2007年09月29日

【'05台湾×2】24/謎茶とサザエ巻き

 潮州です。
 面白いもので、町の規模で似たような雰囲気になるものなんですね。
 たとえば枋寮で林邊を思い出したように、ここは東港に似た印象を覚えました。内陸なので港町ではないけれど、交通量が多くビルが建ち並んでいます。
 駅と並行して幹線道路が走っていて、それに沿って発展した町並み。陸路の要衝といった地の利でいえば萬丹にも似てますが、活気の質と空気は丸く穏やかな感じがします(その辺は「台湾日記 5日目・3/東港から萬丹へ」ご参照くだされ)

 しばらく歩くと網咖のK−netがあって、この近くに宿を見つけようと思ったら路地の向かいに南峰大飯店の看板が。
 土間のように広く薄暗い入り口(何故か旅社の類いって、1階にフロア・ライトがないんですよね)の奥にカウンターがあり、2人のオバチャン相手に筆談です。
 最初は露骨に面倒くさそうな、胡散臭そうな顔されましたが笑顔で交渉成立。700元で在TV熱湯、もちろん“室内喫煙可能”です(笑)。
 3階の部屋からは向かいのK−netが丸見え、やけに広くて微妙に南国的。
 しかし不思議だったのは布団です。
 枕元に、何故だかサザエみたく巻いてあるんですよ。
 ちょっと笑えました。
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 まずシャワー、というか墾丁で日焼けした肌が真っ赤なので行水です。
 夕食を食べに周辺を歩いて、結局は目の前の屋台店で肉燥飯と担担麺。まったく台湾では、どこで食べても担担してませんなー。
 でもここの親父さん、やたら愛想よくて手際も鮮やかです。
 そして隣のK−net、やっぱり日本語IME入ってて安心しました。墾丁の網咖では散々だっただけに(てゆうか偉いよっ!)って感じ。
 それにしても網咖のコーヒーって、ブラック頼んで「有(ヨー)」って請合うくせに絶対ミルク砂糖入りで生ぬるい・・・・・・。
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 謎茶。
 枋寮で物売りのオバチャンから押し売りされた、ペットボトルに入った何か。
「紅茶、甘くない!」とか、日本語は達者だったんですがね。
 うーん、変な味だよ!
「甘くしたら、誰も飲まないよ!」って言ってたけど、かなーり甘いし。
 しかも、これ紅茶じゃないでしょ。薄めた焙じ茶に、メイプルシロップでも入れたようだとしか形容できないけど・・・・・・?
 それほど美味しくいただけない、子供向けの変わった飲み薬かもしれません。これを土産にしたら、誰からも本気で嫌がられそうです。
 何といっても(このペットボトル、使い込んでるよね)っていうのが印象的。

 ここのTVもエロなし、でもチャンネル数は120くらい。そうそう、どこかで必ずジャッキー・チェンの映画を放送してるんだよなぁ〜。
 今日は旧暦の祝日だったらしく、夜のニュースで各地の様子を見たけど騒々しい祝いっぷりです。まだ小琉球の鳴り物舟は静かな方だったんですね(その辺は「'05台湾×2 15/どんより奇岩トーチカ」ご参照くだされ)
 潮州では爆竹も聞こえなかったし、飾り付けも目に付かなかったなぁ。
 明日の予報は20〜28℃で降水確率10%、ただ明後日はどこも荒天だって〜!?
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 翌朝は曇り空に晴れ間が差し、空を舞っているのは鳥のようだけど・・・・・・。パラグライダー?
 気流のせいか、ほとんど動かない落下傘という感じにしか見えません。
 赤や黄色の小さな斑点が山の頂に散らばってる、そんなシュールな光景で一日が始まりました。

 チェックアウトは12時まで大丈夫、なので軽く周辺の探索に。
 地図の上では小さな町でも、家々は通りをどこまでも連なっていますね。かなり歩き回った気がしますが、朝から開けてる店が見当たらなくて参りました。
 9時前とはいえ、コンビニぐらいしか開いてないとは意外。高雄の屋台店では、とっくに通勤客で賑わっている時間帯なんですけどねぇ。
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posted by tomsec at 01:46| Comment(4) | TrackBack(0) | '05台湾×2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

