「早く起きるんだ、出掛けるぞ!」
急がないとバスに間に合わない…って、また例によって急展開かよ〜。しかも朝っぱらから!? 訳も分からないまま眠い目をこすりつつ、手早く荷造りしてセントロのターミナルに向かう。
僕が寝ている間に、トニーとグラシエラで「今日はエドベンが休みだから、皆でどこかに行こう」と話し合っていたそうだ。ところがエドベンの姿が見えないので予定を変更して、僕達3人でトゥルムに行く事にしたらしい。そういう話は勝手に決めないで欲しい。
不愉快さを別にすれば、その提案には異論などない。なんといっても(往復千円程度でマヤ遺跡+ビーチ付き)だ、実に良い話ではないか。
トゥルムはカンクンからさほど遠くない場所なので、日帰り小旅行には手頃な行楽地だ。位置的には南で、バスに乗って片道約2時間。
「時間があれば、プラジャ・デル・カルメンにも立ち寄ろう」
トニーは僕に言った。エドベンのバースデー・ピクニックで、最後に立ち寄ったビーチだ。ちょうどカンクンとトゥルムの間にあって、治安も悪くないし物価が低い(とはいえ、観光地だけに国内の基準からすれば高いらしいけど)。若いバックパッカーがたくさん集まる賑やかな所らしい。
トニーは、繰り返し「あそこはまるで楽園だよ〜」と言うのだった。
セントロのターミナルは、トゥルム通りのロータリー付近にある。クラウディア達と「クラブ・メッド」のビーチに行った時の、あのバス乗り場の奥だ。そこは、僕の自宅に隣接している鮮魚市場を思い出させた。
ひっきりなしに発着するバスを保冷車に見立てれば、あれより規模は小さいけれど似た雰囲気だと思う。券売所の黒板に殴り書きされた文字が、魚の名前とセリ値に見えてくる。…もちろん、本当は行き先と発車時刻なのだが。
チケットはトニーがまとめて買ってくれた。グラシエラに任せたほうが無難だろうと思ったけど、彼としては自分のスペイン語を役立てる機会だったのだろう。すぐに出発する便があるというので、僕らは乗り場に急いだ。一列に並んだバス停に、入れかわり立ちかわりバスが出入りしている。
乗り場の番号を確かめて、そこに入ってきたバスの車掌さんに行き先を確認する。長距離バスとはいっても、せいぜい乗れて三十人だ。トイレも付いていないし、多分ユカタン半島の付け根ぐらいまで行って帰ってくる路線だろう。
車内は、案の定よく冷えている。乗り込んだ瞬間は快適なんだけど、長袖シャツをはおって丁度良い。乗り込んで待つうちに、バスのエンジン音が一段とやかましくなった。ブシューッと乗降扉が閉まり、黒々とした排気ガスを撒き散らして走りだす。
間もなく、バスはセントロの街並みを抜けた。そこからは単調な風景が続く。交差点も標識も看板もない平坦な一本道、その両側は木々が埋め尽くしている。やがて検問が見えてきた。ここから先はカンクンの外なのだ。
バスがスピードを落として接近すると、明らかに検問しているのは軍隊だった。全員がオリーブ・グリーンの制服を着込んでいて、ヘルメットとライフルを装備している。路肩には装甲車、道路の四隅に土のうでトーチカが作られていた。
トニーが小声で僕に言った。
「カメラをしまえ! もし(軍の機密を撮った)なんて誤解されたら大変な事になる」
ずいぶんと大げさだなぁ、ツーリスト相手に。
「そんな、大丈夫だよトニー…」
トニーが険しい目付きで僕をにらみ、鋭くささやいた。
(言うことに従え!)
バスが停車したと同時に、自動小銃を構えた兵士が乗り込んできた。その素早い身のこなし、映画で観た〈テロリストがバスジャックする場面〉だ。車内の空気が、一瞬にして凍りついた。乗降扉は開け放たれたままでも、流れ込んでくる熱気がまったく感じられない。
兵士は席を見渡し、ゆっくりと通路を歩いてくる。銃を小脇に抱え、指は引き金に掛けたままだ。目が合った乗客が兵士に微笑みかけたりして、緊張感をほぐそうとするがニコリともしない。ピクリとでも動いたら、容赦なく銃口が火を吹きそうだ。
僕と目が合った。足を止め、一度そらしかけた視線を僕に戻す。兵器のように、男はゆっくりとした動作でこちらに向き直った。そして無表情のまま、僕のカバンを指さした。予期せぬ事態に作り笑いもままならず、僕は「あうあう」と口を動かしただけだった。男の指先が上下して、早くバッグの中身を見せろと言っている。
あぁ、なんてこった! よりによって、僕のバッグはサープラス(軍放出品)じゃないか…。指先の震えを抑えて中身を出そうとしたら、男は首を軽く振って立ち去った。ひょっとしたら、僕が外国人観光客と判らなかったのかもしれない。とにかく、ヒヤリとさせられた一瞬だった。
悔し紛れに、僕は窓越しに奴等の写真を撮ってやった。もちろん、バスが動き出した後で。
乗客の大半が寝ていた。残り半分も僕と同様、今しがた目覚めたばかりだった。
気が付けば、バスは民家の間を走っている。ブロック塀の向こうから、青々とした枝を伸ばす木々。車窓に踊る木漏れ陽と影を、すり抜けるように町を進む。家々はどれもコロニアルな趣があり、それぞれに違うピンク色をしている。こんな所で暮らしたいなぁー。
のんびりとした空気と、鮮やかな色に包まれた村。ここが、プラジャ・デル・カルメンだった。
この前は日が落ちてから来たので、夜の印象しか持っていなかった。未舗装で、ひどい水たまりが多くて、ココモ状態のビーチ…。そんな夜の表情も悪くないけど、昼はまた一段と良い感じのちっぽけな町だ。
バスはここを経由して、次のトゥルムに向かう。何人かが降りて、何人かが乗ってきた。次の機会は、ゆっくりと訪れてみたい。
うまくいけばトゥルムの帰りに寄れるかも…? 当てにはしてないが。
2006年03月06日
メキシコ旅情【逃避編・2 狭き門】
プラジャ・デル・カルメンを出たバスは、再び単調な幹線道路を突っ走る。
また僕は寝た。トニーに起こされると、かなり寝汗をかいていた。冷房を効かせても、直射日光が強すぎるのだ。トゥルムに到着。
バスは路肩の砂利に僕らを降ろすと、土埃を巻き上げてアスファルトの彼方に消えた。そこから僕はトニーとグラシエラの後に付いて、脇道の歩道をだらだら歩く。わざわざSLを模した乗り物を遺跡の真ん前まで走らせなくても、なんでバス停の位置を移さないんだろう?
追い抜いてゆくSLから、白人のちびっ子が手を振る。可愛いので振り返す。大きな遊園地などの敷地内を走る、連結式のトラクターみたいな車だ。
両側から張り出した木の枝が陰になって、ちょっとした暑さしのぎにはなる。しかし風が吹かず、木々の噴き出す湿気がまとわりついてくるようだ。またSLに抜かれたが、三度目は手を振る気になれなかった。暑いし、くたびれてきたからだ。どこなんだよ、肝心の遺跡は…。
ふぅー、やっと着いたらしい。目の前の密林が開けて、石の壁が続いている場所に出た。さっきのSLが横付けされている。近くの売店で入場券を買うのだろう、そこで飲み物を買うと…やっぱり高かった。商売人は、どこでもそうするのだ。
グラシエラがトイレに行っているのを待つうちに、僕にもビッグ・ワンが来てしまった。かなり強気な奴が下っ腹に打ち寄せ、ビーサンの足の指が全部くの字に折れ曲がってしまう。
「トニー、緊急事態発生…」
なんとか平静を装いながら、僕は売店の裏に回る。ドアの付いてない二つの入り口の間に、椅子に座った婆さんがいた。僕が近づくと、手前のほうをアゴで差す。
トニーは「入口でチップを渡せば紙をくれる」と言っていた、婆さんのひざの上の編みカゴに小銭を入れる。しみったれた量のちり紙だ、これじゃあ鼻も拭けやしない…。しかしダムは決壊寸前、とやかく言ってる場合じゃない。
一歩踏み入れると中は薄暗く、ひんやりとしていて誰もいない。手前側が小用コーナー、奥の板囲いが大のスペースだった。けっこう広いのは良いとして、その仕切り板は僕の胸までの高さしかない。何故?
外側から覗かれるだけなら、この際だから我慢もしよう。ところが、その内側は壁から扉まで…びっしりと白い壁を埋め尽くした茶色い五本線のフィンガー・ペインティングが! なんだこりゃ?
それは洗練されたデザインと無縁の、月日を経た不特定多数の苦悶の筋だった。近寄って気が付いた瞬間、驚愕のあまりに大ちゃんが片足出しそうになり、そのままビクッと硬直する。ヒー、頭が出てきた…! もう後へは引けない、僕は決然とその小部屋に入っていった。
便座がないだけならまだしも、便器も手形まみれだ。向き直ろうにも扉の縁さえ触れられないし、短パンを下ろすにしても床じゅう模様だらけ。ここを訪れた人々の、やむにやまれぬ叫びに満ち満ちている。なすり付ける指先の力強さよ、でも僕はプライドを捨てないぞ。
僕は慎重に慎重を重ね、どの面にも触れないように砕心の注意を払って態勢を整えた。そして、排出作戦は無事終了した…が、ここからが最後の大仕事だ。この、しみったれた紙で充足させなければ先人の轍を踏んでしまう。結局ここで踏み外すのだ、油断してはならない。
角に置かれたホーロー容器に、ヤバめな水が溜まっている。手水鉢を見ながら、僕は(あれに頼るんじゃないっ)と自分に言い聞かせる。
それにしても、入口で頑張っている婆さんめ! ちったぁ仕事しろよぉ〜。
「アイ・ディド・イット!」
やり遂げたぞ。暗く寒々しい空気を後に、僕は誇り高い帰還を遂げた。やや興奮気味に、トニーに事の顛末を解説する。
「ハブ・ユー・エバー・トライ・ジ・エア・チェア?」
僕が[空気椅子]について語る前に、トニーはその単語だけで大笑いした。訳が分からないグラシエラには、僕らが話している内容は検討もつかないだろう。
さすがに、炎天下でくだらないジョークを言っていても仕方ないので遺跡の中に入る。
石を積み上げた階段を上がって、肩幅ほどの隙間に入ってゆく。背の丈をゆうに越える石垣に切れ込んだ通路の長さに、本来は敵の侵入を妨げる機能を担っていた城壁の厚みが感じられる。そして現在では、その狭い通路が見事な演出効果を上げる仕掛けになっていた。
暗がりを抜けた目に眩しく、マヤ文明の世界が拡がってゆく。
三方がはるか見通せる、なだらかな芝のうねりに点在する巨石を積み上げた神殿群。その光景は、まさに「圧巻…!」の一語に尽きる。今回の旅では予算的に無理だとあきらめていただけに、なおさら感慨深かった。
テオティワカンやパレンケといった主要な遺跡は、カンクンから離れ過ぎている。チチェン・イツァーでさえ、このキンタナ・ルー州に隣接するユカタン州なのだ。パック旅行の費用は決して高くはなかったけれど、僕の予算では負担が大きかった。それがまさか、こんな近場にもあったなんて。
トゥルム遺跡には、ピラミッドのような大神殿はない。だが、野っ原に突き出たような石の建造物群は異質だった。内部を見学できないのが惜しい。
小高い丘に上ると、すぐそこに雄大なカリブ海が。後ろを振り返れば、石壁の向こうは延々と密林の地平線…。飛行機で見下ろした、あの独特な景色だった。
その時、低木の陰で何かが動いた。一瞬の速さで茂みに駆け込んだ黒い影は、野ネズミにしたってやけに大きい感じがしたけど?
グラシエラが笑って言った。
「イグアナよ」
彼女に替わってトニーが説明してくれる。
「メソ・アメリカには、昔からイグアナが住んでいたらしいよ。そういえば、前にも見ただろ?」
どこでだっけ、セノーテ?…あっ、言われてみればそうだった。ヘセラ達と一緒の時ね!
でもイグアナって、こんなにすばしっこいのか。
また僕は寝た。トニーに起こされると、かなり寝汗をかいていた。冷房を効かせても、直射日光が強すぎるのだ。トゥルムに到着。
バスは路肩の砂利に僕らを降ろすと、土埃を巻き上げてアスファルトの彼方に消えた。そこから僕はトニーとグラシエラの後に付いて、脇道の歩道をだらだら歩く。わざわざSLを模した乗り物を遺跡の真ん前まで走らせなくても、なんでバス停の位置を移さないんだろう?
追い抜いてゆくSLから、白人のちびっ子が手を振る。可愛いので振り返す。大きな遊園地などの敷地内を走る、連結式のトラクターみたいな車だ。
両側から張り出した木の枝が陰になって、ちょっとした暑さしのぎにはなる。しかし風が吹かず、木々の噴き出す湿気がまとわりついてくるようだ。またSLに抜かれたが、三度目は手を振る気になれなかった。暑いし、くたびれてきたからだ。どこなんだよ、肝心の遺跡は…。
ふぅー、やっと着いたらしい。目の前の密林が開けて、石の壁が続いている場所に出た。さっきのSLが横付けされている。近くの売店で入場券を買うのだろう、そこで飲み物を買うと…やっぱり高かった。商売人は、どこでもそうするのだ。
グラシエラがトイレに行っているのを待つうちに、僕にもビッグ・ワンが来てしまった。かなり強気な奴が下っ腹に打ち寄せ、ビーサンの足の指が全部くの字に折れ曲がってしまう。
「トニー、緊急事態発生…」
なんとか平静を装いながら、僕は売店の裏に回る。ドアの付いてない二つの入り口の間に、椅子に座った婆さんがいた。僕が近づくと、手前のほうをアゴで差す。
トニーは「入口でチップを渡せば紙をくれる」と言っていた、婆さんのひざの上の編みカゴに小銭を入れる。しみったれた量のちり紙だ、これじゃあ鼻も拭けやしない…。しかしダムは決壊寸前、とやかく言ってる場合じゃない。
一歩踏み入れると中は薄暗く、ひんやりとしていて誰もいない。手前側が小用コーナー、奥の板囲いが大のスペースだった。けっこう広いのは良いとして、その仕切り板は僕の胸までの高さしかない。何故?
外側から覗かれるだけなら、この際だから我慢もしよう。ところが、その内側は壁から扉まで…びっしりと白い壁を埋め尽くした茶色い五本線のフィンガー・ペインティングが! なんだこりゃ?
それは洗練されたデザインと無縁の、月日を経た不特定多数の苦悶の筋だった。近寄って気が付いた瞬間、驚愕のあまりに大ちゃんが片足出しそうになり、そのままビクッと硬直する。ヒー、頭が出てきた…! もう後へは引けない、僕は決然とその小部屋に入っていった。
便座がないだけならまだしも、便器も手形まみれだ。向き直ろうにも扉の縁さえ触れられないし、短パンを下ろすにしても床じゅう模様だらけ。ここを訪れた人々の、やむにやまれぬ叫びに満ち満ちている。なすり付ける指先の力強さよ、でも僕はプライドを捨てないぞ。
僕は慎重に慎重を重ね、どの面にも触れないように砕心の注意を払って態勢を整えた。そして、排出作戦は無事終了した…が、ここからが最後の大仕事だ。この、しみったれた紙で充足させなければ先人の轍を踏んでしまう。結局ここで踏み外すのだ、油断してはならない。
角に置かれたホーロー容器に、ヤバめな水が溜まっている。手水鉢を見ながら、僕は(あれに頼るんじゃないっ)と自分に言い聞かせる。
それにしても、入口で頑張っている婆さんめ! ちったぁ仕事しろよぉ〜。
「アイ・ディド・イット!」
やり遂げたぞ。暗く寒々しい空気を後に、僕は誇り高い帰還を遂げた。やや興奮気味に、トニーに事の顛末を解説する。
「ハブ・ユー・エバー・トライ・ジ・エア・チェア?」
僕が[空気椅子]について語る前に、トニーはその単語だけで大笑いした。訳が分からないグラシエラには、僕らが話している内容は検討もつかないだろう。
さすがに、炎天下でくだらないジョークを言っていても仕方ないので遺跡の中に入る。
石を積み上げた階段を上がって、肩幅ほどの隙間に入ってゆく。背の丈をゆうに越える石垣に切れ込んだ通路の長さに、本来は敵の侵入を妨げる機能を担っていた城壁の厚みが感じられる。そして現在では、その狭い通路が見事な演出効果を上げる仕掛けになっていた。
暗がりを抜けた目に眩しく、マヤ文明の世界が拡がってゆく。
三方がはるか見通せる、なだらかな芝のうねりに点在する巨石を積み上げた神殿群。その光景は、まさに「圧巻…!」の一語に尽きる。今回の旅では予算的に無理だとあきらめていただけに、なおさら感慨深かった。
テオティワカンやパレンケといった主要な遺跡は、カンクンから離れ過ぎている。チチェン・イツァーでさえ、このキンタナ・ルー州に隣接するユカタン州なのだ。パック旅行の費用は決して高くはなかったけれど、僕の予算では負担が大きかった。それがまさか、こんな近場にもあったなんて。
トゥルム遺跡には、ピラミッドのような大神殿はない。だが、野っ原に突き出たような石の建造物群は異質だった。内部を見学できないのが惜しい。
小高い丘に上ると、すぐそこに雄大なカリブ海が。後ろを振り返れば、石壁の向こうは延々と密林の地平線…。飛行機で見下ろした、あの独特な景色だった。
その時、低木の陰で何かが動いた。一瞬の速さで茂みに駆け込んだ黒い影は、野ネズミにしたってやけに大きい感じがしたけど?
