2005年05月29日
【台湾の7日間('02.12/13〜20)】6日目・2 「仮面の告白?」
人気のない、午後の路地。だらーんとした商店をのぞきながら台湾銀行へ行き、一万円分両替する。
担当のアンドリュー・チェン氏と雑談になり、妙に盛り上がってしまう。仕事そっちのけで良いのかぁ? 猛省を促されたり、著しく配慮を求められたりしないかと心配になる。が、こういう大らかな仕事ぶりは日本人も見習ったほうが面白い。
彼は日本のドラマを観るのが好きで、DVD買って最新作をチェックしてるから金がかかって仕方ないとか言っていた。そんなのCATVでも色々やってるのにな(字幕付きor吹き替えで、風間杜夫が主演してるようなのだけど)。
よく日本にも遊びに行くんだそうで、刺し身が大好きらしい。勢い余って、うっかり僕は「東京に来たときはガイドする」と口を滑らせてしまった。
「かわりに貴方が今度来た時は、休みの日には私の車で墾丁(Ken-ting)まで案内するよ」
「オー、タイシェーシェーニンレー!」
なーんて。よくよく考えてみれば、そういう旅行ってしたいと思わないんだよなぁ。人のお世話は、するのもされるのも気が重くなるので。そのくせノリだけは喜んでみせたりして御免ね、陳さん。
本日のレートは0,2784で、1万円が2,784元。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】6日目・3 「レイドバック老荘思想」
用もないのに火車站まで来た。ついでに高雄までの値段を見ておく。28元。高雄ほど都会じゃないからか、券売機はなくて切符は窓口で手売りのみ。
目の前は公共汽車のロータリーで、いろんな会社のいろんな公共汽車が行ったり来たりしている。車体の横に様々な広告が貼られていて、見ていて飽きない。
中でも、日本語で大きく“鬼洗い”と書かれた車体広告は笑った。それはジーンズの風合いを強調する文句で、日本ならさしづめ“HEAVY WASH”だろう。そうくるか。
最近は割合に聞かなくなったが、非常に混雑してる状態を「鬼っ混み」と言ったり、著しい物事の有り様を「鬼のように何々」と形容したりしていた。だから“鬼洗い”という広告は、日本で当時流行っていた若者言葉を上手に取り入れていた訳だ。で、僕も(そうくるか)と。
折角だから、それを写真に撮ろうと思いつく。交差点でカメラを構えて構図決め、するとなぜか“鬼洗い”はぷっつり来なくなった。意地張って小一時間も粘った挙句、3:30PMついに断念。空も西日になりかけてるし、あきらめて歩きだす。
そういえば、どうでもいいんだけど「鬼待ち」とは言わないよなぁ。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】6日目・4 「ショッピング」
すっかり日が暮れてしまったが、Tシャツ選びに店を回る。
牛仔専門店(ジーンズショップ?)で売っていた、エドウィンの安いもので1000元以上。ボーダー系の店だと倍近い値段のもある。たかだか3千円から6千円程度、日本だと思えばムッとする値段ではない。
しかし、台湾に来てから食事と宿と交通費しか金を使わない僕には高い買い物だ。屋台とはいえ100元程度で外食できて、600元で寝泊まりできる。僕の生活基準が、一般市民より低いのだろうけど。
もちろん量販店に行けば、一枚100元でワゴンセールをやってる店もある。だが、デザインはパクリで生地はヘナヘナだ。帰国した瞬間に捨てるようなものを買う気になれない。
昼間のぞいたスポーツ店で、オーバーシーズンのTシャツが赤札品になってたのを思い出した。路地に迷って別のスポーツ店に入ると、安く売っているのはナイキしかなかった。ナイキはスニーカー(しかもオセアニアとかコルテッツみたいなの)に限る、などと生意気を言ってるうちに、シャッターを下ろす店が増え始めた。
焦ってナイキの店に戻り、SOFOという台湾メーカーのTシャツを買った。ナイキと同額の390元、これなら買い得だろう。
店の女のコは、英語はイマイチでも日本語をいくつか知っていた。レジカウンターに食べかけの蓮霧が乗っていて、林邊の事を思い出すと遠い記憶のようで胸がスースーしてくる。
宿に帰ってTシャツを着てみたら、フィットし過ぎてビーチク浮き立ってた。XLではダブつくかと思ったら、知らないうちに僕がデブついてたって事さ。
話は変わるが、台湾の店員は接し方がフランクだ。働くスタンスがのんびりしてるというか、日本と比べると楽しそうに仕事をしている。自分が雇う側なら日本人を雇い、客の立場なら台湾人の店員がいる店に行きたい。
そのように考えると、日本の店員の接客マナーは経営者のためにあるような気がしてくる。それとも日本で店舗経営を生業にしている人間が来台すると、台湾の店員に(なっとらんぞ!)って感じるのだろうか。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】7日目・1 「高雄ふたたび」
雨音で目が覚めた。嘘だろー?!
ひたすら止んでくれる事を願いつつウトウト、11AMチェックアウト時には見事に薄日が射してきた。雨上がりの、空気がきれいな屏東。
火車站の窓口で、高雄までの切符を買う。この国のオバサンも、窓口で四の五の言って手間取らせる。どういう了見してるのかね、無駄に行列を延ばしてくれる。
2番線ホーム、台湾表記では2月台(そういえばカレンダーの曜日も日本と違ったな、確か漢数字だったような)。しかしホームの右側と左側の区別がないのは意地が悪い、というか誰もが判ってるというのが大前提になっているのだろう。
つまり人の移動が少ない土地だから、まったくの外部から来た人間の視点が考えられてないのだ。お客さんのほうで地元ルールに慣れてくれ、と。不便ではあるけれども、僕はこういう発想で成り立っている世の中はフェアだと思う。
先に着いていた、往松山と書かれた急行に乗っちゃうところだったんだけど。
雨上がりのせいか、気温がいつもより若干低めで湿度が高い。汗をかいて、そこから体が冷えてくる。
急行と違って、鈍行の車両は両開きの自動ドアだ。だから新型車両かといえば、さにあらず。ブレーキの度に車体がきしんで、ベニヤを割るような物凄い音を立てる。不安は感じるものの、旅先で山の手線みたいな列車に乗ったって面白くない。
地元の人は主に公共汽車を利用しているのか、火車站もそうだが車内も閑散としている。各駅とも運休のような静けさ。
そして、再び高雄に。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】7日目・2 「すべては流れ行く」
ガイドブックに載っていた百貨店は開店休業状態。照明は暗いしホコリが積もってるから、休みじゃなくて潰れてるのかも。じゃあ買い物やめて全部日本円に両替しちゃうか?・・・それもつまらない。
愛河沿いをマードラゴン(頭が龍で尾が魚なので勝手に命名、高雄銀行のプレート付き)像まで行って、民生二路を市街の中心に向かって歩く。高いヤシの並木がホノルルみたいなこの通りには、高級そうな高層ビルが多い。
工事中の摩天楼、これがまた三匹の子豚式ヤワな建て方してやがる。木の棒を足場に組んで、お寺の修繕じゃあるまいし。スカスカの骨組みにピカピカの外装を貼り付けて、外目は立派でも芝居のセットみたいなハリボテ構造に見えるが。これで許されるの?
それとも、僕には見えないだけで耐震&免震設計なのだろうか。とても信じられない。
また歩き疲れてきたところで、足ツボマッサージの診療所みたいな家を見つけた。ぼーっとしてたので、通り過ぎてから気付いて引き返す。
台湾といえば足ツボマッサージだとか、そういえばガイドブックにも書いてあった。試しに、ここで旅の疲れを癒すとするか。この地味〜な平屋がまたいい感じ。確か、30分で500元だったと思うが忘れた。表のガラス戸に大書きしてあるとおりだったから、ぼられた訳ではない。
先生は、コウさんというオジチャン。細身の、笑わないけど茶目っ気がありそうな若い爺さんだ。なのに、指先で軽く押されただけで悶絶!
とにかく痛い、すごく。(こんな痛みもあったのね!)って感じで、あらゆる痛覚の百貨店。効いてるとか効いてないとかより、もう痛みしか分からない。革張りのソファに埋もれて必死に声を殺す僕を、コウ先生は軽やかにヒーヒー言わせるのだった。
コウさんの身振りから、僕は「頭と胃と腰が弱っている」らしい。言葉以上に雄弁な指が、各部位につながっているツボで教えてくれる。眼球が飛び出そうな、そこだけは泣いて謝るからっていうポイントがあるのだ。これだけ痛い目に遭わされて、よく殺意や憎悪が芽生えなかったものだ。コウ先生に教育されたら、世界一のマゾにだってなれそうな気がする。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】7日目・3 「街角トワイライト」
高雄市街をひとめぐりした。
といっても火車站に近い一帯の繁華街だけだが、市街全体の半分にしても相当な距離を歩いた。今日だけで、かなり土地勘はついたと思う。
さすがに宿に戻る途中で腹が減ってきた。高雄の夜市エリアに行って、昼間から開けてる店に入る。
カレーライス40元、麻醤麺(これは必食かも)30元。安くて多くて美味いのは、やはり激戦区だからという事か。飯物に付く、焼きネギセロリ汁も味が良い。
この店の屋号は「卍素食」か。と思ったら、素食ってベジタリアンフードを指すらしい。どおりで他の店も同じ屋号を掲げてる訳だ。
隣の「小A」という茶屋で青茶を頼む。10元。ここの品書きにはジュース類はなく、コーヒーかお茶だけ。すげー細分化、いや考えてみれば林邊の茶店もそうだった。逆にフルーツを並べてる店は、お茶の類いはコーヒーか紅茶ぐらいしか出さない。
青茶と言っても青くないし、緑茶も普通に茶色だったけど何が違うのかね。しかも、また無糖と言い忘れて甘いお茶。ストレート午後ティー味の青茶が、ぶよぶよのプラカップにぴっちり入ってストローの先からあふれそうだ。
飲みながら歩いて、宿まで大回りして帰る。気温は快適なのに、いつも以上に汗をかく。歩いているだけでも結構な運動になるが、地元の人は平気なんだろうか。慣れもあるだろうけど、みんな木陰でじっと座っているのだった。
ごもっとも、メヒコじゃシエスタの時間だ。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】7日目・4 「浪費の欲求」
本屋の外に出ると、駅前の通りは制服姿の学生で賑やかだ。下校時刻にしちゃ遅すぎるけど、予備校帰りとかだろうか?
通りを渡ると楽器屋があって、のぞいてみたが暗いし品薄。カンクン(メキシコ)の楽器屋みたい。アメリカ製の某ギターは、日本での相場とほぼ一緒。物価が非常に安いのは、宿と食べ物だけだったりして。
込み合う歩道を歩き、学生達の流れに任せてると塾に入りそうになった。うへー、この子ら塾のハシゴか? 台湾の学生って大変だなあ、それとも日本だって同様なのかな。
暗い脇道を大通りへと抜けると、初日の夜に来た場所だった。たかが一週間しか経ってないのに、同じ眺めも違って見える。それだけ自分が馴染んだ、という事なのだろう。信号のない所で道路を横断するのも、だいぶ慣れたものだ。台湾の車は路上横断しても待っててくれるのが紳士的、でもクラクション鳴らすのが大好き。
横丁を入って、六合二路の夜市へと向かう。高雄の夜市は、屏東よりも大きい。広い道路を歩行者天国にして、飲食店以外にも様々な露店が軒を連ねている。
人だかりに目をやると、ロードローラーが車道のゴミを踏み潰していた。
その周りに立っているのは警備員ではなく警官で、よく見るとどうやら偽ブランド品を集めてグシャグシャにしているようだ。おそらく夜市に出回っていたコピー商品を取り締まり、その場で見せしめにしているのだろう。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】最終日・1 「遠い朝」
ケータイのアラームと一緒に、雨音が聞こえてきた。
枕元の目覚ましは6AM、まだ暗い窓を開けると町はびしょ濡れで肌寒い。客運までの辛抱とはいえ、気分が重くなる。
着替えて腕時計を見ると、なんだまだ5時過ぎじゃん! そうだ、腕時計以外は日本時間のままだったのだ。でも二度寝して出遅れるより、6時の始発に乗っちゃおう。
1階に下りると、ロビーのフロント内で女のコが二人丸くなっていた。起こさないように、カウンターにそっとキーを置いて出ると雨は止んでいた。ビルから落ちる水滴が撥ねて顔にかかる。
水たまりを避けながら、暗い町を急ぎ足で火車站前に向かう。站前の客運は、いくら始発前とはいえ明かりもついてないし誰もいない。よく見ると、往小港は8AM〜と書かれていて青ざめる。帰国便は9AMのフライトなのに、ハバナの時みたく乗り損ねたらエライ事だ!
ガイドブックの「始発バスは6:15AM」を信じ込んで、昨日の乗り場確認で時間までチェックしておかなかった自分に腹が立った。しかし他の路線なら、早朝便を運行している可能性がある。すぐ引き返して、途中にあった別会社の客運で訊いてみる事にしよう。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】最終日・2 「通過」
公共汽車が少し先の路肩に停まった。
駆け寄って運転手に紙を見せながら「トゥージエアポート?」と尋ねる。幸いにも機場に行く路線で、英語が話せる運ちゃんだった。ふー、まだ幸運の女神には好かれているようだな。
緊張が解けた勢いで、僕は運ちゃんに我が身の災難を愚痴った。それでも、ここから機場までの料金29元は、しっかり払わされた。さすが豪華な車体だけあって、インカム付きで切符もオンラインか?
2階席に上がってリュックを下ろす。しまった、さっきの車内にパンとビスケットを置き忘れた。踏んだり蹴ったりだが、すぐに戻りの公共汽車をつかまえたのだから気にするまい。機場に着けば、何か食べ物ぐらいは売っているだろう。昨夜のうちに有り金を使い果たしてなくて、本当に良かった。
やがて工業地帯に入り、空も明るい灰色に変わる。四方八方が工場で、機車専用レーンも通勤ラッシュ直前といった様子だ。地図で確かめると、枋坑子の先まで行っていたのだと分かった。機場と東港の、ほぼ中間だ。まったく!
中南の公共汽車には二度と乗るまい(って今また乗ってるんだけど)。
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【台湾の7日間('02.12/13〜20)】 あとがき
早くも半年が過ぎ、連載を終えてみると10ヶ月が経っていました。
その間に、SARSが騒がれて沈静化しました。
自分の経験した台湾は、すでに現実とは離れて存在している気がします。
旅は、非日常という点では夢に似ているのかもしれません。
あれから僕は、ソンさんにもチェン氏にも会っていません。
パメラには、何度メールを送っても届きませんでした。
旅は行って帰ってくるもの・・・その言葉は「ぼのぼの」というマンガにありました。
すごくいいところを突いてるな、と僕は思います。
帰ってから、思い出すのが旅なのかもしれない。
この話は、旅の間に書き留めたいくつかのメモから書き起こしました。
最初の形が出来上がったのも、一月か二月の事でした。
改めて思い出すと、僕はどんな旅だったと感じるのでしょうか。
ちょっと楽しみです。
読んでくれて、どうもありがとう。
<おわり>
その間に、SARSが騒がれて沈静化しました。
自分の経験した台湾は、すでに現実とは離れて存在している気がします。
旅は、非日常という点では夢に似ているのかもしれません。
あれから僕は、ソンさんにもチェン氏にも会っていません。
パメラには、何度メールを送っても届きませんでした。
旅は行って帰ってくるもの・・・その言葉は「ぼのぼの」というマンガにありました。
すごくいいところを突いてるな、と僕は思います。
帰ってから、思い出すのが旅なのかもしれない。
この話は、旅の間に書き留めたいくつかのメモから書き起こしました。
最初の形が出来上がったのも、一月か二月の事でした。
改めて思い出すと、僕はどんな旅だったと感じるのでしょうか。
ちょっと楽しみです。
読んでくれて、どうもありがとう。
<おわり>
2005年05月27日
メキシコ旅情【水源編・1 ガレージパーティ】
四、五階建てのアパートから打ち鳴らされるディスコ・ビート、歩道には大勢の若者がたむろしている。
ホーム・パーティって聞いた筈だけど、建物全体でパーティやってるとも思えない。それに夜中だし、隣近所から警察呼ばれたりしないのだろうか…。どうか、揉め事に巻き込まれたりしませんように。
「こっちだよ。早くおいで」
エドベンを追って、若者を縫うように建物へ。入口は駐車場のゲート兼エントランスで、通路の中心部が吹き抜けになっている。見上げると上階の廊下が橋渡しになっていて、外観よりも開放的で洒落た造りだ。
ビートが強くなってきた、と思ったら通路の奥にラジカセ! 半地下の駐車場に反響して、大音量に増幅してるとはね。即席ダンス・フロアは、がら空きだった。たった車1台分の中央に十人足らずの男女が固まって、2列に並んで細かく揺れているばかりだ。
「この人達の踊りは、何か伝統的な儀式か何か?」
「違う違う、単にみんな下手なのさ。君のマカレナを見せてあげれば?」
よく言うよトニー、自分を棚に上げて…。しかし、これが〈ガレージ・パーティ〉なのか? 表や通路の人だかりに比べて、かなり気抜けしている。そういうダラケた感じも、僕にとっては調子づいている連中に加わるより気が楽だったけど。
僕はトニーに誘われて飲み物を取りに行った。ラジカセの置かれている台の上に、何種類かのボトルとプラスチックのコップが乗せてある。係の女の子に、トニーはバカルディ&コークを作ってもらった。僕も同じものを頼む。閑散としたフロアより、むしろパーティらしい気分に浸れる。
またエドベンの姿が見えないのでトニーに尋ねると「彼のベイブを捜しているんじゃないのかな」と言った。
ふーん、そうなのか。さっき入り口で紹介された女のコたちは違うの?
