2005年05月27日

メキシコ旅情【純情編・1 真昼】

 トニーの部屋に荷物を下ろすと、息つく間もなく「さあ出かけよう」と言われた。おいおい、ちょっと待ちなよ水の一杯も飲ませなよ! と言いたいところだが、頭が全然まわってない。
「すぐに冷たいコーラと、ウェルカム・ランチを御馳走するから」とトニーに畳み掛けられ、すんなり承諾レッツゴー。
 家の前の道は、左に大きく弧を描いている。幹線道路は別として、住宅街は直線でなく円で区切られてるようで独特の印象だ。ひび割れた歩道、家々の風情はどことなくサンタフェ。動くものは何もない真午の静けさ。う〜んメキシコ。
 トニーが「スペイン語のテキストをコピーしたい」と言うので、仕方なくメシの前にコピー・ショップへ。大通りに面して、デカデカとゼロックスの横断幕を張ったコピー専門店が。今どきコピーなんざコンビニの隅っこでセルフサービス、という日本の常識は通用しない。店内は殺風景な銀行みたく静まり返って、客は黙々とカウンターの用紙に記入して並んでる、原稿を渡して待つこと数分…。効き過ぎの冷房に、巨大なボトルを逆さにした冷水機。喉の渇きは収まったけど、全身の汗が冷えて腹が痛くなってきやがった。
 やがて店員が奥からコピーを両手で掲げて出てきて、そのうやうやしさ加減に笑っちゃってトニーにたしなめられる。ちょっとしたペラ一枚でこの有様とは、日本と大違いなのは気候とか習慣だけじゃないんだな。
 コピー屋を出て延々と歩く。真昼の熱気で腹痛は治まったものの、なんとセントロ[旧市街]まで行くと言う。エドベンの家から賑やかな中心部まで、軽く2qはありそうだ。まともな状態なら近場で済ますよう説得してる所だが、僕は自分がギブアップ寸前という事も判らない状態だった。この間まで屋外プールでバイトしていたので(炎天下には慣れてる)と高をくくってたのが甘かった、旅疲れ&空腹+暑さで完全グロッキーに。
 それでも僕らはガイドブックお薦めの店を捜して、本を片手にセントロをうろつき回った。散々と無駄足を踏んだ挙句、目先のメキシコ料理店で妥協する。客引きのオジサンは胡散臭いし店内はがら空きだったが、こうなったらノ・プロブレマだ。オジサンはウェイターとコックを兼ねていて(ということは店主だったのか)、最初は小悪党顔に思えたが案外と真面目な商売人のようだ。
 先ずはコーラを一気飲み、体内にこもっていた熱が抜けてゆく…。それにしても、やっぱりコーラはこのボトルでこのグラスだよなぁー! もうすっかり僕らは元気になって、笑いながら、もりもりタコスをたいらげた。長いながい一日は、まだまだこれからだ。
 間もなくメキシコは、シエスタ[午睡]の時間に入る。そして日本は今頃、明日の夜明けを迎えようとしているだろう。僕の頭の中に、太陽から見た丸い地球が思い浮かんだ。

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メキシコ旅情【純情編・2 シエスタ】

 カンクン。平均気温27℃で、一年の2/3が晴れている亜熱帯気候の土地だそうだ。
 食事をしたおかげか、やっと息苦しさは感じなくなってきた。トニーに言わせれば「これでも真夏に比べれば過ごしやすい」という話で、八月の暑さに耐え切れずクーラーを買ったらしい。確かに、小さな窓が一つしかない部屋じゃキツイわなぁー。
 トニーの部屋は八〜十畳の広さで、コンクリートの壁はターコイズ・ブルーに塗られている。その夏空のような、サンゴ礁の海のような鮮やかな色を見ていると、コンクリート独特の匂いさえ気にならない。材質的に湿気を吸収しやすいのか、日本で知ってるコンクリートの打ちっぱなしは湿気た空気が感じられる。この土地の湿度が低いせいかも知れないけど、その手の気持ち悪さがないので簡素ながら心地よい部屋だ。
 部屋の間取りは縦長で、最奥から隣室の壁沿いにトニーのダブルベッドがある。まさか一緒に寝るのかと不安に駆られたが、僕の寝床はアマカ(ハンモック)だった。ベッド足元の壁に鉄のフックが埋め込まれてて、窓側にある同じものに差し渡して吊るすのだ。ちなみに2張りのアマカが吊るせるように、この部屋にはフック船長の右腕みたいにゴツイのが全部で3つ付いている。
 窓は便所の換気用みたいにしか開かず、外から格子が嵌められてるのは防犯対策だろうか。窓側にはクーラーとラタンの棚があり、その一角に小物を置かせてもらった。ノートと本がいくつか、あとはT/Cなど色々だ。着替えなどはリュックに入れたまま片隅に。
 トイレとシャワー室は入り口の脇にあり、仕切りになってる大きな布をめくると便座のない洋式の白磁の陶器がある。横のシャワーにはバスタブがなくて、まるで海水浴場のそれみたいだ。お湯も出ないし。ま、南国だから平気なんだけどね。
 奥の壁半分が長方形に引っ込んでいて、ちょうど良い按配にトニーのクローゼット代わりになっている。でも床まで1mも深くなっているのが意味不明だ。彼はそこに板を置いて、下にはガラクタがひしめき合っている。ビデオテープとかインラインスケートの道具なんかが、文字通り放り込まれている状態。
 インラインスケートは、僕もわざわざ持ってきていた。これがなければ半分の目方で済んだろうけど、トニーに何度も念を押されて仕方なく。というか僕も滑りたかったし、やはりスケート仲間がいないと面白みに欠けるって心情も解るから。
 食事から帰って早速、アマカの寝心地を試してみることにした。今日からは、簡易ベッドかアマカが寝床になるのだ。ともかく初ハンモックで初シエスタ。ゆらゆら揺れる編み物に腰を降ろし、そっと両足を上げて横たわる。
 不安定で心許ないのと、重心が腰に掛かってV字になるのが今ひとつ落ち着かない。言ってしまえば単なる木綿の網だ、自重で網目に締め付けられた気分はクモの餌。もぞもそと這い出して、内側に簡易ベッドの布団を敷いてみる。子供用みたく小さくて薄かったが構うものか、しかしメキシコで布団とはねえ。
 今夜はどうしようかなー。簡易ベッドの寝心地と、どっちがましなんだろう?


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メキシコ旅情【純情編・3 初夜】

 目が覚めると部屋は薄暗く、アマカから転がるようにして外に出ると夕方になっていた。
 やがてトニーが姿を見せ、僕らは階下に行って家族のみんなに自己紹介をした。たくさんの人がいて(やっぱりメキシコ人は大家族なのねー)みんな口々にスペイン語で話しかけてくるんだけど、こちとら一つ覚えの「こんにちは、はじめまして、名前はtom、日本人です」ワンフレーズ一点張り。あいだに立って通訳してくれていたトニーも、いい加減うんざりだったみたいだ。彼はスペイン語を話せるとはいえ、僕の英語とどっこいどっこい程度の様子だった。
 エドベンのママと、姉二人に妹二人。それに旦那さんと子供たち。まったく、誰がどれやら。部屋に戻ってからトニーと答えあわせしたのだけど、まだしばらくは名前を間違えそうだ。
「さて、夕飯はどうする?」
 トニーは僕に尋ねた。いつもどうしているのか、そう問い返すと彼は「いつも適当に済ませている」との事だった。日本にいる時と同じように、ここでもジャンクフードの世話になっているのだな。彼らしい、と思う。
 しまった、うっかりしていたなと思った。気が付いてみれば、この部屋にはキッチンがないのだ。彼は料理をしないけれど、部屋にキッチンがないとは予想外だった。これでは僕も毎日、外食三昧を覚悟しなければなるまい。出費を節約するためには、いくら料理が出来なくたって何とか自炊するつもりでいたのだが……。
「君さえ良かったら、ママの作る御飯を食べたっていいと思うよ。ママはいつも『アントーニオ、どうして私の料理を食べないの!』と言ってるからね」
 トニー(アンソニー)をスペイン語読みしてアントーニオ、という訳だ。でも彼だって御馳走になれば良いのに、何でそうしないのかな? そう訊ねると、ちょっと言いにくそうに「自分の口には合わないんだ」と答えた。またそんな事言って、家族に気を遣って遠慮してるんじゃない?
「ママだって、そのほうが嬉しいだろうよ。ウソじゃなくて」
 彼は僕の考えを見透かしたように付け加えて言った。ママは、トニーがジャンクフード漬けの食生活をしているのを心配して「そんな体に悪い物を食べて、どうして私の料理を食べないのか」と怒っているのだそうだ。
 どうして彼は、ママの料理を食べないのだろう? そのほうが安上がりだし、しかもメキシコの家庭料理を食べる機会なんて滅多にあるもんじゃない。それに「胃が悪くて手術したばかりだ」と言っていたのに。
 半年前に日本を離れたトニーは、先ずは同僚だったオーストラリア人とハワイに行き、それから兄弟の住むLAに立ち寄り、そこで入院したと言っていた。そういえば以前から胃の調子が良くないと言っていたが、道理で一向に返事が来ない筈だ。それならベジタリアンにでも転向すれば良いのに、と言うとトニーは冗談めかして「夜、夢の中でチーズバーガー達の歌が聞こえてさ、知らないうちにハンバーガー・ショップに来ちゃうんだよ!」と、こう言うのだ。
 僕がタバコを吸う事よりも、よっぽど体に悪いと思うけどね。って、こういうのを(目くそ鼻くそを笑う)というのか。
 ママの家庭料理に招かれるなんて、僕にしてみりゃ願ってもない話だ。いわゆるタコス系とは違うったって、いくらなんでも「いかりや長介アフリカをゆく」みたいな食べ物は出ないだろう。その土地、風土に交わってこそ(旅の醍醐味)でしょうに。
 ともかく、今夜は止めておく事にした。トニーが「夜中、近所の屋台でタコスを食べよう」という魅力的な提案をしたからだ。まだ時間が早いので、ひとまず隣の女のコの部屋に遊びに行こうということになる。
「きっと彼女達と一緒なら、スペイン語も早く覚えられるさ」
 意味深な彼の言葉に、つい良からぬ期待をふくらませる僕であった。

