そんな訳で、駅前の角にイタリアン・コーヒー屋を見つけた僕は美味いコーヒーで一息ついていました。台湾では、歩道にベンチを置くのも当たり前なんです(というか、その程度なら序の口なんですが)。
するとカウンターの中から店主が出てきて、僕に英語で話しかけてきました。まぁ世間話程度ですが、その中で彼は「サンフランシスコに妻子を置いて、故郷で店を開いたんだ」と言っていました。

これからは台湾でも本格的なコーヒーが売れるようになる、という読みは悪くなかったと思うんですよね。半年後の12月に行ったら、洒落たカフェが目に付くようになったし実際に繁盛してましたから。
でも、その時には店主の顔も店の名前も変わっていました。乗っ取られたのか手放したのか、僕には知りようもありません。
それだけではなく金都飯店もガレキの山と化していて、楽しみにしていた瀧乃湯も閉まってたんです。
初日の夜10時に、軽い失意のズンドコです。
なんだか追い返されるような気持ちで、僕は新北投を後にしました。しかし半年で一体、この温泉町に何があったんだろう・・・・・・?
あの2月の肌寒い朝、注文の電話で大忙しだった店主と「また会おう」と握手を交わして別れた。
ちょうど旧正月が明けたばかりだったから、高雄行きの切符が取れるか心配だと言った僕に「旧正月は終わったから、もう座っていける」と請合ってくれたっけなぁ。帰化したアメリカで、家族と暮らしているのだろうか。それとも商売が軌道に乗って、家族を呼び寄せ手広くやってるのだろうか?
さらばコーヒー屋のオヤジ、そして金都飯店の子犬たち。

それから僕は新北投の駅に向かい、「朝粥」の看板に目を留めて屋台店に。わざわざ掲げるのも珍しいけど、ここは本当に粥しか出さない店だったんですね。おかげで筆談の手間も省けるというもの、ジェスチャーでトッピングも頼んで熱々の粥で腹ごしらえ。35元。
するとそこに2人目の客、絵に描いたようなバックパッカー姿・・・・・・。
「なんだ、日本語通じねぇのかよ!」
おや日本人か、っていうかアンタ。そんな旅慣れた格好で何言ってんだかなぁ〜? ちょっと可笑しく思いながら、向かい合わせで黙々と食べてるアンタさんに話しかけてみる。これから帰国するらしく、ちょうど台北まで行くのだったらとMRT降りるまで同道。
大学時代から一人旅を始めて、今は公務員33歳。けっこう色々な国に行っているようだけど、これが最後の旅なのだそうだ。まぁ色々あるんだろうね、それじゃあと手を振って僕は南下。

さて、その頃。
旅の2日目を台北で迎えた12月の僕は、同じく南下しようと台北駅に向かって市街を歩いておりました。
夜の10時に新北投を後にして、それから市街で無事に宿を確保したんですね。