「違うさ。奴は面喰いなんだぜ」と、トニー。
「あら、さっきの片方も美人じゃなかった?」
「ヘーイ、ちゃんと見てたのかい? …全然だョ!」
彼は(全然だョ)だけ日本語で言った。でも、デニムのワンピース着てたコ、結構良かった気がしたけど。
エドベンと彼のベイブを捜して表に出ると、先程の女のコ達と立ち話をしていた。が、デニムのワンピースはいなくて、他は男の子だ。どうやら、これから移動するらしい。ベイブに逢えないままパーティはお開きになり、路上駐車していた車が手際よく荷物と人を積み込んで走り去ってゆく。
腕時計を見ると、もうすぐ午前0時になろうとしていた。
エドベンのゴルフは他の2台を引き連れて走り、小さな店の前で買出しを済ませるとホテル地区の一本道へ。開けた窓から潮の匂いが混じりはじめたが、真夜中だから路肩の両脇には何も見えない。
広く砂利になった路肩に降り立つと、夜の海は波音が大きく聞こえて怖い感じがする。目の前には一面の海が拡がっているに違いないが、夜空との区別がつかない。
仲間の車は、新車みたいにピカピカの白いダッヂ・バンと濃色のステーション・ワゴンだ。パーティに来ていたほとんどが大学生だというから、こいつを運転してきた男の子達もそうなのだろう。彼らの車に乗っていたのは、さっきの女の子2人だった。全員足して六人か、なんか地味な場所と人数…。
まぁともかく呑みますか!という感じで、パーティで余ったラム酒とコーラとチップスで乾杯。
「サルー!」
自己紹介をしたものの、ちょっと僕には場の空気と自分の間合いがつかめない。正直、眠いのも手伝って英語で考えるのが億劫だった。
なんとなくパティに似た、小柄で色白のぽっちゃりしたスペイン系のコは、名前を「アレタ」と言った。アレサじゃないらしい。デニムのコは名前が難しくて、何度言われても覚えられなかった。彼女はきれいに焼けた肌をしていて、デビュー当時の中山美穂を思わせる、とてもワイルドな顔立ちをしている。
アレタはお酒を注いだり、細やかな女性という印象を持ったが、デニムのコはどこか取り澄ましたような、鼻っ柱の強そうな感じがした。そうなんだよなぁ、性格美人と見てくれ美人のコンビ…。デニムのコの取っ付き悪そうな態度が気に入らないくせに、僕はやっぱり彼女の顔をまじまじとのぞき込んでみたいのだった。
男の子の名前は二人とも覚えやすかったけれど、そのせいで忘れてしまった。
車のそばで談笑しているそれぞれのグループから離れ、僕は海の近くへ行った。きっとそこには白い砂浜と、青く透きとおった海岸が続いているのだろうに、今は波頭が青白く浮き上がっては消えるのみ。僕は(この海はカリブ海で、キューバとかジャマイカにつながっているんだなぁー)などと取り留めのない事を思いながら、早く帰って寝たいのを我慢していた。
ふと、デニムのコが路肩脇の草むらに独りで入って行った。しばらくして、男の子の片方が同じように暗がりに姿を消した。なんだろう、用足しか…。それとも??
あーっ、ナニ考えてるんだ僕は!
ホーム・パーティって聞いた筈だけど、建物全体でパーティやってるとも思えない。それに夜中だし、隣近所から警察呼ばれたりしないのだろうか…。どうか、揉め事に巻き込まれたりしませんように。
「こっちだよ。早くおいで」
エドベンを追って、若者を縫うように建物へ。入口は駐車場のゲート兼エントランスで、通路の中心部が吹き抜けになっている。見上げると上階の廊下が橋渡しになっていて、外観よりも開放的で洒落た造りだ。
ビートが強くなってきた、と思ったら通路の奥にラジカセ! 半地下の駐車場に反響して、大音量に増幅してるとはね。即席ダンス・フロアは、がら空きだった。たった車1台分の中央に十人足らずの男女が固まって、2列に並んで細かく揺れているばかりだ。
「この人達の踊りは、何か伝統的な儀式か何か?」
「違う違う、単にみんな下手なのさ。君のマカレナを見せてあげれば?」
よく言うよトニー、自分を棚に上げて…。しかし、これが〈ガレージ・パーティ〉なのか? 表や通路の人だかりに比べて、かなり気抜けしている。そういうダラケた感じも、僕にとっては調子づいている連中に加わるより気が楽だったけど。
僕はトニーに誘われて飲み物を取りに行った。ラジカセの置かれている台の上に、何種類かのボトルとプラスチックのコップが乗せてある。係の女の子に、トニーはバカルディ&コークを作ってもらった。僕も同じものを頼む。閑散としたフロアより、むしろパーティらしい気分に浸れる。
またエドベンの姿が見えないのでトニーに尋ねると「彼のベイブを捜しているんじゃないのかな」と言った。
ふーん、そうなのか。さっき入り口で紹介された女のコたちは違うの?
「違うさ。奴は面喰いなんだぜ」と、トニー。
「あら、さっきの片方も美人じゃなかった?」
「ヘーイ、ちゃんと見てたのかい? …全然だョ!」
彼は(全然だョ)だけ日本語で言った。でも、デニムのワンピース着てたコ、結構良かった気がしたけど。
エドベンと彼のベイブを捜して表に出ると、先程の女のコ達と立ち話をしていた。が、デニムのワンピースはいなくて、他は男の子だ。どうやら、これから移動するらしい。ベイブに逢えないままパーティはお開きになり、路上駐車していた車が手際よく荷物と人を積み込んで走り去ってゆく。
腕時計を見ると、もうすぐ午前0時になろうとしていた。
エドベンのゴルフは他の2台を引き連れて走り、小さな店の前で買出しを済ませるとホテル地区の一本道へ。開けた窓から潮の匂いが混じりはじめたが、真夜中だから路肩の両脇には何も見えない。
広く砂利になった路肩に降り立つと、夜の海は波音が大きく聞こえて怖い感じがする。目の前には一面の海が拡がっているに違いないが、夜空との区別がつかない。
仲間の車は、新車みたいにピカピカの白いダッヂ・バンと濃色のステーション・ワゴンだ。パーティに来ていたほとんどが大学生だというから、こいつを運転してきた男の子達もそうなのだろう。彼らの車に乗っていたのは、さっきの女の子2人だった。全員足して六人か、なんか地味な場所と人数…。
まぁともかく呑みますか!という感じで、パーティで余ったラム酒とコーラとチップスで乾杯。
「サルー!」
自己紹介をしたものの、ちょっと僕には場の空気と自分の間合いがつかめない。正直、眠いのも手伝って英語で考えるのが億劫だった。
なんとなくパティに似た、小柄で色白のぽっちゃりしたスペイン系のコは、名前を「アレタ」と言った。アレサじゃないらしい。デニムのコは名前が難しくて、何度言われても覚えられなかった。彼女はきれいに焼けた肌をしていて、デビュー当時の中山美穂を思わせる、とてもワイルドな顔立ちをしている。
アレタはお酒を注いだり、細やかな女性という印象を持ったが、デニムのコはどこか取り澄ましたような、鼻っ柱の強そうな感じがした。そうなんだよなぁ、性格美人と見てくれ美人のコンビ…。デニムのコの取っ付き悪そうな態度が気に入らないくせに、僕はやっぱり彼女の顔をまじまじとのぞき込んでみたいのだった。
男の子の名前は二人とも覚えやすかったけれど、そのせいで忘れてしまった。
車のそばで談笑しているそれぞれのグループから離れ、僕は海の近くへ行った。きっとそこには白い砂浜と、青く透きとおった海岸が続いているのだろうに、今は波頭が青白く浮き上がっては消えるのみ。僕は(この海はカリブ海で、キューバとかジャマイカにつながっているんだなぁー)などと取り留めのない事を思いながら、早く帰って寝たいのを我慢していた。
ふと、デニムのコが路肩脇の草むらに独りで入って行った。しばらくして、男の子の片方が同じように暗がりに姿を消した。なんだろう、用足しか…。それとも??
あーっ、ナニ考えてるんだ僕は!
メキシコ旅情【水源編・2 タコ屋台】
真っ暗な夜の海を眺めても退屈だし、車のほうに戻って男の子に声を掛けてみる。草むら君に取り残されたスシ男(後述)のほうだ。とりあえず互いに言ってる事は理解しあえる英語力で、もう一人も草むらから戻って来て3人で話す。
彼らはバスケのウェアを着ていて、黒い髪は短くウェーブ・ヘアにしている。変な喩えだけどヒスパニック系アメリカ人のローライダーっぽい(ってよく知らないけど)風貌だ。
「日本はお金持ちの国だ」
そんな話になって、僕は自分が日本人であることを恥ずかしく思った。それは僕が彼らのイメージと合致しないだけじゃなく、ベイビー・ベイブの姉の台詞が脳裏をよぎったせいだ。もちろん彼らは厭味じゃなく、そんな日本に憧れているのだった。
「ソニー、オンダ、ススーキ?」
スペイン語ではHは発音しないし、ZはSと同じなのだ。やはり日本のイメージは、高所得とハイテクなのね。残念ながら、僕は両方とも縁遠いけど…。
しかし青年よ、1ドル=7ペソ54センタボのレート換算で、2ペソ50センタボのコーラが何本買えると思う? ここなら三本は飲めるでしょ、日本では、一本も買えないんだぜ?
彼らの夢を壊すような生々しい話はショッキングだったらしく、2人の顔には明らかに失望の色が浮かぶ。
「東京で若者が住んでいるワンルームは、一カ月に光熱費抜きで約5百ドルってとこかなー」
草むらに行かなかったほうの男子が、急に話題を変えて「俺はスシが好きだ」と言い出した。
「ほぉ、どんなスシが好き?」
彼が得意げに答えたのは、いわゆる(鮨)の概念から外れた突飛なネタばかりで、なんだか笑うしかなかった。サシミは知っていても、彼自身は魚介類のネタを食べた事がないのだ。しかしそれでも上等だろう、メキシコの食文化とは異質の刺し身や寿司飯なんかが受け入れられているとは。
スシの話で気分が高揚してきた青年は、なぜかラップ口調になってきた。
「俺はチョップ・スティック[箸]も使うぜ。チョップ・スティック、最高!」…だって。
話のネタは出尽くしたのか、しまいには「アイ・ライク・スシ!」とか連呼し始めたスシ男。僕は困惑の微笑を浮かべるしかなかった。
帰りの車中、エドベンが運転しながらトニーと僕に「腹減った?」と尋ねてきた。もう午前2時近い。
「タコスが食べたい」
トニーが言って、僕も賛同する。そういえば以前、タコス屋台に行くって言ったきり沙汰止みになっていたっけなぁ。それに今は、ちょっとしたボリュームの物を腹に入れたいところだ。ラム&コークの他は、少しばかりのナチョ・チップスとチーズしか口にしていなかった。メキシコの酒といえばテキーラだけど、この辺ではむしろロン[ラム]とサルベッサ[ビール]がよく飲まれているようだ。
ガイド・ブックによれば「タコスはいわばホット・ドッグと同じく街頭のスタンドで売られる庶民的な軽食で、レストランのメニューには無い」そうだ。到着初日にトニーが御馳走してくれたランチはタコスじゃなかった訳だな、でも僕には何がどう違っていたのか区別が付かなかった。
「エドベン、彼にリアル・タコスを食べさせよう!」と、トニー。
嬉しいな、いよいよ本場のタコス初体験だ。
まるで絵に描いたような場末そのもの、何軒かの屋台が点々と路地に店を広げている。エドベンは車の中で待っていると言い、僕はトニーの後を付いて行った。屋台から漂う匂いはタコスじゃない感じで、店員の人相の悪さに若干ビビる。
コンロの上に貼り紙がしてあり、僕はトニーに通訳してもらってチョリソーのタコスを注文した。主人が慣れた手つきで吊り下がった腸詰めを切り落とし、軽く刻んでフライパンに放り込む。すると屋台の陰から、やさ男が姿を見せた。この男が会計係なんだ、とトニーが教えてくれる。
主人がトルティージャにチョリソーを挟んで寄越すと、やさ男が再び顔を覗かせて「他の具材はテーブルに並べてあるので、好きに盛り付けて食べてね」とか何とか、気を利かせて言ってくれた。悪い男じゃなさそうだが、メキシコ屋台の不思議なシステムだ。
テーブルに並んだ幾つかのお皿に、千切りレタス、ワカモレ、チリ・ソース[サルサ・メヒカーナ]などが乗っている。ワカモレとは、アボガドのペーストだ。鮮やかな黄緑色は美味そうでも、味はやっぱりアボガドで僕は好きになれない。でも色に惹かれて山盛り。
チリ・ソースは、みじん切りのトマトとオニオンが少々の水っけに浸してあるものだ。辛そうに見えないからって油断しちゃいけないが、たっぷり盛って食いつく。
僕はこれほど辛いチョリソーを知らなかった。しかもチリ・ソースも増量気味なので、美味いけどひらすらカラい。しかも一口ごとにトルティージャから具がはみ出し、垂れた汁が手を濡らし口のまわりはベタベタ。手も口のまわりもヒリヒリ。
「ピカンテ[辛い]!」
ちらりと僕を見て、屋台の主人がさも愉快そうに笑った。
僕も笑った。
それから、トニーと追加のタコスを頼んだ。
彼らはバスケのウェアを着ていて、黒い髪は短くウェーブ・ヘアにしている。変な喩えだけどヒスパニック系アメリカ人のローライダーっぽい(ってよく知らないけど)風貌だ。
「日本はお金持ちの国だ」
そんな話になって、僕は自分が日本人であることを恥ずかしく思った。それは僕が彼らのイメージと合致しないだけじゃなく、ベイビー・ベイブの姉の台詞が脳裏をよぎったせいだ。もちろん彼らは厭味じゃなく、そんな日本に憧れているのだった。
「ソニー、オンダ、ススーキ?」
スペイン語ではHは発音しないし、ZはSと同じなのだ。やはり日本のイメージは、高所得とハイテクなのね。残念ながら、僕は両方とも縁遠いけど…。
しかし青年よ、1ドル=7ペソ54センタボのレート換算で、2ペソ50センタボのコーラが何本買えると思う? ここなら三本は飲めるでしょ、日本では、一本も買えないんだぜ?
