2005年06月29日

85*愛のコリーダ

 この頃、よく「愛のコリーダ」が頭の中を駆け巡るんだよなぁ。
 かなり昔の曲だけど、最近よくCMで流れててさ。図書館でCD見つけたから、歌詞カードをコピーして歌ったりしてるのね。部屋ン中でだけど。
 もうすっかりカラオケなんざ行かないけどさ、こういうのって隠し球的に役立つ事もあるんだよ。だって職場の歓送迎会なんかで、急に「オマエも一曲やれ」みたいになったりするじゃん?
 まぁ、そういう初っ端では「上を向いて歩こう」に決めてんだけどね。居酒屋で「とりあえずビール」と言うように、バーで「まずはジントニック」を頼むように。どんな年齢層でも大抵は知ってるし、これが十八番って人は滅多にいないだろうという選曲。
 それで一巡して、またリモコンを振られたら隠し球の出番なのよ。以前「〇ルマゲドン」という映画が封切られた時期には、その主題歌だった曲を泣きむせぶ勢いで歌ったりもしたなぁ。他にも(裏声で山本リンダ)っていうのもあるけど、その辺は隠し球というより変化球か。
 あと、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」もそうだなぁ。あの曲を知らない人には、引かれちゃうかウケるか紙一重。バンドのライブ打ち上げでも、メンバーの連れてきた女性客の前で熱唱したら迷惑顔だったし…。
 時々「クレイジー・キャッツ」を持ち歌にしてるい人がいて、あれも一種の隠し球だろうなって思う。僕にとっての「大ちゃん数え歌」も…って、アレ? なんか僕って意外とカラオケ熱心なのかも。
 でも、カラオケって所詮(他人の歌)なのよ。自分の唄じゃないからさ、上手下手より適当に面白がってる感じ。作詞作曲する人ってのは、結構そういうもんじゃないのかって思ったりしてるんだけどね。

 かなり前に、カラオケ屋でもバイトしたのよ。そういえば20種近くバイトしたけど、夜中の仕事ってそれだけだったなぁ…というのはともかく。
 その店では、ヒマになると(休憩)と称して順番に空室で歌ってたのね。まだ当時は流行のJ−POPというのも知ってたんだけどさ、やっぱ毎回だと飽きてきちゃうんだわ。それで訳分かんないのを歌ってるうち、件の「上を向いて歩こう」やら隠し球を覚えたんだけど。
 ところで、そこの最上階は「出る」と噂されてたの。誰も見た訳じゃないけど、もちろん休憩には行かなかったね。でも閉店して片付けてると、店長が有線の音楽を読経に変えやがるんだよなー。ああいう部屋って窓がないから余計に怖かった、というかエレベーターの中が最悪。
 そこで新人のバイトが、来た早々「最上階だけは行きたくない」って辞めちゃったの。霊感が強いコだったみたいでさ、それで誰も行きたがらなくなっちまって。なんだか店長と僕が交替で片付けしてたような気も。
 ちょうどその頃に、初めて金縛りを体験したんだ。あれってさ、急に目が覚めるんだよね。それと同時に(動かない!)って分かるの、不思議と。恐る恐る目を開けたら、一見変わりないんだけど空間が歪んでて。高熱出した時に見える感じ、だけど何か違うの。
 当時は親元を離れて、友人と2LDKのアパートを借りてたんだよ。隣室を友人が使ってて、ドアの向こうにキッチンがあって玄関という造りの。で、ドアの外に誰かがいる気配があってさ。そんで(やっと帰ってきたのか)と思ったら、板張りのギシギシいう音がしてないんだよね。
 耳を澄ますと、それはドア越しにこっちの様子を伺いながら揺れてる気配なの。もう必死にあらゆる念仏唱えてさ、丹田(ヘソの下)に気合を入れて「どりゃー!」って叫んだら金縛りが解けた。相変わらず目の前の空気は歪んでたけど…。
 やっぱカラオケ屋から連れ帰って来ちまったんだろうか、でも数年後に通ったら店は潰れてたけど。

