような形をした島国だ。緯度的には沖縄本島より少し下、僕が向かう南部の高雄という都市は香港と並んでいる。だから基本的に南国、だけど島の南北では冬の気温差が大きいらしい。
 ガイドブックによると、北部の台北(tai-pei)は亜熱帯だが、南部の高雄(kaoh-siung)は熱帯性気候。どちらも成田と関空から直行便が出ている。だったら当然、高雄から熱帯めぐりしかない。
 成田〜高雄は1日1便、到着は夜になる。今夜は高雄で一泊して、あとは気の向くままに8日間。今夜の宿だって決まってないから、すべては台湾に着いてから始まるのだ。でもすげー不安。すでに初夜から、僕にとっては冒険の領域なのだ。
 初めて一人旅をするにしては無謀な気もするけれど、そこは放浪の友人Nの心強い助言あってこそ。幸い、彼は高雄にも滞在経験があった。そこで宿捜しから安上がりな食事まで、一切合財を伝授してもらっているのだ。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】1日目―2 「初夜」


200505300b027489.jpg 舗装が悪いのか、公共汽車はよく揺れる。それから車内が排気ガスくさい。車体の古さとあわせて、その辺もレトロ調で楽しい気分になる。
 停留所のアナウンスがないせいか、聞こえるのはエンジンの音だけだ。降りる客がブザーを鳴らすと、乗り場の標識が立っている場所に停車する。案外いい加減ではないらしい、でも地元の人じゃないと困るのではなかろうか。人の流動性が低い証左、ともいえるが。
 僕は終点まで行くから関係ないけど。

 高雄火車(鉄道)站(駅)前、の客運(バスターミナル)に着いた。
 もう終電なのか、火車站の建物は暗い。一応、台北に次ぐ都会なんだよなぁー。それにしては町全体、夜が早いような。
「この時間でも宿は開いてるから大丈夫」
 友人Nはそう言っていた。だけど宿を決めるまでは気が抜けない、リュックを担いで足早に歩き出す。
 まずは、彼お勧めの新世界大飯店に行ってみるか。飯店とか酒家とかが、ホテルを意味する。日本と違って、レストランなどの事ではない。旅社というのもあり、これは香港などでゲストハウスと呼ばれる安宿を指しているらしい。
 高級ホテルはともかく、大飯店や大旅社と名乗る安宿もあるのがややこしい。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】2日目・1 「オバチャンパワー」


200505301e2d20e3.jpg 絵に描いたような、さわやかな休日の朝だ。
 カーテンのレース越しに差し込む午前の光、初夏の匂いが部屋に充ちている。
 友人Nが春先に来た時には真夏の暑さで、夜も寝苦しいほどだと言っていた。しかし思ったとおり、今の時期は過ごしやすいようだ。
 ただ少し冷え込んだのか、夏掛けだけでは体が冷えてしまった。掛け布団がこれ一枚しかなかったのは、今まで苦情が出ないからだろう。僕が寒さに弱いだけなのだ、きっと。
 夏場の僕は、子供みたいに寝冷えしやすい。そんな事は冬の間に忘れていたし、寝間着はTシャツと短パンで事足りると考えていた。頭は重いし体はだるい、でも体が温まれば治る。
 経験上、暑い地域は(外国に限らず)乗り物や店内のクーラーが過剰に効いているのは知っていた。寒さ対策は、長袖のシャツとトレーナーでバッチリだ。だけど、夜が冷えるとは思いもしなかったな。
 大きなリュックの中は、半分以上が成田で脱いだ上着など防寒具だ。荷物はとにかく少なく、軽くしてきた。
 Tシャツと下着類は3セットでローテーションさせるので(昼間−寝間着−翌日分)、昨日の分は夜のうちに手洗い済みだ。壁に掛けておいたら、案の定すっかり乾いて扇風機の風に揺れている。

 さぁて出掛けるか! と勢いよく立ち上がりかけて、また和む。TVにジャッキー・チェンが出てきたので、つい観てしまう。これは「蛇拳」かな? 整形前の成龍、あの頃は面白かったなぁ。
 ケーブルテレビが普及してるのだろう、チャンネル数は150くらいある。映らないチャンネルも多いが、ハリウッド香港映画それぞれの専門チャンネルや日本のドラマばかり(古いけど)流してるのもあって飽きない。
 漢字の字幕を追っているうち、段々ウトウトしてくる。梅雨の合間のさわやかな夏、まどろむ時のシアワセといったら…!  って、台湾で何してんだか。まずは朝ごはんだ。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】2日目・2 「スイッチオン」