グラシエラが笑って言った。
「イグアナよ」
彼女に替わってトニーが説明してくれる。
「メソ・アメリカには、昔からイグアナが住んでいたらしいよ。そういえば、前にも見ただろ?」
どこでだっけ、セノーテ?…あっ、言われてみればそうだった。ヘセラ達と一緒の時ね!
でもイグアナって、こんなにすばしっこいのか。
メキシコ旅情【逃避編・3 マヤの遺跡トゥルム】
海に面した丘は、切り立った崖になっている。下をのぞき込むと、わずかなばかりの砂浜が見えた。水着姿のカップルが一組、波打ち際で砂の大きなレリーフを作っている。それは舌を突き出すような独特の表情をした太陽で、マヤの「第五の太陽」だった。
マヤの神話では、この世界以前に四つの世界があったといわれている。そして五世代目となる現在の世界は、西暦に直すと紀元前30世紀よりも昔に始まったマヤ暦の起点でもあった。
この世界の神とされる太陽は常に、年老いて飢えた舌を出した顔で描かれていた。それは間もなく燃え尽きようとしている姿であり、また生きながらえるための生け贄を要求する恐ろしい顔だと解釈されている。
神話によると、太陽は男女の神の犠牲から生まれていた始原の存在だ。原初の炎に身を捧げた二神あってこそ、の世界観か。そんな起源に基づいた文明であれば、生け贄もあったのかもしれない。
マヤの暦は西暦2012年に終わっていて、その時が太陽の寿命であり現世の終焉を意味すると考えられている。当時のマヤの人々は太陽神の飢えをいやすため、あるいは老いた神の延命を願って命を捧げたそうだ。それにしても、世界中で崇められている神は「嫉妬深い、怒れる神」ばかりだな。
白人のカップルは、笑いあいながらレリーフをより正確に手直ししていた。気が付いてみると、僕の立ち位置は象徴的な気がした。波に消されそうな神の偶像と修復し続ける男女、そして高みから俯瞰している僕…。
早くも飽きてきた。
というか、無情な暑さと喉の渇きに気が削がれる。
古代文明の遺跡に初めて接した訳だし、地方都市とはいえ充分に壮大なマヤの世界に浸っていたい。とはいえ、やっぱ観てるだけじゃあ退屈にもなる。それに日陰がないから、脳天に突き刺さるような太陽からの逃げ場がない。熱された芝生から蒸発する湿気と、海面の反射光でぐったりとしてくる。頭の中には、冷たい飲み物と涼しい木陰の事ばかりが行き来していた。
これじゃあ、マヤの神だって舌を出すよなぁ!
勿体ない気もしたけど、売店に戻って喉を潤すほうが重要だ。なのに二人は元気いっぱい、僕の意見には「もうちょっと待って」という答えが返ってくる。あっちの遺跡こっちの遺跡と歩き回り、やっと石造りの小部屋みたいな遺跡に避難できた。と思ったら、すごい湿度と人いきれで耐えられない。あー、汗くさっ。
立ち入り禁止のプラカードが、出入口の脇に放置されていた。きっと誰かが外して、日除け代わりに入り込んだのだろう。狭くて暗くて何もない場所に詰め掛ける理由は、ほとんど誰もが同じに違いない。
せめて休憩場所ぐらいは用意して欲しいものだ、それと自動販売機…は無理か。ここは文字通り僻地だから、電源を通すのも水道を引き込むのも容易じゃないよなぁ。
セノーテもあったけど、それは涸れそうな泉でしかない濁った水溜まりだった。庇のように出っ張った岩盤の下にセノーテ、その真上に遺跡が建っていた。トニーが急な斜面を上っていき、面倒になった僕は腰を降ろして彼を待った。まばらな草は、乾ききっている。
その辺は遺跡群の端っこで、すぐ近くに石を積んだ壁があった。入口の分厚い城壁とは違って簡素なものだが、この石壁が遺跡の周囲を取り囲んでいるらしい。デタラメなようでいて、案外がっしりした積み上げ方ではある。
その石壁の外へと抜けるアーチを発見したのだが、残念ながらロープで通行禁止にしてあった。向こう側の木々が、気持ち良さそうな緑の木陰を作っている。この石垣が、ジャングルの生命力をさえぎる結界に思えてきた。この遺跡群もまた、放棄されてから発見されるまで人知れず密林に埋もれていたのだろう。アーチの向こうには、今も眠り続ける古代の何かがあるに違いない。
突然、日本の夏を思い出した。アブラゼミの、あの喧しい鳴き声がなつかしい。
ここは静かだ。
マヤの神話では、この世界以前に四つの世界があったといわれている。そして五世代目となる現在の世界は、西暦に直すと紀元前30世紀よりも昔に始まったマヤ暦の起点でもあった。
この世界の神とされる太陽は常に、年老いて飢えた舌を出した顔で描かれていた。それは間もなく燃え尽きようとしている姿であり、また生きながらえるための生け贄を要求する恐ろしい顔だと解釈されている。
神話によると、太陽は男女の神の犠牲から生まれていた始原の存在だ。原初の炎に身を捧げた二神あってこそ、の世界観か。そんな起源に基づいた文明であれば、生け贄もあったのかもしれない。
マヤの暦は西暦2012年に終わっていて、その時が太陽の寿命であり現世の終焉を意味すると考えられている。当時のマヤの人々は太陽神の飢えをいやすため、あるいは老いた神の延命を願って命を捧げたそうだ。それにしても、世界中で崇められている神は「嫉妬深い、怒れる神」ばかりだな。
白人のカップルは、笑いあいながらレリーフをより正確に手直ししていた。気が付いてみると、僕の立ち位置は象徴的な気がした。波に消されそうな神の偶像と修復し続ける男女、そして高みから俯瞰している僕…。
早くも飽きてきた。
というか、無情な暑さと喉の渇きに気が削がれる。
古代文明の遺跡に初めて接した訳だし、地方都市とはいえ充分に壮大なマヤの世界に浸っていたい。とはいえ、やっぱ観てるだけじゃあ退屈にもなる。それに日陰がないから、脳天に突き刺さるような太陽からの逃げ場がない。熱された芝生から蒸発する湿気と、海面の反射光でぐったりとしてくる。頭の中には、冷たい飲み物と涼しい木陰の事ばかりが行き来していた。
これじゃあ、マヤの神だって舌を出すよなぁ!
勿体ない気もしたけど、売店に戻って喉を潤すほうが重要だ。なのに二人は元気いっぱい、僕の意見には「もうちょっと待って」という答えが返ってくる。あっちの遺跡こっちの遺跡と歩き回り、やっと石造りの小部屋みたいな遺跡に避難できた。と思ったら、すごい湿度と人いきれで耐えられない。あー、汗くさっ。
立ち入り禁止のプラカードが、出入口の脇に放置されていた。きっと誰かが外して、日除け代わりに入り込んだのだろう。狭くて暗くて何もない場所に詰め掛ける理由は、ほとんど誰もが同じに違いない。
せめて休憩場所ぐらいは用意して欲しいものだ、それと自動販売機…は無理か。ここは文字通り僻地だから、電源を通すのも水道を引き込むのも容易じゃないよなぁ。
セノーテもあったけど、それは涸れそうな泉でしかない濁った水溜まりだった。庇のように出っ張った岩盤の下にセノーテ、その真上に遺跡が建っていた。トニーが急な斜面を上っていき、面倒になった僕は腰を降ろして彼を待った。まばらな草は、乾ききっている。
その辺は遺跡群の端っこで、すぐ近くに石を積んだ壁があった。入口の分厚い城壁とは違って簡素なものだが、この石壁が遺跡の周囲を取り囲んでいるらしい。デタラメなようでいて、案外がっしりした積み上げ方ではある。
その石壁の外へと抜けるアーチを発見したのだが、残念ながらロープで通行禁止にしてあった。向こう側の木々が、気持ち良さそうな緑の木陰を作っている。この石垣が、ジャングルの生命力をさえぎる結界に思えてきた。この遺跡群もまた、放棄されてから発見されるまで人知れず密林に埋もれていたのだろう。アーチの向こうには、今も眠り続ける古代の何かがあるに違いない。
突然、日本の夏を思い出した。アブラゼミの、あの喧しい鳴き声がなつかしい。
ここは静かだ。
メキシコ旅情【逃避編・4 プラジャ・デル・カルメン】
遺跡も一通り見物したし、一行は自然と帰途に就いた。
外に出て、今度は僕達もSLふう連結バスに乗り込んだ。楽ちーん。
なんとも心地よい乗り物ではないか、結構々々。木の葉が織り成す、木漏れ陽の模様が乗客の上を流れてゆく。短か過ぎず飽きが来るほど長くもない、ちょうど良い頃合いでバス停に到着。さほど待たずにバスが来たのはラッキーだった。ひんやり、とした車内の空気はまるでプールに飛び込んだかのような肌の感触がある。
しかしシートは窓越しの直射日光で、ムカツクぐらい温まっていた。
あつー。
寝苦しさに目を覚ますと、バスは間もなく経由地に着こうとしていた。
やっぱり、この土地には「弱冷房車」は無縁かも知れない。日差しが強すぎて、これでもまだ効きが弱いくらいだ。僕はまた寝汗をかいていた。
到着間際に、トニーが言った。
「降りよう」
ブシューッ、とドアが開くと一気に温度が上がる。ならず者のように無遠慮な熱気。
僕らはバスを降りた。
プラジャ・デル・カルメンである。
ちっぽけな町の中にあるバス経由地には、海辺の気配があった。
鮮やかな色にあふれた所だ、と思う。けばけばしいネオンや看板ではなくて、自然が持つ色々なグラデーションの事だ。
トニーは勝手知ったる様子で先をゆく。庶民的なビーチ・リゾートの雰囲気は、どこか共通する印象を与える。初めて来た気がしない、すぐに溶け込んでゆける開放的な空気に充ちている。若い男女の旅行者たちが通りを往き交うのは、カンクンのホテル地区と変わらない。しかしここには高いビルもないし、自然に発展してきた港町っぽさが残っている。
海に沿った道に出た。何か食べようという事になり、海から上る坂道をそぞろ歩く。軒を連ねた土産物屋の感じが、下伊豆とか江ノ島あたりにありそうな(ぺんしょん←≠ペンション)っぽい。ヤシの木のキーホルダーとか置物なんか売ってるような、あのまんまな店構えじゃん!
目ぼしい店が見つけられず、僕らは元来た道を引き返す。唐突にトニーが言い出した。
「コスメル島に行ってみないか?」
なんだなんだ、今は食事が最優先だよ。
「あそこからフェリーに乗って、すぐに行けるんだ」
彼は坂の途中から指を伸ばした。海岸の桟橋に、切符売り場の小屋が見える。
「そうだ、今日はコスメルに泊まってゆこう!」
…勝手に話がまとまってやがる。
「大丈夫だよ。安宿はすぐ見つかるし、ママには連絡しておけばいい」
「だってさぁ、そんなにお金を持って来てないぜ?」
我が意を得たりとばかりに、トニーが嬉しそうに答えた。
「考えられない位の値段なんだよ。足りなければ立て替えておくから、何も心配しなさんな」
やれやれ。グラシエラをチラッと見たら、彼女は黙って笑っていた。僕に反論の余地はなく、もうトニーにお任せ状態だ。とりあえず食べよう、何でもいいから。
決まらないままフラフラ彷徨っているうちに、見覚えのあるサインが目についた。SUBWAY…って、あのサンドイッチ屋さん? 有無を言わさず決定である。意見を聞くよりも早く、僕は黄色い看板に最短距離で吸い寄せられていった。二人はハーフサイズを頼んだが、僕が一本でお願いするとトニーが驚いた顔をした。
僕だって初めて頼んだよ、だって本当に腹ペコなんだもの。彼はゲラゲラ笑ったけれど、こっちは構わずサンドイッチに噛み付く。残ったら後で食べるつもりでいたのに、いつの間にか胃袋に消えてしまった。トニーはまた笑い、今度は僕も笑った。グラシエラはまだ食べかけだったので、目だけでニッコリほほ笑んでいた。あー、やっと一息だぁ!
みんな食事を済ませ、飲み物を片手にくつろぐ。
ぼんやりと水平線を眺めていると、小さな点が船の形に見えてきた。トニーの掛け声で僕らは腰を上げて、のんびりと桟橋へ向かう。視線を移してみて、陽が傾き始めていた事に気が付いた。
海の夕暮れは、やはり格別なものがある。桟橋に着けられたフェリーから港町を振り返ると、コバルト色に重ね塗りした茜の光がプラジャ・デル・カルメンの町並みを染めていた。良い気分だ。ゆるい風に吹かれながら、ほんのりと酒に酔った時の感覚を味わう。まだ飲んではいないけど、ほろ酔い気分だ。
出航前のひととき、手すりにもたれて町の色気に見とれてしまう。フェリーのデッキから見る海側からの眺めは、女性を真正面から見つめるような妙な照れ臭さがあった。家々の窓辺に、まだ早すぎる明かりが灯り始めている。海岸の宵のざわめきは、船のエンジンと風の音にかき消されてしまった。そっけない船出が、逆にこの町への愛着をかき立てる。
何の合図もなく、大きく揺れると船は岸を離れた。
後方デッキに立って、水平線の夕闇にかすむ灯をしばらく見送っていた。
外に出て、今度は僕達もSLふう連結バスに乗り込んだ。楽ちーん。
なんとも心地よい乗り物ではないか、結構々々。木の葉が織り成す、木漏れ陽の模様が乗客の上を流れてゆく。短か過ぎず飽きが来るほど長くもない、ちょうど良い頃合いでバス停に到着。さほど待たずにバスが来たのはラッキーだった。ひんやり、とした車内の空気はまるでプールに飛び込んだかのような肌の感触がある。
しかしシートは窓越しの直射日光で、ムカツクぐらい温まっていた。
あつー。
寝苦しさに目を覚ますと、バスは間もなく経由地に着こうとしていた。
やっぱり、この土地には「弱冷房車」は無縁かも知れない。日差しが強すぎて、これでもまだ効きが弱いくらいだ。僕はまた寝汗をかいていた。
到着間際に、トニーが言った。
「降りよう」
ブシューッ、とドアが開くと一気に温度が上がる。ならず者のように無遠慮な熱気。
僕らはバスを降りた。
プラジャ・デル・カルメンである。
ちっぽけな町の中にあるバス経由地には、海辺の気配があった。
鮮やかな色にあふれた所だ、と思う。けばけばしいネオンや看板ではなくて、自然が持つ色々なグラデーションの事だ。
トニーは勝手知ったる様子で先をゆく。庶民的なビーチ・リゾートの雰囲気は、どこか共通する印象を与える。初めて来た気がしない、すぐに溶け込んでゆける開放的な空気に充ちている。若い男女の旅行者たちが通りを往き交うのは、カンクンのホテル地区と変わらない。しかしここには高いビルもないし、自然に発展してきた港町っぽさが残っている。
海に沿った道に出た。何か食べようという事になり、海から上る坂道をそぞろ歩く。軒を連ねた土産物屋の感じが、下伊豆とか江ノ島あたりにありそうな(ぺんしょん←≠ペンション)っぽい。ヤシの木のキーホルダーとか置物なんか売ってるような、あのまんまな店構えじゃん!