彼らの夢を壊すような生々しい話はショッキングだったらしく、2人の顔には明らかに失望の色が浮かぶ。
「東京で若者が住んでいるワンルームは、一カ月に光熱費抜きで約5百ドルってとこかなー」
草むらに行かなかったほうの男子が、急に話題を変えて「俺はスシが好きだ」と言い出した。
「ほぉ、どんなスシが好き?」
彼が得意げに答えたのは、いわゆる(鮨)の概念から外れた突飛なネタばかりで、なんだか笑うしかなかった。サシミは知っていても、彼自身は魚介類のネタを食べた事がないのだ。しかしそれでも上等だろう、メキシコの食文化とは異質の刺し身や寿司飯なんかが受け入れられているとは。
スシの話で気分が高揚してきた青年は、なぜかラップ口調になってきた。
「俺はチョップ・スティック[箸]も使うぜ。チョップ・スティック、最高!」…だって。
話のネタは出尽くしたのか、しまいには「アイ・ライク・スシ!」とか連呼し始めたスシ男。僕は困惑の微笑を浮かべるしかなかった。
帰りの車中、エドベンが運転しながらトニーと僕に「腹減った?」と尋ねてきた。もう午前2時近い。
「タコスが食べたい」
トニーが言って、僕も賛同する。そういえば以前、タコス屋台に行くって言ったきり沙汰止みになっていたっけなぁ。それに今は、ちょっとしたボリュームの物を腹に入れたいところだ。ラム&コークの他は、少しばかりのナチョ・チップスとチーズしか口にしていなかった。メキシコの酒といえばテキーラだけど、この辺ではむしろロン[ラム]とサルベッサ[ビール]がよく飲まれているようだ。
ガイド・ブックによれば「タコスはいわばホット・ドッグと同じく街頭のスタンドで売られる庶民的な軽食で、レストランのメニューには無い」そうだ。到着初日にトニーが御馳走してくれたランチはタコスじゃなかった訳だな、でも僕には何がどう違っていたのか区別が付かなかった。
「エドベン、彼にリアル・タコスを食べさせよう!」と、トニー。
嬉しいな、いよいよ本場のタコス初体験だ。
まるで絵に描いたような場末そのもの、何軒かの屋台が点々と路地に店を広げている。エドベンは車の中で待っていると言い、僕はトニーの後を付いて行った。屋台から漂う匂いはタコスじゃない感じで、店員の人相の悪さに若干ビビる。
コンロの上に貼り紙がしてあり、僕はトニーに通訳してもらってチョリソーのタコスを注文した。主人が慣れた手つきで吊り下がった腸詰めを切り落とし、軽く刻んでフライパンに放り込む。すると屋台の陰から、やさ男が姿を見せた。この男が会計係なんだ、とトニーが教えてくれる。
主人がトルティージャにチョリソーを挟んで寄越すと、やさ男が再び顔を覗かせて「他の具材はテーブルに並べてあるので、好きに盛り付けて食べてね」とか何とか、気を利かせて言ってくれた。悪い男じゃなさそうだが、メキシコ屋台の不思議なシステムだ。
テーブルに並んだ幾つかのお皿に、千切りレタス、ワカモレ、チリ・ソース[サルサ・メヒカーナ]などが乗っている。ワカモレとは、アボガドのペーストだ。鮮やかな黄緑色は美味そうでも、味はやっぱりアボガドで僕は好きになれない。でも色に惹かれて山盛り。
チリ・ソースは、みじん切りのトマトとオニオンが少々の水っけに浸してあるものだ。辛そうに見えないからって油断しちゃいけないが、たっぷり盛って食いつく。
僕はこれほど辛いチョリソーを知らなかった。しかもチリ・ソースも増量気味なので、美味いけどひらすらカラい。しかも一口ごとにトルティージャから具がはみ出し、垂れた汁が手を濡らし口のまわりはベタベタ。手も口のまわりもヒリヒリ。
「ピカンテ[辛い]!」
ちらりと僕を見て、屋台の主人がさも愉快そうに笑った。
僕も笑った。
それから、トニーと追加のタコスを頼んだ。
メキシコ旅情【水源編・3 ディエゴの災難】
今日は昼前から、ロレーナがディエゴとジョアンナを連れて海に行くという。昼を過ぎて(本当に行くのかねー?)と疑惑が色濃くなった頃、やっとロレーナ達も腰を上げた。南国ペースだ!
よく冷えた部屋から出ると、めまいがしそうな暑さだ。今日の空も、目が痛くなるまでに晴れ上がっている。
こいつぁーやっぱ海だ海! まったく真夏だ。
なぜかタクシーは日本車だった。30ペソ、つまり4ドルとは安いもんだ。メキシコの相場からすれば高いそうだが、約30分は走ったろう。セントロを抜け、ゾナ・オテレッラ[ホテル地区]に到着。
それは、カリブ海とサンゴ礁の湖に架かる橋のような形をしている。これでもかと続く奇抜な高層ホテル群、リゾート姿で賑わう観光客。僕らが降りたのは雑踏を通り越した先で、なだらかなカーブにパームツリーの並木道。ステレオ・タイプな人工美に整形される以前の、もっと粗野で活き活きした自然が見たかったな。
ビーチを遮るように建っているホテル群の脇をすり抜けて、子供達が先頭を切って歩く。目の前が開けると、いかにも南国らしい色をした海が見えた。こいつぁ出来過ぎてるぜ! 沢山の人出、鮮やかな色彩が…って目を凝らせば家族連ればかりじゃないの? 男心は内心がっかり。
建物の影から抜け出すと、一気に汗が噴き出した。ホテルからせり出した壁に沿って、不自然に狭まった砂浜を歩く。せめてプールなんて野暮な物を作らなけりゃ、渚はもっと広かったろうに。けれど世の中には、こんな〈作りモノ〉のほうを好む人が多くて、彼らの方が多額のお金を使うのも事実で。故に商売としては野暮が正義なのだ、まったく。
僕らは木陰に陣取り、子供達は水着の上に着ていた服を脱ぎ捨て波打ち際へ。僕も同様に、だあーっと走り込んでゆく。ぬるい海水が足元を濡らし、細かな砂が背中に跳ね上がる。ザブザブと走れない深さまで達するのに、思いのほか時間がかかった。遠浅すぎて、波の勢いがまるで感じられない。見栄えは良くても、差し詰め(日なたの水溜まり)だな。
はるか沖で、ザブンと白い波が崩れた。
子供達の足元へ素早く潜行し、目の前で浮き上がってみせる。ディエゴは大はしゃぎで、ジョアンナも楽しそうだ。遊び飽きて浜に上がると、交代するようにロレーナが上着を脱いで海へ。彼女は水着姿になる時、一瞬ためらう素振りを見せた。いつも僕らをコケにするくせに!
「ロレーナは意外とシャイなんだョ、マヤ系の人はね。それに、まだ若いし」
そう言うと、トニーは「エレーナを探してくる」と言い残して行ってしまった。彼の家庭教師も、ここに来る予定らしい。まだ僕は会った事がないけど、ブラジル人なのにスペイン語を教えているという。
間もなくロレーナが海からあがって来ると、子供たちは遊び足りない様子で僕を見た。ディエゴが呼んでいるのを、相手にしないで笑って無視する。子供が嫌いって訳じゃなくて(自分を犠牲にしてまで関わらない)と心掛けているだけだ、子供との距離の取り方は僕の課題だった。
しかしそれも、しびれを切らしたディエゴが僕の手を引っ張っり始めるまでの事。こうなると僕のポーカー・フェイスも限界、この甘ったれに目尻を下げたら思うツボだ。結局ジョアンナと三人で水を掛けっこを始めて、つい僕は調子に乗ってしまった。
「ウーノ、ドース、トレースッ!」
3つ数えて、ディエゴを放り投げた。プールでバイト中、空き時間に子供にやってあげるとみんな大喜びの遊びだったのだ。しかし彼は顔を恐怖に引きつらせ、その瞳で僕に助けを求めながらドブンと消えた。辺りの水深は彼の腰までしかないから、すぐに立ち上がると思った。
一瞬の間が空いて僕がすくい起こすと、白目をむいて海水を吐き出した。こういった経験がなくて、息を吸い込むタイミングを間違えたんだな。怯えてしがみついてきた時のディエゴ、それを見つめるジョアンナの不安げな面持ち…。あの時点で止せばよかったのに、僕は悪ふざけが過ぎた。
目の隅で、岸辺のロレーナが半身を起こすのが見えた。
ディエゴの恐怖心を打ち消そうと、僕は抱いた腕で泣きじゃくる彼の背中を軽く叩いてやる。彼は海面を指さして何かを訴えていて、海に落ちた時に付けていたゴーグルを失くしたらしい。ジョアンナの、責めるような視線が突き刺さる。
そっとディエゴを降ろして潜った。波が無いから流される心配はないものの、砂がいっそう舞い上がっていて何も見えない。僕の両腕は無闇に砂底をまさぐるばかりだったが、見つけなければ失われるのはゴーグルだけじゃあ済まなかった。
間もなく、砂をかく手に何かが触れた。いとも簡単そうにゴーグルを差し出すと、ジョアンナの強ばった表情に笑みが浮かんだ。でも、もしかしたらディエゴは僕のせいで〈水恐怖症〉になってしまったかもしれない。うかつだったと、つくづく思う。
ディエゴは鼻をクスン、といわせながらゴーグルを受け取ると、僕の手を握った。
仲直りできて良かった!
よく冷えた部屋から出ると、めまいがしそうな暑さだ。今日の空も、目が痛くなるまでに晴れ上がっている。
こいつぁーやっぱ海だ海! まったく真夏だ。
なぜかタクシーは日本車だった。30ペソ、つまり4ドルとは安いもんだ。メキシコの相場からすれば高いそうだが、約30分は走ったろう。セントロを抜け、ゾナ・オテレッラ[ホテル地区]に到着。
それは、カリブ海とサンゴ礁の湖に架かる橋のような形をしている。これでもかと続く奇抜な高層ホテル群、リゾート姿で賑わう観光客。僕らが降りたのは雑踏を通り越した先で、なだらかなカーブにパームツリーの並木道。ステレオ・タイプな人工美に整形される以前の、もっと粗野で活き活きした自然が見たかったな。
ビーチを遮るように建っているホテル群の脇をすり抜けて、子供達が先頭を切って歩く。目の前が開けると、いかにも南国らしい色をした海が見えた。こいつぁ出来過ぎてるぜ! 沢山の人出、鮮やかな色彩が…って目を凝らせば家族連ればかりじゃないの? 男心は内心がっかり。
建物の影から抜け出すと、一気に汗が噴き出した。ホテルからせり出した壁に沿って、不自然に狭まった砂浜を歩く。せめてプールなんて野暮な物を作らなけりゃ、渚はもっと広かったろうに。けれど世の中には、こんな〈作りモノ〉のほうを好む人が多くて、彼らの方が多額のお金を使うのも事実で。故に商売としては野暮が正義なのだ、まったく。
僕らは木陰に陣取り、子供達は水着の上に着ていた服を脱ぎ捨て波打ち際へ。僕も同様に、だあーっと走り込んでゆく。ぬるい海水が足元を濡らし、細かな砂が背中に跳ね上がる。ザブザブと走れない深さまで達するのに、思いのほか時間がかかった。遠浅すぎて、波の勢いがまるで感じられない。見栄えは良くても、差し詰め(日なたの水溜まり)だな。
はるか沖で、ザブンと白い波が崩れた。
子供達の足元へ素早く潜行し、目の前で浮き上がってみせる。ディエゴは大はしゃぎで、ジョアンナも楽しそうだ。遊び飽きて浜に上がると、交代するようにロレーナが上着を脱いで海へ。彼女は水着姿になる時、一瞬ためらう素振りを見せた。いつも僕らをコケにするくせに!
「ロレーナは意外とシャイなんだョ、マヤ系の人はね。それに、まだ若いし」
そう言うと、トニーは「エレーナを探してくる」と言い残して行ってしまった。彼の家庭教師も、ここに来る予定らしい。まだ僕は会った事がないけど、ブラジル人なのにスペイン語を教えているという。
間もなくロレーナが海からあがって来ると、子供たちは遊び足りない様子で僕を見た。ディエゴが呼んでいるのを、相手にしないで笑って無視する。子供が嫌いって訳じゃなくて(自分を犠牲にしてまで関わらない)と心掛けているだけだ、子供との距離の取り方は僕の課題だった。
しかしそれも、しびれを切らしたディエゴが僕の手を引っ張っり始めるまでの事。こうなると僕のポーカー・フェイスも限界、この甘ったれに目尻を下げたら思うツボだ。結局ジョアンナと三人で水を掛けっこを始めて、つい僕は調子に乗ってしまった。
「ウーノ、ドース、トレースッ!」
3つ数えて、ディエゴを放り投げた。プールでバイト中、空き時間に子供にやってあげるとみんな大喜びの遊びだったのだ。しかし彼は顔を恐怖に引きつらせ、その瞳で僕に助けを求めながらドブンと消えた。辺りの水深は彼の腰までしかないから、すぐに立ち上がると思った。
一瞬の間が空いて僕がすくい起こすと、白目をむいて海水を吐き出した。こういった経験がなくて、息を吸い込むタイミングを間違えたんだな。怯えてしがみついてきた時のディエゴ、それを見つめるジョアンナの不安げな面持ち…。あの時点で止せばよかったのに、僕は悪ふざけが過ぎた。
目の隅で、岸辺のロレーナが半身を起こすのが見えた。
ディエゴの恐怖心を打ち消そうと、僕は抱いた腕で泣きじゃくる彼の背中を軽く叩いてやる。彼は海面を指さして何かを訴えていて、海に落ちた時に付けていたゴーグルを失くしたらしい。ジョアンナの、責めるような視線が突き刺さる。
そっとディエゴを降ろして潜った。波が無いから流される心配はないものの、砂がいっそう舞い上がっていて何も見えない。僕の両腕は無闇に砂底をまさぐるばかりだったが、見つけなければ失われるのはゴーグルだけじゃあ済まなかった。
間もなく、砂をかく手に何かが触れた。いとも簡単そうにゴーグルを差し出すと、ジョアンナの強ばった表情に笑みが浮かんだ。でも、もしかしたらディエゴは僕のせいで〈水恐怖症〉になってしまったかもしれない。うかつだったと、つくづく思う。
ディエゴは鼻をクスン、といわせながらゴーグルを受け取ると、僕の手を握った。
仲直りできて良かった!