20050530e9c1c729.jpg 頭が回らなくなっているのか、それさえも分からなかった。
 どうにかしなきゃ、でも何を? 高雄火車站(駅)まで行ってはみたものの、意味もなく右往左往するばかり。やはり小琉球(hsiao-liu-chiu)にしようか、友人Nが勧めていた小さな島だ。
 小琉球に行くとなると、フェリーの発着する林園(Lin-yen?)まで汽車(タクシー)か公共汽車(バス)で行かなければならなかった。しかし今は、そのどちらに乗る気も起きない。
 とすれば、移動は火車(鉄道)に限られる。そこから先は考えが浮かばなかった。

 高雄站の構内は天井が高く、多くの人が行き交っている。人の流れを避けて、表で一服する。
 すでに日は高く、いつの間にか汗ばむほどの陽気になっていた。照り返しが眩しくて、目が痛くなる。
 ロータリー前の眺めは、日本と何も変わるところがない。まるで自分が、吉祥寺の駅前で待ち合わせでもしてるかのような錯覚を覚えた。
 ケータイで歩きながら話す若者、女のコのファッション。軒先で演奏するグループもいる。その音色だけが唯一、異国にいる現実を感じさせてくれていた。
 何もかも投げ出したくなる。
 最大の不安は、所持金が少ない事だった。それにカードも持ってない、だけど承知で来たくせに。
 なぜ今になって急にビビッてる? あと一週間は日本に帰れない、それまでのサバイバルだと思えば簡単な事だった。手持ちの金額から一日の使用限度を逆算すれば、あとは範囲内でやり繰りするだけだ。
 宿代その他で1000元を目安にしておいて、多少オーバーしてもカバー出来るくらいの余裕はある筈。
(もう大丈夫だ)と自分に言い聞かせる。
 この時の感じは、今も覚えている。新しい水に適応するスイッチが入ったような感覚だった。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】2日目・3 「佳冬」


200505309bd83369.jpg 寝ぼけまなこで車窓を眺めると、すっかり民家は消えて緑一色だ。
 ヤシの木畑? そんな整然とした感じに生え揃っている、背の高いヤシの木が規則正しく流れてゆく。
 いつの間にか思いっきり南国に変わった風景を、ぼんやりと眺めているうちに停車した。他人事のように乗り過ごしそうになり、一気に目が覚めて飛び降りる。
 ここが、佳冬(Joh-tong?)か。
 特急(復興号)に乗り換えたせいだろうか、想像していたよりも近かった気がする。ホームの両側にヤシの木という、いかにも南国の片田舎にやって来た。それにしても、だ。
 くっさーい! ツーンと鼻をつく肥溜め臭。鼻が曲がるとはこの事だ、頭が重く感じる。
 慣れてくると、わずかに潮の匂いが混じっているのが分かった。海が近いのだろう。風は凪いでいて、熱帯の濃ゆい空気が立ち込めている。

 佳冬は、ガイドブックには載っていない。無人の改札を出ると、本当に何もなかった。
 車を数台停められるだけの広場、あとは道路と緑だけ。店とか宿はおろか、民家もなくて唖然とする。
 さーて、困ったぞ。改札の脇で話し込んでいるオッサンに訊くしかないか、うさん臭い顔付きにしか見えないんだけど。
 この人達に限らず、台湾のオッサンて人相が怪しすぎ。実際は表裏なく親切なんだけど、つい目が合うだけで身構えずにはいられない。ともかく表向き自然体を心掛けて「ニイハオ」と挨拶する。
 オッサン達も訝しげな顔付きで僕を見ていたが、たとえ(妙な奴)と思っていても挨拶を返してくれるのは台湾人の良い所だ。筆談で「どこに宿はありますか」と尋ねる。彼らは顔を見合わせて、口々に「メイヨー」と答えた。没有ね、無いって意味だ。
 がーん! 無いのかー? 