目ぼしい店が見つけられず、僕らは元来た道を引き返す。唐突にトニーが言い出した。
「コスメル島に行ってみないか?」
なんだなんだ、今は食事が最優先だよ。
「あそこからフェリーに乗って、すぐに行けるんだ」
彼は坂の途中から指を伸ばした。海岸の桟橋に、切符売り場の小屋が見える。
「そうだ、今日はコスメルに泊まってゆこう!」
…勝手に話がまとまってやがる。
「大丈夫だよ。安宿はすぐ見つかるし、ママには連絡しておけばいい」
「だってさぁ、そんなにお金を持って来てないぜ?」
我が意を得たりとばかりに、トニーが嬉しそうに答えた。
「考えられない位の値段なんだよ。足りなければ立て替えておくから、何も心配しなさんな」
やれやれ。グラシエラをチラッと見たら、彼女は黙って笑っていた。僕に反論の余地はなく、もうトニーにお任せ状態だ。とりあえず食べよう、何でもいいから。
決まらないままフラフラ彷徨っているうちに、見覚えのあるサインが目についた。SUBWAY…って、あのサンドイッチ屋さん? 有無を言わさず決定である。意見を聞くよりも早く、僕は黄色い看板に最短距離で吸い寄せられていった。二人はハーフサイズを頼んだが、僕が一本でお願いするとトニーが驚いた顔をした。
僕だって初めて頼んだよ、だって本当に腹ペコなんだもの。彼はゲラゲラ笑ったけれど、こっちは構わずサンドイッチに噛み付く。残ったら後で食べるつもりでいたのに、いつの間にか胃袋に消えてしまった。トニーはまた笑い、今度は僕も笑った。グラシエラはまだ食べかけだったので、目だけでニッコリほほ笑んでいた。あー、やっと一息だぁ!
みんな食事を済ませ、飲み物を片手にくつろぐ。
ぼんやりと水平線を眺めていると、小さな点が船の形に見えてきた。トニーの掛け声で僕らは腰を上げて、のんびりと桟橋へ向かう。視線を移してみて、陽が傾き始めていた事に気が付いた。
海の夕暮れは、やはり格別なものがある。桟橋に着けられたフェリーから港町を振り返ると、コバルト色に重ね塗りした茜の光がプラジャ・デル・カルメンの町並みを染めていた。良い気分だ。ゆるい風に吹かれながら、ほんのりと酒に酔った時の感覚を味わう。まだ飲んではいないけど、ほろ酔い気分だ。
出航前のひととき、手すりにもたれて町の色気に見とれてしまう。フェリーのデッキから見る海側からの眺めは、女性を真正面から見つめるような妙な照れ臭さがあった。家々の窓辺に、まだ早すぎる明かりが灯り始めている。海岸の宵のざわめきは、船のエンジンと風の音にかき消されてしまった。そっけない船出が、逆にこの町への愛着をかき立てる。
何の合図もなく、大きく揺れると船は岸を離れた。
後方デッキに立って、水平線の夕闇にかすむ灯をしばらく見送っていた。
メキシコ旅情【逃避編・5 熱いシャワー】
短い船旅は他に島影もなく、コスメル島の桟橋に接岸する。
見送ったばかりの景色に似ている、波間を一巡りして戻ってきたようだ。しかし上陸してみると、当たり前だがプラジャ・デル・カルメンではなかった。むしろそれよりも、やや高級なビーチ・リゾートの趣が感じられる。
桟橋から、海岸線に沿って走る外周道路を横切る横断歩道には信号機と交通整理のオジサンが。歩道の両側に若いリゾート客があふれ、奥のほうからは音楽のリズム。色とりどりのタンクトップ、チューブトップ、ショートパンツにフレアのミニ…。うーん、まさしく(真夏のバケイション・夜の部)といったムード。盛り上がりますなぁ。
信号を渡ると広場へと通じていて、噴水横のステージが終わったところだった。足を止め見入っていた人達が散り始め、周りの露店ふうの店には人だかりができている。いいねぇー、まるで縁日をぶらつく悪ガキみたいな気分。
そのまま円形の広場を抜けて、町中の通りを下ってゆく。区画のレイアウトが、いかにもコロニアルな感じ。まず中心に噴水を置き、その広場から同心円状に広がっている町並みだ。放射線状に伸びてゆく道路に沿って、どっしりとした石造りの建物が続いている。各階の天井が高いらしく、とても2、3階建てには見えないのも異国風情。
ともかく見物は後回しにして宿を決めなくちゃ。トニーの話では、広場の近辺に安いホテルが集まっているらしい。目に付くネオンも看板もないので、歩いて捜すしかなさそうだ。
脇道にそれると、ゆるやかな下り坂だった。島だからか、車はほとんど走っていない。ひっそりと掲げられた看板はどれも僕には読めないが、酒場かホテルかのどちらかだろう。何軒か通り過ぎながら、さりげなく値踏みする。どうやらトニーも同じだったらしく、看板が途切れた所で僕らは立ち止まった。
どのホテルも「安宿でござい」といった粗さを隠そうともしない。改めて数軒の前を行き来してみたものの、どこも似たり寄ったりな雰囲気だ。しかし悩んでいたって埒があく訳じゃなし、目の前に手頃そうなホテルの玄関があるのも何かの縁だ。
飾り気のないガラス戸の片側が押し開けられていて、正面の狭そうなカウンターの棚にルーム・キーが寝かされていた。アクリルの棒に部屋番号が印字されている、あれだ。天井でのんびり回るプロペラと、市松模様になったリノリウム張りの床が南国ムードをかもし出している。が、誰もいない。僕らは顔を見合わせた。
扇風機の羽根音だけで、シーンとしている。僕らが帰りかけた時、中年の男性が現れた。決して愛想が良いとは言えない顔で、面倒臭そうにカウンターの下をくぐった。商売っ気のない従業員だなー、まったく。
ちょっとたどたどしいスペイン語ながら、トニーは丁寧かつ明るく話しかける。相手の表情から、徐々に警戒心が解けてゆくのが判った。トニーは彼に背を向けて、僕に小声でささやいた。
「ここは安いよ! 日本円で4千円しないョ。」
それを聞いて僕は(安いか?)と思ったけれど、ベッド3つ+温水シャワー&冷房付きなら納得。1人あたり1300円程度か、悪くないじゃん。念のため、部屋を見せてもらう。すでに薄暗くなってきている1階の廊下は陰気な感じだけど、小さな吹き抜けに面したドアから中を見て(まぁいいか)と思った。
非常にあっさりしてるが、僕としては文句なかった。けれど、トニー的には今イチだったみたいだ。
「ま、いいじゃぁないか。いつまでもウロウロしてたら夜が明けるよ」
僕はトニーにそう言って、中央のベッドに倒れ込んだ。幅もクッション性も申し分ない。そして嗚呼、何だろうこの懐かしさは? 久しぶりに嗅いだシーツの匂い…。こんなにまともな寝床なんて、忘れてしまうくらい御無沙汰!
もう今から、寝る時のことを想像するだけで(ウットリ♪)する。2人が順番に旅の汗を流してる間、僕はベッドの快楽に浸っていた。
「あーっ。本当に、生き返るような気分だ」
温水は偉大だ。熱めのシャワーを浴びた瞬間、電撃のような悦楽に思わず力が脱けそうになった。冷水シャワーに慣れ切ってしまった体にとって、湯気と温水との再会は恵みでありヒーリングの世界だった。
グラシエラが髪を乾かすのを待って、僕たちは町に繰り出した。
見送ったばかりの景色に似ている、波間を一巡りして戻ってきたようだ。しかし上陸してみると、当たり前だがプラジャ・デル・カルメンではなかった。むしろそれよりも、やや高級なビーチ・リゾートの趣が感じられる。
桟橋から、海岸線に沿って走る外周道路を横切る横断歩道には信号機と交通整理のオジサンが。歩道の両側に若いリゾート客があふれ、奥のほうからは音楽のリズム。色とりどりのタンクトップ、チューブトップ、ショートパンツにフレアのミニ…。うーん、まさしく(真夏のバケイション・夜の部)といったムード。盛り上がりますなぁ。
信号を渡ると広場へと通じていて、噴水横のステージが終わったところだった。足を止め見入っていた人達が散り始め、周りの露店ふうの店には人だかりができている。いいねぇー、まるで縁日をぶらつく悪ガキみたいな気分。
そのまま円形の広場を抜けて、町中の通りを下ってゆく。区画のレイアウトが、いかにもコロニアルな感じ。まず中心に噴水を置き、その広場から同心円状に広がっている町並みだ。放射線状に伸びてゆく道路に沿って、どっしりとした石造りの建物が続いている。各階の天井が高いらしく、とても2、3階建てには見えないのも異国風情。
ともかく見物は後回しにして宿を決めなくちゃ。トニーの話では、広場の近辺に安いホテルが集まっているらしい。目に付くネオンも看板もないので、歩いて捜すしかなさそうだ。
脇道にそれると、ゆるやかな下り坂だった。島だからか、車はほとんど走っていない。ひっそりと掲げられた看板はどれも僕には読めないが、酒場かホテルかのどちらかだろう。何軒か通り過ぎながら、さりげなく値踏みする。どうやらトニーも同じだったらしく、看板が途切れた所で僕らは立ち止まった。
どのホテルも「安宿でござい」といった粗さを隠そうともしない。改めて数軒の前を行き来してみたものの、どこも似たり寄ったりな雰囲気だ。しかし悩んでいたって埒があく訳じゃなし、目の前に手頃そうなホテルの玄関があるのも何かの縁だ。
飾り気のないガラス戸の片側が押し開けられていて、正面の狭そうなカウンターの棚にルーム・キーが寝かされていた。アクリルの棒に部屋番号が印字されている、あれだ。天井でのんびり回るプロペラと、市松模様になったリノリウム張りの床が南国ムードをかもし出している。が、誰もいない。僕らは顔を見合わせた。
扇風機の羽根音だけで、シーンとしている。僕らが帰りかけた時、中年の男性が現れた。決して愛想が良いとは言えない顔で、面倒臭そうにカウンターの下をくぐった。商売っ気のない従業員だなー、まったく。
ちょっとたどたどしいスペイン語ながら、トニーは丁寧かつ明るく話しかける。相手の表情から、徐々に警戒心が解けてゆくのが判った。トニーは彼に背を向けて、僕に小声でささやいた。
「ここは安いよ! 日本円で4千円しないョ。」
それを聞いて僕は(安いか?)と思ったけれど、ベッド3つ+温水シャワー&冷房付きなら納得。1人あたり1300円程度か、悪くないじゃん。念のため、部屋を見せてもらう。すでに薄暗くなってきている1階の廊下は陰気な感じだけど、小さな吹き抜けに面したドアから中を見て(まぁいいか)と思った。
非常にあっさりしてるが、僕としては文句なかった。けれど、トニー的には今イチだったみたいだ。
「ま、いいじゃぁないか。いつまでもウロウロしてたら夜が明けるよ」
僕はトニーにそう言って、中央のベッドに倒れ込んだ。幅もクッション性も申し分ない。そして嗚呼、何だろうこの懐かしさは? 久しぶりに嗅いだシーツの匂い…。こんなにまともな寝床なんて、忘れてしまうくらい御無沙汰!
もう今から、寝る時のことを想像するだけで(ウットリ♪)する。2人が順番に旅の汗を流してる間、僕はベッドの快楽に浸っていた。
「あーっ。本当に、生き返るような気分だ」
温水は偉大だ。熱めのシャワーを浴びた瞬間、電撃のような悦楽に思わず力が脱けそうになった。冷水シャワーに慣れ切ってしまった体にとって、湯気と温水との再会は恵みでありヒーリングの世界だった。
グラシエラが髪を乾かすのを待って、僕たちは町に繰り出した。
メキシコ旅情【逃避編・6 島の夕べ 】
日は落ちて、ゆっくりと淡い闇に包まれてゆく島の黄昏。
3人で物見遊山を決め込んでいるうちに、気付けば噴水前は祭りの後だ。桟橋から湾岸道路に並んだ店々を眺めて歩くと、寄り添う二人連れがうじゃうじゃしている。何と、こんな所にも「ハードロックカフェ」が…?
僕が「うへ〜」と間抜けな声を出したので、トニーが勘違いして僕を店内に引っ張った。開け放されたドアから、沢山の人が出入りしている。街灯の真下からは暗い店内の様子が分からなかったが、入口まで行ってみたらゲート・バーにさえぎられた。動物園とか遊園地にあるような、一人ずつ鉄パイプを押して入る要領のものだ。
店内は人が詰まっていて、押し入ろうにも入れない有り様だった。トニーが中の壁を指して何か言ったが、うるさ過ぎて聞き取れない。彼が指さしたショーウィンドウに、Tシャツだのマグカップだのが飾られていた。店のロゴの下に、コスメルとプリントしてある。
世界中の系列店のイニシャルグッズを集めている人もいるらしいけど、僕には理解不能だ。集めて何がしたいんだか、と思う。でもこれは、僕がサブウェイに入ったのと似たような感覚なのかもしれない。僕だって、メキシコに来てまで日本で見慣れたチェーン店で食事をしている。とても言えた義理ではないな。
そこを離れて先に進むと、今度は「ヴァンクリフ&アーペル」のショップが…。信じられない、どうしてこんな高級宝石店がここに? メキシコの中小行楽地くんだりに来て、誰が買おうという気になるのだろう。それとも富裕層の楽しみというのは、結局こうした事柄に尽きるのだろうか? だとしたら(ブランド漁り)をするのは日本人ばかりでもない訳だな。
貧しい人種は、世界共通の割合で存在するらしい。
更に先へと歩く。と、歩道が途切れ、唐突に店が雑木林になった。キラキラとしたショーウィンドウは、映画の書き割りみたくスッパリと終わってしまっている。車道だけが、海岸線の奥へと続いている。なんだか、本当に取ってつけた感じがする歓楽街だ。現代的な賑やかさと原始的な山林との、あまりに急激な落差にあぜんとする。
僕らは来た道をUターンして、桟橋前を通過して逆方向にも歩いてみた。こちらは人気の多い場所から推移して、自然に寂びれてゆく感じになっていた。人の面相は、右と左に気性の表と裏が現れているという。どっちがどっちだか、詳しい話は忘れたけど。この町もフェリーから見れば、桟橋前を挟んで本音と建前に見えることだろう。…それにしたって、と思う。建前側の並びは、ずいぶんと急ごしらえに過ぎる。
少し戻ると、僕らが宿を取った坂道の通りだ。角を曲がると、メッキがはがれたように〈メキシコの場末〉的な雰囲気になる。他に上手い例えが見つからない、ちょっとヤバめなムードの漂う裏通りだ。知らない道じゃないのに、めっきりと人通りが減って怪しい感じが倍増している。夜は更けても時間的にはまだ早いだろうに、こうなっちゃうには。
広場からの放射道路ですら街灯は少なく、あらゆる通りが路地裏化していた。さっきまでの観光客が、いつの間にか姿を消してしまっている。散歩ついでのレストラン探しだったのに、のんびりしていて機を逸したようだ。オジサン達が点々と、挙動不審(に僕の目には映る)に揺れ動いている。まだ開いている店は残り少なく、しかも安心して入れそうな感じがしない。このままだと、今夜は空きっ腹を抱いて寝る羽目になりそうだ。
仕方なく、海沿いに面したKFCに入って夕食にする。ぜいたくは出来ないし、今となっては気の利いたディナーを選り好みしている場合じゃない。静かになった通りとは裏腹に、店の中には観光客が残っていた。蛍光灯の白々しい明るさも、なぜか心地よく感じられる。夜の裏通りを歩き回っていた緊張が一気にほぐれ、どっと疲れが出てきたのだろうと思った。
空腹感の割には、僕はたいして食べずに足りてしまった。待ちくたびれた胃袋が、縮んでしまったのかもしれない。他の二人も疲れが出てきたのか、食事を終えると誰ともなく口数が少なくなった。窓の外には、明かりの消えた町が見える。なんだかつまんない、肩透かしだな。桟橋に着いた時の盛り上がりようで僕をその気(どんなだ?)にさせといて、陽が落ちたら大人しく消灯かよー。後はホテルで寝るだけじゃないか、これでは。
広場周辺の、石畳の商店街はどこかに似ていた。道の中央に置かれた花壇とベンチに、地元の若者らしき数人が座り込んで話している。その中にギターを抱えた少年がいて、夜の吉祥寺を思い出した。その途端、怪しげだった街角の空気も親しげな感じがしてきたから不思議なものだ。かと言って、さすがに看板の出ていない飲み屋に飛び込む勇気は起きなかった。…やっぱり、あとは寝るしかないみたい。
宿に戻ったら、もう一度温水シャワーを浴びよう。そう考えていたけど、部屋に入ってベッドに座ったらどうでも良くなってきた。普段なら、まだおしゃべりに花が咲いている時間だ。しかし今夜はさすがに、もう二人とも眠る体勢になっていた。
廊下側のベッドに入ったトニーが、部屋の明かりを消す。蒼白く差し込む窓辺の薄明かり。
「グッド・ナイト」
「ブエナス・ノーチェス」
快適なベッド。そして熱いシャワーに感謝。今日もまた、長い一日だった…。
3人で物見遊山を決め込んでいるうちに、気付けば噴水前は祭りの後だ。桟橋から湾岸道路に並んだ店々を眺めて歩くと、寄り添う二人連れがうじゃうじゃしている。何と、こんな所にも「ハードロックカフェ」が…?