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メキシコ旅情【純情編・4 隣人】

 エドベン家の二階は部屋貸しをしていて、とても他では見た事のない奇妙な造りになっている。ガレージからの階段を上がってくると青天井に3棟の小さな建物が独立していて、通りに面した洒落たベランダの付いた棟と、トニーの部屋から奥に続く棟と、その向かい半分の大きな部屋に分かれているのだ。
 ガレージ上の2部屋には、それぞれ男女が一人ずつ住んでいるらしい。大きな部屋はエドベンの姉サンディと、アントニオの夫婦が住んでいる(ちなみに二人の赤ちゃんもアントニオで、家族にはトニートの愛称で呼ばれている)。そこには屋上へ上がる階段が付いていて、あまりの手作り加減に笑うしかない感じ。震度3でもヤバイと思う、まさに天国への階段。
 屋上はトニーの部屋の棟まで続いているのだけど、正方形に区切ってあるので彼の部屋の上には何もない。屋上は物干しから張り巡らされたロープが金網の四方八方に伸びていて、幻の三階を思わせる太い梁のそこらじゅうから鉄筋が突き出している。周囲の普通すぎる家々を見渡してみて、改めて(独特の造り方をしたんだなぁー)と思う。

 トニーの部屋には、鉄格子にステンドグラスのはめこまれた不思議な扉が取り付けてある。開け閉めのたびにガラスが割れるような音を立てるし、そこには犬のウンチ(ヨーディの置き土産!)が落ちている。すぐにトニーが片付けたので、すでに朝の一発は跡形もない。
 通路には給水タンクが置かれ、その先に流し場がある。突き当たりはサンディ=アントニオ夫妻の部屋の入り口で、左に折れた角にはホーローの丸い筒が置かれていた。ずいぶんレトロな洗濯機だな、未だに現役として活躍しているのだろうか。その先は屋上に空を塞がれて、強い日差しのコントラストで真っ暗の廊下だ。一番奥は空き部屋で、まんなかの部屋に二人の女性が住んでいる。ホーローの洗濯機に並んで窓とドアがあり、ノックすると中から女性の声がした。
 二人は、それぞれビアネイとグラシエラという名前で、看護婦をしているそうだ。今はセントロの別々の病院で働いているが、知り合った時は同じ職場だったので一緒に部屋を借りたと言っていた。部屋の中央に大きなベッドが一つあり、廊下側の角にキッチンがある。トニーの部屋よりも狭いのに、なぜか二人住まいという窮屈さは感じられなかった。
 キッチンの前に置かれたテーブルに、ナチョ・チップスとコーラが並んだ。家具の中でもベッドの次に立派な冷蔵庫は、トニーのコーラが一段を占領している。ちゃっかりしてるなぁ。
「そんなこと言ったって、喉が渇くたびに買いに行く訳にはいかないよ!」弁解口調でトニーが言う。それも一理ある、彼女達さえ良ければ僕も使わせてもらいたい。文明の利器は偉大だ。
「気にしないで、私達は大歓迎よ」と、ふたりは屈託なく笑った。
 ビアネイとグラシエラは英語も話せるので、僕としては気が楽で話しやすかった。というのも、語学レベルが僕と同程度だからだ。かつてトニーの同僚達と遊んでた時なんて、話の流れに付いて行くだけで疲れた。それに比べたらスペイン語訛りで聞き取りづらいのも、言葉に詰まってスペイン語が出てきたりするのだってご愛嬌だ。僕も時々つっかえて、トニーに日本語を通訳してもらったりしたし。
 彼って本当に、生来の語学教師なんだな。自然な会話の流れで巧く言い回しを教えながら、その場をオーガナイズしている。僕にはスペイン語、彼女達には英語を、という具合に。言われたとおりにノートを持ってくれば良かったが、中座する間もないくらいの大盛り上がり。さっきの「きっと彼女達と一緒なら、スペイン語も早く覚えられるさ」って、こういう意味だったのか(ちょいとガッカリ)。しかし笑いすぎて腹いてー。

 夜遅くまで話が弾んで、結局「タコス屋台」は後日になった。

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メキシコ旅情【純情編・5 異国の朝】

 僕は夜中に何度も目を覚ましてしまった。昨日、昼寝をしたからじゃない。
 慣れないアマカは眠りにくかったので、夜は折りたたみ式トランポリンみたいな簡易ベッドで寝たのだ。しかしそれもサイズが少し小さくて、寝心地が良いとは言えなかった。断続的な浅い眠りで、冬眠中にほじくり返されて狭い穴へ潜り込もうとする虫けらの心境だ。すっかり身体の隅まで冷えきってしまい、諦めて目を開けると薄暗い部屋に朝の気配があった。
(なんでこんなに凍えるんだ? まだ9月なのに…っていうか今はメキシコじゃなかったっけ…?)
 壁のクーラーが妙にやかましい、見れば温度設定が21℃まで目一杯下がってやがる! トニーの仕業だな。やれやれ、朝の7時じゃねぇか…。電源を切って、室温が上がるまで外に逃げよう。そおっとドアを開けたが、やはりガタピシと音を立てた。刺すような光と熱気が、固まりになって押し返してくる。一気に解凍され、爽やかな空気を吸い込むと新たな一日が始まってしまった。空は一点の曇りもなく晴れている。
 メキシコだ! 目に映るすべてに興奮し、身震いするような感動を覚えた。
 日差しは強いけれど、夜の空気を残した風が気持ちいい。階段下の流し場で顔を洗うと、鈍い頭痛も徐々に薄らいでいった。部屋に戻るとまだ冷蔵庫並みの温度で、これならコーラも充分に冷える。毎晩この調子かと思うと気が滅入るぜ、かといって、まさかトニーのベッドに入れてもらうのもゾッとしない。僕は常に微熱寸前で、それ以下の体温では動かないのだ。これだけは改善してもらねば、体がもたない。
 一服つける。今まで吸った(起きぬけの一本)の中で、最高に旨い。気分は渋めに藤竜也。

 ふと階段を見上げて、上ってみたい誘惑に駆られる。ちょっと迷うが、ここは起き抜けの大胆さがモノを言う。雰囲気あるんだけど、その無責任な日曜大工っぽさが曲者だ。見るからにコンクリのブロックを積んで、ちょいっと塗り固めただけの素人仕事だ。ひょっとしたら誰も使っていないかもしれない、そう思いながらも上ってしまうのだった。
 さすがに、石橋を叩いて渡る慎重さで足を進める。右の手すりの向こうは隣家の敷地、なるだけ左に寄って転落だけはしないように。見下ろした感じ、とても二階建てとは思えない高さだ。各階の天井が、日本の建築基準より高めに造られているに違いない。
 案外と見た目より丈夫な階段で、何事もなく屋上へ。視界はすこぶる良好、眺めを遮る建物なし。三方向を金網に囲われていて、中央に物干し竿が幾つか渡してある。そして無数のロープが竿から金網へ滅茶苦茶に張り渡されていて、ちょっとしたインスタレーションというか宇宙グモの巣みたい。打ちっ放しの床に寝転んで日光浴&朝寝と決め込みたかったが、やたらと落ちてる犬のウンチに断念。またこれが野太いんだ!

 トニーが10時に起き出す前に、僕は空腹に耐えられなくなってきた。
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メキシコ旅情【純情編・6 ジェスチャーの嵐】

 空腹は堪え難く、もはやトニーが起きるのなんて待ってられない。意を決して階下へ。
 昨夜に続いて今朝まで食事を? まったく、我ながら図々しい! だけど「社交辞令じゃない」と、トニーは言っていた。僕が食べたいと言えばママは喜ぶ、彼が食べないせいで文句を言われてる位だ、と。

 1階の木の扉は今日も開け放たれていて、僕はおずおずと声をかけた。
「ブエノス・ディアス、ママ…?」
 奥から怪訝そうに顔を出したママが、僕を見て弾けたような笑顔で叫んだ。
「○×△◎☆◇!」
…案の定、何を言っているのか全然わからん。しかし、その仕草で「中に入れ」と言っているのは分かった。でも僕は何て言ったら良いんだろう、そこまで考えてなかったよー! 焦って引き返そうかと思ったけれど、メキシコの肝っ玉母さんの迫力に釣られて機を逸する。頼みの綱のエドベンは、すでに仕事に行ってしまったようだ。妹のロレーナも英語が話せるので通訳してもらう事は出来るだろうけど、この場には寡黙な姉のパティとママしかいなかった。
 ともかく身振り手振りで乗り切るしかないよな、とはいえ唐突に「食べ物、頂戴」なんてジェスチャーをするのも不躾すぎるし。うー、弱った。何かを察したママが矢継ぎ早に質問を浴びせてくるし、ますます僕はたじろぐ一方。部屋から「スペイン語会話集」を持ってきたものの、旅行者向け実用会話の例文を応用できる訳もない。食堂の店員を相手にするのとは違うのだ。
 2人は僕の用件当てクイズを面白がって、あれだこれだと言い合ってるうちにママが「コメール?」と言って食べる真似をした。おおビンゴ! 思わず小躍りしちまった。単なる食い意地野郎かよ、ともかく通じたからOKで。ママは得意そうに何か言うと、嬉しそうな顔でキッチンに消えた。それは意思伝達の成功を意味してるのか、自分の料理がリクエストされた自慢なのか…? まぁ何であれ、友好的に朝食の合意に達した訳で。めでたし、めでたし。