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】2日目・4 「林邊」


200505303f25d37c.jpg 林邊(Lin-ping?)火車站前の、順仁という宿に。
 階段も廊下も木造、ギシギシ鳴らして2階の部屋へ案内される。窓は開かない湯舟はない、この部屋で700元なんて値切るしかない。でもバアサン日本語達者で苦戦。
 ついに2泊の条件で200元まけさせたが、後で考えると下らん意地張ったような気がしてくる。だって佳冬同様、何もないんだもの。あるといえば、お寺があったりはするか。
 でも違うんだなー、つまり草原で寝転んだり…という感じじゃない。
 ともかく、そういう訳で明日まで林邊。

 ガイドブックの地図に、站名が小さく載っているだけの町だ。
 そこでまずは情報収集、宿の隣の金玉堂書房に。本と文具も売っていて、この店だけ子供が多い。入口に大量のクリスマスカードが並んでいたので、これならポストカードもあると思ったら見つからず。
 ともかく、現地のガイドブックを立ち読み。中国語だから読めないけど、漢字のニュアンスから推察するに、佳冬には“客家邸宅”という観光名所があったようだ。
 客家といえば中国は広州(だっけ?)で、家屋などに独特の生活様式を持つ民族とか。詳しくは知らないながら、確かに林邊周辺にもそれらしき感じの家々が見られる。
 で、林邊はというと? 特に見所ないみたい。でも周囲図を見ると、緑地公園らしき場所がありそうだ。とりあえず行ってみるとしよう。

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2005年05月29日

【台湾の7日間('02.12/13〜20)】3日目・1 「好日」


200505294cc199db.jpg 林邊の順仁旅社。初日に高雄で泊まった新源大旅社と、ついつい比べてしまう。
 シャワーはすぐ水になってしまう、浴槽がない。ドライヤーはともかく、トイレ紙までもない。言えば出してくれるのだろう、でも万一のために1ロール持参してたのが思わず役に立った。
 窓は開かないように打ち付けてあり、ひょっとして連れ込み旅館? って感じ。肝心の(?)エロCATVも映らないのに。
 その代わりなのか、冷房が付いているのは新源より良い。にしても、寒くて夜中に何度も目が覚めてしまって逆に毛布が欲しいくらいだった。火車站の汽笛もボーボーうるさいし。
 やはり連泊にしなけりゃ良かった、はあー。

 朝TVつけたまま、北京語を流しっぱなしにして11:30AMまでまどろむ。だるいっす。
 さすがに腹が減って、重い頭で昨日の茶店へ行って旨い飯屋を尋ねる(昨晩の店は閉まっていた)。
 店の女のコは、店頭の脇でこねていた白いかたまりを指した。大きい白玉だんご? 自分達の賄い用なのだと思うけど、勧められるまま注文する。温圓、文字通り「温かい団子状のもの」という意味。
 出来上がるまで飲み物でも、と思って「お勧めを」と頼んだらタピオカ入りアイスティーが出てきた。
 茶店の飲み物は、ゼリーみたいに封をしたプラスチックのカップで出される。ストローを上から突き刺して飲むのだ。店頭に車を横付けして、乗ったまま買う人が多いからだろうか。
 しかし透けて見える黒いタピオカは、あんまり勧められたくないものだ。太いストローから、ニョロンニョロンと入ってくる喉越しも。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】3日目・2 「廟の中」


2005052961a37065.jpg 機車で送ってもらった公園までの道を、西日に照らされ歩いて帰る。
 途中、小さな池に大きな鯉の置物を発見。自動餌販売機とな? こういうユーモア、好きだなー。そして僕のトーテムフラワー、メキシコでも咲いていたロータス! でも夕方だからか、花は閉じてて残念。
 昼間は人気のなかった道も、この時間は車も通るし老若男女がちんたら歩いてる。のどか。
 道路沿いに建ててる家、ずいぶんと天井の高い三階建て。しかも足場は木の棒だし、外枠だけコンクリートで壁はレンガを積んだだけの巨大な箱だ。施工主は、豪快な三匹の子豚に違いあるまい。
 台湾大地震から約半年、耐震設計まるで無視か。