メキシコ旅情【水源編・4 水厄の日?】
海からの帰り道は、装甲車みたいな銀色のバスに乗った。車内は汗くさいような匂いがしたけど、座った途端に睡魔が…。うたた寝してるうちにセントロ到着、そこからは子供達の手を引いて歩く。寝汗をかいた体が重い、部屋に入ると簡易ベッドに倒れ込みシエスタ。
寝起きにシャワーを浴びていると、トニーはスケート道具を担いで出掛けていった。タフだよなー。
喉が渇いた僕は、給水機の水を飲もうとして止める。トニーが、この大ボトルから水を飲んでいるのは一度も見た事がない。何ガロン入っているんだか知らないが、いくら飲料用でも古い水か心配だった。それに第一、部屋にはコップに使えそうな代物が見あたらない。
もう少し我慢して、ポスト・カードを出すついでにコーラでも買おう。大通りの角に、文具も置いてる小さな雑貨屋「アメリカ」がある。まずそこでコーラを飲み、通りを渡ってメルカドの先へ。相変わらず何もない、激しく冷房が効いてる郵便局。僕も慣れたものだ、あまり手を汚さずに切手に糊を塗れるようになってきた。
家の潜り戸をパティに開けてもらって居間に顔を出すと、ママがニコニコと「コメール[食べる]?」とか「コミーダ[食事]?」と尋ねてきた。なんか2人とは、これが挨拶代わりになっている気がする。すっかり腹心地が良くなった僕はソファーに腰を下ろし、壁の書棚に日本語で書かれた本を見つけた。
ちょっと前に日本で流行った「3D写真」が3冊もあったので試してみる。説明どおり寄り目にすると、なるほど立体的! 面白がってやり過ぎた、目が疲れてクラクラ。
他には、マヤに関する本も少なからずあった。しかも図版の少ない、新書の類いだ。いくらエドベンだって、ここまで日本語を読みこせるか? 大体、トニーも「エドベンは遺跡に何の興味も持ってない」と言っていたもんなぁ…。
僕が書棚の前で考え込んでいると、パティが(部屋でゆっくり読んでもいいよ)といった仕草をする。僕は「ノ・グラシアス」と返事して、彼女に尋ねてみた。
「ケ・エス・エスト[これは何ですか]?」
「エスト[これ]、リブレ[本]?」
「シー[はい]。エスト、ハポネス・リブレ…リブレ・ハポネス? ムーチョ[たくさん]!」
「シー…?」
「ドンデ[どこ]、ノ[いいえ]、コモ[どんな]。…えぇとね、ホワイ?」
僕が珍しく何かを訴えようとしていると、興味津々で忍耐強く聞いてくれるママとパティ。だが、同時にスペイン語で喋り出してもねぇ。ママの大声を制して、ジェスチャー付きでゆっくり解説してくれたパティによると、どうやら2〜3年前にも日本人が滞在していたようなのだ。新たな疑問が湧いてきたけど、くたびれたので二人に礼を言って二階に戻る。
部屋に入ろうとした瞬間、右足の裏からおぞましい感触が…。レガロ!!
やりやがったな、ジョディめ。間一髪でビーサンの上まで乗り込まれずに済んだのは、せめてもの救いだな。ひとまず部屋に入…れない?! よりによって、こんな事態なのに鍵が掛かってるし。まずはトニーを捜さねば。
足跡で汚し回るのも厭だから、けんけん跳びで階段を降りて外に出た。何故かアスファルトが水浸しで、これ幸いとビーサンを擦って歩く。
マカレナ公園の方から子供の声がして、見ると道路じゅうに色とりどりの端切れが。これは明らかに「水風船爆弾」の残骸だ、小さなゴム風船に水を詰めて投げつけあってるんだな。懐かしい、どこの子供も遊びの発想は変わらないのかね。
みんなキャーキャー走り回っていて、ふと僕は厭な予感に駆られた。すでに全員ビショビショだ、そんな最中に…。ヤバいな、目立たぬようにトニーに近寄って小声で叫ぶ。
「早く鍵を貸して! 今レガロを踏んで」
「何だって〜?」
彼も全身びしょ濡れで、僕の言葉など馬耳東風。早くも子供達にロックオンされ、十字砲火が浴びせられる。辛くも難を逃れたが、ビクトールの超特大水風船が突進して来た〜! トニーが先に逃げ出し、僕は「待って、早く鍵を」と追いすがる。
「OK、ほら。失くすなよ〜!」
足を緩めて鍵を寄越すと、彼は横っ跳びにダッシュで離脱。そして案の定、丸腰の僕は火ダルマならぬ水だるま。
連中の高らかな笑い声を振り切るように、家まで逃げ帰った。僕が冗談のつもりで愚痴をこぼすと、ロレーナは本気で怒り出してしまい「子供の遊びなんだ、おふざけなんだよ」と笑ってなだめる。
まったく、とんだ災難だった。ともかくレガロの後始末、そしてシャワー・ルームで濡れた服とビーサンを洗う。が、まだオチがある。うっかりバス・タオルを用意してなかったので、開けっ放しの部屋で全裸のまま荷物を漁る羽目に。
それから便意を催して「本日の2発目」をかました僕は、シャワーで水を使い切っていた事など知る由もなかった。事足りた後、階下でママに水栓弁を開けてもらってタンクに水が貯まるまで、僕のレガロは留め置かれる有り様となったのだ。
(ちなみに、レガロとは本来[贈り物]を意味する言葉です)
寝起きにシャワーを浴びていると、トニーはスケート道具を担いで出掛けていった。タフだよなー。
喉が渇いた僕は、給水機の水を飲もうとして止める。トニーが、この大ボトルから水を飲んでいるのは一度も見た事がない。何ガロン入っているんだか知らないが、いくら飲料用でも古い水か心配だった。それに第一、部屋にはコップに使えそうな代物が見あたらない。
もう少し我慢して、ポスト・カードを出すついでにコーラでも買おう。大通りの角に、文具も置いてる小さな雑貨屋「アメリカ」がある。まずそこでコーラを飲み、通りを渡ってメルカドの先へ。相変わらず何もない、激しく冷房が効いてる郵便局。僕も慣れたものだ、あまり手を汚さずに切手に糊を塗れるようになってきた。
家の潜り戸をパティに開けてもらって居間に顔を出すと、ママがニコニコと「コメール[食べる]?」とか「コミーダ[食事]?」と尋ねてきた。なんか2人とは、これが挨拶代わりになっている気がする。すっかり腹心地が良くなった僕はソファーに腰を下ろし、壁の書棚に日本語で書かれた本を見つけた。
ちょっと前に日本で流行った「3D写真」が3冊もあったので試してみる。説明どおり寄り目にすると、なるほど立体的! 面白がってやり過ぎた、目が疲れてクラクラ。
他には、マヤに関する本も少なからずあった。しかも図版の少ない、新書の類いだ。いくらエドベンだって、ここまで日本語を読みこせるか? 大体、トニーも「エドベンは遺跡に何の興味も持ってない」と言っていたもんなぁ…。
僕が書棚の前で考え込んでいると、パティが(部屋でゆっくり読んでもいいよ)といった仕草をする。僕は「ノ・グラシアス」と返事して、彼女に尋ねてみた。
「ケ・エス・エスト[これは何ですか]?」
「エスト[これ]、リブレ[本]?」
「シー[はい]。エスト、ハポネス・リブレ…リブレ・ハポネス? ムーチョ[たくさん]!」
「シー…?」
「ドンデ[どこ]、ノ[いいえ]、コモ[どんな]。…えぇとね、ホワイ?」
僕が珍しく何かを訴えようとしていると、興味津々で忍耐強く聞いてくれるママとパティ。だが、同時にスペイン語で喋り出してもねぇ。ママの大声を制して、ジェスチャー付きでゆっくり解説してくれたパティによると、どうやら2〜3年前にも日本人が滞在していたようなのだ。新たな疑問が湧いてきたけど、くたびれたので二人に礼を言って二階に戻る。
部屋に入ろうとした瞬間、右足の裏からおぞましい感触が…。レガロ!!
やりやがったな、ジョディめ。間一髪でビーサンの上まで乗り込まれずに済んだのは、せめてもの救いだな。ひとまず部屋に入…れない?! よりによって、こんな事態なのに鍵が掛かってるし。まずはトニーを捜さねば。
足跡で汚し回るのも厭だから、けんけん跳びで階段を降りて外に出た。何故かアスファルトが水浸しで、これ幸いとビーサンを擦って歩く。
マカレナ公園の方から子供の声がして、見ると道路じゅうに色とりどりの端切れが。これは明らかに「水風船爆弾」の残骸だ、小さなゴム風船に水を詰めて投げつけあってるんだな。懐かしい、どこの子供も遊びの発想は変わらないのかね。
みんなキャーキャー走り回っていて、ふと僕は厭な予感に駆られた。すでに全員ビショビショだ、そんな最中に…。ヤバいな、目立たぬようにトニーに近寄って小声で叫ぶ。
「早く鍵を貸して! 今レガロを踏んで」
「何だって〜?」
彼も全身びしょ濡れで、僕の言葉など馬耳東風。早くも子供達にロックオンされ、十字砲火が浴びせられる。辛くも難を逃れたが、ビクトールの超特大水風船が突進して来た〜! トニーが先に逃げ出し、僕は「待って、早く鍵を」と追いすがる。
「OK、ほら。失くすなよ〜!」
足を緩めて鍵を寄越すと、彼は横っ跳びにダッシュで離脱。そして案の定、丸腰の僕は火ダルマならぬ水だるま。
連中の高らかな笑い声を振り切るように、家まで逃げ帰った。僕が冗談のつもりで愚痴をこぼすと、ロレーナは本気で怒り出してしまい「子供の遊びなんだ、おふざけなんだよ」と笑ってなだめる。
まったく、とんだ災難だった。ともかくレガロの後始末、そしてシャワー・ルームで濡れた服とビーサンを洗う。が、まだオチがある。うっかりバス・タオルを用意してなかったので、開けっ放しの部屋で全裸のまま荷物を漁る羽目に。
それから便意を催して「本日の2発目」をかました僕は、シャワーで水を使い切っていた事など知る由もなかった。事足りた後、階下でママに水栓弁を開けてもらってタンクに水が貯まるまで、僕のレガロは留め置かれる有り様となったのだ。
(ちなみに、レガロとは本来[贈り物]を意味する言葉です)
メキシコ旅情【水源編・5 車屋めぐり】
今朝は珍しく、エドベンに起こされた。
勢いよくノックと共に入ってきて、驚いて目を覚ました僕を車屋めぐりに誘った。また藪から棒な展開だ、断ろうとした矢先にトニーが一言。
「行ってくれば? 買い物は午後でいいんだから」
ま、まぁね…。それは別に厭じゃないんだけど、ただ何というか…。やたら多いんだよねー、こうやって急に決められてく感じが。それにしても、今日は仕事は休みなのか? テンション高けぇーな、朝っぱらから。
こないだ、車屋めぐり行ったのは夜だった。
郊外に向かう幹線道路から外れると、街灯のない未舗装の砂利道は真っ暗で、波打つような路面は虫食い状に冠水していた。昼に降ったジュビア[雨]の名残だろう。水没した十字路を何度か迂回して、停車したのは無人の住宅街だった。といっても、エドベン家の近所とは違うヤバめの雰囲気。
ガレージから出てきた小柄の男は、いかつい顔で胡散臭そうな感じだった。その修理工場で立ち話をして、修理工がボンネットの中をのぞいただけで帰ってきたのだ。結局、あの夜は何をしに行ったんだ?
このワーゲン・ゴルフに足りない部品は、あといくつあるんだ? 外に取っ手がないから、内側から開けてもらって乗り込んだ。右ハンドルだから当然なんだけど、左が助手席って慣れないから変な気分だ。
昨日もその前の日も暑かったが、今日は一段と熱い。まだ一度もジュビアが降っていないらしく、空気がカラカラに乾燥している。エドベンの車が飛ばしてくれるので、熱風が感じられるだけマシか。
しかし、この車で結構スピード出してるけど、分解したって驚かないぜ? 信号なしのロータリーに突っ込んで、遠心力で左折しやがる。せめて保安部品ぐらいマトモに装備してからにしてくれ〜!
さすがに郊外の未舗装路では、速度を落とした。土ぼこりで町が霞んだ通りを、焼けた肌にランニングシャツの男達が行き交う。西部劇の「無法者の町」現代版…。おっと砂嵐だ、窓を閉めろー。けれど閉めれば移動サウナという、かなり究極な選択。そう、エアコンもないのだ。
小さな修理工場で車を降りた。この前の夜とは別の工場だが、規模は同じ位だろう。背の高いガレージの中に数台の車と、何人かの修理工が見える。
エドベンがコーラを買ってきて彼らに渡し、僕にも一本くれた。小振りのビンだ、懐かしい! こうした差し入れで修理屋の機嫌を取りつつ、手抜きしない様その場で直してもらうのだ。メキシコ人の事はメキシコ人が知っている…。
もちろん、それなりに待たされる事になる。でも時間はあるし、僕は軒先の日陰で町を眺めて過ごす。
次の店は荒野の一軒家で、悪路の行き止まりにぽつんと建っていた。悪党のアジトとか、特撮ロケの戦闘シーンには好条件だ。実はその店構えの後ろに、広い敷地があるという。確かに天井も高いし奥行きがありそうだったけど、店内は暗くて見当も付かない。
幅のあるショーケースが入り口に置かれていて、中古らしき様々な車のパーツが陳列されていた。どれも少々くたびれて、くすんだ色をしている。何故か僕は、臓器バンクを連想した。
エドベンが買ったのは、小さな箱入りのプラグのような物だった。これ一個だけで待たせ過ぎだろ、他に客がいる訳でもないのに。それより、ここまで来る価値のある店なのだろうか…?
乾き切った荒野を抜けて、車は幹線道路に戻った。
「他にも何軒か回りたかったんだけど、思ったより時間が掛かってしまったので帰ろう」
と、エドベン。名案だ、暑いもの。
車屋めぐりは、体力と忍耐を要するな。でも、誘われたらまた一緒に来てしまう気もする。カンクンには、いろんな違う風景があって興味深い。
同時に、シエスタは(この地に欠くべからざるもの)だと思い知った。
車を走らせながら、エドベンは車検の話をしていた。メキシコの車検は日本と逆で、中古車が2年毎で新車は毎年だ。つまり日本では新車を買える裕福な人よりも、中古車に乗る人の維持費が2倍かかる。
「富裕層が多く負担して、中古車ユーザーの出費を安く抑えないのは変じゃない?」
そうなんだけど、自動車メーカーが黙ってないわな…。
ところで、これは以前にトニーから聞いた話。エドベンは友人のコネで盗難車と知らずに買ってしまい、当局に没収された事があるそうだ。彼まで疑われ、尋問された揚げ句に泣き寝入りせざるを得なかったという。メキシコの警察は怖いので、連行されなかっただけでも不幸中の幸い。楯突こうものなら、それこそヒドイ目に遭うらしい。
しかしエドベンはめげずに、こうして休みのたびにパーツ屋を回って修理工場に行く。最初は冗談だと思っていたけど、実際その未完成車が僕を乗せてびゅんびゅん走っているのだった。
「作る楽しみもある」って、模型じゃなくて実用品だろ!?
勢いよくノックと共に入ってきて、驚いて目を覚ました僕を車屋めぐりに誘った。また藪から棒な展開だ、断ろうとした矢先にトニーが一言。
「行ってくれば? 買い物は午後でいいんだから」
ま、まぁね…。それは別に厭じゃないんだけど、ただ何というか…。やたら多いんだよねー、こうやって急に決められてく感じが。それにしても、今日は仕事は休みなのか? テンション高けぇーな、朝っぱらから。
こないだ、車屋めぐり行ったのは夜だった。
郊外に向かう幹線道路から外れると、街灯のない未舗装の砂利道は真っ暗で、波打つような路面は虫食い状に冠水していた。昼に降ったジュビア[雨]の名残だろう。水没した十字路を何度か迂回して、停車したのは無人の住宅街だった。といっても、エドベン家の近所とは違うヤバめの雰囲気。
ガレージから出てきた小柄の男は、いかつい顔で胡散臭そうな感じだった。その修理工場で立ち話をして、修理工がボンネットの中をのぞいただけで帰ってきたのだ。結局、あの夜は何をしに行ったんだ?
このワーゲン・ゴルフに足りない部品は、あといくつあるんだ? 外に取っ手がないから、内側から開けてもらって乗り込んだ。右ハンドルだから当然なんだけど、左が助手席って慣れないから変な気分だ。
昨日もその前の日も暑かったが、今日は一段と熱い。まだ一度もジュビアが降っていないらしく、空気がカラカラに乾燥している。エドベンの車が飛ばしてくれるので、熱風が感じられるだけマシか。
しかし、この車で結構スピード出してるけど、分解したって驚かないぜ? 信号なしのロータリーに突っ込んで、遠心力で左折しやがる。せめて保安部品ぐらいマトモに装備してからにしてくれ〜!