 パティが冷蔵庫から1リットルのコーラを出して、コップに注いでくれる。「ムーチャス・グラシアス!」と礼を言って、僕はテーブルの席に着いた。業務用の冷蔵庫か、仰向けになった片開きの冷凍庫みたいなタイプだ。
 カウンターの奥で、深胴のナベが温め直されている。出てきた料理は、レストランでは食べた事のないメキシコの家庭料理だった。大納言みたいな赤い豆と豚肉を煮込んだスープと、一緒に出された小瓶には細かく刻んだ野菜が入っている。これはサラダじゃなくてサルサ[ソース]だそうだ。ママが身振りで(スープの味が薄かったら、足しなさい)と教えてくれる。確かに薄味だったのでスプーン一杯加えようとすると、二人は慌てて「ピカンテ[辛い]!」と叫んだ。その時の、ママの(ヒーヒーするわよ)というジェスチャーがおかしくて三人で笑った。
 テーブル上には、わらを編んだような丸い入れ物が乗っている。リボンの付いたフタを開けると、トルティーヤが入っていた。具のないワンタンの兄貴みたいな、柔らかいタコスの皮だ。ママたちは、それを「トルティージャ」と発音した。これが主食に相当する。そのまま食べてみると、油っ気はなくトウモロコシの甘みがあっておいしい。焼きたてだったら、もっと香ばしいだろう。
 食後に出てきたコーヒー、これは感激だった。ここまで美味しいコーヒーなんて、そうそう出合えるもんじゃない。ぬるかったのは舌をやけどしないようにと、ママが気遣ってくれたからだった。絶句したままの僕に、2人は「サブロー?」と言った。三郎ではなく、口に合うのか訊いているのだ。
「シー、サブロー!」おうむ返しの僕。
「ノ。サブローサ、サブローソ」ママは自分達を指さして訂正し、それから僕を指した。スペイン語の動詞は男女で違うのだ、そして更に「サブロー、サブローソ」と最初に小さい丸を作って、次にその手を拡げてみせる。[美味しい]の比較級がサブローソだと言ってるのだろう。
 これからも、言葉の壁を乗り越えてママのコミーダ[食事]を食べに来よう。ママは陽気で、実によく笑う。あと声も大きい。
「ママ、パティ、コメール、ムーチャス・グラシアス、サブローソ!」
 僕は片言のスペイン語で感謝の気持ちを伝えて、二階の部屋に帰った。
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メキシコ旅情【純情編・7 贋ペソ?】

 カンクンには、ふたつの顔がある。華やかなリゾート・ホテル街の現代的な顔と、スペイン統治時代の町並みを残す、地方都市の顔だ。前者は「ゾナ・オテレラ」と呼ばれていて、英語で言えばホテル・ゾーンだ(スペイン語では、Hを発音しない)。メキシコ政府が外国人観光客と外貨獲得をねらって、10年ほど前から大規模な開発をおこなってきたという。長さ20q程度の首飾りみたいな形をした珊瑚礁を、外資系ホテルや高級レストラン、ショッピング・モールなどが埋め尽くしている。
 後者は珊瑚礁の北側の内陸にあり、セントロと呼ばれている。英語のセンター、つまり町の中心地区とか繁華街の意味だろう。そこから少し外れた住宅街に、エドベンの家はある。
 トニーも起きたし、セントロに行って買い物だ。その前に、まずはペソに両替しなきゃ。メキシコの銀行では、T/Cの両替が出来るのは午前中までだという話だった。どんなに混んでいても、1時になったら構わずに窓口を閉めてしまうらしい。
 午前の太陽が、コロニアル調の町並みに光を降り注ぐ。鮮やかな色に塗られた家々の樹木に、まだ微かに朝の匂いが漂っている。良い気分だ。幹線道路に出て、広々とした歩道を歩く。空がゆったりと感じられるのは、建物が比較的低いせいだろう。背の高い街路樹が枝を拡げて、所々に木陰を揺らしている。時間がのんびりと流れていて、それがまた開放的な気分にさせる。
「足元に気を付けろよ。特に木の根元は。東京と違って、ここは飼い犬のふんを持って帰る人なん
ていないんだから」
 トニー独特のユーモアだ。こっちの犬はデカウンで、柔らかいから滑って転ぶだの手を着いた所にもあっただの、スニーカーの底に挟まったウンチで足跡スタンプを押しながら帰っただのと、相変わらずの調子で大笑いさせてくれる。
 彼が突然、真顔になって言った。
「今から道路を横切るけれど、先に行って合図するまで待っててくれよ」
 目の前の三叉路には、信号はおろか横断歩道もなかった。にしても大げさな言い方だな。
「横断歩道なんて、ほとんどないんだよ。車はブレーキなしで交差点を曲がってくる。ここで轢かれたら、車道にいたほうが悪いんだ。轢いた車は止まらないだろうし、警察もきちんと調べたりしないだろう。本当だよ!」
 僕は緊張した。(そこまで脅かさなくても良かろうに…)とも思ったけど、そういえばガイドブックにも確かに書いてあった。とはいえ、車通りの少ない、小さな町の道路をひょいっとまたぐだけなのに。しかし彼は、旅の初心者をビビらせて楽しむ人間ではなかった。日本での常識に囚われちゃいけない、歩行者優先なんて大間違いなのだ。

 さて銀行だ。両替の窓口は空いていたが、すぐに行列が出来てしまった。この係員は仕事が嫌で溜まらない様子で、手際が悪いというか結構なマイペース振りだ。僕がお金を数えてレシートと照合していると、トニーが早く窓口を空けろと言う。のろのろしていると窓口の人がコーヒーを飲みに行ってしまって、後のお客さんが待たされるからと言うのだ。それが本当かどうかは別としても(ありそうな話だ)と思った。サービス業という自覚がないのか、異様に腰が高い。でも考えようによっては、こんな気楽な働き方でも成り立つのだから見習っても良いような気もする。
 メキシコの通貨は、ペソという。日本では、どこに行っても両替できなかった。ここでは逆で、円の両替が出来ないようだ(といっても日本円は帰りの電車賃程度しか残ってないけど)。日本で両替してきたUSドルとドル建てT/Cを使い切ったらすべて終わりだ、それだけは旅の中で唯一はっきりしている事だった。
 無駄遣い防止のため、僕は今20ドルを136ペソに両替した。計算はレート通りで合っているのだが、別の疑念が頭から離れなかった。
(資料に載っていた見本と、全然ちがう…)
 メキシコに来る前、僕は旅行センターという場所で情報収集をして、ペソ紙幣とコインのカラー図版を手に入れていた。資料には「三年前('93年)に千分の一デノミが施行された」とあって、旧通貨と新通貨の実寸コピーが載っていたのだ。その図版と見比べても、僕の受け取った金はまったく別物だった。というかコインなんて、ゲームセンターのメダルみたく手が込んでいてウソ臭いし。
 これが贋物だったら笑い事じゃないぜ、だって20ドルぽっちでも僕には限りある貴重な財産だ。トニーに確認すると「本物だ」と言われたけど、それじゃ資料は何だったの? これ使って警察沙汰になったりしないよね…。

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メキシコ旅情【純情編・8 スペール・メルカド】

 両替したのでスーパー・マーケットに向かう。人通りも、行き交う車も増えてきた。
 信号機も多く見かけるようになり、ちょっと変わった横断歩道が目に付くようになってきた。それは歩道の高さに合わせてあって、車道から見ればスロープ状の盛り上がりに遮られているのだ。信号は無いけれど、歩行者が渡ろうとするだけで必ず停まる。というか、強引に突っ切ろうとする車は宙に浮くだろうな。
 しかし誰かが渡り始めると反対車線もキッチリ停まる、そんな律儀な光景は日本にいても滅多に見られない。あの決死のJウォークを思い返すと変な気分だが、車道は車で横断歩道は歩行者という義務と権利は分かりやすい。それがルールってもんだ。

 スペール・メルカド[スーパー・マーケット]は銭湯みたいに天井が高く、広々した感じが良い。とはいえ、どうしてこんなに高くしたのかね? もう一フロア、こしらえようとしないのが却って不思議。あるいは非アジア的。
 とりあえず、日用雑貨とお菓子を買う。例のウソくさいコインが使えて胸を撫で下ろす間もなく、僕が買ったばかりの品物を袋に入れる少女が…。おいおいっ! 慌てて袋ごと奪い返すと、トニーが背中越しに僕を呼び止めて言った。
「チップ、チップ!」
 ん? なんだ、そういうコトだったのか。僕は5センタボ硬貨を出して、少女の手のひらに乗せた。百分の五ペソだ。制服の少女は、小さい声で「グラシアス」と言った。僕は彼女に「勘違いして、ごめんよ」と謝りたかったのだが、そんな上等な会話など出来るはずがない。同じ言葉を返すのが精一杯だった。
「アメリカの子供たちは家の手伝いとか庭の芝刈りをするけれど、ここではあんなふうにして小遣いを稼ぐのさ」
 なるほどねー。トニーには、恥ずかしい誤解も見透かされていたようだ。
 スーパーの出口と入り口は、別々に分かれている。出口のカウンターで番号札と引き換えに、入店時に預けていた荷物を受け取った。レジの少女達よりも大人びた女の子ふたりが、せっせと奥の棚から荷物を出して来る。クロークの中は冷房がきいていないのか、じっとりと汗をかいて、疲れている様子だった。女の子とお客さんの列の間には無言のやりとりが続いていて、二人は互いに励ましあって黙々と立ち働いている。
 番号札を出して、僕は荷物を受け取るときに「ムーチャス・グラシアス」と声をかけてみた。ふと一瞬、その子は足を止めた。そして僕と目が合うと、クスッと笑った。
 店の外では、白いシャツと黒い半ズボンの少年が手際よくショッピング・カートを片付けている。エドベンも、少年時代をこうして過ごしたのだそうだ。