 商店街とは反対方向にスーパーマーケット、およそ日用品は何でもある。
 日本製は国内品より割高で、こうして比べると石鹸一つでも見栄えが違うものだ。品質はともかく、パッケージングの差で。明らかに台湾製でも日本語が踊っている商品、特にお菓子や化粧品に多かった。
 誤植もないし文法的に間違ってる訳じゃない、だけど普段意識せずに話している日本語の微妙なニュアンスを突かれた気分になる。
 スーパーを出ると、商店街は夜に向けて活気をたくわえ始めたようだ。
 通りの突き当たりに、台湾の神社仏閣にあたる(のか?)霊廟がそびえ立っている。後で知るのだが、これは媽祖廟という。
 確か家内安全だか健康祈願だかに霊験あらたかだったような、お婆さんの神様をお奉りしている廟だ。お母さんを媽と書くので、名は体を表すの如し。
 商店の間にもいくつか廟らしき御社はあったけれど、媽祖廟は色遣いも装飾も格が違うようだ。宵っ張りな柴又帝釈天、そう思うと雰囲気はかなり近い。
 その媽祖廟まで戻ると、兄きが背中越しに声をかけてきた。そのまま機車の後ろに乗せられ、蓮霧とバナナの農園(肥クサイ!)から土手沿いの道へ。まっすぐ公園まで行ってまた歩いた道を戻ってきた。
 訳も分からず、でも謝謝。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】4日目・1 「小琉球へ」


2005052915d80ff8.jpg 肌寒い朝だ。また冷えて眠れなかった。
 8AM前にドタドタ足音。昨夜の、三山國王協会の2人だ。送迎役の男性と、日本語の達者な71才。順仁をチェックアウトして、彼らの車に乗って林邊を発つ。
 東港までは案外遠かった。3公里で9キロだっけ? フェリー乗り場まで送ってもらって正解だった。東港は賑やかで大きな町だったので、一人で歩いてたら何度迷っても着けやしなかっただろう。
 乗船所の前で車を降りると、レンタルバイク屋が近付いてきた。小琉球の観光用に、機車(原チャリ)を貸し出す勧誘だった。まだ船の切符も買ってないし、僕には必要のない話だ。
 しかし71才、頼んでないのに客引きの通訳を始めた。その揚げ句、僕に「借りなさいよ!」だって。勝手に乗り気になってくれても、僕は国際免許なんか取ってこなかったもん。
「大丈夫だって、問題ないよ!」って、客引きの言葉を鵜呑みにして良いのかよ。あんまり言うので、年寄りの顔を立てると思って300元を払う。
 服の上にステッカーを貼ってくれて、これが小琉球に着いた時の貸し出しの目印になるらしい。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】4日目・2  「島巡り」


20050529a18498c6.jpg 小さな島の、静かで呑気な警察署。
 両替をしてくれた非番の同僚も帰り、リンさんの話題も途切れがちになってきた。
 カクさんが、ヨウさん(ちょっと年配で、顔はコワモテ)と見回りに行くと言って立ち上がった。
「あなたも、行きませんか?」
 カクさんは、ついでに僕を案内してくれると言うのだ。日本の感覚では考えられないが、折角のお誘いなのでパトカーに同乗する。
 しかし、町の人からは(よそ者が悪さして連行される途中)としか見られないような…。ま、いいか。

 島内の施設にいくつか立ち寄りつつ、カクさんが途中の観光名所をガイドしてくれる。台湾の大学で日本語を学んだだけと言うのだけど、それにしては発音も上手だし語彙も豊富だ。
 この島には、大小あわせて500もの廟があるのだという(本では50だったが)。それらは、主に漁業で生計を立ててきた島民の暮らしと深くかかわっているらしい。
 小琉球は火山島ではなく、なだらかな起伏に点在する廟の朱色の屋根が緑に映えて見える。海岸線はほとんど岩場で、おそらくサンゴ礁が隆起して生まれた若い島なのだろうと思った。もちろん、若いといっても何万年単位で。
 商店や民家は、台湾本土に向いている港に集中していた。島の反対側には、それぞれに言い伝えのある洞窟などがある。しかし観光地としては、見るべきものなど何一つない。
 そう言い切ってしまうのは、島の人に失礼なのかな? だけど、のどかで心地よい雰囲気が僕の好みだった。島内一周に一時間とかからない、そんなところも含めて。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】4日目・3 「島巡りの続き」