さすがに郊外の未舗装路では、速度を落とした。土ぼこりで町が霞んだ通りを、焼けた肌にランニングシャツの男達が行き交う。西部劇の「無法者の町」現代版…。おっと砂嵐だ、窓を閉めろー。けれど閉めれば移動サウナという、かなり究極な選択。そう、エアコンもないのだ。
小さな修理工場で車を降りた。この前の夜とは別の工場だが、規模は同じ位だろう。背の高いガレージの中に数台の車と、何人かの修理工が見える。
エドベンがコーラを買ってきて彼らに渡し、僕にも一本くれた。小振りのビンだ、懐かしい! こうした差し入れで修理屋の機嫌を取りつつ、手抜きしない様その場で直してもらうのだ。メキシコ人の事はメキシコ人が知っている…。
もちろん、それなりに待たされる事になる。でも時間はあるし、僕は軒先の日陰で町を眺めて過ごす。
次の店は荒野の一軒家で、悪路の行き止まりにぽつんと建っていた。悪党のアジトとか、特撮ロケの戦闘シーンには好条件だ。実はその店構えの後ろに、広い敷地があるという。確かに天井も高いし奥行きがありそうだったけど、店内は暗くて見当も付かない。
幅のあるショーケースが入り口に置かれていて、中古らしき様々な車のパーツが陳列されていた。どれも少々くたびれて、くすんだ色をしている。何故か僕は、臓器バンクを連想した。
エドベンが買ったのは、小さな箱入りのプラグのような物だった。これ一個だけで待たせ過ぎだろ、他に客がいる訳でもないのに。それより、ここまで来る価値のある店なのだろうか…?
乾き切った荒野を抜けて、車は幹線道路に戻った。
「他にも何軒か回りたかったんだけど、思ったより時間が掛かってしまったので帰ろう」
と、エドベン。名案だ、暑いもの。
車屋めぐりは、体力と忍耐を要するな。でも、誘われたらまた一緒に来てしまう気もする。カンクンには、いろんな違う風景があって興味深い。
同時に、シエスタは(この地に欠くべからざるもの)だと思い知った。
車を走らせながら、エドベンは車検の話をしていた。メキシコの車検は日本と逆で、中古車が2年毎で新車は毎年だ。つまり日本では新車を買える裕福な人よりも、中古車に乗る人の維持費が2倍かかる。
「富裕層が多く負担して、中古車ユーザーの出費を安く抑えないのは変じゃない?」
そうなんだけど、自動車メーカーが黙ってないわな…。
ところで、これは以前にトニーから聞いた話。エドベンは友人のコネで盗難車と知らずに買ってしまい、当局に没収された事があるそうだ。彼まで疑われ、尋問された揚げ句に泣き寝入りせざるを得なかったという。メキシコの警察は怖いので、連行されなかっただけでも不幸中の幸い。楯突こうものなら、それこそヒドイ目に遭うらしい。
しかしエドベンはめげずに、こうして休みのたびにパーツ屋を回って修理工場に行く。最初は冗談だと思っていたけど、実際その未完成車が僕を乗せてびゅんびゅん走っているのだった。
「作る楽しみもある」って、模型じゃなくて実用品だろ!?
メキシコ旅情【水源編・6 誕生日】
トニーの部屋の、青い壁の色が目に心地良い。炎天下のドライブは堪えたな、僕はトニーに「冷えたコーラを持って来よう」と提案する。しかし残念ながらグラシエラもビアネイも留守、つまり冷蔵庫には手が届かない…。なんてこった、干乾びちまうよ!
「それじゃあ今からセントロに行って、途中のバーガーショップに寄ろう」
「ノー、トニー。そんなに待てない、僕にはコークが必要なんだ、今すぐ」
「食事はまだだろ? 御馳走するから」
僕は、あと少しだけ渇きを我慢することにした。
ところで今日は、エドベンの誕生日だそうだ。それでトニーは彼のために夕飯を作ろうと考えて、買出しと相成った次第。ジャンク・フード好きなトニーが料理とは意外だったが、そういえば原宿に住んでいた時にタコスを作ってくれたもんなぁ。…ともかく食材調達より先に、自分の飢えと渇きを満たさないと。
マカレナ公園を通り過ぎようとしたら、向かいの家から声がして近所の子供達が走り出て来て、思った通り「マカレナ!」と叫んで歌い始めた。仕方が無いから、僕は歩きながらしばらく踊ってやる。
「人気者じゃないか、君はマカレナ・キングだよ」
「よしてくれトニー、ちょっと面倒臭くなってきてるんだ」
実はこうなるのが嫌で、連中の溜まり場になっている公園を避けていたのだ。(こんなサービスもうしない、ばかみたいだ)と思った。
メルカドを過ぎてから、いつもと違う道へ。セントロへの最短ルートらしく、細かい路地を縫うように歩いた。やがて、白ペンキのブロック塀に色鮮やかなスペイン語が踊っている、小さな飲食店が軒を連ねる道に出た。シエスタのせいか、どこも閉まっていたけど。この辺はもうセントロなのかな?
右手に見えてきた、広々とした公園を突っ切っていく。コンクリートの上に、木々が大きく枝を広げている。途中で、トニーは左手の映画館を指さした。
「時々、ここに来たんだ。何曜日だったかなぁ、タダで観られる日があるんだよ」
看板は枝に隠れて見えなかったけど、れっきとした封切り館らしい。他の日を有料にしたって、これがタダで観られたら商売にならないだろうに。僕の聞き違い、じゃないよな。
「そう、信じられないけどね。でもやっぱり、その日は混んでるよ」
どうやら(無料デー)は金銭的余裕のない人達への慈善的興行で、裕福なクラスの人々は別の空いている日に落ち着いて観るもの…なのだそうだ。
メキシコは階級社会だ、と、ガイドブックに書かれていたのを思い出す。それはこういう事なのか、と驚いた。以前エドベンが言っていた、車の維持費に関する話を思い出す。お金を払っている、というのはステイタスなのかもしれない。
現実の階級社会というものは、言葉の含む差別的なイメージよりポジティブな面もあるのだろう。上流とは精神的な豊かさであり、いかに許容力があるかが重要なのだ、きっと。人々は高い社会的地位へ向上を図り、地位のある人はより品位の高い存在を目指す。天に近づくほど澄み渡る、西洋的上昇信奉の源泉があるような気がした。
リッチの本質とは、奉仕することや恩恵を授けることによって、自分がいかに天に近いか、狭量な暮らしに捕らわれない豊かさを持っているかを表明する行為なのだ。その根底には、教会が築き上げた意識の階層がある。神を頂点にしたハイアラーキーの高位を占めるのは、御心に従う者だ。
ボランティアという白人的な発想は、信仰の上に生まれたのだという事が良く理解できる。持たざる者に与える事が出来るのは、持つ者の特権なのだ。つまりは映画館の持ち主も、無料で公開する事で末席に加わる光栄に浴している訳だ。ふーむ、そう考えると実によく出来てるシステムだよな。
キリスト教は暴力的に世界中の価値観を束ね上げたけれど、弱者を救済する立派な方便もこしらえていたのだ。そこへいくと日本というのは、所詮アジアだな。上っ面だけで、精神が伴わないまま西洋化した訳だ、結局は。
公園を抜けると、そこはセントロの裏通りだった。表通りにある「バーガーキング」は、やはりクーラーが効いていて生き返るようだ。思わず自動ドアの外を振り返り、うだるような午後の暑さを改めて実感した。
窓際の席に着くと、僕はトニーを待ち切れずコーラを一口飲んだ。喉がカラカラだったせいで(炭酸三割増!)という気分。トニーが少し遅れてトレイを運んできたが、そこには小さなカップに入ったハラペーニョが乗っていた。口の中に唾が溜まってくる。
「それは…?」
「言わなかったっけ、これはサービスなんだよ」
素晴らしい土地柄だ! 早速カウンターの脇から、てんこ盛りにしてくる。考えようによっては、ちょっと不思議なものだ。漬物食い放題の店…。ともかく僕は、この店がすっかり気に入った。
店を出た途端、僕らは熱気に包まれた。暑いと、空気の密度が濃くなるのかと思う。ドアが開いた時、店内の涼しい空気との間に壁のような抵抗を覚えた。
二人は、その足でスペール・メルカドへ向かう。
「それじゃあ今からセントロに行って、途中のバーガーショップに寄ろう」
「ノー、トニー。そんなに待てない、僕にはコークが必要なんだ、今すぐ」
「食事はまだだろ? 御馳走するから」
僕は、あと少しだけ渇きを我慢することにした。
ところで今日は、エドベンの誕生日だそうだ。それでトニーは彼のために夕飯を作ろうと考えて、買出しと相成った次第。ジャンク・フード好きなトニーが料理とは意外だったが、そういえば原宿に住んでいた時にタコスを作ってくれたもんなぁ。…ともかく食材調達より先に、自分の飢えと渇きを満たさないと。
マカレナ公園を通り過ぎようとしたら、向かいの家から声がして近所の子供達が走り出て来て、思った通り「マカレナ!」と叫んで歌い始めた。仕方が無いから、僕は歩きながらしばらく踊ってやる。
「人気者じゃないか、君はマカレナ・キングだよ」
「よしてくれトニー、ちょっと面倒臭くなってきてるんだ」
実はこうなるのが嫌で、連中の溜まり場になっている公園を避けていたのだ。(こんなサービスもうしない、ばかみたいだ)と思った。
メルカドを過ぎてから、いつもと違う道へ。セントロへの最短ルートらしく、細かい路地を縫うように歩いた。やがて、白ペンキのブロック塀に色鮮やかなスペイン語が踊っている、小さな飲食店が軒を連ねる道に出た。シエスタのせいか、どこも閉まっていたけど。この辺はもうセントロなのかな?
右手に見えてきた、広々とした公園を突っ切っていく。コンクリートの上に、木々が大きく枝を広げている。途中で、トニーは左手の映画館を指さした。
「時々、ここに来たんだ。何曜日だったかなぁ、タダで観られる日があるんだよ」
看板は枝に隠れて見えなかったけど、れっきとした封切り館らしい。他の日を有料にしたって、これがタダで観られたら商売にならないだろうに。僕の聞き違い、じゃないよな。
「そう、信じられないけどね。でもやっぱり、その日は混んでるよ」
どうやら(無料デー)は金銭的余裕のない人達への慈善的興行で、裕福なクラスの人々は別の空いている日に落ち着いて観るもの…なのだそうだ。
メキシコは階級社会だ、と、ガイドブックに書かれていたのを思い出す。それはこういう事なのか、と驚いた。以前エドベンが言っていた、車の維持費に関する話を思い出す。お金を払っている、というのはステイタスなのかもしれない。
現実の階級社会というものは、言葉の含む差別的なイメージよりポジティブな面もあるのだろう。上流とは精神的な豊かさであり、いかに許容力があるかが重要なのだ、きっと。人々は高い社会的地位へ向上を図り、地位のある人はより品位の高い存在を目指す。天に近づくほど澄み渡る、西洋的上昇信奉の源泉があるような気がした。
リッチの本質とは、奉仕することや恩恵を授けることによって、自分がいかに天に近いか、狭量な暮らしに捕らわれない豊かさを持っているかを表明する行為なのだ。その根底には、教会が築き上げた意識の階層がある。神を頂点にしたハイアラーキーの高位を占めるのは、御心に従う者だ。
ボランティアという白人的な発想は、信仰の上に生まれたのだという事が良く理解できる。持たざる者に与える事が出来るのは、持つ者の特権なのだ。つまりは映画館の持ち主も、無料で公開する事で末席に加わる光栄に浴している訳だ。ふーむ、そう考えると実によく出来てるシステムだよな。
キリスト教は暴力的に世界中の価値観を束ね上げたけれど、弱者を救済する立派な方便もこしらえていたのだ。そこへいくと日本というのは、所詮アジアだな。上っ面だけで、精神が伴わないまま西洋化した訳だ、結局は。
公園を抜けると、そこはセントロの裏通りだった。表通りにある「バーガーキング」は、やはりクーラーが効いていて生き返るようだ。思わず自動ドアの外を振り返り、うだるような午後の暑さを改めて実感した。
窓際の席に着くと、僕はトニーを待ち切れずコーラを一口飲んだ。喉がカラカラだったせいで(炭酸三割増!)という気分。トニーが少し遅れてトレイを運んできたが、そこには小さなカップに入ったハラペーニョが乗っていた。口の中に唾が溜まってくる。
「それは…?」
「言わなかったっけ、これはサービスなんだよ」
素晴らしい土地柄だ! 早速カウンターの脇から、てんこ盛りにしてくる。考えようによっては、ちょっと不思議なものだ。漬物食い放題の店…。ともかく僕は、この店がすっかり気に入った。
店を出た途端、僕らは熱気に包まれた。暑いと、空気の密度が濃くなるのかと思う。ドアが開いた時、店内の涼しい空気との間に壁のような抵抗を覚えた。
二人は、その足でスペール・メルカドへ向かう。
メキシコ旅情【水源編・7 二転三転】
スーパーで夕食の材料を買うものだと思っていたのだが、トニーは少し困ったような顔で言った。
「それがさぁ、明日の朝早くに出掛けるかも知れないんだって。よく判らないんだけど」
彼が言うには、エドベン一家総出でピクニックに出掛ける…という話になってきているらしい。メリダ近郊に住んでいる、ママのお母さんのところに泊まりがけで行くというのだ。メリダという都市はカンクンの西方に位置し、途中にチェチェンイツァ(有名なマヤ文明の神殿)がある国内交通の要所だ。
さっきまでエドベンとは一緒だったけど、彼は一言もそんなこと話さなかったぞ? ということは、車屋から戻った後で決まったのかなぁ。だとしたら、ずいぶん急な話じゃないか。
僕達も連れて行ってくれるそうだが、あのビートルとゴルフの二台にそんな大勢で乗れるとは思えない。バスで行くのか、その辺の事情も含め、詳しい話はトニーも判らなかった。大体トニーの話振りからすると、その情報自体が不確かな様子だ。そうだよな、そんな場当たり的な家族旅行なんて考えられない。
そうなると、うっかり夕飯の買い物なんて出来ない訳だ。もし本当に早朝出発なら今夜は早寝になるし、今からすでに準備でバタバタしている筈だった。慌しい展開に不安を覚えつつも、内心では(それも悪くないか)などと思っていた。お金は無いけど、ユカタン半島のあちこちを訪ねてみたい気持ちはあったのだし。マヤ遺跡に行けたらラッキーこの上ない。
ともかく夕食の準備は見合わせるとして、僕らはエドベンへの誕生日プレゼントを買うことにした。トニーは「彼の好きなラム酒にしよう」と言った。エドベンがラムを好むとは、ちょっと意外だった。メキシコといえばテキーラで、ラムはカリブ海の島国が相場だと思っていたし、考えてみれば彼が酒を飲んでいるところを(ガレージ・パーティでも)まだ一度も見た事がなかった。
ラムの中でも、エドベンの好きな銘柄は「ハバナ・クラブ」なのだという。へーえ、ハバナといえばキューバの首都じゃん。そういえば、前にトニーが「去年メキシコに来た時に、彼とキューバに行った」と話していたのを思い出した。
どっちにしろ、酒の味には関係ないか。
やっぱり「家族そろってメリダ行き」は無かった。
思ったとおりだ。メキシコに来る以前、トニーを通じてブラジル人と遊んだ経験から、そんな気がしていたのだ。国民気質が似ているかどうかは分からないけれど、幾度となく振り回された時のパターンと共通するものを感じたのだ。
だからと言って、無論「ブラジル人は口ばかりだ」なんて言うつもりじゃない。僕が思うに、彼らは多分、こうしたら楽しいという気持ちを現在形で話すのだ。そしてエドベン一家もまた、そんな人達なんだと思う。実際はともかく、そんなふうに接していれば言動不一致に腹を立てたり疲れたりはしないで済む。
トニーがエドベンに真相を確認しに行っている間、僕は屋上で一服する。
今日は雨が降っていないせいか、特に暑い。陽の当たる場所に出ると、すぐに汗が肌を伝って流れ落ちてくる。真夏は、これ以上暑くなるというのか?