僕が「うへ〜」と間抜けな声を出したので、トニーが勘違いして僕を店内に引っ張った。開け放されたドアから、沢山の人が出入りしている。街灯の真下からは暗い店内の様子が分からなかったが、入口まで行ってみたらゲート・バーにさえぎられた。動物園とか遊園地にあるような、一人ずつ鉄パイプを押して入る要領のものだ。
店内は人が詰まっていて、押し入ろうにも入れない有り様だった。トニーが中の壁を指して何か言ったが、うるさ過ぎて聞き取れない。彼が指さしたショーウィンドウに、Tシャツだのマグカップだのが飾られていた。店のロゴの下に、コスメルとプリントしてある。
世界中の系列店のイニシャルグッズを集めている人もいるらしいけど、僕には理解不能だ。集めて何がしたいんだか、と思う。でもこれは、僕がサブウェイに入ったのと似たような感覚なのかもしれない。僕だって、メキシコに来てまで日本で見慣れたチェーン店で食事をしている。とても言えた義理ではないな。
そこを離れて先に進むと、今度は「ヴァンクリフ&アーペル」のショップが…。信じられない、どうしてこんな高級宝石店がここに? メキシコの中小行楽地くんだりに来て、誰が買おうという気になるのだろう。それとも富裕層の楽しみというのは、結局こうした事柄に尽きるのだろうか? だとしたら(ブランド漁り)をするのは日本人ばかりでもない訳だな。
貧しい人種は、世界共通の割合で存在するらしい。
更に先へと歩く。と、歩道が途切れ、唐突に店が雑木林になった。キラキラとしたショーウィンドウは、映画の書き割りみたくスッパリと終わってしまっている。車道だけが、海岸線の奥へと続いている。なんだか、本当に取ってつけた感じがする歓楽街だ。現代的な賑やかさと原始的な山林との、あまりに急激な落差にあぜんとする。
僕らは来た道をUターンして、桟橋前を通過して逆方向にも歩いてみた。こちらは人気の多い場所から推移して、自然に寂びれてゆく感じになっていた。人の面相は、右と左に気性の表と裏が現れているという。どっちがどっちだか、詳しい話は忘れたけど。この町もフェリーから見れば、桟橋前を挟んで本音と建前に見えることだろう。…それにしたって、と思う。建前側の並びは、ずいぶんと急ごしらえに過ぎる。
少し戻ると、僕らが宿を取った坂道の通りだ。角を曲がると、メッキがはがれたように〈メキシコの場末〉的な雰囲気になる。他に上手い例えが見つからない、ちょっとヤバめなムードの漂う裏通りだ。知らない道じゃないのに、めっきりと人通りが減って怪しい感じが倍増している。夜は更けても時間的にはまだ早いだろうに、こうなっちゃうには。
広場からの放射道路ですら街灯は少なく、あらゆる通りが路地裏化していた。さっきまでの観光客が、いつの間にか姿を消してしまっている。散歩ついでのレストラン探しだったのに、のんびりしていて機を逸したようだ。オジサン達が点々と、挙動不審(に僕の目には映る)に揺れ動いている。まだ開いている店は残り少なく、しかも安心して入れそうな感じがしない。このままだと、今夜は空きっ腹を抱いて寝る羽目になりそうだ。
仕方なく、海沿いに面したKFCに入って夕食にする。ぜいたくは出来ないし、今となっては気の利いたディナーを選り好みしている場合じゃない。静かになった通りとは裏腹に、店の中には観光客が残っていた。蛍光灯の白々しい明るさも、なぜか心地よく感じられる。夜の裏通りを歩き回っていた緊張が一気にほぐれ、どっと疲れが出てきたのだろうと思った。
空腹感の割には、僕はたいして食べずに足りてしまった。待ちくたびれた胃袋が、縮んでしまったのかもしれない。他の二人も疲れが出てきたのか、食事を終えると誰ともなく口数が少なくなった。窓の外には、明かりの消えた町が見える。なんだかつまんない、肩透かしだな。桟橋に着いた時の盛り上がりようで僕をその気(どんなだ?)にさせといて、陽が落ちたら大人しく消灯かよー。後はホテルで寝るだけじゃないか、これでは。
広場周辺の、石畳の商店街はどこかに似ていた。道の中央に置かれた花壇とベンチに、地元の若者らしき数人が座り込んで話している。その中にギターを抱えた少年がいて、夜の吉祥寺を思い出した。その途端、怪しげだった街角の空気も親しげな感じがしてきたから不思議なものだ。かと言って、さすがに看板の出ていない飲み屋に飛び込む勇気は起きなかった。…やっぱり、あとは寝るしかないみたい。
宿に戻ったら、もう一度温水シャワーを浴びよう。そう考えていたけど、部屋に入ってベッドに座ったらどうでも良くなってきた。普段なら、まだおしゃべりに花が咲いている時間だ。しかし今夜はさすがに、もう二人とも眠る体勢になっていた。
廊下側のベッドに入ったトニーが、部屋の明かりを消す。蒼白く差し込む窓辺の薄明かり。
「グッド・ナイト」
「ブエナス・ノーチェス」
快適なベッド。そして熱いシャワーに感謝。今日もまた、長い一日だった…。
メキシコ旅情【逃避編・7 コスメル島】
早々と宿をチェックアウトして、朝食を食べに来た。
海沿いの道に、ぽつんと建った一軒家。珍しく冷房の効いてない店で、開け放たれた扉から朝の空気が流れ込む。こざっぱりとした板張りの内装で、海辺の食堂っていう気安さが良い。広さの割に席数が少ない、しかも僕らが最初の客のようだ。
バルコニーの草木が、朝の太陽を浴びて照り返してくる。その先は、すぐ海になっていた。午前中の強烈な陽射しが寝呆け眼にしみる。起きぬけに歩かされたから、やっと人心地付いた感じだ。わざわざトニーが連れてくるだけあって、観光地ズレしていない店の雰囲気が気に入った。
注文したのは、ごくありふれたコンチネンタル式の朝食だったはずだけど…。正直なところ、眠気まじりで何を食べたのか記憶にない。ただ、とても美味しかったのは間違いない。それはよく覚えている。それから、吹き抜ける風が気持ち良かった。
小さな店の割にゆったりした雰囲気で、一人で切り盛りしているらしい店員がにこやかで、ここで食事できて良かったと思える店だった。
満足して店を出ると、外は光の洪水だ。目をしばたかせながら、朝日の当たる海岸沿いの道をゆく。トニーとグラシエラは当然のように、元来た道を引き返し始めた。確か、食事の後はビーチに行く筈だったのでは…?
「まだ少し時間が早いのさ」と、トニー。
彼の説明によると、この辺のビーチも有料で管理されていて開場時間までは入れないそうだ。朝食が思いのほかスムーズだったので、こうして今はタクシーを拾えそうな桟橋前で時間調整している…という次第だった。あらかじめ話してくれたのだろう、しかし寝起きの僕は記憶になかった。
タクシーを拾って、チャンカナブーという愛嬌のある響きのビーチに向かう。
海岸通り沿いの賑わいを過ぎて、さっき朝食を取った店の前を通った。しばらくすると民家は姿を消し、森の中の一本道に変わる。日差しの力が、枝葉の木陰を押し切って地表に射し込む。緑の透過光に染まったジャングルは、うっそうとした重さはなく活き活きと輝いていた。
小さなサービス・エリアみたいな場所に着くまで、大して時間はかからなかった。車でゲートの中まで入ってゆけるのだろうけど、僕らは道路に面した車寄せで降りた。グラシエラがトイレに行ってる間に売店をのぞいてみると、森の中なのに海の家っぽい品揃えが意表を突く。
勝手を知っているグラシエラを先頭に、舗装路を外れて脇道を入る。明るい木立は熱気が和らぐ替わりに、植物の発する湿気で蒸し暑さが増した。Tシャツの中で、汗がダラダラ滴り落ちる。植え込みに点々とある石像は、よく見るとマヤ遺跡の複製だった。これはきっと、密林探検で遺跡に遭遇したかのような趣向なのだろう。
「トニー見て、ラベンタの石頭だよ!」
僕はすっかり嬉しくなってしまった。まさかここで見られるとは! 実際より小さな複製品でも、ちょっと得した気になる。植え込みに入り込むのには気が引けたが、ラベンタの石頭と記念撮影しとくか。
正確にはマヤ以前に栄えたオルメカ文明の頭像といわれるが、アメリカ大陸には存在しなかった黒色人種的な顔立ちの特徴がみられる。なぜ黒人ふうなのか、なぜ頭だけなのか、なぜ遺構の近くから発見されなかったのか…。頭部を偏平にしてやぶにらみにさせた、マヤ時代の風習と関連づける学者もいるそうだ。
その先にはチェチェンイツァーの石像があった。これはちょっと、トニーに「一緒に写真を撮ろう」と言われても気乗りしない。いくらニセモノとはいえ、この像には生け贄の心臓を乗せたといわれているのだ。しかし彼は僕を引っ張って、石像の前に押しやった。
なるべく触れないようにして、あまり失礼にならないポーズを取る。
「さっきみたいな面白い格好してよ〜!」
観光客って、やっぱり皆こうなんだろうね。くわばらくわばら。
この小道はビーチへの近道かと思ったけれど、そうでもないらしい。くねくねと回り道をしながらマヤ文化の学習もできる、これは一種の庭園だな。途中に、先住民の暮らしを再現した小屋が現れた。
葦のような植物でふいた低い屋根、壁も同じような細長い植物の茎をすだれ状の柵にして巡らせたみたいになっている。失礼ながら、3匹の仔豚が建てたワラの家を思わせる素朴な造りだ。その小さな掘っ建て小屋の中に入ると、薄暗い中にマヤの民が…!?
ビックリさせるぜ、スタッフが先住民役で座っていたのだ。こうして彼らは日がな一日、土間の片隅に肩を寄せているのか? 土間にはムシロが敷かれ、吊り下がったザルの中にトウモロコシの粒が盛られている。小学生の社会科見学で訪れた竪穴式住居跡そっくりの空気だ。
つまり、僕が思ったのは(展示方法が日本と近てるなぁ)という事だった。まぁ黎明期の住居はこういうものかも知れないし、モンゴロイドとして近いものがあるのかも知れない。
そこを過ぎてしばらくすると、通りすがりのオジサンが話しかけてきた。僕らは誰かとすれ違う度に微笑みかけたり「オーラ」とか声を掛けたりしていたから、それに応えて話しかけてくる人がいても驚きはしなかった。だけどこの人は、僕に「この先にハポネス・フロールがある」と教えてくれたのだ。
オジサンは振り返ると、キツネにつままれたような顔をしている僕にその言葉を繰り返して(あっち、あっち)と指し示してみせた。ハポネス・フロール、直訳すれば日本の花だけど…何のこっちゃ?
順路に従って進んで行くと、蓮の葉が浮かぶ小さな池に出た。彼が言っていたのは、この花だったのだろう。僕にとって、睡蓮と言えばクロード・モネとか仏教のイメージなんだけどな。ツタ植物を絡ませた周囲の景観とあいまって、これではむしろアマゾンのオオオニバスじゃないかという気がしないでもない。
どちらにせよ、木漏れ日に咲く薄紅色の花は美しく、神秘的であった。蓮は英語ではロータスと呼ぶ。その言葉には、夢見心地の状態や涅槃のような意味合いもあるらしい。
ちなみに、エジプトの国花だそうだ。
海沿いの道に、ぽつんと建った一軒家。珍しく冷房の効いてない店で、開け放たれた扉から朝の空気が流れ込む。こざっぱりとした板張りの内装で、海辺の食堂っていう気安さが良い。広さの割に席数が少ない、しかも僕らが最初の客のようだ。
バルコニーの草木が、朝の太陽を浴びて照り返してくる。その先は、すぐ海になっていた。午前中の強烈な陽射しが寝呆け眼にしみる。起きぬけに歩かされたから、やっと人心地付いた感じだ。わざわざトニーが連れてくるだけあって、観光地ズレしていない店の雰囲気が気に入った。
注文したのは、ごくありふれたコンチネンタル式の朝食だったはずだけど…。正直なところ、眠気まじりで何を食べたのか記憶にない。ただ、とても美味しかったのは間違いない。それはよく覚えている。それから、吹き抜ける風が気持ち良かった。
小さな店の割にゆったりした雰囲気で、一人で切り盛りしているらしい店員がにこやかで、ここで食事できて良かったと思える店だった。
満足して店を出ると、外は光の洪水だ。目をしばたかせながら、朝日の当たる海岸沿いの道をゆく。トニーとグラシエラは当然のように、元来た道を引き返し始めた。確か、食事の後はビーチに行く筈だったのでは…?
「まだ少し時間が早いのさ」と、トニー。
彼の説明によると、この辺のビーチも有料で管理されていて開場時間までは入れないそうだ。朝食が思いのほかスムーズだったので、こうして今はタクシーを拾えそうな桟橋前で時間調整している…という次第だった。あらかじめ話してくれたのだろう、しかし寝起きの僕は記憶になかった。
タクシーを拾って、チャンカナブーという愛嬌のある響きのビーチに向かう。
海岸通り沿いの賑わいを過ぎて、さっき朝食を取った店の前を通った。しばらくすると民家は姿を消し、森の中の一本道に変わる。日差しの力が、枝葉の木陰を押し切って地表に射し込む。緑の透過光に染まったジャングルは、うっそうとした重さはなく活き活きと輝いていた。
小さなサービス・エリアみたいな場所に着くまで、大して時間はかからなかった。車でゲートの中まで入ってゆけるのだろうけど、僕らは道路に面した車寄せで降りた。グラシエラがトイレに行ってる間に売店をのぞいてみると、森の中なのに海の家っぽい品揃えが意表を突く。
勝手を知っているグラシエラを先頭に、舗装路を外れて脇道を入る。明るい木立は熱気が和らぐ替わりに、植物の発する湿気で蒸し暑さが増した。Tシャツの中で、汗がダラダラ滴り落ちる。植え込みに点々とある石像は、よく見るとマヤ遺跡の複製だった。これはきっと、密林探検で遺跡に遭遇したかのような趣向なのだろう。
「トニー見て、ラベンタの石頭だよ!」
僕はすっかり嬉しくなってしまった。まさかここで見られるとは! 実際より小さな複製品でも、ちょっと得した気になる。植え込みに入り込むのには気が引けたが、ラベンタの石頭と記念撮影しとくか。
正確にはマヤ以前に栄えたオルメカ文明の頭像といわれるが、アメリカ大陸には存在しなかった黒色人種的な顔立ちの特徴がみられる。なぜ黒人ふうなのか、なぜ頭だけなのか、なぜ遺構の近くから発見されなかったのか…。頭部を偏平にしてやぶにらみにさせた、マヤ時代の風習と関連づける学者もいるそうだ。
その先にはチェチェンイツァーの石像があった。これはちょっと、トニーに「一緒に写真を撮ろう」と言われても気乗りしない。いくらニセモノとはいえ、この像には生け贄の心臓を乗せたといわれているのだ。しかし彼は僕を引っ張って、石像の前に押しやった。
なるべく触れないようにして、あまり失礼にならないポーズを取る。
「さっきみたいな面白い格好してよ〜!」
観光客って、やっぱり皆こうなんだろうね。くわばらくわばら。
この小道はビーチへの近道かと思ったけれど、そうでもないらしい。くねくねと回り道をしながらマヤ文化の学習もできる、これは一種の庭園だな。途中に、先住民の暮らしを再現した小屋が現れた。
葦のような植物でふいた低い屋根、壁も同じような細長い植物の茎をすだれ状の柵にして巡らせたみたいになっている。失礼ながら、3匹の仔豚が建てたワラの家を思わせる素朴な造りだ。その小さな掘っ建て小屋の中に入ると、薄暗い中にマヤの民が…!?