2005052917c746db.jpg 花瓶岩と反対側の右手には、狭い岩場が見晴らし台になっている。
 見晴らし台に付き物とはいえ、なぜかコイン式双眼鏡。海の彼方に見えるとしても台湾本土だが、見たいか? いったい誰が、何のために?
 その先は、フェリー乗り場横の小さな漁港。なんだ、こっちのほうが宿から近道だったのね。
 見晴らし台の下は岩場だ。よっしゃ泳ぐか! と思ったけど止めておこう。カクさんに泳げる場所を訊いた時に、浮輪をプレゼントされそうになったからな。
 水温は問題なくても、島の波は引きが強いものだ。海水浴シーズンじゃないから、一人で流されたりしたらカクさんや島の人達に迷惑がかかる。考え過ぎだとしても、自分を過信しないに越した事はない。
 その代わり、リゾート読書。
 ちょうど良い所にプラスチックの白い椅子が積んであったのだ、ちょいと拝借して岩場に下ろす。ジーパンの裾をまくり上げ、脚だけ浸けて海水リフレクソロジー。足裏から悪いのが抜けてく感じ。
 3:30PM頃、読み終えると日が傾き始めていた。島の反対側まで夕陽を見に行く事にする。
 宿に寄って、フロントで8枚セットのポストカード購入。ひなびた温泉街にありそうな、いかにも観光写真的な王道路線。しかも冴えない名所ばかりでイカす、これで100元は調子が良すぎるけど。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】5日目・1 「本土再上陸」


200505292d04189c.jpg 朝の空気は肌寒い。海に囲まれた小さな島だ、考えてみればそういうものか。
 でもさー、1000元も払って寝心地悪いんじゃ話にならんよ。体は冷えきってるし。
 10:30AM、真夏の日差しに部屋が暖まってきた。重い頭でベッドを抜け出す。
 まずは郵便局、窓口でカード5枚を日本宛に出した。まだ昼前なのに、めまいがしてくる熱気だ。風邪気味でサウナに入ったような気分。とにかく何か食べなきゃ。
 昨日の昼、カクさんに教わった店に行こう。あそこのメニューに粥があったのを思い出した。
 虱目魚粥(80元)頼む。粥で一番高いのに(他は50元均一)期待外れ。柳橙汁(50元)は美味、オレンジの一種? さっぱりしてる。少し元気になった。
 宿の屋上で洗濯物を取り込み、荷物をまとめてチェックアウト。と思ったらフロントには誰もいない、呼んでも人の気配なし。辺りを見回すと、横の食堂でカワイコちゃんと両親らしき人々が食事中だった。僕の呼び声に、まさか気が付いてないとは思えないんだけどなあ。ま、急がないし出直すか。
 食堂のガラス戸に「自助」と書かれていて(妙な店名だ)と思っていたら、後で「自助というのはバイキングを意味する」と本で読んだ。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】5日目・2 「小回復」


2005052977dc33e5.jpg「華安旅社」のオバサンは、訝しげな目で僕を見ながら「3小時間300元」と書いて寄越した。もう何でもいいと思いながらも、後について2階の室内を見せてもらう。
 最悪、廊下に長椅子でも構わなかった。熱いシャワーとベッドがあれば文句なし、バスタブがあれば最高だ。そして、案内された部屋には望んだすべてがあった。
 即決で金を払って、キーを受け取る。汗でベタついたリュックを床に落として、それだけで僕は天国にいるような気分になった。
 部屋そのものも、全然まともだ。昔の映画で観たような、マンハッタンの安アパートって雰囲気。大通りに面しているにしては、喧噪も気になるほどではない。一応は床もカーペット敷き、空調も魔法瓶もテレビもある。このまま泊まるのも悪くない、むしろそれが良いかもしれない。
 ベッドに引っ繰り返って深呼吸、ちょっと気分がスッキリしてきた。今ならもう少し動ける、その間に両替を済ませて来よう。
 階下で「臺灣(台湾)銀行?」と尋ねたら、なんと目と鼻の先だった。外貨を扱える銀行は限られているので、すぐ近くにあるなんてラッキーだ。
 文字通り肩の荷を降ろし、精神的にも身軽になった。サングラス越しに見る昼下がりの街路、上等だ。


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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】5日目・3 「東港から萬丹へ」


2005052983cbea51.jpg 3:30PM。フロントにキーを返し、ついでに情報収集。
 今夜の候補地(烏龍、新園)について訊くと、オバサンが言うには「宿なんてない」らしい。いくら小さな町だからって、1軒くらいありそうなものだけど。
 潮州か萬丹クラスの大きな町に行けばあった筈だ、と言う。ならば、あえて詳細地図のない萬丹に決定。良さそうな響きじゃない? マンタン。
って、こういう発想は佳冬の時と変わってなかったりして。行き当たりばったりも程々にしないと。