 大昔は人間も、動植物みたいに自然と同調するチカラがあったっていうじゃない? だけどその感覚を手放しちゃったのも分かるよ、だって敏感すぎると怖いじゃんね。
 夜道を歩いてると、前方の女性が駆け出していっちゃう時があるの。まさか霊感とかで、僕に憑いてる何かが見えたりしてないよね…? 単に怖がりで、小動物のように戦々恐々として生きてるなら構わないんだけど。

「愛のコリーダ」って、なんだかストーカーっぽい歌詞なんだってね。意外。

平成17年6月29日
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(写真は、ほぼ本文と関係ありません)
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2005年06月23日

84*禁止と提示と9年日記

 友人から、久しぶりに手紙を貰ったのですよ。僕の誕生日ということもあって、贈り物と共に。
 その手紙の初めに、とある女性から彼に「10年前の貴方は、何をしていましたか?」というような質問をされた事が書かれていたの。そうして、僕らが出会った9年前へと話は続いてゆくんだけどさ。なるほどなぁー、と思ったね。
 ひとつには、普通に(そうか、もうそんなに経つのだなぁ)という感慨めいた気持ち。そして思ったのは(こうきたか)という、筋運びの妙に対する感嘆だったんだわ。話を展開していく上での、僕の言い方でいえば「フック」みたいなものですな。
 以前、別の知人が「今やストーリーのパターンは出尽くしています、要は『如何に語るか』という点ですよ」とか言っていたのね。映画についてだったんだけど、これは近頃の音楽シーンにも当てはまる気がするんだよなぁ。
 物語の筋書きってのは、もはや基本要素の組み合わせで生み出されている感じがする。悲劇的、あるいは喜劇的な展開のバリエーションに、新しい舞台や人物を入れ替える手口。それでも人には物語が必要で、つまり内容以上に語り口…ストーリー・テリングの力が重要なんだなって。
 そういえばTV番組の「ト〇ビアの泉」ってのもさ、あれなんか(いかに見せるか)なんだよね。それを言ったら「タ〇リ倶楽部」の空耳アワーなんて、本当に見せ方だけで笑わせられてるもん。同じ内容をラジオで放送しても、あんなに面白くならないでしょ(分からない方、ゴメンナサイ)。

 話を戻して10年前。今までの人生では最悪の数年間だったよ、朝のラッシュで誰かを殴りつけたりして。激情に駆られるまま他人を攻撃して、それですぐ自己嫌悪に落ち込んでね。
 とにかく一般的な勤め人になる以外、大人として生きる選択肢は見えてなかったのよ。自分が何をしたいのか、何か違うと感じながらも立ち止まるには遅すぎた。…と思い込んで、うっかり定年までそうやって生きて行くところだった。父の背中を追うっていうのは、悲しいくらい向いてなかったんだわ。
 で、9年前。彼と僕は出会ったの、他の友人達とも。ついに会社勤めを辞めてしまい、さりとて資格も肩書もなく何をしようというでもない時期に。そして、そこで会った別の人に「10年日記」というのを見せてもらってね。僕も(日記をつけてみるか!)と思い立って9年日記を作ってみたんだよ。
 昔っから注意力散漫と通信簿に書かれ続けただけあって、日記なんて夏休みの宿題が最長記録だったのね。でも長いこと続いたなぁ、我ながら見事に。本当なら今年の5/15で満了していた筈なんだけどねぇ…。でも7〜8年は継続したもん、立派。

 ま、とかくこのように自分に甘い僕なのです。だけど他人にも甘い、と自負してるんだけどね〜。実際どうなの? ってのは置いといて。だって自分に厳しい人ってさー、他人に優しく出来る訳ないって思ってるのよ。僕は自分の味方でいよう、それについての罪悪感も大目に見ようって。
 優しい素振りでオーラが怖い、そういう人っているでしょ。自分を律している人は、無意識に他人も同じルールで見ちゃうんじゃないのかなぁ。逆に言うと、誰かに禁じてしまった事で自分が縛られていたりね。たとえば「〇〇すんなよ」とか言ってると、その言葉が自分の足かせになるような。
 僕は(人に優しくしなくちゃいけない)という規範で生きてる人の側にいると、相手を苛立たせたり自分が参っちゃったりするのよ。だからって、かつての(自分の味方にならない)みたいな人にもエネルギーを吸い取られちゃう感じで。
 なかなか心地よく共鳴できる人っていなくて、それで人込みが苦手なのかもなぁ。すぐ地が出ちゃうというか、気が立ってくるのを抑えてるのも疲れるし。
 そう思うと、こんな今の僕が付き合っていられる友人達って希少種だわ。ありがたいありがたい、お互い絶滅しないよう手を取り合って今後とも末長く宜しく。