周りに高い建物がないので、ぐるり見渡して目線をさえぎるものがない。そよりそよりと吹く風も、はるか遠くからゆっくりとやって来る。サングラス越しでも、充分に青い空。雲ひとつない快晴、という奴だ。そういえば、ここに来てから空にはいつも雲が無かった。捜せば地平線のふちに小さいのを幾つか見つけられるが、せいぜいその程度だった。
階下で、部屋の扉を開ける音がした。僕らの部屋だけ、開閉の度にやかましい音を立てるので一発で分かる。トニーが呼ぶ声がするので、吸い殻を簡易灰皿にしまうと自分の洗濯物を取り込みながら部屋に降りた。
「今夜はナイト・キャンプだって、エドベンの車でビアネイ達と一緒に」
メリダ行きの話はどこへやら、今は若者だけで近場のハイキングが計画されている…という。
オーケー、だけどグラシエラとビアネイは出掛けていたから、まだ知らされてない筈だ。という事は、この話も決定版じゃないって訳だな。
「うーん、でもエドベンは決めたみたいだったけど」
それなら、きっと彼だけが決まっている気なのさ! 信用して、備えようとするから振り回されるんだ。勝手に決めればいい、僕は僕で構わないだろう。
また喉が渇いてきた、トニーと一緒に彼のお気に入りのグローサリーまで行く。もっと近くに店はあるのに、彼に言わせれば「ナチョスとか、1リットルの冷えたコーラを置いている」のが決め手だそうだ。しかも、大通りを渡ればすぐにレンタル・ビデオ屋だ。なるほど納得。
帰り道、トニーは一軒の家を指して「ここは日本人が住んでいるんだって」と言った。針を使う医者、というのは鍼灸師の事なのだろう。「けっこう高いらしいけど、いつも混んでいるって聞いたよ」と彼は言った。本当かねぇ、メキシコで鍼治療か…。
「それがさぁ、明日の朝早くに出掛けるかも知れないんだって。よく判らないんだけど」
彼が言うには、エドベン一家総出でピクニックに出掛ける…という話になってきているらしい。メリダ近郊に住んでいる、ママのお母さんのところに泊まりがけで行くというのだ。メリダという都市はカンクンの西方に位置し、途中にチェチェンイツァ(有名なマヤ文明の神殿)がある国内交通の要所だ。
さっきまでエドベンとは一緒だったけど、彼は一言もそんなこと話さなかったぞ? ということは、車屋から戻った後で決まったのかなぁ。だとしたら、ずいぶん急な話じゃないか。
僕達も連れて行ってくれるそうだが、あのビートルとゴルフの二台にそんな大勢で乗れるとは思えない。バスで行くのか、その辺の事情も含め、詳しい話はトニーも判らなかった。大体トニーの話振りからすると、その情報自体が不確かな様子だ。そうだよな、そんな場当たり的な家族旅行なんて考えられない。
そうなると、うっかり夕飯の買い物なんて出来ない訳だ。もし本当に早朝出発なら今夜は早寝になるし、今からすでに準備でバタバタしている筈だった。慌しい展開に不安を覚えつつも、内心では(それも悪くないか)などと思っていた。お金は無いけど、ユカタン半島のあちこちを訪ねてみたい気持ちはあったのだし。マヤ遺跡に行けたらラッキーこの上ない。
ともかく夕食の準備は見合わせるとして、僕らはエドベンへの誕生日プレゼントを買うことにした。トニーは「彼の好きなラム酒にしよう」と言った。エドベンがラムを好むとは、ちょっと意外だった。メキシコといえばテキーラで、ラムはカリブ海の島国が相場だと思っていたし、考えてみれば彼が酒を飲んでいるところを(ガレージ・パーティでも)まだ一度も見た事がなかった。
ラムの中でも、エドベンの好きな銘柄は「ハバナ・クラブ」なのだという。へーえ、ハバナといえばキューバの首都じゃん。そういえば、前にトニーが「去年メキシコに来た時に、彼とキューバに行った」と話していたのを思い出した。
どっちにしろ、酒の味には関係ないか。
やっぱり「家族そろってメリダ行き」は無かった。
思ったとおりだ。メキシコに来る以前、トニーを通じてブラジル人と遊んだ経験から、そんな気がしていたのだ。国民気質が似ているかどうかは分からないけれど、幾度となく振り回された時のパターンと共通するものを感じたのだ。
だからと言って、無論「ブラジル人は口ばかりだ」なんて言うつもりじゃない。僕が思うに、彼らは多分、こうしたら楽しいという気持ちを現在形で話すのだ。そしてエドベン一家もまた、そんな人達なんだと思う。実際はともかく、そんなふうに接していれば言動不一致に腹を立てたり疲れたりはしないで済む。
トニーがエドベンに真相を確認しに行っている間、僕は屋上で一服する。
今日は雨が降っていないせいか、特に暑い。陽の当たる場所に出ると、すぐに汗が肌を伝って流れ落ちてくる。真夏は、これ以上暑くなるというのか?
周りに高い建物がないので、ぐるり見渡して目線をさえぎるものがない。そよりそよりと吹く風も、はるか遠くからゆっくりとやって来る。サングラス越しでも、充分に青い空。雲ひとつない快晴、という奴だ。そういえば、ここに来てから空にはいつも雲が無かった。捜せば地平線のふちに小さいのを幾つか見つけられるが、せいぜいその程度だった。
階下で、部屋の扉を開ける音がした。僕らの部屋だけ、開閉の度にやかましい音を立てるので一発で分かる。トニーが呼ぶ声がするので、吸い殻を簡易灰皿にしまうと自分の洗濯物を取り込みながら部屋に降りた。
「今夜はナイト・キャンプだって、エドベンの車でビアネイ達と一緒に」
メリダ行きの話はどこへやら、今は若者だけで近場のハイキングが計画されている…という。
オーケー、だけどグラシエラとビアネイは出掛けていたから、まだ知らされてない筈だ。という事は、この話も決定版じゃないって訳だな。
「うーん、でもエドベンは決めたみたいだったけど」
それなら、きっと彼だけが決まっている気なのさ! 信用して、備えようとするから振り回されるんだ。勝手に決めればいい、僕は僕で構わないだろう。
また喉が渇いてきた、トニーと一緒に彼のお気に入りのグローサリーまで行く。もっと近くに店はあるのに、彼に言わせれば「ナチョスとか、1リットルの冷えたコーラを置いている」のが決め手だそうだ。しかも、大通りを渡ればすぐにレンタル・ビデオ屋だ。なるほど納得。
帰り道、トニーは一軒の家を指して「ここは日本人が住んでいるんだって」と言った。針を使う医者、というのは鍼灸師の事なのだろう。「けっこう高いらしいけど、いつも混んでいるって聞いたよ」と彼は言った。本当かねぇ、メキシコで鍼治療か…。
メキシコ旅情【水源編・8 浜キャンプ/月光浴】
どこまでも続く一本道、エドベンの車はカンクン郊外を抜けた。
車は、夜の方角へと進んでいる。首を倒してリア・ガラス越しの空を見ると、昼間の青さは地平線に消えかかっていた。
埃っぽい道の両側に、森が続いている。木の丈は低く、背伸びをすればその奥まで見ることが出来そうな気がする。でも飛行機からの眺めを思い出すと、実際は地の果てまでジャングルだろう。
僕は後部座席で、二人の女性に挟まれるようにして座っていた。…と、文字通りならば窮屈さも嬉しい悲鳴だろうけど、現実は両側に気を遣って無理な姿勢に耐えていたのだ。くれぐれも彼女達の尻に文句を言う気は毛頭ない、ただ僕の尻もまた決して小さくはなかった。
ビアネイが色々なお菓子を勧めてくれる。グラシエラはちょっと眠たそうにしている。ふざけて僕の肩を枕替わりにするので、つい(デニムの女のコだったらなぁー)などと不埒な夢をみる。
座席の後ろに置いたラジカセから耳慣れないロックが流れてきて、ビアネイとグラシエラが元気に歌い始めた。ちょっとU2に似た感じだ、メキシコで人気の高いバンドらしい。
僕はまた、首を後ろに倒して空を見上げた。一瞬にして夜の闇だ。あまりにも早過ぎる、変だなと思ったら…ジュビアがくる!
慌てて手動の窓を閉めると、エアコンなしの車内は湿度が急上昇。叩きつける雨の轟音に黙り込んで、肩で息をする。周囲を照らすのは、この車のヘッド・ライトだけだ。反対車線を大型トラックが走り去るたび、視界がゼロになる。ハイビームの眩しさと、跳ね飛ばす水溜まりのせいだ。
ここで、死んだりして。たとえ死なずに済む事故でも、こんな場所では助からない。
雨が小降りになってきた頃、エドベンが後ろに向かって何か言った。そしてラジカセの音量が下がって、急に静かになる。…何事だ?
「大丈夫。警察のチェックだから」
グラシエラが教えてくれて、トニーの補足説明で検問所の事だと分かった。ちょっと「未知との遭遇」っぽい、湿った空気ににじむような光が見えてきた。よく見ると道路脇には土のうが積まれて、軍用トラックが待機している。路上に散開する人影は、全員がライフルを抱えた兵士だった。
車を停めて窓を開けると、車内をのぞき込む兵士にエドベンは気安く話しかける。事件かと思ったら、単に州境の警備だったのだ。二、三のやり取りで通行を許される。派手な検問の裏を返せば、まだ政治不安の要因が根深い、ということだろう。
スペインの植民地時代から、現地の住民は小作農として搾取され続けてきた。独立後も彼等の地位は大差なく、近隣のチアパス州やオアハカ州では反乱と鎮圧の小競り合いが絶えないらしい。実際、僕が日本を発つ直前にも新聞に載っていた。すごく小さな扱いだったが。
そういった暴動の中心地から離れているものの、カンクンは国際リゾート地だ。海外資本の企業も多いだけに、反乱軍には絶好の的だし、国も軍を動員する道理だな。
遠ざかる投光機のオレンジ色の照明に、僕はメキシコの厳しい一面を見た気がする。
「グラシアース!」みんなで愛想良く、警備兵に手を振った。そして気を取り直すかのように音楽のボリュームが上げられて、車の中はまた元気な歌声に包まれた。
背後の夕闇に、大きな虹が架かっていた。
道路には標識ひとつないのに、よくこんな目立たない横道を覚えているものだ。生い茂る木々に挟まれて、緩やかなカーブをゆっくりと進む。道路はますます暗くなってゆく。高いゲートの向こうに駐車場が見えると、エドベンはゲートのロープを外して車を中に入れてしまった。
「夜は、駐車料金の徴収係がいないからね」
ははぁ、なるほどね…。延々と荷物のように丸め込まれていた僕らは、車から降りると大きく伸びをした。背骨が鳴る鳴る!
小さな車から、次々と荷物が出てくる。テント、寝袋、クーラーボックス、その他諸々…。よくもこれだけ積み込んだなー、僕の荷物は小さな肩掛けひとつだってのに。出発は本当に突然だったから、海パンとTシャツ一枚ぐらいしか持って来る暇がなかったのだ。
周囲は南国ムードの砂地で、少し歩くと海辺に出た。ソテツとヤシの木が植えられた美しい入り江のビーチ、僕達以外は誰もいない。荷物を下ろしてテントを組むと、プラスチックのコップにラムとコーラが注がれた。クーラーボックスの中身を開けて、それを酒肴に乾杯だ。
「ハッピー・バースデイ、エドベン!」
「サルー(乾杯)!」
ステンレスのボウルに入った、チーズとソーセージの細切れが肴だった。シンプルで美味しいが、それでも腹を満たすには程遠い量だ。まさか、これが夕食とはねぇ。酔いが回ってくる程に、なおさら腹が減ってくる。酒で火照った体温で、テントの中は蒸し暑い。
大きめのテントだったけど、五人で眠るには小さすぎた。それに女性陣の、さりげなく談笑しながら寝る態勢を整えていた事に気付くのも遅すぎた。あきらめて外に出ると、夜の微風が心地良い。日暮れ時の雨で砂は湿っていたけれど、外で寝るのも悪くなさそうだった。
メキシコの月は何故こんな大きいのだろう? 改めて思う。そして今夜は、さっきの雨に洗われたみたいに清冽で一層輝いていた。月を見ていて目がチカチカするなんて初めてだ、星が見えないのも月が眩しいせいだったりして。
「ロマンチックな夜だね」
背後からトニーの声がした。彼も寝場所を追い出されたクチらしい。
「こんなにキレイなビーチ、最高の夜空に男二人なんてね!」
僕が言うと、笑って同意する。
遠くの入り江まで、微光が照らし出していた。打ち寄せる波は穏やかで、波の砕ける音も彼方から聞こえてくる。引き波で砂がこすれる音が、海が寝息を立てているようだ。
トニーが空を見上げるように、両腕をまっすぐ肩の高さに上げた。その姿はどこか、敬虔な信者の祈りをおもわせる。
「ムーン・タンニングだよ」
なるほど、月光浴か。僕も同様にして、目を閉じた。本当に月の光が染み込んでくるような、不思議な感触がする。肌に光が降り注ぐ…。ロマンチストだなぁ、トニー。
誰もいない、小さなビーチ。大きな月が煌々と照らし、ヤシの葉陰が揺れている静寂の世界。こんな場所が、現実に存在するなんて。まさに、夢のようだ。
僕は思い出す。ちょうど一年前の今日、僕は会社勤めを辞めたのだ。それは僕にとって〈サラリーマンという生き方をあきらめた〉という意味で、まさか一年後の自分がこんな場所でこうしているなんて想像すらできなかった…!
あの頃の日々も遠い過去のようだ。僕はかつての自分に呼びかける。
(大丈夫、君の選択は間違ってなかった…)
僕は、ここまで辿り着いたんだ。
ありがとう。
車は、夜の方角へと進んでいる。首を倒してリア・ガラス越しの空を見ると、昼間の青さは地平線に消えかかっていた。
埃っぽい道の両側に、森が続いている。木の丈は低く、背伸びをすればその奥まで見ることが出来そうな気がする。でも飛行機からの眺めを思い出すと、実際は地の果てまでジャングルだろう。
僕は後部座席で、二人の女性に挟まれるようにして座っていた。…と、文字通りならば窮屈さも嬉しい悲鳴だろうけど、現実は両側に気を遣って無理な姿勢に耐えていたのだ。くれぐれも彼女達の尻に文句を言う気は毛頭ない、ただ僕の尻もまた決して小さくはなかった。
ビアネイが色々なお菓子を勧めてくれる。グラシエラはちょっと眠たそうにしている。ふざけて僕の肩を枕替わりにするので、つい(デニムの女のコだったらなぁー)などと不埒な夢をみる。
座席の後ろに置いたラジカセから耳慣れないロックが流れてきて、ビアネイとグラシエラが元気に歌い始めた。ちょっとU2に似た感じだ、メキシコで人気の高いバンドらしい。
僕はまた、首を後ろに倒して空を見上げた。一瞬にして夜の闇だ。あまりにも早過ぎる、変だなと思ったら…ジュビアがくる!
慌てて手動の窓を閉めると、エアコンなしの車内は湿度が急上昇。叩きつける雨の轟音に黙り込んで、肩で息をする。周囲を照らすのは、この車のヘッド・ライトだけだ。反対車線を大型トラックが走り去るたび、視界がゼロになる。ハイビームの眩しさと、跳ね飛ばす水溜まりのせいだ。
ここで、死んだりして。たとえ死なずに済む事故でも、こんな場所では助からない。
雨が小降りになってきた頃、エドベンが後ろに向かって何か言った。そしてラジカセの音量が下がって、急に静かになる。…何事だ?