 往萬丹の客運を尋ねると、地図を書いてくれた。すげーアバウトな、でも輔英病院のすぐ先だから一本道だし案外近い。オジサンもオバサンも、とっつき悪いのは最初のうちだけ。みんな親切だ。
 オバサンに手を振って、元気良く出発。彼女も笑って手を振り返した。

 客運の屋根の下、次々と来ては去る公共汽車の行き先表示に目を凝らす。
 そんな僕を見て心配になったのか、切符売り場の女のコがブースから出てきて教えてくれた。そればかりか、わざわざ運ちゃんにも話を通してくれている様子。
世話好きなのかな、というよりも間抜けな子供になった気分だ。ま、可愛がって呉れ給え。
 中年の運ちゃん達は、みんなビンロウを噛んでいる。これかあ、友人Nが言ってた「台湾の噛みタバコ」ってのは。
 どの町でもビンロウを売る小屋はやたら目に付くのに、実用してる人を見たのは初めてだった。林邊でも町外れの路面が汚れていたけど、僕がいるベンチの周辺も赤黒くまだらに染まっている。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】5日目・4 「屏東」


20050529f3d5024d.jpg 空が暮れかけてきている。萬丹の、くすんだ夕空。
 なんだか(宿捜しで日が暮れた)って感じだな、台湾に来てから毎日そうだったかもしれない。考えたくもないが。
 とっとと他の町に移動して宿を決めなきゃ、落ち着いて飯を食う気も起きない。
手堅く泊まれるのは高雄だ、宿の場所も知っている。でもなあ、それじゃ残りの日程を飛行機待ちで消化するみたいだし。
 再び、警察署の前。東港から来た公共汽車に片足乗せて「ガオション?」と訊くと、運ちゃんは黙って来た道を指した。

 首をかしげつつ道路を横断し、反対側のバス停にいた女子高生に訊いてみる。高雄行きには、東港で乗り継ぐのだそうだ。引き返せってか? 滅入ってきた。
 他に手はないものか、思案してたら別の女子高生2人組が。とりあえず声をかけて話をする。
相談してみるもので、彼女達のおかげで(屏東まで行って火車に乗り換える)というアイデアが浮かんだ。そのほうが速いし楽だわ。
よっしゃー、そうと分かれば警察署前に来た公共汽車に乗るべし! またも道路を横切り、間に合ったのに運ちゃんは無視して出発。黒煙を吹きかけて走り去る。
 なーんかヘコまされたぞ、っていうかナメやがって。すんげームカついてきた!
 分かっている、問題は自分の無責任さにあるのだ。一貫性のない、デタラメな行動で自分自身を追い込んでいるだけだった。頭では分かっていても誰かを罵倒し打ちのめしたかった。

 警察署前で萬丹に降りてから、まるでループにはまり込んだみたく堂々巡りだ。結界に閉じ込められたとか、非現実的な考えまで浮かんできた。うんざりする。
 そんな妄想も、次の便で終わりだ。

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】5日目・5「悩ましい夜」


20050529c3bc4562.jpg つくづく、高雄に戻るの止めて良かった。
 高雄の、少なくとも新源旅社のエロチャンネルはモザイクがあった。(ラブホだからズバリなのか?)とも思ったが、CATVなんだから関係ない筈だ。とすると、行政区の違いで高雄縣より規制がゆるいのかも。って、もし本当にそうだったら屏東縣って得じゃん!
 しかし、敢えて苦言を呈するならば。
 リモコンは、枕元の壁に埋め込まないほうが良いでしょう。しかも250番台まであるチャンネルの操作を、UP/DOWN式にするのは勘弁してほしい。押し疲れた。
 ちなみにチャンネル14は洋ピン専門で、16が日本のAV。洋ピンがキワモノ多い事と、和物AVが年代物というのも少し残念(やかましい)。そして肝心な所で「CD−Video」というロード画面になるのとか、読み込みが遅くて静止するのが多すぎる。