ビックリさせるぜ、スタッフが先住民役で座っていたのだ。こうして彼らは日がな一日、土間の片隅に肩を寄せているのか? 土間にはムシロが敷かれ、吊り下がったザルの中にトウモロコシの粒が盛られている。小学生の社会科見学で訪れた竪穴式住居跡そっくりの空気だ。
つまり、僕が思ったのは(展示方法が日本と近てるなぁ)という事だった。まぁ黎明期の住居はこういうものかも知れないし、モンゴロイドとして近いものがあるのかも知れない。
そこを過ぎてしばらくすると、通りすがりのオジサンが話しかけてきた。僕らは誰かとすれ違う度に微笑みかけたり「オーラ」とか声を掛けたりしていたから、それに応えて話しかけてくる人がいても驚きはしなかった。だけどこの人は、僕に「この先にハポネス・フロールがある」と教えてくれたのだ。
オジサンは振り返ると、キツネにつままれたような顔をしている僕にその言葉を繰り返して(あっち、あっち)と指し示してみせた。ハポネス・フロール、直訳すれば日本の花だけど…何のこっちゃ?
順路に従って進んで行くと、蓮の葉が浮かぶ小さな池に出た。彼が言っていたのは、この花だったのだろう。僕にとって、睡蓮と言えばクロード・モネとか仏教のイメージなんだけどな。ツタ植物を絡ませた周囲の景観とあいまって、これではむしろアマゾンのオオオニバスじゃないかという気がしないでもない。
どちらにせよ、木漏れ日に咲く薄紅色の花は美しく、神秘的であった。蓮は英語ではロータスと呼ぶ。その言葉には、夢見心地の状態や涅槃のような意味合いもあるらしい。
ちなみに、エジプトの国花だそうだ。
メキシコ旅情【逃避編・8 自己責任】
やがて木立に囲まれた、エメラルドグリーンの池が現れた。この高さから飛び込んだら、さぞかし気持ち良いだろうな。でもすり鉢状の急斜面で怪我をしそうだし、水から上がってこられるのか微妙だ。
そこを過ぎて上り坂になり、砂地に変わった。坂の上には青空が広がり、海の予感が気持ちをはやらせる。…パラダイスに到着だ!
花のようなパラソルが渚に影を落とし、波打ち際が白い翼を拡げている。僕はグラシエラとトニーの後を追って、低いパラソルの間を抜けながらビーチハウスに向かった。そこは南国ふう海の家だったが、二人は気にも留めずに素通りして行く。
僕は喉がカラカラだったし疲れていたから、お構いなしに先を歩く2人に腹が立った。けれど、もう付いて行くのが精一杯で言葉が出てこない。行く手に見える白い建物は、どうやらトイレ兼更衣室だ。まず着替えを、という訳か。
しかし服を脱いでから、僕の短パンは水着と兼用だった事を思い出した。あらかじめ2人が行き先を言ってくれればビーチハウスで待ってたのに〜! それでついトニーに刺々しく厭味を言って、グラシエラの照れ臭そうな水着姿を無視した。
ビーチハウスまで戻る途中、さすがに八つ当たりをしてるのが情けなくなって気分を入れ替える。が、リゾート用品のレンタル表を見て(入場料を払って更にぼったくる気か!?)と新たな怒りがこみ上げてきた。これ以上、2人に不快さを伝染させたくはなかった。
「僕の事は気にしないで、各自で楽しく過ごそう」
トニーにそう言うと、ひとり木陰に寝っ転がり目を閉じた。わざわざレンタルしなくたって、波の音と心地よい潮風、つま先が陽に焼ける感触…それで充分だ。
さっきから、目の前をTバックの姉ちゃんが行ったり来たりしていた。
さらりとなびかせたブロンドと、小麦色の肌に張り付いた青いヒモ状の布。大柄で均整のとれた肉付き、その立ち振る舞いは一見してモデルのようだ。
初めての生Tバックに、どうしようもなく視線は釘付けに。自分の品の無さに呆れながらも(心を偽る方がいやらしい)とか理由付けしてる、抑えきれないオヤジ目線…。あ〜、もう自己嫌悪ばかりだ!
ふと、すぐ近くで誰かの気配を感じてドキドキしながら顔を上げると…? イグアナだった。奴はデッキチェアのギャル連をキャアキャア言わせて、悠々と去って行った。なんだか微妙に哀しくなってきた。
「海に入ろうよ」
トニーが遠慮がちに声を掛けてきた。これが3度目だ、いつまでも気持ちを尖らせてたって誰も楽しくないもんなー。
「なぁ、僕らもレンタルしないか?」
うむむ。ビーチハウスの料金表とにらめっこ、で結局(まぁいいじゃないか、ここで散財したって)というリゾート気分に。3人揃って、海中散歩と洒落込むか。
海岸は岩場で、所々にテラス状の階段が設けられている。そこから直接、海中にエントリー出来る訳だ。波に足を浸しつつ階下をのぞくと、いきなり5m下の白い海底が見えた。粒が見分けられるほど澄んでいて、海水がある事を忘れて足がすくむ。
普通、誰だって硬直するだろう。ところが不思議と、周りの海水浴客は平然と足ヒレをばたつかせて泳ぎだすのだ。これがメキシコでは「普通」なのか? どう考えても自然な地形とは思えないし、金を払ってる利用客に不親切だろう。浅瀬を設けたり注意事項の説明板を立てるとか、いくらでも対策はある。
そもそも海水浴場なのに監視救助員がいないのも問題だ、利用者各自で責任を負えとでも?…いやむしろ、本来こうあるべきなのだろう。確かに優しさに欠けるきらいはあるかもしれないが、自然は私企業のアミューズメント・パークじゃないもんなぁ。
僕は、昔から見慣れた海辺の光景を頭に浮かべてみた。賑やかな海の家がなかったら、ゴミの散乱やスピーカーの音楽もなくなるだろうか? そうではないなぁ、やはり「個人のモラル」っていうヤツかも。
海底は砂漠状態で、魚の姿は見えなかった。レンタル代が勿体ないけど、飽きちゃったんだから仕方ない。陸にあがってグラシエラに声を掛けると、水シャワーを浴びて着替えた。
汗と砂と潮風のせいで、潮気を洗い落とした肌がたちまちベタついてくる。来た道をゲートまで戻った時には、もう一度シャワーを浴びたくなってきた。車寄せが日陰になっているのが、せめてもの救いだ。
桟橋近くでタクシーを降りると、空が雲でかげってきた。船着き場には人が集まり始めていたが、フェリーの到着には少し時間が早い。それまで海を見ていようか、とトニーが言った。悪くないね。泳いだせいか、動きまわる気にはなれないもの。
海沿いのコンクリート堤防に座って、ただ何となく遠くを眺める。まだ3時過ぎだというのに、空は一面どんより雲で薄暗い。眼前のビーチの、鮮やかなパラソルもくすんで見える。風が出てきて、空の様子や波の色は黄昏ムード満点。まったり加減が心地よく、三人は無言で船を待った。
いきなり、周囲が黄金色に包まれた。手品師がスカーフをめくった瞬間の、拍手喝采のような熱気。同時に、沸騰した汗が噴き出してくる。陽射しの復活と共に、世界は止めていた息を吹き返し始めたのだ。太陽の偉大さを、古代のマヤ人とエジプト人の気持ちになって受け止める。
フェリーはすぐにはしけを離れ、なだらかな島影が揺らめきながら遠ざかっていく、それはまさに夢のたとえだ。船内には腹の底から響くような、くぐもったエンジン音が充ちている。短く浅い眠りに落ちて、僕はそういった光景が交じり合った夢を見た。
プラジャ・デル・カルメンは、まだまだ昼間の顔だった。静かに賑わう通りを抜けて、僕らは寄り道せずにバス乗り場へと直行する。ちょっとした建物の裏手にバス停が並び、外の待ち合いスペースは日除けが大きく張り出している。
バス待ちの列に加わったけど、風通しが悪いので蒸し暑い。行列は、ゆっくり動いては止まる。僕はあまりの暑さに苛立ってきたが、バスに乗るまでの辛抱だった。
どうせ車内は強烈な冷房で、かいた汗も引っ込むというものだ。
そこを過ぎて上り坂になり、砂地に変わった。坂の上には青空が広がり、海の予感が気持ちをはやらせる。…パラダイスに到着だ!
花のようなパラソルが渚に影を落とし、波打ち際が白い翼を拡げている。僕はグラシエラとトニーの後を追って、低いパラソルの間を抜けながらビーチハウスに向かった。そこは南国ふう海の家だったが、二人は気にも留めずに素通りして行く。
僕は喉がカラカラだったし疲れていたから、お構いなしに先を歩く2人に腹が立った。けれど、もう付いて行くのが精一杯で言葉が出てこない。行く手に見える白い建物は、どうやらトイレ兼更衣室だ。まず着替えを、という訳か。
しかし服を脱いでから、僕の短パンは水着と兼用だった事を思い出した。あらかじめ2人が行き先を言ってくれればビーチハウスで待ってたのに〜! それでついトニーに刺々しく厭味を言って、グラシエラの照れ臭そうな水着姿を無視した。
ビーチハウスまで戻る途中、さすがに八つ当たりをしてるのが情けなくなって気分を入れ替える。が、リゾート用品のレンタル表を見て(入場料を払って更にぼったくる気か!?)と新たな怒りがこみ上げてきた。これ以上、2人に不快さを伝染させたくはなかった。
「僕の事は気にしないで、各自で楽しく過ごそう」
トニーにそう言うと、ひとり木陰に寝っ転がり目を閉じた。わざわざレンタルしなくたって、波の音と心地よい潮風、つま先が陽に焼ける感触…それで充分だ。
さっきから、目の前をTバックの姉ちゃんが行ったり来たりしていた。
さらりとなびかせたブロンドと、小麦色の肌に張り付いた青いヒモ状の布。大柄で均整のとれた肉付き、その立ち振る舞いは一見してモデルのようだ。
初めての生Tバックに、どうしようもなく視線は釘付けに。自分の品の無さに呆れながらも(心を偽る方がいやらしい)とか理由付けしてる、抑えきれないオヤジ目線…。あ〜、もう自己嫌悪ばかりだ!
ふと、すぐ近くで誰かの気配を感じてドキドキしながら顔を上げると…? イグアナだった。奴はデッキチェアのギャル連をキャアキャア言わせて、悠々と去って行った。なんだか微妙に哀しくなってきた。
「海に入ろうよ」
トニーが遠慮がちに声を掛けてきた。これが3度目だ、いつまでも気持ちを尖らせてたって誰も楽しくないもんなー。
「なぁ、僕らもレンタルしないか?」
うむむ。ビーチハウスの料金表とにらめっこ、で結局(まぁいいじゃないか、ここで散財したって)というリゾート気分に。3人揃って、海中散歩と洒落込むか。
海岸は岩場で、所々にテラス状の階段が設けられている。そこから直接、海中にエントリー出来る訳だ。波に足を浸しつつ階下をのぞくと、いきなり5m下の白い海底が見えた。粒が見分けられるほど澄んでいて、海水がある事を忘れて足がすくむ。
普通、誰だって硬直するだろう。ところが不思議と、周りの海水浴客は平然と足ヒレをばたつかせて泳ぎだすのだ。これがメキシコでは「普通」なのか? どう考えても自然な地形とは思えないし、金を払ってる利用客に不親切だろう。浅瀬を設けたり注意事項の説明板を立てるとか、いくらでも対策はある。
そもそも海水浴場なのに監視救助員がいないのも問題だ、利用者各自で責任を負えとでも?…いやむしろ、本来こうあるべきなのだろう。確かに優しさに欠けるきらいはあるかもしれないが、自然は私企業のアミューズメント・パークじゃないもんなぁ。
僕は、昔から見慣れた海辺の光景を頭に浮かべてみた。賑やかな海の家がなかったら、ゴミの散乱やスピーカーの音楽もなくなるだろうか? そうではないなぁ、やはり「個人のモラル」っていうヤツかも。
海底は砂漠状態で、魚の姿は見えなかった。レンタル代が勿体ないけど、飽きちゃったんだから仕方ない。陸にあがってグラシエラに声を掛けると、水シャワーを浴びて着替えた。
汗と砂と潮風のせいで、潮気を洗い落とした肌がたちまちベタついてくる。来た道をゲートまで戻った時には、もう一度シャワーを浴びたくなってきた。車寄せが日陰になっているのが、せめてもの救いだ。
桟橋近くでタクシーを降りると、空が雲でかげってきた。船着き場には人が集まり始めていたが、フェリーの到着には少し時間が早い。それまで海を見ていようか、とトニーが言った。悪くないね。泳いだせいか、動きまわる気にはなれないもの。
海沿いのコンクリート堤防に座って、ただ何となく遠くを眺める。まだ3時過ぎだというのに、空は一面どんより雲で薄暗い。眼前のビーチの、鮮やかなパラソルもくすんで見える。風が出てきて、空の様子や波の色は黄昏ムード満点。まったり加減が心地よく、三人は無言で船を待った。
いきなり、周囲が黄金色に包まれた。手品師がスカーフをめくった瞬間の、拍手喝采のような熱気。同時に、沸騰した汗が噴き出してくる。陽射しの復活と共に、世界は止めていた息を吹き返し始めたのだ。太陽の偉大さを、古代のマヤ人とエジプト人の気持ちになって受け止める。
フェリーはすぐにはしけを離れ、なだらかな島影が揺らめきながら遠ざかっていく、それはまさに夢のたとえだ。船内には腹の底から響くような、くぐもったエンジン音が充ちている。短く浅い眠りに落ちて、僕はそういった光景が交じり合った夢を見た。
プラジャ・デル・カルメンは、まだまだ昼間の顔だった。静かに賑わう通りを抜けて、僕らは寄り道せずにバス乗り場へと直行する。ちょっとした建物の裏手にバス停が並び、外の待ち合いスペースは日除けが大きく張り出している。
バス待ちの列に加わったけど、風通しが悪いので蒸し暑い。行列は、ゆっくり動いては止まる。僕はあまりの暑さに苛立ってきたが、バスに乗るまでの辛抱だった。
どうせ車内は強烈な冷房で、かいた汗も引っ込むというものだ。
メキシコ旅情【逃避編・9 思惑色々】
いつも通り遅起きして、まずは両替に行く。
覚えているうちに行っておかないと、いつもの如く突然のバタバタに巻き込まれて忘れてしまうのがオチだ。
毎日が、直前まで予想もつかなかった出来事で締めくくられてゆく。(今日こそは何事もなく退屈な一日になりそうだ)と思っても、こう言っちゃあ悪いが心休まる日は一日もなかったからな…。そんな暮らしが楽しくもあり、煩わしく感じる時もある。
そんな思いも、きっとこの旅が終われば愛おしい思い出に変わるのだろう。でも今は、これが僕の日常でしかない。振り回されてばかりにならないように、ある程度の覚悟をしながらもペースを保たないと。自分の都合は優先させて、何事も起こらないうちに片付けておくに限る。
ここに滞在できるのは残り6日になってしまった。コスメル島の温水シャワーでもそうだったが、段々と日本の事を思い出す回数が増えてきたような気がする。心は、こうして徐々に帰国の準備を始めているのかもしれない。
全額両替しようかと思ったが、うっかり使い切ったら大変だからやめておく。帰りにシアトルで一泊するのを考えて、百ドル以上の残高があるからって油断してはいけない。不測の事態に備えて脇目も振らずに帰るのだ。ママの「コミーダ」が僕を待っている。
食事の後、前夜トニーが借りたビデオをひとりで観る。彼は、珍しく僕を残して出掛けていった。ホゼ(エドベンの3番目の妹の旦那)の友人から携帯電話を買うためなのだが、いつもは何かと執拗に僕を誘うトニーらしくない。それでつい、僕が同行できない程ヤバい用事なのかと気を回したくもなる。
「やっと自分の電話が手に入る!」
彼は喜び勇んで買いに行ったけれど、この話がまともじゃない事ぐらいは覚悟の上なのだ。慎重派のトニーにしては余程の事なのだろうが、しかし彼はビザ切れだしホゼのアミーゴってのが気に掛かる。
エドベンが盗難車を売り付けられたのも、ホゼ絡みの相手だったのだ。さすがに今回のアミーゴは別人らしいが、それ故かトニーはエドベンの忠告を聞き流している様子だった。
トニーは「郷に入っては郷に従う」ような気配りの人で、常に自分がグリンゴ〈よそ者〉である事を意識している。そんな彼だから尚更、エドベンの家族に電話を取り次いでもらう事を心苦しく感じてしまうのだろう。
長期滞在して交友関係を拡げていくにつれ、昼間は仕事や勉強で忙しい友達と連絡を取り合うには夜の電話が重要になる。しかしエドベン以外の家族はみんな夜が早いし、電話のたびに2階の部屋まで小間使いのように往復させる訳にもいかない。
しかもこの家の女性達は、トニーの交友関係にあまり良い感情を持っていなかった。彼がろくでもないトラブルに巻き込まれないように気を配るのは、ある意味では当然の親切心かもしれないが…。特に、例の「ベイビー・ベイブ事件」はママ達の意見に充分な論拠を与えてしまったようなものだ。
ビデオを観終えて、しばらくアマカ〈ハンモック〉でシエスタしていたら3時過ぎ。こんなに何事もない一日は、ひょっとしたら初めてではないだろうか?