 26才のエドベンは、今は空港で働いている。彼は僕より英語が上手で、トニーより日本語も上手だ。スペイン語を含めた三カ国語の総合平均だったら、3人の中で間違いなく一番だろう。
 エドウィン・フェルナンデス・グチエロス、というのがエドベンの名前だ。スペインの血が濃い父親の姓が前で、先住マヤ人の流れを汲むママの姓が後だ。仮にエドベンの子供が生まれると、父方の苗字を継いでゆく事になる。
 僕はてっきり、マヤ人とその文化は半世紀も前に根絶やしにされたと思い込んでいのに、パティとママはマヤ語を話せるのだった。最初に会った時、二人からマヤ語で挨拶されてビックリさせられた。そしてママは、自分達がマヤの血を受け継いでいることを誇らしげに話してくれたのだった。
 彼女はまた、メキシコ北部の人々に好ましからぬ印象を持っている様子だった。それは多分、向こうのほうとは習慣や気質が大きく違うせいだろう。あるいは、侵略者であるスペイン系の人に対する不快感がわだかまっているのか。ここに来るまで考えたこともなかったのだが、メキシコの人種は白人系とインディオ系に大別されるようだ。
 そういえば、ソンブレロをかぶって口ひげを生やしたセニョールを一度も見ていない。
 ひょっとしたら、そんな人間はもうどこにもいないのかな? 日本にショーグンもサムライも存在しないように…。

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メキシコ旅情【純情編・9 みんな踊ろう】

 昼食時だからか、住宅街は人影がなく静かだ。
 トニーとセントロから戻ってくる途中、エドベンの家の近所にある公園で子供が遊んでいた。といっても、柵も遊具もない小さな緑地だ。すでに顔見知りだったらしく、トニーは大声で駆け寄って来た連中に僕の事を紹介してくれた。子供達はみんな元気で、僕らを取り巻き一斉に名乗りを上げてくる。こちとら一つ覚えの挨拶文を暗唱した後は、もう何を訊かれても笑うしかない。まったく、誰かに会うたびスペイン語のシャワーを浴びるおもいだ。
 中には運動靴を履いている子もいたが、裸足のほうが目についた。白く照り返すコンクリートの歩道に、陽に焼けた棒のような脚がくっきりと浮き上がって見える。タチアナ、カロリナ、ビクトール、ルルー……。それからそれから、まぁいいや。男の子は、12才ぐらいのビクトールだけだ。女の子たちは見た目で6歳から15歳、ちっちゃい子からおっきい子まで一緒になって遊んでいるのだ。
 年長のタチアナは体格的に高校生でもおかしくないのに、連中のお守り役というより仕切り役だった。はちきれそうなショートパンツとブラウスから伸びる手足が、白っぽくけばだっている。カロリナは、ビクトールとおなじか、少し下だろう。ルルーは整った顔立ちのせいで、小柄な体つきよりも大人っぽく見える。彼女ら以外にも5人位いたが、他の子はトニーとは面識がない様子だった。
 トニーが子供達の誘いに乗って、公園の中へ入って行く。それ自体は構わないんだけど、僕としては買い物袋を置いてこないと落ち着かなかった。もし(子供にありがちな「頂戴あそび」が始まってしまったら…)と考えちゃうと、僕はまだ上手く応対する自信がなかった。自分が納得できるような、子供との向き合い方を身に着けてないし。図に乗って他人の物を取りあげて気を引こうとする、その手の子供気質は苦手なんだよなぁー。そうならない事を祈りながら、神社の鳥居をおもわせる大きな白い門を潜った。
 緑の中に延びた白いコンクリの道は、芝草を丸く刈り取ったような広場に続いていた。円に沿ってベンチがあり、背もたれは深みのある濃い桃色をしている。垂れ下がった枝に付いた小さな木の実は、ベンチとおんなじコロニアル・ピンクだ。草木のグリーンにのぞく青空と、白い小路と大きな鳥居が爽やかなコントラストを生んでいる。
 子ども達はベンチにすとん、と腰をおろした。僕ら二人も、それに従う。
 円の向こう正面に座ったタチアナが、お姉さん顔で一同を見回して「それじゃあ、何して遊ぼうか」という様なことを言ったようだ。各自タチアナに意見を言って、彼女が頷いたりしながら意見をまとめている。やがて歓声が上がり、笑いながら皆で歌い出した。
「ダンス大会だよ。」
 トニーの説明によると、輪の中心で一人が踊って、順に次の踊り手を指名していく遊びらしい。手拍子も加わって盛り上がっているけれど、それは踊るというよりリズムをとっている程度だ。ごにょごにょと、照れくさそうに動いて終わると拍手喝采、次を指名すればまた大騒ぎ。なんだか、おかしいなぁ。
 金髪を短く刈り込んだマッチョ指向のビクトールは、さすがに抵抗があったのか腰を上げるのを渋った。それでも彼は顔をまっかっかにしながら、おどけたボディビルダーみたいな捨て身のダンスを披露して男の意地を見せた。彼に比べるとタチアナは、決して上手じゃなかったが自信たっぷりに踊ってみせた。まるで年下の少女達に(これがオトナの女のダンスよ!)と見せつけんばかりの表情で、彼女のプライドを傷つけない様に笑いをこらえるのは大変だった。
 女の子達は皆、物怖じしないがシャイだ。指名されるとすぐに立って踊り始めるものの、とっても恥ずかしそうにモジモジと体を揺すってみせるだけなのだった。その仕草の奥ゆかしさに、うっかり僕は(子煩悩なパパ)っぽい顔になって傍観していた。まさか自分が指名されるなんて、思ってもみなかったから。
 一人だけスカートをはいてた女の子が、誰を指そうか迷っていた時、タチアナが小声で僕の名前を囁いた。そりゃないぜ、セニョリータ! みんな一気に大盛り上がりで(なぜかビクトールが異様に興奮していて)面食らってしまった。どうやら踊らなければ格好がつかない状況だ。
 トニーも面白がって僕のお尻を押しやがるし、とりあえず輪の中心に進み出たのは良いけど一体何をどう踊りゃ良いんだ? そこでトニーがタチアナに向かって何やら話しかけ、それがいいと決まったらしい。みんな手拍子で唄い始め、分かっていないのは僕だけだ。
「おい、マカレナを知らないのか?」と、トニー。
 それはなんなんだ、メキシコ民謡?
「アメリカでも大統領が踊るくらい流行っているのに!」
 マカレナ…何それ?!
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メキシコ旅情【純情編・10 スペール・メルカドpart2】

 またセントロまで来た。今度は女性二人と一緒だ。
 マカレナ軍団から解放された僕らが昼飯を食べに戻ったところに、グラシエラも帰宅して誘ってくれたのだ。
 トニーは「行かない」と言ってから、僕に向かって「行っといで! 彼女達は君に来て欲しいんだからねーぇ」と付け足した。どういう意味だ?
「何言ってんだ、分かるだろう。モテモテじゃないか、さっきから。公園では子供達の人気者だったし、帰ってきたらママが『お昼ごはん食べるか』、女の子は『一緒に行こうよ』って具合にさ」
「トニー、彼女は僕ら二人を誘ったんだぜ?」
 冗談だから気にすることはない、行っておいでとトニーは言った。彼はこれから、スペイン語の勉強をするつもりなのだ。
 グラシエラは、仕事が休みの日は英語学校に通っている。ビアネイはかなり話せるのだが、スペイン語調の英語発音なので聞き取りづらかった。でもトニーは、彼女たちに訊き返した事がない。それは彼がアメリカ人だからなのか、それとも英語教師の力量なのか判らないが。そもそも僕の英語力はトニーだから通じる程度だし、僕自身もまた日本語訛りがあるようで度々グラシエラとビアネイから訊き返されていた。

 スペールメルカドはスーパーマーケットを指すスペイン語で、店の名前ではなかった。さっきトニーと行った所とは違うけど、店先で手荷物を預ける点は同じだ。きっとメキシコのスーパーじゃ、これが当たり前なんだろう。
 ビアネイとグラシエラの後ろに付いて、青果コーナーから見て歩く。やはり棚に並んでいるのは、ほとんどが見慣れない顔ぶれ。
「これ、何だか知ってる?」グラシエラが訊いてきた。
「ネクタリンだよね、桃みたいな味のする」
 すると彼女たちは「ハポン(日本のこと。おおむねJの発音はHになる)にもあるの?」と、少し驚いた様子だった。輸入しているのかもね。
 丸っこい緑色の絵にTUNAと書かれたヨーグルトを見つけて「ツナって、これマグロ味?」と訊ねてみると、二人は笑いながら「ツナ、じゃないよ。チュナ」と言って僕を青果コーナーへ連れ戻し、ピンポン玉より小さい球状のサボテンを摘み上げた。
 これは甘いフルーツで、うちわ状の葉を持つ品種は野菜としてソテーするのだとか。確かに、野菜の棚に表皮をむかれたグローブらしきものを見たけれど…。この店では〈ビックリ食文化体験〉の連続だった。
 チルドコーナーに並べられていた銀のパレットで、ケーキのような生菓子が切り売りされていた。グラシエラが、パレットの隅を指ですくいとって味見する。
「ンー、サブローサ!」と言って彼女は、僕にも(味見してごらん)と勧めてくれた。ちょっと行儀が悪い気もしたが、彼女の真似してペロリ。一見、それはチョコレートケーキのようだったのだが…。
「うわ、まずっ。」
 思わず日本語で叫び、顔を歪めて後ずさった。恐縮ながら激マズですぜ!? カレーのルーに似た粉っぽいスパイスで、漢方薬の味が口に残っていた。グラシエラとビアネイ、二人して大笑い。別に騙されたんじゃなくて、それはメキシコ料理の最高傑作と評されるモーレ・ソースという代物だったのだ(後になって判ったんだけど)。しかしメキシコ人との味覚の差が、これほど異なっているとは!
 試飲コーナーでもらった「オチャタ」とかいうジュースも、正直言ってまずかった。お米で作った甘ったるい飲み物で、甘酒に似ていて飲めないこともなかったが。
 これからも、ママの作るごはんを美味しく味わうことが出来るだろうか? 一抹の不安を覚えた。