【'05台湾×2】23/再見楽園

 屋台店のチビッコをかまいつつ、鍋焼意麺60元を。
 これは麺が選べて(ビーフン、生めん、揚げ麺)、むき身の貝にすり身の魚と肉団子が入った香草風味の五目めん。とにかく薄味で、辛味ソースをレンゲ2杯も足しました。
 香草(シャンツァイ?)とか調味料の味はクセがあるので、ハマらない人にとっては食べられた味じゃないかもしれません。でも個性的な味って後を引きますよね。

 セ○ンイレブンに入って、妹の子供たちに土産を買います。なぜかコンビニ特製の子供用Tシャツがあって、カエルとマンボウ各250元。1枚700円程度なら日本より安い気もしませんが、襟裏のタグにあのコンビニのロゴ入りというのがレアで面白いかなと。
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 宿で荷をまとめ、まだ乾いてない洗い物もビニールに入れてチェックアウト。
 気持ちよい宿だったな、朝に支払った延泊分はチップとさせていただきましょう(ビールのお礼も含めて)。
 帰りのバスはどこまで乗ろう、東港まで戻らずに最寄りの駅からガタゴトと屏東あるいは潮州でも行くとしようか・・・・・・?
 すると女主人が、バス運ちゃんに見せるようカードを書いてくれました。
「私は枋寮火車站で降ります謝謝」
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 隣の店(ホテル・カリフォルニアとは逆の並び)がバス停なので、そこの少年にも女主人は言い含めてくれました。
 乗車券は備え付けの赤い専用レジ(ボタンは黄色)で売買するのですが、160元のところ小銭を足しても159元しかない!
 そしたら少年は気安く1元オマケしてくれました。助かるけど、勝手なコトして大丈夫かぁ〜? お礼に写真を撮って、あとはガムぐらいしかないけど謝謝。
 ひどい中国語訛りでも英語を喋るスケボー少年、瞳が水色だけどカラーコンタクトにしては鮮やかすぎて不思議な印象。
 中南客運の運ちゃんに言付けしてくれた、握手してバイバイ。
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 ふと旅の初めに出会ったバックパッカーを思い出しました(その辺は「【'05台湾×2】04/コーヒーおじさんは何処へ?」ご参照くだされ)
 彼もここまで来てたんだなー、思えばあれから1週間が経って8日目です。
 ここは南の端、あとは少しずつ北上するだけ。という事は時の流れも帰国に向かい始めてるんですね。
 バスに揺られながら、南湾に面した道路から対岸が見えました。地図には三核と記載されてますけど、どう見ても風力発電の大風車ですね(でも実際に原発もあるらしい)
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 帰りは15分足らずで恒春を通過、海沿いの田園風景を眺めて枋寮へ。
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 バスを下りると十字路を折れて枋寮火車站、駅のある町並みは林邊に似て不思議と郷愁を感じさせます。それは僕の記憶にある、都電の駅に続く商店街を思い起こさせるからでしょう。
 日本のローカル駅と同じような雰囲気で、潮州まで60元の切符を買って駅舎で自強号待ちです。乗客は待合のベンチに10人ほど。
 そこにやってきた、大きな背負子の物売りオバチャン。僕を見るなり、いきなり日本語で話しかけてきました。
 どうして〜??
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 17:26発の便が到着する頃に日が暮れてきて、本当に初夏のようです。この穏やかな暖かさ、日本にいて思い出す台湾の空気そのものです。
 ところで、急行が停車する小さな駅は決まっていないようですね。
 佳冬には停まったけれど林邊は通過で、発着時刻の順番で通過駅を変えているのでしょうか(往路の便は逆だった)。
 どちらにしろ潮州には停車するし、必ず急行が停まる駅って事は、佳冬みたいに宿がないほど小さな町でもないでしょう。
 まぁ見つからなくても、最終列車は夜中まで走ってますからね。ここになくても、屏東に行けば何とかなります。
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原発に関する追記【2009/06/22】3
posted by tomsec at 20:11| Comment(4) | TrackBack(0) | '05台湾×2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