気が付けば、もう陽が傾きかける時刻ではないか。トニーが戻ってこないまま、夕方になってしまった。不安が抑えきれず、とにかく部屋で待つとする。今のところは手の打ちようがなかったし、後はエドベンが帰ってからだと決めた時。
外で声がしたと思ったら、トニーが勢いよくドアを開けて入ってきた。
彼がそんなふうに扉の開け閉めをするのは、今まで一度も見たことがなかった。それだけで、彼が相当に疲れて苛立っているのが伝わってくる。
「お帰り。遅かったね」
僕の声に返事もせず、大きなため息を吐き出しながらベッドに倒れ込んだ。部屋の空気が薄くなったみたいだ、ヤな感じ…。トニーも、僕もずっと黙っていた。
ややあって、彼が口を開いた。
「夕飯、まだ食べてないよね?」
弾みをつけるように体を起こすと、彼はそのままバス・ルームに入っていった。
「すぐシャワーを浴びるから、何か買いに行こう。こんなに時間がかかる筈じゃなかった」
詳しい話を聞く気もなかったが、結局はむだ足に終わったのだろう。トニーは「うまく運べば明日中に手に入るよ」と楽観的な観測をして、それが本気でそう思っての言葉なのか僕は煙に巻かれた気がした。
携帯なら、誰かに名義を貸してもらえば面倒な手続きは要らないだろう。しかし万が一トラブルが起きたら、そこで最も厄介な相手が警察だと知らないトニーではないのに…。その辺が彼の解らないところだ。
外に出る時、エドベンが一階のリビングから僕を呼び止めた。
「週末はディスコ! OK?」
僕に(ヘセラも来るから…)と耳打ちすると、背中をどついてニヤッとした。今さっきまでトニーと一緒だったらしいのに、どうやって話をまとめたんだか。しかも、なんと彼女は独りで来るという。この上なく有り難いけれども、どうやってスシ男や草むら君を切り離したのやら…?
「なぁに、『奴はヘセラの事が好きだから、独りで来い』って言ったのさ」
またニヤついて(だから、彼女と2人っきりにしてやる)だとぉー?! 余計なお世話だ、どんな顔すりゃいいんだよ。それに2人っきりって、ナニが出来るってんだい。
まったく、現実的というか即物的というか…。確かに僕は「ヘセラが魅力的だ」とは言ったろうけど、単なる(旅先の恋心)じゃあないか。嬉しいような嬉しくないような、実に困る。
「でも持ってれば、そのほうがイイでしょ? 後でいくつかプレゼントするから」
トニーと買い物に出た夜道でもヘセラの話は続いていて、更に即物的な話題に進展していた。要するに、コンドゥムを用意しとけ!…と。
なーんか妙な展開になってきたな〜。エドベンもトニーも、こっちの事は放っとけっての。彼らの熱いスピリットは嬉しいけれど、お膳立てされたら気持ち悪いぜ。
ここでトニーは、彼独自のプランを持ち出してきた。
この週末、彼はずっと温存していた「キューバ計画」を実行に移すつもりでいるらしい。しょっちゅう口にしてはいたが、まさか彼がそれを本気で考えているとは思ってもみなかった。前にエドベンと行った時の写真を僕に見せながら、いつもその話は冗談に終始していたのだ。
やれやれ、またまた雲行きが怪しくなってきたぞ。
「君がいるのもあと少しだし、せっかく安く行けるんだからさ」
「この週末を利用するとしたら、ディスコは無理だろ?」
「うーん、困ったねェ〜。…あっ、そうかぁ。じゃあ、こうすればいいんだ!」
「まさか週明けは無茶だぜ。リコンファームしなくちゃいけないし、荷物も…」
「違う、チケットを延ばすんだ。確か、フィックスでも少し払えばできる」
「僕も出来ればそうしたい、でも無理だ」
「いいや、レセプションに訊けば判る。せいぜい5千円ぐらいだよ」
「そういう意味じゃなくて、僕のお金の問題なんだってば」
日数を延ばせば、食べるにも遊ぶにも費用がかかるのだ。もう僕は、予算の割に充分すぎるほど濃い時間を満喫している。欲は幾らでも出せるけど、帰りが出なけりゃ笑えない。
「それなら、こうしよう。ディスコが無かったらキューバでブギブギだ!」
[ブギブギ]とはトニーの個人的なスラングで、おそらく英語としては通用しない。
「それは…ちょっと遠慮しておくよ」
「ヘ〜イ、どうして? キューバ女性は美人でスタイルも良いし…オッパイは小さいけど」
僕は言葉に詰まってしまった。そりゃあヘセラとだって、キューバ女性とだってしてみたい気はする。ただ、そういう目標に向かって行動するのは嫌だった。そういう目配り自体が面倒臭く思えたし、誰かと上首尾に運ぼうという必然性も以下同文。
「あのな…。僕だって男なんだぜ、解るだろ?」
なんだか懇願口調のトニーに同情しかけて、ちと腑に落ちない点が…。
ひょっとしてトニーさん、僕のヘセラ話を自分の都合の枕にしてませんか?!
覚えているうちに行っておかないと、いつもの如く突然のバタバタに巻き込まれて忘れてしまうのがオチだ。
毎日が、直前まで予想もつかなかった出来事で締めくくられてゆく。(今日こそは何事もなく退屈な一日になりそうだ)と思っても、こう言っちゃあ悪いが心休まる日は一日もなかったからな…。そんな暮らしが楽しくもあり、煩わしく感じる時もある。
そんな思いも、きっとこの旅が終われば愛おしい思い出に変わるのだろう。でも今は、これが僕の日常でしかない。振り回されてばかりにならないように、ある程度の覚悟をしながらもペースを保たないと。自分の都合は優先させて、何事も起こらないうちに片付けておくに限る。
ここに滞在できるのは残り6日になってしまった。コスメル島の温水シャワーでもそうだったが、段々と日本の事を思い出す回数が増えてきたような気がする。心は、こうして徐々に帰国の準備を始めているのかもしれない。
全額両替しようかと思ったが、うっかり使い切ったら大変だからやめておく。帰りにシアトルで一泊するのを考えて、百ドル以上の残高があるからって油断してはいけない。不測の事態に備えて脇目も振らずに帰るのだ。ママの「コミーダ」が僕を待っている。
食事の後、前夜トニーが借りたビデオをひとりで観る。彼は、珍しく僕を残して出掛けていった。ホゼ(エドベンの3番目の妹の旦那)の友人から携帯電話を買うためなのだが、いつもは何かと執拗に僕を誘うトニーらしくない。それでつい、僕が同行できない程ヤバい用事なのかと気を回したくもなる。
「やっと自分の電話が手に入る!」
彼は喜び勇んで買いに行ったけれど、この話がまともじゃない事ぐらいは覚悟の上なのだ。慎重派のトニーにしては余程の事なのだろうが、しかし彼はビザ切れだしホゼのアミーゴってのが気に掛かる。
エドベンが盗難車を売り付けられたのも、ホゼ絡みの相手だったのだ。さすがに今回のアミーゴは別人らしいが、それ故かトニーはエドベンの忠告を聞き流している様子だった。
トニーは「郷に入っては郷に従う」ような気配りの人で、常に自分がグリンゴ〈よそ者〉である事を意識している。そんな彼だから尚更、エドベンの家族に電話を取り次いでもらう事を心苦しく感じてしまうのだろう。
長期滞在して交友関係を拡げていくにつれ、昼間は仕事や勉強で忙しい友達と連絡を取り合うには夜の電話が重要になる。しかしエドベン以外の家族はみんな夜が早いし、電話のたびに2階の部屋まで小間使いのように往復させる訳にもいかない。
しかもこの家の女性達は、トニーの交友関係にあまり良い感情を持っていなかった。彼がろくでもないトラブルに巻き込まれないように気を配るのは、ある意味では当然の親切心かもしれないが…。特に、例の「ベイビー・ベイブ事件」はママ達の意見に充分な論拠を与えてしまったようなものだ。
ビデオを観終えて、しばらくアマカ〈ハンモック〉でシエスタしていたら3時過ぎ。こんなに何事もない一日は、ひょっとしたら初めてではないだろうか?
気が付けば、もう陽が傾きかける時刻ではないか。トニーが戻ってこないまま、夕方になってしまった。不安が抑えきれず、とにかく部屋で待つとする。今のところは手の打ちようがなかったし、後はエドベンが帰ってからだと決めた時。
外で声がしたと思ったら、トニーが勢いよくドアを開けて入ってきた。
彼がそんなふうに扉の開け閉めをするのは、今まで一度も見たことがなかった。それだけで、彼が相当に疲れて苛立っているのが伝わってくる。
「お帰り。遅かったね」
僕の声に返事もせず、大きなため息を吐き出しながらベッドに倒れ込んだ。部屋の空気が薄くなったみたいだ、ヤな感じ…。トニーも、僕もずっと黙っていた。
ややあって、彼が口を開いた。
「夕飯、まだ食べてないよね?」
弾みをつけるように体を起こすと、彼はそのままバス・ルームに入っていった。
「すぐシャワーを浴びるから、何か買いに行こう。こんなに時間がかかる筈じゃなかった」
詳しい話を聞く気もなかったが、結局はむだ足に終わったのだろう。トニーは「うまく運べば明日中に手に入るよ」と楽観的な観測をして、それが本気でそう思っての言葉なのか僕は煙に巻かれた気がした。
携帯なら、誰かに名義を貸してもらえば面倒な手続きは要らないだろう。しかし万が一トラブルが起きたら、そこで最も厄介な相手が警察だと知らないトニーではないのに…。その辺が彼の解らないところだ。
外に出る時、エドベンが一階のリビングから僕を呼び止めた。
「週末はディスコ! OK?」
僕に(ヘセラも来るから…)と耳打ちすると、背中をどついてニヤッとした。今さっきまでトニーと一緒だったらしいのに、どうやって話をまとめたんだか。しかも、なんと彼女は独りで来るという。この上なく有り難いけれども、どうやってスシ男や草むら君を切り離したのやら…?
「なぁに、『奴はヘセラの事が好きだから、独りで来い』って言ったのさ」
またニヤついて(だから、彼女と2人っきりにしてやる)だとぉー?! 余計なお世話だ、どんな顔すりゃいいんだよ。それに2人っきりって、ナニが出来るってんだい。
まったく、現実的というか即物的というか…。確かに僕は「ヘセラが魅力的だ」とは言ったろうけど、単なる(旅先の恋心)じゃあないか。嬉しいような嬉しくないような、実に困る。
「でも持ってれば、そのほうがイイでしょ? 後でいくつかプレゼントするから」
トニーと買い物に出た夜道でもヘセラの話は続いていて、更に即物的な話題に進展していた。要するに、コンドゥムを用意しとけ!…と。
なーんか妙な展開になってきたな〜。エドベンもトニーも、こっちの事は放っとけっての。彼らの熱いスピリットは嬉しいけれど、お膳立てされたら気持ち悪いぜ。
ここでトニーは、彼独自のプランを持ち出してきた。
この週末、彼はずっと温存していた「キューバ計画」を実行に移すつもりでいるらしい。しょっちゅう口にしてはいたが、まさか彼がそれを本気で考えているとは思ってもみなかった。前にエドベンと行った時の写真を僕に見せながら、いつもその話は冗談に終始していたのだ。
やれやれ、またまた雲行きが怪しくなってきたぞ。
「君がいるのもあと少しだし、せっかく安く行けるんだからさ」
「この週末を利用するとしたら、ディスコは無理だろ?」
「うーん、困ったねェ〜。…あっ、そうかぁ。じゃあ、こうすればいいんだ!」
「まさか週明けは無茶だぜ。リコンファームしなくちゃいけないし、荷物も…」
「違う、チケットを延ばすんだ。確か、フィックスでも少し払えばできる」
「僕も出来ればそうしたい、でも無理だ」
「いいや、レセプションに訊けば判る。せいぜい5千円ぐらいだよ」
「そういう意味じゃなくて、僕のお金の問題なんだってば」
日数を延ばせば、食べるにも遊ぶにも費用がかかるのだ。もう僕は、予算の割に充分すぎるほど濃い時間を満喫している。欲は幾らでも出せるけど、帰りが出なけりゃ笑えない。
「それなら、こうしよう。ディスコが無かったらキューバでブギブギだ!」
[ブギブギ]とはトニーの個人的なスラングで、おそらく英語としては通用しない。
「それは…ちょっと遠慮しておくよ」
「ヘ〜イ、どうして? キューバ女性は美人でスタイルも良いし…オッパイは小さいけど」
僕は言葉に詰まってしまった。そりゃあヘセラとだって、キューバ女性とだってしてみたい気はする。ただ、そういう目標に向かって行動するのは嫌だった。そういう目配り自体が面倒臭く思えたし、誰かと上首尾に運ぼうという必然性も以下同文。
「あのな…。僕だって男なんだぜ、解るだろ?」
なんだか懇願口調のトニーに同情しかけて、ちと腑に落ちない点が…。
ひょっとしてトニーさん、僕のヘセラ話を自分の都合の枕にしてませんか?!
メキシコ旅情【逃避編・10 洗礼】
ホエール。
クジラの事じゃなくて、僕の洗礼名「ジョエル」をスペイン語で発音すると「ホエール」になるのだ。これは(もしも僕がカトリックを信仰していたら…)の話だが。昨日の夜、グラシエラが調べてくれたのだ。
洗礼名というものが、生年月日によって決まっていたとは初耳だった。日本人には馴染みの薄いミドル・ネームという風習に話が及んだ時、グラシエラが思い出したように本を取り出してパラパラまくり始めた。ちょうど小振りな辞書みたいで、1年分の日付毎に2〜3の洗礼名が記されているものだ。確か僕の誕生日にも他に2つ書いてあったが、両方とも覚えにくそうな上に語感も今ひとつだった。
「ジョエル?」僕が声に出して言うと、女性達が訂正した。
「僕はジョエルのほうがいいよ」
「いいえ、あなたはホエ〜ル!」
そう言って笑った。
トニーのミドル・ネームはダニエルだが、こちらは本名だ。一応はプロテスタントの筈だけど、本人も「詳しい由来は知らない」という。きっと、そんなもんだよな。自分の意志ではないもの。
ガイドブックには「メキシコの国民は、ほとんどすべてがカトリックに帰依している」と書いてあった。曰く、女の子達の(日常的な挨拶)を勘違いして、うかつに手を出したりすると「うちの娘をどうしてくれる」と父親に捩じ込まれて、そのまま結婚+永住という羽目に…云々。
今になってみれば(書いた人は気の利いたジョークのつもりだったのか)と思えないでもない。しかしメキシコについて何の予備知識もなかった数カ月前は、半ば本気で信じていたのだった。地域差はあるのかも知れないけれど、肌で感じる意見としては「そんなに厳格なクリスチャンでもないでしょ」という程度だ。
あのロレーナだって、離婚した今は新しいボーイ・フレンドと仲良くやっている。グラシエラとビアネイにしても、特に宗教的な行為を見たことがない。教会に通っている気配はないし、本人達も僕の質問には笑って首をすくめただけだった。
彼女たちの部屋には聖書とイコンがある。けれど冠婚葬祭を別にすれば、宗教に起源を持つ様々な祝日は絶好のパーティ日和、といった程度で日常を過ごしているのだろうな。宣教師が植えた種は、その土地の風土に適応して実を結ぶ。もうすでに、第一世代のカトリックではない。
僕は、その感じは(自然の理に適っている)と思う。人為的に区切られた歴史ではない生々流転の中で、大きな生命の流れは調和している。日本の無宗教ぶりも、そういう視点から見れば気持ちの良いものだ。いろんな種が絡み合いながら、混じり合って育つ。
混沌は、何も拒まない風土なのだ。
トニーと一緒に、昨日のビデオを返しに行く。
ウシュマル通りを渡った向こうにビデオ屋「ブロック・バスター」があり、手前にはトニーお気に入りの雑貨屋「スーパー・マックス」がある。周囲は住宅地で、他に店といえば雑貨屋の隣にある文房店ぐらいだ。
ここの主人には、僕が以前ほんの少し世話になった。
いつだったか、家の前でディエゴと遊んでいて、僕は彼の大事なスーパーボールを失くしてしまった。強く弾んだ拍子に、隣家の塀を飛び越えてしまったのだ。僕はディエゴに謝ったけれど、泣いて怒りだしたので買って返す事にした。
約束はしたものの、どこにも売っていなかった。雑貨屋「マックス」にも売っていなくて、もう他に思い当たる店がないので隣の文具店に入ってみたのだ。きっとファンシーな文房具と一緒くたになって、スーパー・ボールぐらい……と期待したのは甘かった。事務用品店と呼んだほうが相応しい雰囲気の店だった。
応対に出てきた主人は、不審そうな面持ちで僕の話を聞いていた。けれど僕が日本人だと分かると、表情が変わった。
「日本の、どこから来た?」
状況がつかめないので、さりげなく僕は逃げ出せる構えを取る。日本人だと何だというのだ?