 店内の一角に、いかにもメキシカンな格好をした人達が。壁のポスターには「メキシカン・フェスタ」と書かれていて、彼らは特売コーナーの販売員だった。グラシエラとビアネイが麦藁帽子のソンブレロを借りてくれて、スーパーの中で記念撮影。
 意外な事に、ここカンクンでは僕が思い描いていた(メキシカンらしき人)を一度も見かけなかった。派手なソンブレロとか、カラフルなポンチョは土産物屋に飾られているだけだ。僕は(メキシコらしく)と思って不精ひげ&ぼさぼさ髪で日本を発ったのに、そいつは外国人がチョンマゲ結って来日する位、とんだ勘違いでしかなかったらしい。同じメキシコでも、この辺はマヤ・インディオの文化圏だから? 男達の髪は短かく整えられ、誰もヒゲを生やしていなかった。
「メキシコ・シティとか、北のほうにはそんなイメージ通りの人もいるよ」
 でもみんなが皆、そんな格好はしてない。ビアネイとグラシエラに、そう教わった。そういえばトニーも昨日、エドベンの車のなかで言ってたな。
「どうして急にヒゲを生やしたの? そういうのは、あまり好まれないよ」って。
 ママたちや、彼女達ふたりも僕を受け入れてくれているみたいだし、会えばみんなニコニコしてくれる。まさか僕のボサ髪とまだらヒゲが「メキシカンを意識してました」なんて言える訳ないが、そうと知ったらどんな顔をするだろう?
 悪意のかけらもないとはいえ。
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メキシコ旅情【純情編・11 ダンス・パーティ】

 2度目の買い物から帰ってから、家の周りをインライン・スケートで滑った。
 住宅街の道路は滅多に車が来ないので遠慮なく滑れる。家の周りの景色に、夕暮れ色の陽が差し始めていた。風を感じて気持ちいい。
 ジョアンナ(パティの娘)とディエゴ(ロレーナの息子)、もちろんトニーも一緒だ。あと、彼が密かに「ベイビー・ベイブ」と呼んでいる女の子も。つまり滑り慣れてない子供達の補助役だ、一日の疲れが出てきたので先に上がる。
 もう夜だ…。というより(やっと昼が終わった!)って感じだ、一日が長過ぎる。
 ベイビー・ベイブの家は近所じゃないらしく、どうやらトニーが送って行ったようだ。僕が部屋でポストカード書きをして、MTVを観ながら眠りかけてたら彼が戻ってきた。
「おいおい! まだ寝るなよー、これからダンス大会だぜ」
 なぁ、今日はこの辺にしておこうぜ?! 寝不足気味だし、来た早々から飛ばしすぎだよ。
「何言ってるの、まだ9時前だよ。それにもうすぐ女の子がいっぱい来るんだからさぁ」
 ちょっと待ってよー! この部屋に? 今から?! この狭い部屋で大会って、出来れば他でやってくんないかしら。

 やがてドアが叩かれて、隣のグラシエラとビアネイが来た。
 なぁ−んだ!! って思うのは失礼だろうけど、期待を裏切られたな。それから二人やって来て、女性は全員で四人になった。もはや僕の寝床を広げる場所は、ない。
 金髪をショートカットにしたティミーは、廊下のお向かいさんだった。頑丈な木の扉の、表通りに面した部屋に住んでる。もう一人はティミーかグラシエラの友人で、たまたま遊びに来てたらしい。トニーが女性達に午前中の一件を話したせいで、それじゃあ早速マカレナを踊ろうよ! てな流れに。
 ティミーは踊ることが苦手なのか、表情も動きもこわばっていてぎこちなかった。他の女性はすぐに踊り始めたが、振り付けが各自でバラバラじゃん(昼間の子供達もそうだったな)。トニーいわく「幾つかのバージョンがある」のだそうだけど…? 三人の女性は楽しそうに笑いながら、狭っ苦しい部屋の隙間を動き回っていた。
 グラシエラは白い歯と黒い大きな瞳が印象的で、腰を振るような場面では照れ臭そうに踊っていた。対照的にビアネイは、昼間と同じ女性とは思えないセクシー・ダンサーに早変わり。恍惚とした表情と、全身で楽しんでいる感じのグラマラスなダンスには生まれつきのようなセンスがある。それにしても…の迫力に僕はタジタジ。
 ダンス・パーティというほど派手々々しいもんじゃなく、とてもアットホームな印象の集いだった。なんといってもトニ−のおかげで、出逢ったばかりの人達に居心地の悪さを感じる事もなかったし。僕が言葉を話せなくても、彼はみんなと仲良くなって楽しく過ごせるように気を配ってくれていた。あるいは最新のネタにされていただけ、かもしれないけど。
 普段の小さな楽しみ、そんなふうに更けてゆく夜の気配は心地よかった。いい加減、踊り疲れてお開きになった頃には10時を回っていた筈だ。ティミーと友人は帰り、トニーと僕は隣の部屋に行ってビアネイ&グラシエラとお喋り。僕はスーパーで買ってきた果物のビールを振る舞い、グラシエラの買ったスイカを分けてもらった。それは小振りな俵形をしていたが、色も味も日本の夏そのままだった。
 今夜は忘れずにスペイン語会話のテキストとノートを持って来たので、時折メモを取りながら言葉の意味やスペルを教えてもらう。それでも会話は途切れるどころか更に盛り上がり、タコス・チップの大袋も空っぽになってしまった。
 トニーはコーラを飲み干すと、「ちょっと遅くなっちゃたネ。ブエナス・ノーチェス、アミーゴ」と腰を上げた。確かにラウンド・アバウト・ミッドナイト、よい頃合だ。僕も缶ビールを手にしたまま「ブエナス・ノーチェス、ムーチャス・グラシアス」と、彼女たち二人に言った。
「アスタ・マニャーナ[また明日]」
 二人が応える声を背中に聞きながら、トニーは「マニャーナ!」と言って自分の部屋に入った。僕は一服しに、階段を上って屋上へ。
 星空を見上げるようにして缶ビールを飲む。メキシコの夜空は、期待してたほどには星は見えなかった。無論、それは東京の比じゃないが。ちなみに、ビールはスペイン語でサルベッサという。味の違いは解らないけど、まだ冷えていてうまかった。スペリオールという、この辺りでよく飲まれている銘柄らしい。
 タバコの煙が、ぬるい夜風にたゆたって流れてゆく。
 トニーが部屋から呼んでいる。ビーチサンダルの裏でタバコを消し、ポケット灰皿に押し込む。彼が眠る前に、歯を磨いておこう。さぁて今夜はハンモックにしようか、どうしようか…。簡易ベッドの寝心地よりは、ましかな。
 いつの間にか、星空のまんなかに小さなちぎれ雲が浮かんでいた。やけに白っぽくて、逆に穴があいてるみたいだった。
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メキシコ旅情【旅路編・1 助走】

 割といきなり、旅に出ることになった。
 思い立ったように夏場の一ヶ月足らずをバイトして、13万7千円の往復チケットを買い求め、滞在費は拝み倒して親に借りた10万円。これで十月半ばまでメキシコにいる予定なのである。
 メキシコで僕を待つのは、友人トニーと彼の友人エドベン。何年か前に二人は東京で同居していて、その縁を伝って出掛けようという訳だ。こんな機会でもなければ、僕がメキシコになんて行きはしなかったろう。近場のパック旅行を除けば、僕にとっては初めての海外旅行になる。

 トニーがエドベンの住む、カンクンという町に向けて日本を発ったのが四月だった。「君もおいで」と言ってくれてはいたが、半年前の僕にとっては現実味の薄い話でしかなかった。そりゃあ確かに、行けたらいいなぁーとは思っていたけど。
 実際、僕が本気で考え始めたのは夏のバイトが決まってからだった。九月になってバイトが終わると、それから慌ただしくチケットを買ってT/Cを作って、失効していたパスポートをギリギリ再発行してもらって出発の日がやってきた。切羽詰まると騒ぎだすのは相変わらずの事だけど、おかげで「夢みたいだぁー」なんて悠長にほっぺたひねっている余裕もないまま成田に到着。
 台風一過の秋晴れである。なにしろ旅馴れていないから「チケットは空港手渡しで」なんて小さいことでビビッてる。段取りが悪くて不安で一杯になっていると見事に欠航。そう聞いた瞬間、うっかり泣きそうになったけど、そこは格安チケットでも旅行取扱業である。航空会社に掛け合って、空港近くにホテルの手配をしてくれた。頼むよホント、こちとら海外小心初心者なんだからさ。