「大丈夫。警察のチェックだから」
グラシエラが教えてくれて、トニーの補足説明で検問所の事だと分かった。ちょっと「未知との遭遇」っぽい、湿った空気ににじむような光が見えてきた。よく見ると道路脇には土のうが積まれて、軍用トラックが待機している。路上に散開する人影は、全員がライフルを抱えた兵士だった。
車を停めて窓を開けると、車内をのぞき込む兵士にエドベンは気安く話しかける。事件かと思ったら、単に州境の警備だったのだ。二、三のやり取りで通行を許される。派手な検問の裏を返せば、まだ政治不安の要因が根深い、ということだろう。
スペインの植民地時代から、現地の住民は小作農として搾取され続けてきた。独立後も彼等の地位は大差なく、近隣のチアパス州やオアハカ州では反乱と鎮圧の小競り合いが絶えないらしい。実際、僕が日本を発つ直前にも新聞に載っていた。すごく小さな扱いだったが。
そういった暴動の中心地から離れているものの、カンクンは国際リゾート地だ。海外資本の企業も多いだけに、反乱軍には絶好の的だし、国も軍を動員する道理だな。
遠ざかる投光機のオレンジ色の照明に、僕はメキシコの厳しい一面を見た気がする。
「グラシアース!」みんなで愛想良く、警備兵に手を振った。そして気を取り直すかのように音楽のボリュームが上げられて、車の中はまた元気な歌声に包まれた。
背後の夕闇に、大きな虹が架かっていた。
道路には標識ひとつないのに、よくこんな目立たない横道を覚えているものだ。生い茂る木々に挟まれて、緩やかなカーブをゆっくりと進む。道路はますます暗くなってゆく。高いゲートの向こうに駐車場が見えると、エドベンはゲートのロープを外して車を中に入れてしまった。
「夜は、駐車料金の徴収係がいないからね」
ははぁ、なるほどね…。延々と荷物のように丸め込まれていた僕らは、車から降りると大きく伸びをした。背骨が鳴る鳴る!
小さな車から、次々と荷物が出てくる。テント、寝袋、クーラーボックス、その他諸々…。よくもこれだけ積み込んだなー、僕の荷物は小さな肩掛けひとつだってのに。出発は本当に突然だったから、海パンとTシャツ一枚ぐらいしか持って来る暇がなかったのだ。
周囲は南国ムードの砂地で、少し歩くと海辺に出た。ソテツとヤシの木が植えられた美しい入り江のビーチ、僕達以外は誰もいない。荷物を下ろしてテントを組むと、プラスチックのコップにラムとコーラが注がれた。クーラーボックスの中身を開けて、それを酒肴に乾杯だ。
「ハッピー・バースデイ、エドベン!」
「サルー(乾杯)!」
ステンレスのボウルに入った、チーズとソーセージの細切れが肴だった。シンプルで美味しいが、それでも腹を満たすには程遠い量だ。まさか、これが夕食とはねぇ。酔いが回ってくる程に、なおさら腹が減ってくる。酒で火照った体温で、テントの中は蒸し暑い。
大きめのテントだったけど、五人で眠るには小さすぎた。それに女性陣の、さりげなく談笑しながら寝る態勢を整えていた事に気付くのも遅すぎた。あきらめて外に出ると、夜の微風が心地良い。日暮れ時の雨で砂は湿っていたけれど、外で寝るのも悪くなさそうだった。
メキシコの月は何故こんな大きいのだろう? 改めて思う。そして今夜は、さっきの雨に洗われたみたいに清冽で一層輝いていた。月を見ていて目がチカチカするなんて初めてだ、星が見えないのも月が眩しいせいだったりして。
「ロマンチックな夜だね」
背後からトニーの声がした。彼も寝場所を追い出されたクチらしい。
「こんなにキレイなビーチ、最高の夜空に男二人なんてね!」
僕が言うと、笑って同意する。
遠くの入り江まで、微光が照らし出していた。打ち寄せる波は穏やかで、波の砕ける音も彼方から聞こえてくる。引き波で砂がこすれる音が、海が寝息を立てているようだ。
トニーが空を見上げるように、両腕をまっすぐ肩の高さに上げた。その姿はどこか、敬虔な信者の祈りをおもわせる。
「ムーン・タンニングだよ」
なるほど、月光浴か。僕も同様にして、目を閉じた。本当に月の光が染み込んでくるような、不思議な感触がする。肌に光が降り注ぐ…。ロマンチストだなぁ、トニー。
誰もいない、小さなビーチ。大きな月が煌々と照らし、ヤシの葉陰が揺れている静寂の世界。こんな場所が、現実に存在するなんて。まさに、夢のようだ。
僕は思い出す。ちょうど一年前の今日、僕は会社勤めを辞めたのだ。それは僕にとって〈サラリーマンという生き方をあきらめた〉という意味で、まさか一年後の自分がこんな場所でこうしているなんて想像すらできなかった…!
あの頃の日々も遠い過去のようだ。僕はかつての自分に呼びかける。
(大丈夫、君の選択は間違ってなかった…)
僕は、ここまで辿り着いたんだ。
ありがとう。
メキシコ旅情【水源編・9 プラジャ・チェムイル&岩場の池】
昨夜は眠れず、散々だった。
ビーチに寝転んでみたものの、やけに砂がチクチクして眠れなかったのだ。そこで見回すと白塗りの大きなテーブル、というかエの字型の巨大な糸巻きが目に入った。そこに横たわって、さあ今度こそ…と思ったら四方八方に突き出した金具が体にめり込んで寝るどころじゃあない。
なかなかロマンチックにはいかないものだ、おまけに雨まで降り出す始末。仕方なくヤシの葉陰に丸まって、雨宿りついでにフテ寝…。すると今度は無数のアリに噛みつかれ、耳元では蚊の羽音がやかましいときた。
キィーッ! 我慢できねぇ、やおら身を起こすや苛立ち任せに両手両足で身体をバシバシ叩きながら踊り狂った。さながら、独りSMトランス状態。ヤシの木に八つ当たりして、トボトボと波打ち際に近い斜面に戻って寝たのだ。すでに白々と、夜が明けようとしていた。
遠くから近付いてくる、音…。鈍い衝撃に続く笑い声が、少しずつ寝耳に聞こえてきた。
これは後になって聞かされたのだが、エドベンが僕の寝顔を的にして石を投げていたらしい。小石からエスカレートして、しまいには子供の頭くらいの石になっていたという。なーるほど、目を開けたら見慣れない石がゴロゴロしてたもんな。それがあの鈍い音の正体だったのかぁ…って、そんな起こし方があるもんか。ひどい話だ。
駐車場のほうに歩いて行って、小さなスタンドでモーニング・コーヒーと洒落込む。
夜はカクテル・バーとして営業しているのだろう、わらぶき屋根の下は素通しで楕円形のカウンターになっている。先客が一人、がっしりして日に焼けた体と白い髭を蓄えた男性だ。まるでヘミングウェイだな、彼もキャンプしていたのだろうか。
僕らも丸椅子に腰掛け、ポットに入ったインスタント・コーヒーを飲む。毎朝ママが作ってくれるのと同じ味だが、つくづく即席とは思えない美味さ。心地良い風が店内を吹き抜け、体の汗を乾かしてゆく。
エドベンが先に席を立ち、後を追って駐車場へと向かうと見覚えのあるダッヂバン…。おぉーっ、デニムの女のコと思わぬ再会!! 当然ながら草むら君の車にはアレタとスシ男も乗っていたが、それでも嬉しくなる。
慌しく荷物をまとめて、僕らはゴルフに乗り込んだ。ゲートには係員のオジサンがいて、しっかり料金を徴収された。何やら文句を言われていたが、エドベンは意に介さずに得意の笑顔で切り抜けてしまう。その辺は、まるでディエゴを見てるよう。
「これから、彼らとセノーテに行くからね」
セノーテって? 僕が聞き返すと、エドベンは面白そうに笑って答える。
「泉だよ。マヤ時代の聖地で、人が放り込まれたりしたんだぜ」
またまたぁ、そうやって僕をからかってるんだろう。
途中、トニーが(朝ごはん食べたい)と耳打ちしてきた。同感。一度こじんまりとした店に立ち寄ったが、朝食がわりになりそうな物など売ってなかった。冷えきった店内から出ると、コートをはおるように分厚い空気がまとわりついてくる。
昨夜の検問所を越えて延々と走り続け、暑さと空腹で一同ぐったり。大きな公園に到着して、バンから降りてきたスシ男と軽くあいさつ。先日のスシ・トークの気まずさからか、お互いにぎこちない笑顔。
お花畑を尻目に、若者達は草ぼうぼうの小道を進む。岩場の海かと思ったら池だ、インクを混ぜたように蒼く澄んでいる。低い木立の中で、それぞれ上手に着替えると水着姿になって飛び込んでいった。エドベンは気持ち良さそうに水から顔を上げて、僕にも(早く飛び込め)と合図する。しかし僕は知らぬ振りをして周囲を眺めた。
風はそよとも吹かず、静けさのなかに水音だけが聞こえている。ここがセノーテなのかなぁ、なんとも不思議な光景だ。泉というより、干上がりかけた池だな。小さな岩を挟んだ向こう岸には低木が生い茂っているが、道路沿いの密林と比べたら水辺の割に荒涼としていた。
デニムのコは、ずっと草むら君と水の中でたわむれている。ガレージ・パーティの夜、草むらに追いかけて行ったほうの男子だ。明らかに二人は親密な感じで、見てると面白くない気分。ただでさえ空腹と暑さと、エドベンに振り回されてる感じで苛立っているのに〜!
辺りを少し散歩して、気を紛らわそう。雑草に続く小道をフラフラ行くと、岩場の突端に行き当たった。池は遠くまで、まだらに岩を露出させながら続いている。遠くに、白い波しぶきがチラチラと顔をのぞかせていた。
世の中にはまだ、見知らぬ景色が存在しているのだ。TVや写真で目にする、どんな風景とも似ていない。メディアが地上を覆い尽くしても、まだ僕らにも未知なる世界と出逢う余地はあるんだな。
気を取り直して泳ごう、苛々の悪循環から脱け出そう…。本当は僕も飛び込みたかったのに、意固地になってただけなのだ。僕が水面に身を踊らせた時はもう海パン一丁、奇声を発して約80s(当時)の肉塊が水柱の下に沈む。
あー気持ちイイ!
池は冷たくも温かくもなく、肌の渇きをいやしてゆく。ゴーグルを押さえていた手を離すと、水中の透明度は外から見た以上に澄んでいた。平たい砂底には水草がなく、遠くの小魚までハッキリ見通せる。水深は2m程度で、小さな岩に立てば水面から首を出す事が出来た。
みんなと泳ぎながら岸辺を離れ、途中の大きな岩で一息いれて対岸に着いた。たいした距離ではなかったので、僕は平気そうな顔で息を整える。みんな、意外に泳げるんだな。岸の上は岩肌が滑らかで、裸足でも平気だった。
エドベンに「疲れたの?」と言われたのが悔しくて、僕は涼しい顔で答える。
「ははは、ウォーミング・アップになったよ」
すると彼らは再び泳ぎ始め、僕は一歩遅れて飛び込みクロール。ズレたゴーグルを額に上げて、顔上げ泳ぎで必死に追いついた。すると気づいたエドベンが「競争だ!」と一方的に宣言した、と同時に周囲が一斉に泳ぎを変える。
僕は軽く舌打ちをしながらゴーグルを直し、水中に潜ると体を大きくうねらせた。息が続く限り加速して、浮上した瞬間ブレスしてクロールに切り替える。ばかばかしいと思いながらも、先頭のエドベンとの距離を詰めてゆく。男の子二人を抜き、エドベンと並んだ。
明日は筋肉痛だな、これは…。あと少しだけ頑張れ、僕のなまくら筋肉。これからは、エドベンをどれだけ引き離すかが勝負どころだ。岸に近付いて後方を確認し、それから僕は全身の力を抜いて余裕の泳ぎで一等賞。
順次みんなが泳ぎ着いて、エドベンは「けっこう速かったね!」と笑った。久し振りに全身の筋肉を思い切り動かしたな、おかげで苛々気分も吹き飛んだ。
「ほら、川だよ!?」
トニーが僕に地面を指さして、珍しい発見でもしたみたいに教えてくれる。小さな流れが、足元の岩盤をうがっていた。
「ここでは、川は地面の下を流れるから、川を見る事は出来ない…わかる?」
彼が言うには、ユカタンの大地は石灰質なので、雨水は川にならず岩盤の下に滲み込んでしまう。つまり地面の割れ目などから湧き出す泉だけが、貴重な水源だった訳だ。
「だからマヤ時代の人々は、泉を神聖視したのだろうね」
ビーチに寝転んでみたものの、やけに砂がチクチクして眠れなかったのだ。そこで見回すと白塗りの大きなテーブル、というかエの字型の巨大な糸巻きが目に入った。そこに横たわって、さあ今度こそ…と思ったら四方八方に突き出した金具が体にめり込んで寝るどころじゃあない。
なかなかロマンチックにはいかないものだ、おまけに雨まで降り出す始末。仕方なくヤシの葉陰に丸まって、雨宿りついでにフテ寝…。すると今度は無数のアリに噛みつかれ、耳元では蚊の羽音がやかましいときた。
キィーッ! 我慢できねぇ、やおら身を起こすや苛立ち任せに両手両足で身体をバシバシ叩きながら踊り狂った。さながら、独りSMトランス状態。ヤシの木に八つ当たりして、トボトボと波打ち際に近い斜面に戻って寝たのだ。すでに白々と、夜が明けようとしていた。
遠くから近付いてくる、音…。鈍い衝撃に続く笑い声が、少しずつ寝耳に聞こえてきた。
これは後になって聞かされたのだが、エドベンが僕の寝顔を的にして石を投げていたらしい。小石からエスカレートして、しまいには子供の頭くらいの石になっていたという。なーるほど、目を開けたら見慣れない石がゴロゴロしてたもんな。それがあの鈍い音の正体だったのかぁ…って、そんな起こし方があるもんか。ひどい話だ。
駐車場のほうに歩いて行って、小さなスタンドでモーニング・コーヒーと洒落込む。
夜はカクテル・バーとして営業しているのだろう、わらぶき屋根の下は素通しで楕円形のカウンターになっている。先客が一人、がっしりして日に焼けた体と白い髭を蓄えた男性だ。まるでヘミングウェイだな、彼もキャンプしていたのだろうか。
僕らも丸椅子に腰掛け、ポットに入ったインスタント・コーヒーを飲む。毎朝ママが作ってくれるのと同じ味だが、つくづく即席とは思えない美味さ。心地良い風が店内を吹き抜け、体の汗を乾かしてゆく。
エドベンが先に席を立ち、後を追って駐車場へと向かうと見覚えのあるダッヂバン…。おぉーっ、デニムの女のコと思わぬ再会!! 当然ながら草むら君の車にはアレタとスシ男も乗っていたが、それでも嬉しくなる。
慌しく荷物をまとめて、僕らはゴルフに乗り込んだ。ゲートには係員のオジサンがいて、しっかり料金を徴収された。何やら文句を言われていたが、エドベンは意に介さずに得意の笑顔で切り抜けてしまう。その辺は、まるでディエゴを見てるよう。
「これから、彼らとセノーテに行くからね」
セノーテって? 僕が聞き返すと、エドベンは面白そうに笑って答える。
「泉だよ。マヤ時代の聖地で、人が放り込まれたりしたんだぜ」
またまたぁ、そうやって僕をからかってるんだろう。
途中、トニーが(朝ごはん食べたい)と耳打ちしてきた。同感。一度こじんまりとした店に立ち寄ったが、朝食がわりになりそうな物など売ってなかった。冷えきった店内から出ると、コートをはおるように分厚い空気がまとわりついてくる。
昨夜の検問所を越えて延々と走り続け、暑さと空腹で一同ぐったり。大きな公園に到着して、バンから降りてきたスシ男と軽くあいさつ。先日のスシ・トークの気まずさからか、お互いにぎこちない笑顔。
お花畑を尻目に、若者達は草ぼうぼうの小道を進む。岩場の海かと思ったら池だ、インクを混ぜたように蒼く澄んでいる。低い木立の中で、それぞれ上手に着替えると水着姿になって飛び込んでいった。エドベンは気持ち良さそうに水から顔を上げて、僕にも(早く飛び込め)と合図する。しかし僕は知らぬ振りをして周囲を眺めた。
風はそよとも吹かず、静けさのなかに水音だけが聞こえている。ここがセノーテなのかなぁ、なんとも不思議な光景だ。泉というより、干上がりかけた池だな。小さな岩を挟んだ向こう岸には低木が生い茂っているが、道路沿いの密林と比べたら水辺の割に荒涼としていた。
デニムのコは、ずっと草むら君と水の中でたわむれている。ガレージ・パーティの夜、草むらに追いかけて行ったほうの男子だ。明らかに二人は親密な感じで、見てると面白くない気分。ただでさえ空腹と暑さと、エドベンに振り回されてる感じで苛立っているのに〜!