「東京です」と答えると、今度は「東京のどこだ?」と畳み掛けてくる。苛々してきて今度はこちらが怪訝な顔をすると、やっと主人は笑顔を見せて種明かしをしてくれた。
「これは失礼。妻の実家が、亀戸なものでね」
彼は店名の印刷してあるカードを出して、僕に一枚くれた。
「これは妻の名刺でして…このエンブレム、判りますか?」
指さすまでもなく、日本人なら一目瞭然の家紋じゃないか。紙質といい、アルファベット表記なのが奇妙な位の立派な名刺だ。ナオコ・フジモリ・デ・デュケー。マネージャー、とある。
「この店の名前もね、ほら」
パペレリア・アキラ…あきら紙舗、と訳せば良いのか。アキラは私の日本名です、と言われても意味が通じない。帰化してないでしょ、おぬしは。
「また寄って下さい、妻を紹介します」と言われて店を後にした。スーパーボールの手掛かりにはならなかったが、面白い体験だった。
メキシコのアキラ氏に、どんな経緯があったのやら。
父親が出てきて「うちの娘をどうしてくれる」…あの、ふざけた文章を思い出した。
閉店間際の「マックス」に入って、コーラとナチョスを買い込んだ。帰り道の途中に、日本人の経営するという鍼灸院があったのを思い出した。
日本が身近になってくる。
クジラの事じゃなくて、僕の洗礼名「ジョエル」をスペイン語で発音すると「ホエール」になるのだ。これは(もしも僕がカトリックを信仰していたら…)の話だが。昨日の夜、グラシエラが調べてくれたのだ。
洗礼名というものが、生年月日によって決まっていたとは初耳だった。日本人には馴染みの薄いミドル・ネームという風習に話が及んだ時、グラシエラが思い出したように本を取り出してパラパラまくり始めた。ちょうど小振りな辞書みたいで、1年分の日付毎に2〜3の洗礼名が記されているものだ。確か僕の誕生日にも他に2つ書いてあったが、両方とも覚えにくそうな上に語感も今ひとつだった。
「ジョエル?」僕が声に出して言うと、女性達が訂正した。
「僕はジョエルのほうがいいよ」
「いいえ、あなたはホエ〜ル!」
そう言って笑った。
トニーのミドル・ネームはダニエルだが、こちらは本名だ。一応はプロテスタントの筈だけど、本人も「詳しい由来は知らない」という。きっと、そんなもんだよな。自分の意志ではないもの。
ガイドブックには「メキシコの国民は、ほとんどすべてがカトリックに帰依している」と書いてあった。曰く、女の子達の(日常的な挨拶)を勘違いして、うかつに手を出したりすると「うちの娘をどうしてくれる」と父親に捩じ込まれて、そのまま結婚+永住という羽目に…云々。
今になってみれば(書いた人は気の利いたジョークのつもりだったのか)と思えないでもない。しかしメキシコについて何の予備知識もなかった数カ月前は、半ば本気で信じていたのだった。地域差はあるのかも知れないけれど、肌で感じる意見としては「そんなに厳格なクリスチャンでもないでしょ」という程度だ。
あのロレーナだって、離婚した今は新しいボーイ・フレンドと仲良くやっている。グラシエラとビアネイにしても、特に宗教的な行為を見たことがない。教会に通っている気配はないし、本人達も僕の質問には笑って首をすくめただけだった。
彼女たちの部屋には聖書とイコンがある。けれど冠婚葬祭を別にすれば、宗教に起源を持つ様々な祝日は絶好のパーティ日和、といった程度で日常を過ごしているのだろうな。宣教師が植えた種は、その土地の風土に適応して実を結ぶ。もうすでに、第一世代のカトリックではない。
僕は、その感じは(自然の理に適っている)と思う。人為的に区切られた歴史ではない生々流転の中で、大きな生命の流れは調和している。日本の無宗教ぶりも、そういう視点から見れば気持ちの良いものだ。いろんな種が絡み合いながら、混じり合って育つ。
混沌は、何も拒まない風土なのだ。
トニーと一緒に、昨日のビデオを返しに行く。
ウシュマル通りを渡った向こうにビデオ屋「ブロック・バスター」があり、手前にはトニーお気に入りの雑貨屋「スーパー・マックス」がある。周囲は住宅地で、他に店といえば雑貨屋の隣にある文房店ぐらいだ。
ここの主人には、僕が以前ほんの少し世話になった。
いつだったか、家の前でディエゴと遊んでいて、僕は彼の大事なスーパーボールを失くしてしまった。強く弾んだ拍子に、隣家の塀を飛び越えてしまったのだ。僕はディエゴに謝ったけれど、泣いて怒りだしたので買って返す事にした。
約束はしたものの、どこにも売っていなかった。雑貨屋「マックス」にも売っていなくて、もう他に思い当たる店がないので隣の文具店に入ってみたのだ。きっとファンシーな文房具と一緒くたになって、スーパー・ボールぐらい……と期待したのは甘かった。事務用品店と呼んだほうが相応しい雰囲気の店だった。
応対に出てきた主人は、不審そうな面持ちで僕の話を聞いていた。けれど僕が日本人だと分かると、表情が変わった。
「日本の、どこから来た?」
状況がつかめないので、さりげなく僕は逃げ出せる構えを取る。日本人だと何だというのだ?
「東京です」と答えると、今度は「東京のどこだ?」と畳み掛けてくる。苛々してきて今度はこちらが怪訝な顔をすると、やっと主人は笑顔を見せて種明かしをしてくれた。
「これは失礼。妻の実家が、亀戸なものでね」
彼は店名の印刷してあるカードを出して、僕に一枚くれた。
「これは妻の名刺でして…このエンブレム、判りますか?」
指さすまでもなく、日本人なら一目瞭然の家紋じゃないか。紙質といい、アルファベット表記なのが奇妙な位の立派な名刺だ。ナオコ・フジモリ・デ・デュケー。マネージャー、とある。
「この店の名前もね、ほら」
パペレリア・アキラ…あきら紙舗、と訳せば良いのか。アキラは私の日本名です、と言われても意味が通じない。帰化してないでしょ、おぬしは。
「また寄って下さい、妻を紹介します」と言われて店を後にした。スーパーボールの手掛かりにはならなかったが、面白い体験だった。
メキシコのアキラ氏に、どんな経緯があったのやら。
父親が出てきて「うちの娘をどうしてくれる」…あの、ふざけた文章を思い出した。
閉店間際の「マックス」に入って、コーラとナチョスを買い込んだ。帰り道の途中に、日本人の経営するという鍼灸院があったのを思い出した。
日本が身近になってくる。
メキシコ旅情【逃避編・11 ささやかな初体験】
今朝もアマカ[ハンモック]から叩き落とすような起こされ方で、寝ぼけたまんま車に乗せられた。グラシエラがマッサージを受ける、その付き添いだという。
エドベンの車に乗っているのは彼女と僕の他はトニーとビアネイ、更に今回はパパの車にママとジョアンナとディエゴまで加わっている。たかがマッサージだろ、単にヒマなのか? グラシエラの具合も、それに大勢で来た理由も判然としない。
車は、郊外へ向かって走っている。午前中の空気は気持ちがいい。
診療所らしくない民家とはいえ、わら葺き屋根のバラックなんて初めて見たな。庭先のバサバサに茂った熱帯樹に、汚れた痩せ犬がつながれていた。引き戸の中は真っ暗だが、うっすらと日本家屋的な天井の梁と土間が見えた。
一同は別棟の戸口に集まり、何やら神妙な様子で立ち尽くしている。板張りの隙間から光の筋が差し込んで、部屋の中は黒白の縞模様。タタキにムシロを敷いた上に布団が広げられ、ついたての奥にグラシエラがいるかオバアサンの小声がする。
あのバァサン、白衣は着ているものの医者には見えないな。しかも、マッサージしているようにも思えなかった。治療の真っ最中らしく、助手の女のコがせわしなく出入りするので戸口から離れた。
粗末な住まいで何が起きていたのか、もしかしてシャーマン…? 謎めいた空気と不思議な治療風景…あの老女がメディスン・ウーマンだったとすれば、何となくすべてが納得いく。
しかしまた、そういう突飛な推察は更に謎を深める。グラシエラは何を治したのか、みんな一般的に利用するのか、呪術信仰はあるのか等々。ただ僕は寝呆けていて、帰りの車中さえ記憶にない。事後でもいいから確かめておけば良かった。
午後はセントロに出て、土産物屋を見て回った。
「バーガー・キング」の脇道には、ガラの悪そうな店員が通行人をにらんでいる土産物屋があった。いつも足早に通過していたけれど、勇気を出して一人で踏み込む。狭い入口の割に奥行きがあり、アメ横の高架下みたいに小さな店が連なっていた。
ありがちなダサ土産が目に付くが、なかなか気の利いた小物も潜んでいる。面白い、けど買うには至らない民芸品がゴチャゴチャ並んでいる。その中で、様々な柄を織り込んだラグに目を魅かれた。
布は実用的でかさ張らないし、派手な原色だけでなく中間色で渋めの模様もある。ただ、値段が折り合わない。自分用に欲しくなったラスタ・カラーのアマカに至っては、なんと1万円近い値札が付いてやがるし。
悔し紛れに(ジャマイカでも無いのに狙い過ぎ)とつぶやくと、すかさず店員が聞きつけて寄ってきた。
「旦那、損はさせないヤワじゃないよ。レゲエは好き? アメリカから来たの?」
怖えー。何だか知らないが(いや知りたくもないが)妙に隙がなくて、右頬にザックリと目尻からあごにかけて傷痕が…。これは僕の手に負える相手じゃない、強気を装いつつ身を返して隣の店に。しかし奴は出口の近くで、さり気なく僕をマークしていた。
そこを出ればすぐ通路から屋外なのに…いやだなぁ。
スカー・フェイスから避難した店で、緑と白のシンプルな色遣いがマヤっぽい感じのラグ・マットを買った。店主に値段を尋ねたら「300ペソ」と答えたので、思わずしかめっ面をしてしまった。すると主人は近付いて布を手に取ると、
「あぁ間違えた、こっちは200だ! でも150でいいよ」
そう言い直して実直そうな笑みを浮かべる。これは値切れる、というか言い値で買うべきではないって意味だな。1USドル=7.5ペソのレートだったから、1ドルが120円位だとして…150ペソは2000円ちょっとか。
「お買い得だよ旦那、ウチのは全部ハンドメイドで機械織りとは訳が違う」
口ぶりからして、そんなとこだろう。房飾りをパラパラと見れば、確かに糸の始末が雑だ。このバラつきは、ほつれないうちに根元で縛ったほうが良いだろう。
「…うーん、100ペソ! セニョール、これ以上は勘弁だ」
そう言う店主の背後で、そっと忍び寄ったスカー・フェイスが口を挟もうとチャンスをうかがっている。
「80ペソだ」
僕は気まぐれに値切ってみた。それでも、まぁ1200円程度なら安い買い物だろう。もっと値切れたのかもしれないが、これでまた話が長引くようなら「交渉決裂」という口実にもなる。それにしても、まさかOKするとは思わなかった。
店主は一瞬固まって、大きく息を吐きながら同意した。その時、焦れったそうに首を突っ込もうとしたスカー・フェイスが消えた。奴め、話が終わるのを待ち構えていたのだな。しかし何だかんだ言って、やっぱり持っていると財布の紐がゆるむなぁ。でも衝動買いって楽しい。
家に帰ってから、写真整理のアルバムを買い忘れたことに気が付いた。
すぐ後からビアネイが帰ってきたので、近くで手に入らないか訊いてみたら心当たりがあるという。ちょうど彼女も、その店に行くという。メルカドの奥にあるスーパー「サンフランシスコ」だ、僕も一緒に行く事に。
「じゃあ悪いけど、シャワーだけ浴びさせてね。すぐだから、ここで待っていて」
ビアネイは僕を部屋に入れると、正面に仕切られたカーテンを引いた。
シャワーの水音を聞きながら、女のコ達のベッドに座っているのは妙な気持ちだ。このシチュエーションで、急に彼女がバスタオル一枚で出てきた。彼女は笑って、鏡台に並んだ引き出しを開けた。おいおい! 下着とか出してんのかぁ〜?! ひょー、冷や汗が出てきた。
彼女が再びカーテンから姿を見せた時は、着替えを終えて頭をインド人にしていた。日焼けしたうなじが上気しているのが気になって尋ねたら、やっぱりお湯が出るのだそうだ。トニーの部屋とは大違いじゃん、でも僕は居候の身だから文句は言うまい。
エドベンの車に乗っているのは彼女と僕の他はトニーとビアネイ、更に今回はパパの車にママとジョアンナとディエゴまで加わっている。たかがマッサージだろ、単にヒマなのか? グラシエラの具合も、それに大勢で来た理由も判然としない。
車は、郊外へ向かって走っている。午前中の空気は気持ちがいい。
診療所らしくない民家とはいえ、わら葺き屋根のバラックなんて初めて見たな。庭先のバサバサに茂った熱帯樹に、汚れた痩せ犬がつながれていた。引き戸の中は真っ暗だが、うっすらと日本家屋的な天井の梁と土間が見えた。
一同は別棟の戸口に集まり、何やら神妙な様子で立ち尽くしている。板張りの隙間から光の筋が差し込んで、部屋の中は黒白の縞模様。タタキにムシロを敷いた上に布団が広げられ、ついたての奥にグラシエラがいるかオバアサンの小声がする。
あのバァサン、白衣は着ているものの医者には見えないな。しかも、マッサージしているようにも思えなかった。治療の真っ最中らしく、助手の女のコがせわしなく出入りするので戸口から離れた。
粗末な住まいで何が起きていたのか、もしかしてシャーマン…? 謎めいた空気と不思議な治療風景…あの老女がメディスン・ウーマンだったとすれば、何となくすべてが納得いく。
しかしまた、そういう突飛な推察は更に謎を深める。グラシエラは何を治したのか、みんな一般的に利用するのか、呪術信仰はあるのか等々。ただ僕は寝呆けていて、帰りの車中さえ記憶にない。事後でもいいから確かめておけば良かった。
午後はセントロに出て、土産物屋を見て回った。
「バーガー・キング」の脇道には、ガラの悪そうな店員が通行人をにらんでいる土産物屋があった。いつも足早に通過していたけれど、勇気を出して一人で踏み込む。狭い入口の割に奥行きがあり、アメ横の高架下みたいに小さな店が連なっていた。
ありがちなダサ土産が目に付くが、なかなか気の利いた小物も潜んでいる。面白い、けど買うには至らない民芸品がゴチャゴチャ並んでいる。その中で、様々な柄を織り込んだラグに目を魅かれた。
布は実用的でかさ張らないし、派手な原色だけでなく中間色で渋めの模様もある。ただ、値段が折り合わない。自分用に欲しくなったラスタ・カラーのアマカに至っては、なんと1万円近い値札が付いてやがるし。
悔し紛れに(ジャマイカでも無いのに狙い過ぎ)とつぶやくと、すかさず店員が聞きつけて寄ってきた。
「旦那、損はさせないヤワじゃないよ。レゲエは好き? アメリカから来たの?」
怖えー。何だか知らないが(いや知りたくもないが)妙に隙がなくて、右頬にザックリと目尻からあごにかけて傷痕が…。これは僕の手に負える相手じゃない、強気を装いつつ身を返して隣の店に。しかし奴は出口の近くで、さり気なく僕をマークしていた。
そこを出ればすぐ通路から屋外なのに…いやだなぁ。
スカー・フェイスから避難した店で、緑と白のシンプルな色遣いがマヤっぽい感じのラグ・マットを買った。店主に値段を尋ねたら「300ペソ」と答えたので、思わずしかめっ面をしてしまった。すると主人は近付いて布を手に取ると、
「あぁ間違えた、こっちは200だ! でも150でいいよ」
そう言い直して実直そうな笑みを浮かべる。これは値切れる、というか言い値で買うべきではないって意味だな。1USドル=7.5ペソのレートだったから、1ドルが120円位だとして…150ペソは2000円ちょっとか。
「お買い得だよ旦那、ウチのは全部ハンドメイドで機械織りとは訳が違う」
口ぶりからして、そんなとこだろう。房飾りをパラパラと見れば、確かに糸の始末が雑だ。このバラつきは、ほつれないうちに根元で縛ったほうが良いだろう。
「…うーん、100ペソ! セニョール、これ以上は勘弁だ」
そう言う店主の背後で、そっと忍び寄ったスカー・フェイスが口を挟もうとチャンスをうかがっている。
「80ペソだ」
僕は気まぐれに値切ってみた。それでも、まぁ1200円程度なら安い買い物だろう。もっと値切れたのかもしれないが、これでまた話が長引くようなら「交渉決裂」という口実にもなる。それにしても、まさかOKするとは思わなかった。
店主は一瞬固まって、大きく息を吐きながら同意した。その時、焦れったそうに首を突っ込もうとしたスカー・フェイスが消えた。奴め、話が終わるのを待ち構えていたのだな。しかし何だかんだ言って、やっぱり持っていると財布の紐がゆるむなぁ。でも衝動買いって楽しい。
家に帰ってから、写真整理のアルバムを買い忘れたことに気が付いた。
すぐ後からビアネイが帰ってきたので、近くで手に入らないか訊いてみたら心当たりがあるという。ちょうど彼女も、その店に行くという。メルカドの奥にあるスーパー「サンフランシスコ」だ、僕も一緒に行く事に。
「じゃあ悪いけど、シャワーだけ浴びさせてね。すぐだから、ここで待っていて」
ビアネイは僕を部屋に入れると、正面に仕切られたカーテンを引いた。
シャワーの水音を聞きながら、女のコ達のベッドに座っているのは妙な気持ちだ。このシチュエーションで、急に彼女がバスタオル一枚で出てきた。彼女は笑って、鏡台に並んだ引き出しを開けた。おいおい! 下着とか出してんのかぁ〜?! ひょー、冷や汗が出てきた。
彼女が再びカーテンから姿を見せた時は、着替えを終えて頭をインド人にしていた。日焼けしたうなじが上気しているのが気になって尋ねたら、やっぱりお湯が出るのだそうだ。トニーの部屋とは大違いじゃん、でも僕は居候の身だから文句は言うまい。
メキシコ旅情【逃避編・12 総集編…じゃないの?!】
ビアネイとスーパーマーケット「サンフランシスコ」に行き、その店を出たらもう空は暮れはじめていた。気持ちのよい風が吹いていて、どこか〈秋の気配〉を感じさせる。いやだなぁー、ますます刹那さが増してくるじゃんか。
部屋に帰って財布を見たら、勘定してみてビックリ仰天! 僕は今日だけで300ペソも使っていたのだ。しかしラグを言い値で買っていたと思えば、まぁ観光客気分なら大した額でもないか…。それでもペソ暮らしに慣れた僕には、やはり散財としか考えられなかった。
いつの間にか帰国後の生活費を考えてしまうのは、旅が終わった先の現実に移行する準備期間に入ったって事だよな。ここが目覚めつつある夢の中だとしても、自分の心が離れていくようで寂しいものがある。
屋上に上がって一服していると、見たことのない小柄な青年をトニーが連れ帰ってきた。マヤ系の整った顔立ちに、ひとなつっこそうな笑顔。どうやら話をしても問題なさそうだ、簡単なあいさつと自己紹介をして部屋に入った。
彼はヘア・メイクの仕事をしてると、トニーが部屋を片付けながら教えてくれた。やはり携帯電話の一件とは関係なさそうだった。
「それで、トニーは何してるの?」
トニーは手を休め、やれやれ、といった顔をした。今からここで髪を切ってもらうので、その場所を空けてるのだという。彼はフリーだから、どこかの店で働いてる訳ではないらしい。あるいは店を通さない小遣い稼ぎでやるのか…?