 飛行機は台風の影響とかで、翌朝九時の便に変更された。タダで一泊できると得した気もするのだけれど、考えてみたら一日分メキシコでの暮らしが減ってしまったのだ。しかも、ホテルでは浴衣でレストランに入ろうとして怒られて散々である。ともかく、出迎えてくれるトニーに連絡しなくちゃ。しかし時差があるので、電話するにはまだ早すぎる。
 にわか仕込みの知識によると、メキシコは南北に細長く、日本とは逆向きに反り返っている。つまり太平洋を隔てて、下手くそが八の字を書いたみたいなものだ。カンクンという聞いたこともない町は、カリブ海に突き出したユカタン半島の先にある。日本との時差はマイナス16時間。サマータイムだと17時間になるのかな、まぁそれぐらい違っているのだ。
 時間潰しを兼ねて、日本の友人に一通目の手紙を書く。まだ日本国内にいるっていうのに、我ながら気の早いことだと思う。それでも、ホテルの便せんで手紙を書くっていうのが、なんだか旅馴れた雰囲気を醸し出してくれる気がして好きなのだ。こりゃまったくの自己満足だな、でもいいや。成田の夜景を見ながら床に就く、なんて滅多にないシチュエーションに浮かれ気味。
 この旅行には、何の目的もない。唯一、自分で決めたのは「友達全員に便りを送る」ということだった。詰まらない土産など買うより安上がりだし、ハズレがないし、しかも荷物がかさ張らない。その上、僕の身に万が一のことがあった場合には、それが最期のあいさつにもなってくれるという寸法だった。まさか危険はないだろうけど、先のことなんて分かりっこない。国境近くでは、ゲリラも追いはぎも出るという話だから。
 ともかく夜も更けて午前一時を回った。部屋の電話は割高なので、ロビーに降りてトニーに電話。
向こうはまだ朝の八時とかその位だろうが、もうこれ以上は起きていられない。やっかいなのは、エドベンの家族に取り次いでもらわなければならない事だ。英語は何とかなるものの、スペイン語なので手に負えない。本と首っぴきで単語を並べ、たどたどしいあいさつでトニーを呼び出してもらう。彼を待つ間にも、カードの度数がするする落ちてゆく。
 トニーが留守だったら、と考えるとドキドキする。エドベンは仕事に出掛けたろうし、そうなるとスペイン語で用件を伝えなければならない。とてもじゃないが、そんなの無理だ。自慢じゃないが、電話代がいくらあっても足らないぜ。寝ぼけ声のトニーが電話に出た、と同時に僕は早口でまくし立てる。余分なテレカを手繰りながら、声のトーンが知らずにはね上がってしまう。
 受話器を置いて、どっと疲れが出てきた。まだ旅はこれからだってのに……。
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メキシコ旅情【旅路編・2 事情】

 メキシコと聞いて即座に思い浮かべるのは、タコスにテキーラにソンブレロ? あとはせいぜいマリアッチとルチャ・リブレ…。イメージとしてはその程度だ。実際のところ、僕は何も知らなかった。
 僕の向かったカンクンは、そんな予想と違っていた。

 メキシコは南北に細長く、文化的にも南と北では大きく異なるようだ。
 大雑把な言い方をしてしまえば、北が荒野のサボテン地帯で、南は古代文明の眠る密林地帯って感じか。一般的にメキシコと言えば、アメリカ寄りの北部がそれに近い。南のほうは、マヤ文明とインディオとジャングル! とはいえ、カンクンが辺境の土地かと思ったら大間違い。
〈地球の歩き方・メキシコ編〉によると「特にビーチのきれいなカンクンは、高級ホテルの林立する国際的リゾート」と書かれていた。メキシコで最も物価の高い場所かも知れない。僕はもっと、のどかでこぢんまりとした田舎町を期待していたのに。マリンスポーツだとかレジャー施設なんて、旅の雰囲気を台無しにする物は邪魔なだけだ。いかにも観光地ってのも、それ目当てに集まる人種にも用は無い。
 トニーがくれた絵はがきには「ディスコとビキニ・コンテストに行こう!」と書いてあった。もちろん、それぐらいは行くさね。でも、エドベンは一体どんな所に住んでいるんだ?
 まさか目抜き通りにジュリアナ御殿!…なんてことはないよな、いくら彼が「ジュリアナ東京」大好きだったからって。だけど、そんな高級リゾート地なんかに住んでるとしたら有り得なくもないか。まったく想像が付かないけど。
 ま、予算の都合からいってもノンビリ何もしないのが一番。この際だからと夢ふくらませて「遺跡ツアー&カリブ・クルーズ!」ってな気持ちは山々であるが。
 この旅は、とにもかくにも所持金=全財産なのだった。毎日の食費+αと、帰国後の暮らしを無視するわけにはいかない。湯水のように使い切ったら、後が辛くなる事は目に見えている。
 帰国予定日は、来月の18日。帰ってくれば家はある、実家暮らしは気が楽だ。僕はすでに無職なのだから…。

 一日遅れで、いよいよ空の旅だ。アメリカのテキサス州ダラス経由で、目的地カンクンへ。
 飛行機は日本人をいっぱい乗せて、ダラス・フォートワース空港に向かっている。到着予定は7時半頃で、出発時刻から2時間の逆戻りになる訳だ。ところが実質上は半日も、狭い機内に縛り付けられるってんだからややっこしい。まるで、割のあわないタイムマシンだな。
 クルーはみんな日本人か、と思ったら聞き慣れない発音の日本語だ。エコノミー最前列右端の、窓のない一人掛けに座る。機内スクリーンは見えないが、なんてったって相席じゃないから気が楽で良い。しかし禁煙席なので、僕は喫煙場所とを行ったり来たりする羽目になった。億劫だけど一服できるだけ有り難い、それに喫煙席で12時間も煙に巻かれているのに比べれば上等だろう。ただでさえ機内は空気が乾いているのだ。
 シートのすきまから振り返り、後ろの席の窓から見えた景色は海と空だけ。僕が何度も顔を出すので、窓際の人はさぞかし薄気味悪いことだろう。申し訳ないとは思うのだが、こちらとしてもやむを得ない退避処置なのだよ。というのも、この席の前はトイレなのだ。正面を向いていると、ついトイレを出入りする人と目を合わせてしまってバツが悪い。その上ふて寝しようにもバタバタ落ち着かないし、読書するには気が散って集中できなかった。
 ただし、気休めがまったくなかった訳でもない。トイレ手前の壁に、僕と向かい合わせに乗務員シートがあった。アジア系の男性クルーが座ったので、退屈しのぎに話しかけて英語思考の訓練に付き合ってもらう。座席は一対一のお見合い状態、逃げ場のない彼は延々と日本男児の主張を相手する事になってしまったのであった。
 
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メキシコ旅情【旅路編・3 束の間のアメリカ】

 ダラス空港に着陸して、トランジット・ルームに案内される。カンクン行きに乗り換える為、ここで二時間待ちだそうだ。分かった顔して英語のアナウンスに耳を立て、単語レベルで何とか見当をつける理解力では不安になる。気安く話しかける連れあいがいないのって、こんなに疲れるものなんだなー。
 それにしても大勢の日本人だ。カンクンなんて耳慣れない土地に行こうとしている日本人が、しかもほぼ全員(ハワイに行くヤング・カップル)みたいな若者ばかり。各々のスーツケースに腰掛けて、仲間同士で楽しそうに談笑している。独りでポツンとして、おっきなリュックを背負った自分は場違いに思えた。
 おぉ、他にも怪しげな男がいるじゃないか。ブルー・ジーンの上下にテンガロン・ハット、ウェスタン・ブーツでキメてる男が。そのバタ臭い感じ、このテキサスに用がある格好にしか見えない(というか真夜中のカウボーイか?)。それともメキシコの格闘技ルチャ・リブレの武者修行を志す、みちのくレスラー……。なーんて他人を嗤える自分じゃないが、妙にほっとする。
 間もなく係官がドアをあけた。退屈しきった旅行客が詰め寄って、口々に尋ねた。トイレはどこだ、喫煙所はないか、水はないか、ずうっとここで待つのか、などなど。そうだそうだ、僕らは難民ではない。ヤングの代表が場を制し、聞き取りづらいスパニッシュ訛りの女性係官と問答している。
 彼は振り向くと、仲間たちとトランジット・ルームを出て行ってしまった。どうやら入国手続きをして、空港内の施設で時間を潰すらしい。そうか、この部屋はアメリカ領土内にあってもアメリカ国内ではないんだな。税関の向こうで飲んだり食ったり買ったりする、というのは悪くない考えだ。
「他に希望者はいないか」係官はそう言っているようだ。僕もひとまず国外脱出を図る。

 搭乗券の半券には[21A]と書かれてあった。入国手続きで、軍人みたいな監査官が書き入れてくれたのだ。若くして態度がXLの白人男性にゃ、海外ドラマの安いセットのような税関がお似合いさ。よそ者をにらみつけて、そうやって番犬役で一生を送りやがれっての。
 そうしてアメリカ入国、ダラス空港は信じられないほど大きかった。国内外の航空便が、六十あまりのゲートを使って離発着している。各ゲート間の移動用に、構内に電車を走らせている程だ。僕は(アメリカ大陸に来たんだ)と実感した。どこまでも伸びる広い通路は、沢山の人々と様々な店と音楽で賑わっている。その合間を縫うように、電気自動車のトロリーバスが走ってゆく。
 あれだけいた日本人は、いつの間にか僕ひとりだ。出発ギリギリになって迷わないよう、先にゲート付近まで移動しとこくのが賢明だろう。21Aは、予想以上に遠かったのだ。着いてからも念のため、案内係に確認しておく。その女性の親切な応答で、やっと緊張の糸がほぐれた。とりあえず、建物の外で一服しよう。
 なまあたたかい風が気持ちよく吹いている。けだるい夏の午前、まさに異国の空気だった。タバコを「旨い」と感じる。それからゲート周辺の店を見て歩き、カードと切手を買って友人にエアメールを送った。思えば大陸初上陸だ。カフェテリアには、ヤング日本人のグループが固まっていた。その光景は(ディズニーランドっぽい)と思った。
 実は行った事なんてないのだが、それは要するにアメリカ文化のエッセンスなのかもしれない。ショッピング・モール、ハンバーガー・ショップ、リゾート・ホテル、そういう類は世界中どこでも同じ臭いがする。地面と切り離されたような。
 成田を朝の9時半に発ち、同じ日のダラスで9時半の便を待っている。なんとも奇妙だ、そんな数字こそ幻想なのに。陽はまた昇り、沈んでゆく。
 案内係の声が搭乗待合室に響き、顔を上げると僕を見つけて手招きしている。あの親切な女性が自分の腰に両手をあてて「君はこれに乗るのよ」と言って微笑んだ。なんだ、搭乗開始を教えてくれたのか。僕が笑いながら「あなたの親切に感謝します。」と応えると、彼女は「一番乗りね!」とウィンクを寄越した。
 そんなやりとりを、日本人の男女が怪訝そうに見ていた。