平成17年6月22日
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(写真提供=ぴょん)
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2005年06月15日

83*'68アンテナ

 僕はスポーツ中継を観ないので、サッカーボールの変化に気付かなかった。
 すでに白黒の亀甲模様なんかじゃなくなっていたんだよね。あの柄も、実は1968年のメキシコ五輪から普及していったのだとか。それ以前は、バレーボールみたいに単色で細長い縫い目が入っていたらしい。
 そして、そのバレーもサッカーも何回前かの五輪から訳が分からないボールになってしまっていたそうで。はぁー、時代ってやつですか

 1968年。いつからか、僕のアンテナはその年を意識するようになっている。自分が生まれた年ってのもあるんだろうけど、それ以上に気になってしまう年代で。
 明治維新から、まる100年後。高度経済成長、学生運動、日米安保理、フリー・ジャズ、アクション・ペインティング、ベトナム戦争、ヒッピー、サイケデリック…などなど。年代的な幅はあるけれど、そういった時代のキーワードには敏感かもしれないって思う。
 そしてなんとなく、そこには現代の分水嶺があったんじゃないかってね。根拠はないけど、そんなふうに思ったりして。
 で、時々ふと思うのよ。その辺の時代性に反応しやすい、自分の('68アンテナ)が出来ちゃった根っこについて。そうすると、どうしても「〇パン三世」というTVアニメに辿りつくんだよなぁ。
 僕は、物心付いた頃にはその番組を観ていたの。幼稚園の頃から、再放送も欠かさず観ていた記憶があるし。それで小学校高学年で最初のアニメブームに当たって、少ない小遣いで本やらレコードを集めてね。

 一説によると、あの主人公は元フーテンだったという。闇のシンジケートによって一族の後継者として見出されるまでは、ヒッピーまがいの若者だったのだ…。そんな企画当時の裏話を知って、当時の時代風俗に関心を抱くようになったのが('68アンテナ)の萌芽だろうな。
 そこで出合った知らない言葉を追いかけていくうち、子供ながらに(70年代の空気とは違う何か)を感じてね。この物心付いた時から平穏無事な日常が、ちょっと前まで目茶苦茶だったという…。それはたとえば肉親の別の顔を見ちゃったような衝撃で、一種コペルニクス的展開だった訳よ。世の中の営みは、幼い身の丈を越えてたというか。

 ちなみに〇パン三世は読心術(読唇術?)の達人という設定もあって、そっちに伸ばしたアンテナが心理学につながっていったのね。フロイトからユングを経て西欧のキリスト教的世界観(神秘主義・オカルト)に拡がって、しまいには構造哲学や文化人類学やニューエイジもアンテナの範疇に…。って、もちろん専門知識は皆無よ?
 所詮は素人の浅学、ただの好奇心だから大した事ぁない。
 それに、すべてはこじつけかもしんない。そう思っていても、何かしら興味を持った事柄ってのは関連してくるんだよなぁ。大抵は、その年代にフックがある気がしてね。まぁ人間の性質って先天的な要素は大きいから、もともと自分の内にあった傾向が偶然「〇パン三世」を観て引き寄せられたのかも。
 風が吹くと桶屋が儲かる、という諺がある。巷には、色々な風が吹いてるんだよなぁ〜。

 ところで(明治維新から100年しか経っていない)というのも、改めてそう考えると驚きだよ。今年で137年か、でも当時のザンギリ頭で想像してた程じゃなかったりしてね。ハードはともかく、ハートの面では。
 だって未だに西洋偏重主義が幅を利かせてるじゃん、クールビズとか言ってみてもさぁ。案外100年昔のほうが、梅雨はしのぎやすかったりしてね。
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平成17年6月15日
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2005年06月08日