【'05台湾×2】22/折り返し

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 ・アメリカは美国で、USドルは美金
 ・テレビの音量はチャンネル毎に、更にCM毎に違う

 墾丁でのメモに、こんなことが(気付いた事)として書いてありました。

 しかし台湾でアメリカを「美しい国」と書くのは、なんだか思わせぶりな感じがしますね(きっと中国では有り得ないでしょう)。 その伝でいえば日本がアメリカを「米の国」と書くのは、なんかトンチンカンな気もしますが・・・・・・同じ発音表記とはいえ。
 ちなみに台湾がポルトガルなどの支配下にあった時は、フォルモッサ(麗しい島)と呼ばれていたそうです。

 テレビについては他の町でもそうなのですが、チャンネルごとに基準がないのか本当に音量の差が大きいんです。
 普段は気に留める事もなかったんですけど、昨夜は神経が鋭敏だったのでしょう。電話や足音がうるさいなんて気にしてた位ですからね。

 全身真っ赤に変わりはないけれど、服は着られるようになりました。でも腫れ上がったように皮膚が突っ張っちゃって動きにくい感じではあります。
 海への途中、コンビニで昨夜のイタメシ屋Amy’sの店員を見かけました。
 手を上げて挨拶する、こんな他愛ない事でも心地よく返ってくるのが嬉しい。

 そういえば何故か、墾丁にはタイ料理店が多かったりもしました。
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 風もなく波も穏やか、無論快晴。
 小湾にはパラソルが増え、貸し浮き輪&イス屋の他にバナナボートやらジェットスキーも並んでます。2人乗りのシーカヤックが2艘、波を切って漕ぎ出してゆきました。
 今日も岩陰に腰を下ろし、また日がな一日読書三昧。
 さすがにシンドイのは昨夜だけにしたいので、思いっきり日焼け止めを塗りたくって真っ白に。本当は海水が濁りそうで好きじゃないんですけどね、まぁ気の持ちようなんですけれど。
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 本を読み終え、体の砂を波で洗い流した時には(今日のうちに移動しよう)と決めていました。
 直感のささやくまま、海パンが乾くの待たず宿に戻ります。本のせいか場所のせいか、昨日から頭の中で閃きが多いんですよね。
 とはいえ、それは予知とかいった事柄じゃないので、何か意味があるとは思わないんですが。

 曇り空と雨続きだった旅で、やっと辿り着いた楽園に思えた墾丁ですけどね。
 旅は所詮は行って帰るものですし、ここでの今日は昨日の繰り返しに過ぎない気がしたんです。
 無論それでも全然OKなんですが、だったら思い出にしても好いかなってね。ちっとも上手く説明できてませんが、とにかく気が晴れたといいますか。
 ただ(ここで過ごす時間は終わった)という感覚は、理屈じゃなく腑に落ちるものがあったんです。
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 今日の海は一段と透き通って、名残惜しい景色を味わいながらペタペタ歩いてました。
 すると道端でカップルに「シャッター押してもらえます?」と声を掛けられ、僕が日本人と分かって驚いてました。
 そりゃまぁ、こんなですからねぇ。一人で真っ赤に日焼けして、しかも観光客にしては安っぽい格好してるし・・・・・・! 笑
 彼らと同じ台湾人と間違われたのが妙に照れくさいような嬉しいような、互いのカタコト英語で少し立ち話をしました。

 彼らは、その年の夏に開催される愛知万博に行って日本で数ヶ月も過ごす予定だと言っていました。
 日本人の僕でも国内でそんなに泊まり歩けないし、台湾の物価を考えると結構リッチな旅行なのではないのだろうか?
 もしかしたら彼らは、台北にいるという超富裕層だったのかなぁ〜?
posted by tomsec at 01:18| Comment(3) | TrackBack(0) | '05台湾×2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月01日

95*未熟の美学

 もう夏もオシマイですなー、いやぁ今年は暑かった!
・・・って、まだまだ暑いでしょうけど、蝉だってカナカナ言ってるしヒマワリだって下向いちゃってますから。
 なにより我が家でも「今日で今年のスイカは終わり!」と宣言されちゃいましたからねぇ。