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メキシコ旅情【旅路編・4 ダラスからカンクンへ】

 僕は、あんまり飛行機に乗った経験がない。搭乗ゲートの先は、そのまま真っすぐ機内に通じているものと思い込んでいた。しかしノーズの先は階段になっていて、降りたところは滑走路の端っこ……はて?
 ダクトの熱風と、穏やかな風が混じりあって吹き抜けていく。思案に暮れていると、でっぷりとした風体の白人のおじさんが、僕のあとを付いて階段を降りてきてしまった。まずいなぁ、どうしよう? ところがおじさんは僕に目もくれず、足早に前方のマイクロバスに向かっていく。僕も後に従って乗り込むと、バスは滑走路の見上げるようなジャンボ・ジェットの下を走り抜けてゆく。
 バスが停まったのは、拍子抜けするくらい小さな飛行機の前だった。滑走路からタラップをくっつけて、しかもジャンボ以外に乗るなんて初体験の二乗だ。不安げに搭乗券を差し出して見せると、制服の男は黙って頷いた。
 小さな飛行機は、鳥のように軽やかに舞い上がってゆく。古いアメリカのドラマ「ダラス」のオープニングよろしく、ハイウェイの立体交差が四つ葉のクローバーに見える。本当ならここでナレーションが入るところだが、視界はぐいぐい上昇を続けて二層目の雲を突き抜けた。大都市が、冷気に包まれた集積回路に見える。コンデンサーが見えなくなると、白い水玉が鮮やかに映える緑の大地が拡がった。ぽっかり浮かぶ雲を見下ろし、やっぱり窓際の席はいいなぁーと思う。
 窓の外を眺めてる人って、最初の飛行機でも僕ぐらいしかいなかった。せいぜい離陸までだ、あとは着陸まで見向きもしない。地上を見下ろすと、なんだか天国にいる気持ちになる。更に高度が上がり、三段目の雲の天井が迫ってきた。突き抜けるとそこは―。
 神の国だ!
 深いインディゴの空、思いもよらない雲海の造形美に圧倒される。彼方には壮大な雲の柱、あれはハリケーンの横顔だろうか? やがて一面の海になり、ビロードに残った海流と航路の模様に見とれていた。夢中になって窓の外を眺めていると、島が見えてきた。と思ったら、僅かに陸とつながっている……。カンクンだ!

 飛行機は大きく弧を描きながら、ゆっくりと着陸体制に入った。
 青緑の海面下に透けるサンゴ礁と、地平線いっぱいまで敷き詰められた濃い緑。なんて美しい、虹のような楽園だ。映画やTVなんかじゃ味わえない、肉眼で直に感じる色彩の調和だ。しあわせな気分に、僕は感激して声も出なかった。これが大袈裟だと思うなら、実際に経験してもらいたい。

 カンクン空港はシンプルで小綺麗な造りだった。無機質な税関を出ると、徐々に南国メキシコの空気に変わり始めた。行き交う人や色あざやかな売店には開放的な気配が漂っていて、まるで長旅を終えたような心持ちになってしまう。到着ロビーで出迎える人々の中にトニーがいた。
 先に僕を見つけて手を振っている、彼の隣では長身のエドベンが穏やかに微笑んでいた。かつて一緒に遊んだ頃と変わらない、ひとなつっこい笑顔だ。彼の手が、僕の肩をバシバシと叩いた。
「ハロー、モト!」そのひとなつっこい笑顔を見上げて、
「オーラ!」僕も笑った。
 空港の外は真昼の日差しを照り返し、僕は目を細めて歩く。サングラス越しでさえ、なにもかもが白っぽく発光して見える。その熱は、オーブン・レンジに突っ込まれたようだ! 着いて早々、熱帯の手荒い出迎えかよ。日本の夏とは根っこから違う。
 風はなかったが、空気が乾いているせいか爽やかに感じられる。それでも慣れないせいなのか、やけに息が詰まって苦しい。気温差が関係しているのだろう、サウナ風呂に入った時の呼吸困難に似た空気圧だ。それとも酸素が濃いのか?
 エドベンが、駐車場から車を回してきた。
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メキシコ旅情【旅路編・5 カーサ・ブランカ】

 この白いワーゲン、エドベンには申し訳ないが思わず笑ってしまった。そして背筋が、ちょっと冷たくなった。カーステレオもエアコンもない、それどころか内張りすら無いという極め付きのシンプルさ。シブ過ぎ。というか、窓の開閉レバーもなくて床の鉄板に穴が開いてるんだけど?
 ともかく2人は意にに介さず普通に乗ってるし、僕も(ここで乗らなきゃ一生乗れないぜ、こんな車)と思い直した。ま、どっちにしろ乗るしかないんだけど。
 これはエドベンのパパの車で、エドベン自身の車はまだ部品が揃っていないのだそうだ。どうやら給料日毎にパーツを買い集め、こつこつ組み上げている途中らしい。って、プラモかよっ! とツッコミ入れたくなるけれど、これに乗ってりゃあ納得するしかないよな。
 機能本位と言えなくもないが、これをアクセル全開で走らせるとは恐れ入る。僕を怖がらせる冗談ではなく、本当にこれで彼の家に向かうのだと言われて一気に熱が引いた。洒落なんかじゃなくて、マジに風圧で車体バラバラになりそうだ。最初は硬直していた僕も、じきにアドレナリン出過ぎて気持ち良くなってきた。
 ワーゲン・ビートルという車は、地を這うような乗り心地がするものだ。そして、ちっとも速くないくせにやかましい。エドベンパパの白い車は、それにもまして「頑張れー」と祈りたくなるほどの揺れと騒音で走るのだった。老いぼれた野良犬のようで、かわいい。
 何車線もある真っ直ぐな道を飛ばしていると、路肩の森が途切れて海が見えた。窓を全開にしているので、後部座席にいると前の2人の声が風にかき消されて何がなにやら。なんとか聞き取ろうとして気を取られているうちに、いつの間にか窓の景色は静かな住宅街に変わっていた。
 スピードを落とし、細い路地に入る。湾曲するアスファルトの両側にサンタ・フェ調の家々が並んでいて、いかにもメキシコらしくなってきた。やがて白い建物が見えてきて、突然トニーが「カサブランカ」と僕に言った。カーサは家でブランカは白、つまりホワイト・ハウスがエドベンの家だったのだ。
 僕らを車から降ろすと、エドベンは鉄格子を開いてガレージに車を停めた。

 一階の正面は、重々しい黒い鉄格子で覆われている。ガレージ奥の右側に重厚な木の扉があり、僕はエドベンの後から入った。そこは玄関も何もなく、いきなりリビングとダイニングを併せたような部屋になっていた。暗くて様子が判らなかったけれど、むしろ表の日差しが強すぎたのだ。トンネル効果って奴だ。すぐに目が慣れて、そこにいたエドベンのママとお姉さんに紹介された。
「ブエノス・タルデス、メ・ジャモ・モト、ハポネス、ミ・アミーゴ、エドベン、トニー……」
 訳さなくても想像つくと思うけど、僕はたどたどしいスペイン語で自己紹介をした。
 冷や汗ものである。もっと練習しておくんだった、と今ごろ悔やんでも仕方ない。ともかく気持ちは通じたらしく、ママは顔いっぱいの笑顔で応えてくれた。ふたりに通訳してもらうと、彼女は「トニーよりもスペイン語の発音が上手だね」とほめてくれたようだ。
 そんな筈がない、彼は7月頃から来て家庭教師を雇っているのに。でもトニーが言うには、スペイン語の発音は英語よりも日本語に近いそうだ。ともかく、気に入ってもらえたなら嬉しい。
 あいさつを済ませると、トニーは僕を部屋へ案内してくれた。ガレージ左側にあるコンクリートの階段を上ると子犬が二匹、転がるように駆け降りてゆく。トーティはエドベン家の犬でミニチュア・ダックス、黒いムクムクした犬はティキーだ。
 意外なことに二階は吹きさらしで、そこに独立して幾つかの部屋が建っているという、不思議な造りになっていた。う〜ん、さすが異国の発想は違う。ガレージの真上と階段の正面に一棟づつ、正面がトニーの部屋だった。入口は右手にあり、回り込んだら右端から屋上への階段があった。奥にもまだ部屋があり、人に貸しているらしい。
「モト、足元に注意しろよ!」
 急に言われてびっくりした。ドアの前に足跡付きのウンチがあって、間一髪で避ける。3匹目の犬、ヨーディの仕業らしい。なぜか必ずこの位置に残していくレガーロ[お土産]らしい。今回は運が良かった、今日から僕はこの部屋に居候するのだ。気を付けよう…。
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2005年05月26日