 ロープを持ってきたのは、やはり正解だった。上手い具合に張り渡して、風呂場に洗い物を干す事ができた。では、腹も減ったし繰り出しますか。
 進成賓館のすぐ近所に、夜市という屋台村のような場所がある。他の街にもあって、ガイドブックに夜市が説明が載っていた。友人Nも高雄の夜市には夕飯を食べに行っていたようで、僕も話だけは彼から聞いて知っている。だけど、実際に見たのは屏東のが初めてだ。
 公共汽車から見たよりも、いざ行ってみるとラッシュ並みの人込みで圧倒されてしまった。路地の奥まで、両側に延々と続く屋台。こんな芋洗いの混雑で品定めもあったもんじゃない。見ただけで活気に当てられ、すっかり食欲が失せてしまった。もうちょっと後で、出直してこよう。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】5日目・6「たのしい夜」


20050529701e9922.jpg なぜかメールが送れない。台湾と日本の国交が関係してる訳ないよね? 仕方なく、またネットカフェの女のコに来てもらう。
 顔立ちは高校生のように幼いが、パソコンの扱いは実に手慣れたものだ。背中越しに柔らかな体温が伝わってくるようで、なんだかその気になってしまいそう。もちろん、彼女にそんな気は全然ないのは分かっている。でもこれは頭の理屈ではなく、体の言語だ。
 以前、PCインストラクターをしてた女のコが「当時はオヤジに異様に好かれた」と言っていた。今そのオヤジ心が、実感として理解できる。なるほど、こりゃ堪えられんわい。
 などと勝手にトリップしてると、彼女がキスしようとした。
 というのは僕の思い違いで、単に「あなたのアドレスは?」と訊いてきただけだった。
 なあんだ。
 送信できないのは、そういう事だったのか。考えれば分かりそうなものだ、だけど我が家のパソコンは入力する必要がないので覚えてなかった。
 彼女は「それなら私ので送ってあげるけど、返信されたら困る」という。僕は文面を指して「ネットカフェから、と書いてあるでしょ? 多分大丈夫」と答えた。
 彼女は文の最後を見て「貴方は、motって言うの?」と言った。そして自分を、パメラと名乗った。
 良い名だ。ビーチボーイズの歌みたい。あるいは、元プレイメイトみたいで素敵だな。
 でもそれって、ひょっとしてニックネームというより源氏名なのでは?

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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】6日目・1 「町のユーモア」


2005052941aec99e.jpg 進成賓館最高! 今朝は快適な目覚めだ、やはり毛布の違いは大きい。なので延泊する事にした。
 11:30AM、Tシャツを干して階下へ。フロントは昨夜と違うオバチャンで、日本語は通じなかったが延泊したい旨は伝わった。追加600元を払って、郵局(郵便局)の場所を教わる。
 ラブホの外は、今日も上天気だ。

 郵局でポストカードを出して、火車站近くの慈鳳宮まで行ってみる。
 昨夜、ネットカフェの行き帰りでも前を通った。ライトアップされて、丁字路に面してきらびやかに照らされた感じが浅草っぽい雰囲気だった。門構えだけで、林邊の廟よりも大きい。
 たまたま今日が祭礼なのかと思うくらい、参拝客も多く供え物だらけだ。大門に続く本堂にも供え物が積み上げられいて、日本の観光地的な風情とは大違い。
 ここでは、まだ神も仏も生きているのだ。
 若い男が一心不乱に、一対の鰹節を投げては拾い、太い線香をうやうやしく供えていた(後で読んだが、神様に恋愛のお伺いを立てていたようだ)。おごそか、というより庶民的。そして、大マジ。
 階段を上ってみたら、なんと4階建てで各階に2、3柱ずつの神様が奉られていた。全員揃ったらゴレンジャーよりも多いじゃないか、これは無敵だわ。
 都会では神様も集合住宅やむなしか、それとも各派合同の出張所みたいな感じか? 林邊では独自の廟を構えていた、媽祖という神様がここにも。
 階段の踊り場に、画用紙に子供の書いた絵が貼り出されていて心が和む。裏手に幼稚園があるのだ。やはりこの慈鳳宮が経営してるのだろうか、そういう所は日本と似てるなあ。
 出ると門の脇に浮浪者がいて、そういえば台湾に来て初めて見た事に気が付いた。昨夜は物乞いも初めて見たけれど、逆にそれだけ極貧状態の人が少ない事に驚かされる。
 この国の福利厚生(?)が充実しているのか、あるいはホームレスが生きていけるほどの余剰がないのか。

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