辺りを少し散歩して、気を紛らわそう。雑草に続く小道をフラフラ行くと、岩場の突端に行き当たった。池は遠くまで、まだらに岩を露出させながら続いている。遠くに、白い波しぶきがチラチラと顔をのぞかせていた。
世の中にはまだ、見知らぬ景色が存在しているのだ。TVや写真で目にする、どんな風景とも似ていない。メディアが地上を覆い尽くしても、まだ僕らにも未知なる世界と出逢う余地はあるんだな。
気を取り直して泳ごう、苛々の悪循環から脱け出そう…。本当は僕も飛び込みたかったのに、意固地になってただけなのだ。僕が水面に身を踊らせた時はもう海パン一丁、奇声を発して約80s(当時)の肉塊が水柱の下に沈む。
あー気持ちイイ!
池は冷たくも温かくもなく、肌の渇きをいやしてゆく。ゴーグルを押さえていた手を離すと、水中の透明度は外から見た以上に澄んでいた。平たい砂底には水草がなく、遠くの小魚までハッキリ見通せる。水深は2m程度で、小さな岩に立てば水面から首を出す事が出来た。
みんなと泳ぎながら岸辺を離れ、途中の大きな岩で一息いれて対岸に着いた。たいした距離ではなかったので、僕は平気そうな顔で息を整える。みんな、意外に泳げるんだな。岸の上は岩肌が滑らかで、裸足でも平気だった。
エドベンに「疲れたの?」と言われたのが悔しくて、僕は涼しい顔で答える。
「ははは、ウォーミング・アップになったよ」
すると彼らは再び泳ぎ始め、僕は一歩遅れて飛び込みクロール。ズレたゴーグルを額に上げて、顔上げ泳ぎで必死に追いついた。すると気づいたエドベンが「競争だ!」と一方的に宣言した、と同時に周囲が一斉に泳ぎを変える。
僕は軽く舌打ちをしながらゴーグルを直し、水中に潜ると体を大きくうねらせた。息が続く限り加速して、浮上した瞬間ブレスしてクロールに切り替える。ばかばかしいと思いながらも、先頭のエドベンとの距離を詰めてゆく。男の子二人を抜き、エドベンと並んだ。
明日は筋肉痛だな、これは…。あと少しだけ頑張れ、僕のなまくら筋肉。これからは、エドベンをどれだけ引き離すかが勝負どころだ。岸に近付いて後方を確認し、それから僕は全身の力を抜いて余裕の泳ぎで一等賞。
順次みんなが泳ぎ着いて、エドベンは「けっこう速かったね!」と笑った。久し振りに全身の筋肉を思い切り動かしたな、おかげで苛々気分も吹き飛んだ。
「ほら、川だよ!?」
トニーが僕に地面を指さして、珍しい発見でもしたみたいに教えてくれる。小さな流れが、足元の岩盤をうがっていた。
「ここでは、川は地面の下を流れるから、川を見る事は出来ない…わかる?」
彼が言うには、ユカタンの大地は石灰質なので、雨水は川にならず岩盤の下に滲み込んでしまう。つまり地面の割れ目などから湧き出す泉だけが、貴重な水源だった訳だ。
「だからマヤ時代の人々は、泉を神聖視したのだろうね」
メキシコ旅情【水源編・10 セノーテ・シカセル】
午後になって、暑さはいよいよ増してくる。僕らは海にやって来た。
ゲート近くの駐車場からは、砂混じりのアスファルトの先に長い海岸線が見える。しかし一行は海を横目に、砂浜を見下ろす下草の小道を歩いて行く。日本の海辺にもありそうな景色で、そのせいか妙に心が和む。
道はヤシの疎林へと続いていて、徐々に道幅が狭まってきた。少しずつ空と海が隠れて、絡み合う木々が覆い被さってくる。植物の発する湿気に包まれて息苦しく、足元がジメジメぬかるんで歩きにくい。便所サンダルみたいなの履いてるから、尚更だ。
「多分これはアレだよ、ほら海辺に生える木の林…」
背中越しにトニーの声。マングローブ、か。確かに土の上じゃない、ひしめく根っこを踏みしめてる感じ。いや待てよ、マングローブの根って板状だった筈だ。つまりこれって落ち葉と下枝? 下手に踏み抜いちゃったりしたら…とは考えるまい。ともかく、こうしてサンゴ礁の上に木が生えて腐葉土が堆積して、陸地になってく途上に立っているのだな。
誰かの声が前方から聞こえ、指さすほうを目で追うと小枝の隙間に何かがいる。もっそりと身じろぎしない影…イグアナ?! 初対面にしては間近すぎて、僕をビビらすには充分な大きさだった。でもイグアナって(絶海の孤島に群れをなし、荒波の岩礁に潜む生きた化石)じゃないのか、こんな所で不器用そうに樹上にしがみついてて。
「こいつ、まだ小さいほうだよ」
エドベンが振り返って教えてくれる。またしばらく歩いていると、更に大きなイグアナが目の前に出現。ここは秘境かよ、すごい土地だ。あんなものは、エドベン達にとっちゃあ田舎のガマガエル程度なのか。
ふいに、ぽっかりと空が広がった。
たどり着いたその場所は、水汲み場があるだけの小さな用水池に見えた。先に着いたエドベン達は、池のほとりに組まれた丸太の足場に腰を下ろしている。(わざわざ、ここまで何しに来たの)という目でエドベンを見やると、彼は笑って言った。
「ここがセノーテ・シカセルだよ」
海の近くに湧き出る、エメラルド色の神聖なる泉。のぞき込むと、目測で10m下の水底が砂粒まで見える。水の屈曲率を考えると、実際は相当深いな。不思議な青みを帯びた水は、緑がかった藻の色とは全然ちがうのだ。垂直にえぐられたような側壁の形状は、人の手で掘られたのだろうか…?
見る限りでは、人骨も財宝も沈んではいなかった。すべて取り去ってしまったのだろうか、または最初からありもしなかったのか。一般的に信じられているような血の風習など、実は無かったという学説もある。僕は(それらしき風習はあったけど、そんなオカルトまがいの世界観ではなかったろう)と思っている、根拠はないけど。
「何してるんだい、泳ごうよ」
エドベンが水汲み場で手招きする。えっ、聖地で泳ぐなんて罰当たり過ぎでしょ?!
「大丈夫だよ。ここで人を投げ込んだりはしていないから」
また得意のキツい洒落じゃないだろうな〜? それでも彼と男子2人が飛び込んだので、僕も思い切ってジャンプ。泉の水はひんやりとして、汗ばんだ体の細胞が生き返ってくる。頭を浸けて水底を見下ろすと、はるか下に青い砂漠が。月の上で宇宙遊泳でもすれば、こんな眺めになるかもしれない。
くぐもった水音以外に、聞こえてくるのは自分の脈拍だけだ。いくら立ち泳ぎが出来たって、宙ぶらりんには慣れてない。沈船の真上でダイビングした時の、本能的な恐怖と同じだ。自分自身に(パニックを起こさなければ大丈夫なんだから)と言い聞かせつつ、生まれ変わっても生け贄は厭だなと思う。
ひと泳ぎした後、来た道を戻る頃にはイグアナも消えていた。そのまま手前の海に下りると、一面の砂浜だ。ちょうど引き潮だったのか、波打ち際までの間で草野球ができそうな広さ。先日ディエゴ達と行ったゾーナ・オテレッラ[ホテル地区]の、プラジャ・カラコルとは違ってリゾート開発されてないおかげだ(ちなみにプラジャとは、ビーチを指すスペイン語らしい)。
このビーチもまた遠浅だったが、僕たち以外に誰もいない。もちろん海の家もなければ、鳴り物もない。海面からの強烈な照り返し、そして無風状態。真っ黒に焼けた肌でさえ、チリチリと痛みを覚えるくらいの熱気だ。全身の毛穴から、血液中の水分が気化しているんじゃないかと思う。急いで水着一丁に。
グラシエラに砂を被せて、マッチョ体形のレリーフにする。ついでに、掘り出した葉っぱや海草もアクセントに添えましょう。う〜む、男らしい。ビアネイ大笑い。そして僕は「日焼け止めだ」とか言って、汗ばんだ体に細かい砂をはたいて付けた。全身を白塗りした原住民の祭化粧だ、でも発汗作用が抑えられて余計に暑苦しくなってきた。一番乗りで、海までひとっ走り。
クリーム・ソーダのように白く泡立ったスープを足首に巻き付けて、波の立つ場所まで着いた。案の定たいして深くもなく、波の高さもせいぜい肩に掛かる程度だ。片手を伸ばす姿勢でボディ・サーフィン、ほんの少しだが波乗り気分。さすがに波の勢いは、外海のサンゴに削がれて弱い。
そうして一人で遊んでいたが、誰も海に入ってこないじゃんか。この熱気で、よく平気だな。トニーは「みんなマヤ系の人だから、シャイなんだ」と言うが、なぜ急に恥ずかしがってるの?
「オー! つまり…君の水着はちょっと刺激が強すぎるんだよ〜」
僕の腰には、マゼンタ・ピンクの小さな布が張り付いている。なるほど、昔は僕も(ブーメランパンツかよ?!)って寒気がしたな。でもプールでバイトをしてたせいで慣れちゃってね、似合っているとは言い難いけど。…っていうか、この肉付きでは赤裸々すぎたか。身をかがめるようにして、そそくさとサーフパンツを穿く。
ゲート近くの駐車場からは、砂混じりのアスファルトの先に長い海岸線が見える。しかし一行は海を横目に、砂浜を見下ろす下草の小道を歩いて行く。日本の海辺にもありそうな景色で、そのせいか妙に心が和む。
道はヤシの疎林へと続いていて、徐々に道幅が狭まってきた。少しずつ空と海が隠れて、絡み合う木々が覆い被さってくる。植物の発する湿気に包まれて息苦しく、足元がジメジメぬかるんで歩きにくい。便所サンダルみたいなの履いてるから、尚更だ。
「多分これはアレだよ、ほら海辺に生える木の林…」
背中越しにトニーの声。マングローブ、か。確かに土の上じゃない、ひしめく根っこを踏みしめてる感じ。いや待てよ、マングローブの根って板状だった筈だ。つまりこれって落ち葉と下枝? 下手に踏み抜いちゃったりしたら…とは考えるまい。ともかく、こうしてサンゴ礁の上に木が生えて腐葉土が堆積して、陸地になってく途上に立っているのだな。
誰かの声が前方から聞こえ、指さすほうを目で追うと小枝の隙間に何かがいる。もっそりと身じろぎしない影…イグアナ?! 初対面にしては間近すぎて、僕をビビらすには充分な大きさだった。でもイグアナって(絶海の孤島に群れをなし、荒波の岩礁に潜む生きた化石)じゃないのか、こんな所で不器用そうに樹上にしがみついてて。
「こいつ、まだ小さいほうだよ」
エドベンが振り返って教えてくれる。またしばらく歩いていると、更に大きなイグアナが目の前に出現。ここは秘境かよ、すごい土地だ。あんなものは、エドベン達にとっちゃあ田舎のガマガエル程度なのか。
ふいに、ぽっかりと空が広がった。
たどり着いたその場所は、水汲み場があるだけの小さな用水池に見えた。先に着いたエドベン達は、池のほとりに組まれた丸太の足場に腰を下ろしている。(わざわざ、ここまで何しに来たの)という目でエドベンを見やると、彼は笑って言った。
「ここがセノーテ・シカセルだよ」
海の近くに湧き出る、エメラルド色の神聖なる泉。のぞき込むと、目測で10m下の水底が砂粒まで見える。水の屈曲率を考えると、実際は相当深いな。不思議な青みを帯びた水は、緑がかった藻の色とは全然ちがうのだ。垂直にえぐられたような側壁の形状は、人の手で掘られたのだろうか…?
見る限りでは、人骨も財宝も沈んではいなかった。すべて取り去ってしまったのだろうか、または最初からありもしなかったのか。一般的に信じられているような血の風習など、実は無かったという学説もある。僕は(それらしき風習はあったけど、そんなオカルトまがいの世界観ではなかったろう)と思っている、根拠はないけど。
「何してるんだい、泳ごうよ」
エドベンが水汲み場で手招きする。えっ、聖地で泳ぐなんて罰当たり過ぎでしょ?!
「大丈夫だよ。ここで人を投げ込んだりはしていないから」
また得意のキツい洒落じゃないだろうな〜? それでも彼と男子2人が飛び込んだので、僕も思い切ってジャンプ。泉の水はひんやりとして、汗ばんだ体の細胞が生き返ってくる。頭を浸けて水底を見下ろすと、はるか下に青い砂漠が。月の上で宇宙遊泳でもすれば、こんな眺めになるかもしれない。
くぐもった水音以外に、聞こえてくるのは自分の脈拍だけだ。いくら立ち泳ぎが出来たって、宙ぶらりんには慣れてない。沈船の真上でダイビングした時の、本能的な恐怖と同じだ。自分自身に(パニックを起こさなければ大丈夫なんだから)と言い聞かせつつ、生まれ変わっても生け贄は厭だなと思う。
ひと泳ぎした後、来た道を戻る頃にはイグアナも消えていた。そのまま手前の海に下りると、一面の砂浜だ。ちょうど引き潮だったのか、波打ち際までの間で草野球ができそうな広さ。先日ディエゴ達と行ったゾーナ・オテレッラ[ホテル地区]の、プラジャ・カラコルとは違ってリゾート開発されてないおかげだ(ちなみにプラジャとは、ビーチを指すスペイン語らしい)。
このビーチもまた遠浅だったが、僕たち以外に誰もいない。もちろん海の家もなければ、鳴り物もない。海面からの強烈な照り返し、そして無風状態。真っ黒に焼けた肌でさえ、チリチリと痛みを覚えるくらいの熱気だ。全身の毛穴から、血液中の水分が気化しているんじゃないかと思う。急いで水着一丁に。
グラシエラに砂を被せて、マッチョ体形のレリーフにする。ついでに、掘り出した葉っぱや海草もアクセントに添えましょう。う〜む、男らしい。ビアネイ大笑い。そして僕は「日焼け止めだ」とか言って、汗ばんだ体に細かい砂をはたいて付けた。全身を白塗りした原住民の祭化粧だ、でも発汗作用が抑えられて余計に暑苦しくなってきた。一番乗りで、海までひとっ走り。
クリーム・ソーダのように白く泡立ったスープを足首に巻き付けて、波の立つ場所まで着いた。案の定たいして深くもなく、波の高さもせいぜい肩に掛かる程度だ。片手を伸ばす姿勢でボディ・サーフィン、ほんの少しだが波乗り気分。さすがに波の勢いは、外海のサンゴに削がれて弱い。
そうして一人で遊んでいたが、誰も海に入ってこないじゃんか。この熱気で、よく平気だな。トニーは「みんなマヤ系の人だから、シャイなんだ」と言うが、なぜ急に恥ずかしがってるの?
「オー! つまり…君の水着はちょっと刺激が強すぎるんだよ〜」
僕の腰には、マゼンタ・ピンクの小さな布が張り付いている。なるほど、昔は僕も(ブーメランパンツかよ?!)って寒気がしたな。でもプールでバイトをしてたせいで慣れちゃってね、似合っているとは言い難いけど。…っていうか、この肉付きでは赤裸々すぎたか。身をかがめるようにして、そそくさとサーフパンツを穿く。