メキシコ旅情【序章・1 ごあいさつ】

 前略。

 この話は、僕の旅日記を基に、1996年の秋に訪れたカンクン(メキシコ)周辺での体験記です。

 基本的にノンフィクションですが、主観的な視点と思い違いも含まれています。

 それから情報が古くなっている事柄も多々あると思いますので、これから彼の地へ渡航される方の参考になるのかは分かりません。

 楽しく読んでいただければ、と思います。

 では、どうぞ!
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メキシコ旅情【序章・2 おもな登場人物】

《 おもな登場人物 》

トニー  ‥‥‥‥  僕の友人で先生
エドベン ‥‥‥‥  トニーの元ルームメイト

グラシエラ ‥‥‥  トニーの隣人、ビアネイのルームメイト
ビアネイ ‥‥‥‥  トニーの隣人、グラシエラのルームメイト
ティミー ‥‥‥‥  トニーの隣人

アレタ ‥‥‥‥‥  女子大生、空港でバイトしている
ヘセラ ‥‥‥‥‥  女子大生、空港でバイトしている
スシ男 ‥‥‥‥‥  大学生
草むら君 ‥‥‥‥  大学生

ベイビー・ベイブ‥  トニーのお気に入り?
クラウディア ‥‥  グラシエラの英語学校の同級生
エレーナ ‥‥‥‥  トニーの家庭教師

イダルミ ‥‥‥‥  ビアネイの友人、大学職員
アイザック ‥‥‥  イダルミの同僚でBF

マカレナ軍団 ‥‥  近所の子供
ヨーディ ‥‥‥‥  フェルナンデス家の飼い犬



cancun_family
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メキシコ旅情【序章・3 INDEX】 

メキシコ旅情  目次

【序章】
 (本編前の簡単な紹介など)
 1 ごあいさつ
 2 おもな登場人物
 3 INDEX

【旅路編】 (約12時間のフライトを経てエドベン宅に着くまで)
  9月23日(月)
 1 助走
  9月24日(火)
 2 事情
 3 束の間のアメリカ
 4 ダラスからカンクンへ
 5 カーサ・ブランカ

【純情編】 (最初の2日間と主要な人物との出会い)
 1 真昼
 2 シエスタ
 3 初夜
 4 隣人
  9月25日(水)
 5 異国の朝
 6 ジェスチャーの嵐
 7 贋ペソ?
 8 スペール・メルカド
 9 みんな踊ろう
10 スペール・メルカドpart2
11 ダンス・パーティ

【風雲編】 (日常生活と愉快な偶然、そして嵐の前の静けさ)
  9月26日(木)
 1 ビエン
 2 洗濯とお迎え
 3 学校
 4 郵便局
 5 ギターおじさん
 6 メルカド
 7 マリアッチ
 8 スケート
 9 分岐点

【分水嶺】 (皆既月蝕の一夜、不安と浄化の日々)
 1 始まり
 2 恐怖
 3 月蝕
 4 ドミノ
  9月27日(金)
 5 新しい季節
 6 セントロ
 7 試練
  9月28日(土)
 8 天気雨
 9 心の敵
10 お土産

【水源編】 (海へ泉へ、物見遊山と感謝の日々)
 1 ガレージパーティ
 2 タコ屋台
  9月29日(日)
 3 ディエゴの災難
 4 水厄の日?
  9月30日(月)
 5 車屋めぐり
 6 誕生日
 7 二転三転
 8 浜キャンプ/月光浴
  10月1日(火)
 9 プラジャ・チェムイル&岩場の池
10 セノーテ・シカセル
11 セノーテ・カンキルチン

【立身編】 (女性たちとの楽しい日々)
 1 プラジャ・デル・カルメン
 2 セクレテ・アルマ
  10月2日(水)
 3 写真屋おもちゃ屋
 4 クラス・メイト
 5 クラス・メイト2
 6 ホットなベイビー
  10月4日(金)
 7 伏線(妄想?)
 8 ハーレム・ビーチ
 9 内心

【郷愁編】 (旅の折り返し地点)
  10月5日(土)
 1 ジャングル・フィーバー?
 2 ワイルド・キャット
 3 ダンス・チキン
 4 裸の勝者
  10月6日(日)
 5 ブラジリアン
 6 偶像崇拝…?
  10月7日(月)
 7 炎天下
 8 ボンゴ、2週間

【逃避編】 (思いがけない小旅行)
  10月8日(火)
 1 バスに揺られて
 2 狭き門
 3 マヤの遺跡トゥルム
 4 プラジャ・デル・カルメン
 5 熱いシャワー
 6 島の夕べ
  10月9日(水)
 7 コスメル島
 8 自己責任
  10月10日(木)
 9 思惑色々
10 洗礼
  10月11日(金)
11 ささやかな初体験
12 総集編…じゃないの?!

【ハバナ!前編】 (帰国目前に降って湧いたキューバ行きのスリリング体験)
  10月12日(土)
 1 ドラッグ・ポリス現る
 2 ドラッグ・ポリスの逆襲
 3 鉄板一枚カリブ海上空
 4 キューバについて
 5 チーノ…?!
 6 ロスト・イン・ハバナ
 7 カサデラムジカの夜
 8 NGラ・バンダ
 9 青いバンビ
  10月13日(日)
10 路上の都会っ子
11 オールド・ハバナの光と影
12 ハバナの黄昏
13 ブラック・マーケット
14 看板のないレストラン
15 真夜中のオアシス
16 ディスコ・インフェルノ…?

【ハバナ!後編】 (アクシデントと友情の危機)
  10月14日(月) 
 1 一難去って…
 2 女神の居所
 3 矛先
 4 ジョ・アモー・キューバ
 5 キャンパス・ピンボール
 6 カリブの迷宮?
 7 Do my duty
 8 ノーチェ・クバーナ
  10月15日(火)
 9 ハンバーガーの聖者

【帰郷編】 (最後の一日と帰国の旅路+後記)
 1 ウェイ・オブ・ライフ
 2 さようなら
  10月16日(水)
 3 帰国の朝
 4 アディオス・アミーゴス
 5 機内サービス
 6 北米縦断4時間の空旅
  10月17日(木)
 7 夏から冬へ
 8 シアトルの朝
  10月18日(金)
 9 日本

10 あとがき
11 後日談


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2005年05月20日

80*Womanity

ku80.jpg
「Womanity」というのは、自作曲に付けた僕の造語なの。読んで字のごとく、ウーマン+ヒューマニティって意味ね。
 演奏時間10分のインスト曲で、未だに(これ以上の曲は作れない)って気がしてる。少なくとも、打ち込みではね。もう何年も前に作ったんだけど、以降は同じような打ち込み作業で曲は作ってないもんなぁ。
 やっぱり、満足しちゃった時点で終わりなんだろう。言い換えるなら、創作意欲というか(まだ表現し切れてない)っていう渇きのような部分が充たされちゃったんだね。唄モノに関しては、まだそこまで達してないけれど。
 それはともかく。女性性、というか広く一般に女性的とされるエネルギーについて。
 もう何十年も昔に発表された筒井〇隆の小説で「主人公の女性が、神様から引き継ぎを任される」というような話があったのね。(それからというもの、世界は女性化し始めている…)といったオチでさ。さすがにウーマン・リブ運動よりは後に発表された作品ではあるけれどね、時たま思い出すんだよ。
 ニュー・エイジではアクエリアン革命とか、宗教では民間のマリア信仰、それに巷の癒しブームね。環境ホルモンでのメス化、電磁波の影響で男の子が生まれにくくなる…等々。この10年余りで見聞きした話題は、ますます世界が女性化してきてる感じで。
 それに「〜に優しい」なんてフレーズもそうだし、最近ではヒステリックなまでに感情的な事件報道とかもね。
 ひどく男性的だった、古い価値観からの揺り戻しが起きているのかもなぁ。たとえば解き放たれた女性的なエネルギーが、その勢いで歪んだ形に突出して不協和音を生んでいるんじゃないかって気がするのよ。
 だって愛は地球を救わないし、弱者救済というのも両刃の剣じゃない?…なぁーんて大きな声じゃあ言えないけどさ、そういう誰にも反論できない正論を振りかざすのもまた暴力的な匂いが感じられてね。
 こんな言い方だと、まるで環境保護や福祉拡充に反対してるみたいだけど。そうじゃなくて、なんというか、バランスの問題だと思うのよ。男尊女卑から下克上なんて方向じゃないじゃん、やっぱ調和でしょ? そんで、今は過渡期的な状況なのかなって。

 ところで、よく「大和撫子」と形容される(古き良き女性の理想像)ってのは、明治〜大正時代の西洋思想をもてはやす風潮から生まれた一種の輸入品だという説があるらしいのね。詳しくは知らないけど。
 つまり、近代に作られた「女性かくあるべし」といった幻想が、いつのまにか歴史認識っぽくすり替えられてしまって現代に至る…と。
 ちょっと面白いよね、僕らが(というより、僕らにとってのウルサ方が)抱いている民族的オリジナリティの一部が虚構に基づいていたって思うと。
 実際、江戸庶民は男女の身なりが逆転したような、優男と威勢の良い女が流行ったとか(これも詳しくないけれど)。

 まぁこれは勝手な想像で言うんだけどさー。男性優位社会ってのは、人類の長い歴史の中で西欧文明に偶然できた一瞬の産物じゃなかったのかなって。「もののけ姫」に出てくるタタラ場の女衆みたいにね、どんな民族社会でも女性が担う役割って小さくはなかった気がするんだよなぁ。
 だって男性の寿命は短いし、案外ストレスに弱いしさ。女性を抑圧してたというより、それぐらい手加減してもらってやっと男女エネルギーのバランスが取れてただけかもよ?

 余談ながら、僕は田嶋センセイって割と嫌いじゃないんだよな。この頃お見かけしないけど。

平成17年5月19日



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