 僕は果物全般が大の好物で、夏といえばスイカなしには越せません。そして比較的、果物全般において完熟よりも少し未熟な方が好きなんです。
 だから洋ナシみたいに(時間をおいて充分に熟してからが美味い)なんてのは、ちょっと困る。買ってきたそばからガブリと食らいつくような、何の支度も要らないカジュアルさがまた好ましいのです。

 たとえばバナナですと、いわゆるスイート・スポットが浮き出した甘いのは苦手でして。むしろ皮の表面が青味がかって実が締まった、そんな野趣のある風味が堪らないのです。
 でもバナナは本来、皮が黒みを帯びて実も柔らかくトロトロになって食すものだったそうですな。「バナナの皮で滑って転ぶ」には、それ位じゃないとダメらしい。

 ところでこの夏は、あちこちでヒマワリを見かけました。
 公園や道端に、いつからこんなに植わっているようになったのかって感じで。こういうのも流行り廃りですかね?
 それになんだか花が小ぶりになった気がするのも流行なのでしょうか。子供の時分と比べれば、すっかり目線だって違うんでしょうけど、それを差し引いても昔とは品種が違う気がするんです。花屋でだって切花として扱えるようになってますし・・・。

 そしたら先日、自分の中で思い描いていたまんまのヒマワリを見ました。
 草とは思えない太い茎が空高く伸びて、その先に黒々と種が詰まった大きな顔をもたげてね。子供心に、初めて植物のグロテスクさを感じた、そんなヒマワリでしたよ。
 毛羽立って肉厚な怪物じみた葉、花弁の中心にみっしりと凝集された昆虫のような種の頭!
 草花というには可憐さのかけらもない、近くで見上げるほどに怖気を感じるようなね。
 おもちゃの刀を振り回すと太い茎が容易く折れて、大きな黒い顔が覆い被さるように落ちてきた思い出。午後の日差しでしおれかけた夏草の上に、埃っぽい草の汁の匂いと生温かい湿気を巻き上げて・・・。
 そんな格闘と放心の記憶がよみがえりまして、すると小さいヒマワリが何故か気の毒に思えたりもしたんです。

 思えば小ヒマワリの増加は、割と近所の再開発エリアに目立っていたような気もします。
 戦後の復興から、地味ながら自然な曲線で伸びてきた営みを思わせる一帯だったんですけどね。バブル期に途中で投げ出され、それが近頃(夢よ再び)って感じで盛り返しまして。
 道幅は広いし街路樹も茂って、あちこちの公園に若い親子がいて。それこそ流行のドラマに出てきそうな、洒落た高層マンション街なんです。
 こういう(統一感のある景観)ってのは、こうやって根こそぎひっくり返してドカンと造らないと出来ませんね。実際、美しいと思うし心も安らぐ訳です。
 ハバナの街並みを眺めた時も、僕は同じように思ったんです。
 コロニアル、というのは(かつて計画的に建設されたという意味なんだよなぁ)って。その美しさは人為的な上にあるのだなぁって。

 そういえば湾岸の方には、もっと景観の美しい町があるんですよ。200万以下の車と40歳以上の人間がいない、ヨーロッパの石畳ごと移築したような町が! あれだけ徹底して造られると、歩いてるだけで観光気分になっちゃいます。
 まぁいくら美しく造られた町でも、世代交代と共に変わってゆく筈なんですよね。見えないところにゴミくずが捨てられたりスプレーで落書きされたり、というような何かがなかったら怖いなとも思うんです。
 というのも、ハバナの街の美しさには(人の営みが街の作為性を呑み込んでしまったからではないか)と感じられたからなんです。当時のまま清潔に手付かずに管理保存されても、やっぱり世界遺産には登録されたのでしょうけどね。

 子供の頃、美術の授業で「調和の取れた構図」や「遠近法」といった言葉を習いました。絵の描き方で、安定感や美しさを感じさせる視覚効果の技法です。
 でもそれを表面に出しすぎると、かえって野暮ったいというか妙な不自然さを覚えてしまう・・・。そんな感じと似たような、あんまり出来すぎた無味無臭さというのも物足りないよぁってね。
 こればかりは、誰かが一気にドカンと造り出せるものではないと思うんです。

平成19年8月31日
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