アマカをフックから外し、簡易ベッドを畳む。そうして僕の寝床が消えると、空いた場所に椅子を置いて準備完了。床に落ちた髪の毛なんか、軽く掃けばきれいになるからな。今日はヘア・カットしてヘア・ダイだって…えっ、染めてたの?
トニーは、僕が知らなかったことに驚いていた。「何をいまさら」って言われても、そんなこと思ってもみなかったんだもん。髪を金髪に染めてるからって、そんな弁解がましい口調にならなくてもいいのに…。
でも言わしておくと、わざわざ10年前の写真まで探し出して僕に見せた。金髪以前の、カラスの濡れ羽色のトニー。
「若いねー、それに清潔感があって良いじゃない。でもちょっと怖そう」
変われば変わるものだ、と思う。真面目だけど神経質そうな写真の青年と、このお気楽クンが同一人物なのだから…。服装も髪形も、しっかり自分を演出している。どういう人間に見られたいか、あるいは〈なりたい自分〉を装うというのも悪くないね。
そういえば、いつも仕事帰りのトニーは結構パリッとした格好で、ラルフのマルチ・ストライプのシャツなんか着て上等な腕時計しめていたっけ。それがオフ・タイムでは、言葉は悪いがまるで〈プア・アメリカン〉なのだ。ボサボサの髪に襟元がズルズルに伸びたTシャツ、それがまたMTVアニメ・キャラ柄だったり。
トニーだけを見て判断するのもなんだけど、そういうのって非常にアメリカ人らしい気がする。少なくとも僕にとっての〈愛すべきアメリカ人像〉を、彼は見事に体現していた。
「写真を撮ってよ」
床屋青年が持参したゴミ袋のような黒マントを、トニーは腰掛けた椅子の上から首に巻き付けて言った。そして僕が写真を撮って部屋を出ると、小気味良いハサミの音が聞こえてきた。シャリ、シャリ、シャリ。
僕はビアネイとグラシエラの部屋に行って、そこで写真の整理をしていた。
出来事の順番を思い出しながらアルバムに挟み込んでゆくが、テーブルに並べた全部を収めるには時間が掛かりそうだった。だって彼女達が待ち切れなさそうな目をして、子供のように写真をいじくり回すんだもん!
しかしこうやって時系列に沿って見渡すと、まるでドラマの総集編だな。最終回の直前にやったりするやつ。彼女達との共通の思い出、セノーテやビーチの写真は大騒ぎだった。僕のビキニ・ショットとかグラシエラの砂マッチョなどなど、2人とも指をさして大笑いしている。
グラシエラに付いて行った英語学校や、トゥルム〜コスメル旅行の写真も好評だった。ふと思い出したように、グラシエラが写真をくれた。
「おぉーっ、イグアナだ! ありがとう」
遺跡に佇む姿が、どアップで写っている。僕が上手く撮れずに苦労していた事を覚えていてくれたのだろう。
「どういたしまして。君の写真もちょうだいね」
「イグアナと交換…かい?!」
賑やかにお喋りしながら、朝の不思議な治療を思い出して何の気なしに訊いてみた。
「ところでグラシエラ、調子はどうなの?」
あれ、急に場がシラケたぞ…。女同士で目配せするように、取ってつけたジョークでお茶を濁したりしてさぁ。その話題は、ちょっと触れて欲しくなさそうだった。何を今さら、エドベン一家総出で行ったじゃないの…? OK、ここは聞くまい。彼女達の様子にもまた、何か深いためらいが感じ取れたのだ。
「なぁ、明日はキューバに行こう!」
僕が部屋に戻ると、いきなりトニーは言った。
午前中の便で発つから、今のうちに荷物を用意しよう…って、なんだよ突然に?!
しかし決めると有無を言わさぬところがあるトニーだ、僕が何と言おうと聞いてはくれないだろうけどねぇ〜。
「1泊2日だ、すぐに帰ってこれる」
いや、そうじゃなくてさぁー。リコンファームしなくちゃ、僕はもうすぐ日本に帰るんだぜ? しかし彼は、そんなのエドベンに頼めばいいと意に介さない。こうなると、あまり言いたくはなかったが一番の理由を言わなくてはならなかった。
「聞いてくれトニー、もうお金がない」
さすがにトニーの動きが止まり、肩を落として大きな溜め息と沈黙。しかし彼はめげずに形勢逆転に出る。
「往復と宿泊込みで1泊2日、たった300ドルなんだぜ?」
ペソじゃなくてUSドルかよ、本当に残高ゼロになっちまうぜ。そんなの僕じゃなくて、またエドベン誘って行けばいいのに。
「君と行きたいんだよ! キューバでブレードやったら、もぉー女性にモテモテで…」
はいはい、その冗談なら覚えてるさ。オチを言おうとしたら大真面目な顔をされて、僕が言葉を詰まらせると畳み掛けるように駄目押しされた。
「よし決まりだ、とりあえずチケット代とは別に200ドル貸す。リコンファームも、僕からエドベンに間違いなく頼んでおく。オキドキ? で、っと。あとは…そうそう!」
トニーが部屋を引っ掻き回して、ファースト・エイド・キットを取り出した。
コンドゥムを挟んで、またも男2人の押し問答。
「本当に要らない。持ってると、逆に使いたくなるといけない。銃と同じだ」と僕が言えば「いいじゃない、そうしようぜ!」とトニー。
「余分な金は使いたくない」と言い返すと、彼は「お金を使わなくったって平気だ」だって? またもやトニーに押し切られちまった…!
もし仮にそうだとしても、やっぱり僕は気が進まない。どうしてなんだろう?
部屋に帰って財布を見たら、勘定してみてビックリ仰天! 僕は今日だけで300ペソも使っていたのだ。しかしラグを言い値で買っていたと思えば、まぁ観光客気分なら大した額でもないか…。それでもペソ暮らしに慣れた僕には、やはり散財としか考えられなかった。
いつの間にか帰国後の生活費を考えてしまうのは、旅が終わった先の現実に移行する準備期間に入ったって事だよな。ここが目覚めつつある夢の中だとしても、自分の心が離れていくようで寂しいものがある。
屋上に上がって一服していると、見たことのない小柄な青年をトニーが連れ帰ってきた。マヤ系の整った顔立ちに、ひとなつっこそうな笑顔。どうやら話をしても問題なさそうだ、簡単なあいさつと自己紹介をして部屋に入った。
彼はヘア・メイクの仕事をしてると、トニーが部屋を片付けながら教えてくれた。やはり携帯電話の一件とは関係なさそうだった。
「それで、トニーは何してるの?」
トニーは手を休め、やれやれ、といった顔をした。今からここで髪を切ってもらうので、その場所を空けてるのだという。彼はフリーだから、どこかの店で働いてる訳ではないらしい。あるいは店を通さない小遣い稼ぎでやるのか…?
アマカをフックから外し、簡易ベッドを畳む。そうして僕の寝床が消えると、空いた場所に椅子を置いて準備完了。床に落ちた髪の毛なんか、軽く掃けばきれいになるからな。今日はヘア・カットしてヘア・ダイだって…えっ、染めてたの?
トニーは、僕が知らなかったことに驚いていた。「何をいまさら」って言われても、そんなこと思ってもみなかったんだもん。髪を金髪に染めてるからって、そんな弁解がましい口調にならなくてもいいのに…。
でも言わしておくと、わざわざ10年前の写真まで探し出して僕に見せた。金髪以前の、カラスの濡れ羽色のトニー。
「若いねー、それに清潔感があって良いじゃない。でもちょっと怖そう」
変われば変わるものだ、と思う。真面目だけど神経質そうな写真の青年と、このお気楽クンが同一人物なのだから…。服装も髪形も、しっかり自分を演出している。どういう人間に見られたいか、あるいは〈なりたい自分〉を装うというのも悪くないね。
そういえば、いつも仕事帰りのトニーは結構パリッとした格好で、ラルフのマルチ・ストライプのシャツなんか着て上等な腕時計しめていたっけ。それがオフ・タイムでは、言葉は悪いがまるで〈プア・アメリカン〉なのだ。ボサボサの髪に襟元がズルズルに伸びたTシャツ、それがまたMTVアニメ・キャラ柄だったり。
トニーだけを見て判断するのもなんだけど、そういうのって非常にアメリカ人らしい気がする。少なくとも僕にとっての〈愛すべきアメリカ人像〉を、彼は見事に体現していた。
「写真を撮ってよ」
床屋青年が持参したゴミ袋のような黒マントを、トニーは腰掛けた椅子の上から首に巻き付けて言った。そして僕が写真を撮って部屋を出ると、小気味良いハサミの音が聞こえてきた。シャリ、シャリ、シャリ。
僕はビアネイとグラシエラの部屋に行って、そこで写真の整理をしていた。
出来事の順番を思い出しながらアルバムに挟み込んでゆくが、テーブルに並べた全部を収めるには時間が掛かりそうだった。だって彼女達が待ち切れなさそうな目をして、子供のように写真をいじくり回すんだもん!
しかしこうやって時系列に沿って見渡すと、まるでドラマの総集編だな。最終回の直前にやったりするやつ。彼女達との共通の思い出、セノーテやビーチの写真は大騒ぎだった。僕のビキニ・ショットとかグラシエラの砂マッチョなどなど、2人とも指をさして大笑いしている。
グラシエラに付いて行った英語学校や、トゥルム〜コスメル旅行の写真も好評だった。ふと思い出したように、グラシエラが写真をくれた。
「おぉーっ、イグアナだ! ありがとう」
遺跡に佇む姿が、どアップで写っている。僕が上手く撮れずに苦労していた事を覚えていてくれたのだろう。
「どういたしまして。君の写真もちょうだいね」
「イグアナと交換…かい?!」
賑やかにお喋りしながら、朝の不思議な治療を思い出して何の気なしに訊いてみた。
「ところでグラシエラ、調子はどうなの?」
あれ、急に場がシラケたぞ…。女同士で目配せするように、取ってつけたジョークでお茶を濁したりしてさぁ。その話題は、ちょっと触れて欲しくなさそうだった。何を今さら、エドベン一家総出で行ったじゃないの…? OK、ここは聞くまい。彼女達の様子にもまた、何か深いためらいが感じ取れたのだ。
「なぁ、明日はキューバに行こう!」
僕が部屋に戻ると、いきなりトニーは言った。
午前中の便で発つから、今のうちに荷物を用意しよう…って、なんだよ突然に?!
しかし決めると有無を言わさぬところがあるトニーだ、僕が何と言おうと聞いてはくれないだろうけどねぇ〜。
「1泊2日だ、すぐに帰ってこれる」
いや、そうじゃなくてさぁー。リコンファームしなくちゃ、僕はもうすぐ日本に帰るんだぜ? しかし彼は、そんなのエドベンに頼めばいいと意に介さない。こうなると、あまり言いたくはなかったが一番の理由を言わなくてはならなかった。
「聞いてくれトニー、もうお金がない」
さすがにトニーの動きが止まり、肩を落として大きな溜め息と沈黙。しかし彼はめげずに形勢逆転に出る。
「往復と宿泊込みで1泊2日、たった300ドルなんだぜ?」
ペソじゃなくてUSドルかよ、本当に残高ゼロになっちまうぜ。そんなの僕じゃなくて、またエドベン誘って行けばいいのに。
「君と行きたいんだよ! キューバでブレードやったら、もぉー女性にモテモテで…」
はいはい、その冗談なら覚えてるさ。オチを言おうとしたら大真面目な顔をされて、僕が言葉を詰まらせると畳み掛けるように駄目押しされた。
「よし決まりだ、とりあえずチケット代とは別に200ドル貸す。リコンファームも、僕からエドベンに間違いなく頼んでおく。オキドキ? で、っと。あとは…そうそう!」
トニーが部屋を引っ掻き回して、ファースト・エイド・キットを取り出した。
コンドゥムを挟んで、またも男2人の押し問答。
「本当に要らない。持ってると、逆に使いたくなるといけない。銃と同じだ」と僕が言えば「いいじゃない、そうしようぜ!」とトニー。
「余分な金は使いたくない」と言い返すと、彼は「お金を使わなくったって平気だ」だって? またもやトニーに押し切られちまった…!
もし仮にそうだとしても、やっぱり僕は気が進まない。どうしてなんだろう?