82*すべての山に登れ

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 これは、とある有名なミュージカル映画の挿入歌(の訳詞)。
「夢はあなたが与える全ての愛情に必要です/あなたが生きている限り、あなたの人生の毎日は すべての山を登ることです/すべての流れをわたり/すべての虹を追って/あなたの夢を見出しなさい」
 良い詞だなぁ〜って、まるで(ワタリウム美術館で観た、シュタイナーの黒板絵に添えられた言葉のようだ)と思ったの。他に譬えようがない、シンプルで明確な感じが。

 先日、友人と会っていて思い出した事があるのね。その彼と、三宅島で1カ月くらいキャンプをしてた時の事なんだけど。
 雄山が噴火する前年か、その1年前だったか。夏の終わりから秋の半ばまで、特に何か具体的な予定も期限もなく…といっても、無論テントは別々でね。一緒にメシの支度をしたり別行動を取ったりして、台風の時以外は毎晩たき火して。
 そうして日々は単調に流れるかと思いきや、入れかわり立ちかわり新たな登場人物が現れて、盛り上がったり翻弄されたりする毎日でね。精神的にもシンプルライフを望む、というより混乱した状況を自分達なりに把握したくて、僕らは折あらば話をしていたんだ。
 そんな話の最中に、僕は「あ、今カラスが後ろの電線に止まった」などと言ってた…らしいの。すっかり忘れていたけれど、そういえば僕は何でも(あれは何の予兆だろう?)と考えていたんだよなぁ。その頃の僕は「予兆を読む」という事に凝っていて。いや、憧れていたんだよな。
 そのキャンプよりも数カ月前からの事だけど、特に(動物の送ってくるメッセージ)を読み取ろうとして敏感になってたんだ。たまたま読んだ何冊かの本に、そういった内容が書かれていたから気になってね。
 自分の周囲に起きている事と、内面の動きには関連している…それは今でも僕にとってリアルな考え方ではあるのよ。だけど当時は、とにかく(予兆を読み解く)事そのものに焦点が合っていたみたい。それは今だって憧れてるんだけどさ、あんな熱病のように神経を尖らせてはいないもんなぁ。

 その時期の僕は、よく「分水嶺」という言葉を口にしていたっけ。まぁ今になって振り返ると確かに、当時思ってた以上に幅広い「分水嶺」の期間にいた気はする。
 勤め人という生き方を諦めた1年後、僕はユカタン半島の幻想的な浜辺で月光浴なんてして、更にその1年後には三宅島で「1カ月1万円で」とか言ってテント暮らしをしてたんだからな。
…という書き方をすると、まるで(じゃあ今は分水嶺以降の下り坂なのね)って印象になっちゃうか? ま、どっちだっていいや。たとえ人生の折り返し地点を過ぎたんだとしてもね、それ以降が別に欺瞞と不満にまみれているって感じじゃないし。むしろ毎日が、より楽しめる方向になってる気がするからなぁ。
 そうねー、ゆるやかに下ってゆくような脱力加減とかね。しかも目の前に開がるのは一大パノラマ、そのままフワリと宙に浮いちゃえ〜!…てな感じで。
 ものは言いようですからね、好いように(笑)。

 ただ、微妙に寂しくもあるのは、脱力と同時に「熱」も失っちゃったような気もしたりして。何かに熱中している高揚感っていうのが、ふと懐かしく思える時もあるのね。
 元来、集中力は高く短いほうなのよ。だから一般的な熱量と比べれば、そんなの微熱程度だったのかもしれない。それに、一種の無風状態というのも悪くはないなって思えるんだよ。ただねぇ…。
 あの20代の集中力で世間並の地位や財を得た上での滑空ならば、もしかしたら巷の30代後半男性に共通の安定感なのかもって思えるのね。だけど僕ときたら、そんな高い山は越えてないんだよな〜。

 先日の、友人と会って話したのは標高800メートルの山で、だった。
 キャンプに出掛ける切っ掛けは、彼が見た「御蔵島の断崖で何かをしてた僕ら」という夢だったんだ。初夏の高尾山で、そんな話を聞いてるうちに(それじゃあ夢の場所へ行ってみようか)と言っていた訳よ。
「夢はあなたが与える全ての愛情に必要です/あなたが生きている限り、あなたの人生の毎日は すべての山を登ることです/すべての流れをわたり/すべての虹を追って/あなたの夢を見出しなさい」

平成17年6月8日
posted by tomsec at 17:45 | TrackBack(0) | 空想百景(ALL) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする