さて、話は再び12月に。
コオ老人と、お昼を食べる約束でした。
11時にチェックアウト、階下の網咖で書き込みしてコオ老人宅へ。
昼食の後、1時半から奥さんを病院に連れて行くそうなので早々に引き上げました。
またも熱心に引き止めらましたが、さすがに検診にまで同行するのは気が引けます。
しかし思えば、昨日の計画は何だったのだろう。あんなに寿山とか台東を勧めてくれたけど・・・・・・。
彼なりの社交辞令だったりして?
コオ老人には男女3人づつのお子さんがいて、病院には「近所に住んでる息子が車で迎えに来る」と言ってたからなぁ〜。
もしや、彼に任せて僕と出かけるつもりだったのかもしれませんが。
ホッとしつつも、やや拍子抜けではありました。
銀行で6千円両替。
実は昨日も5千円分だけ両替したんですが、よくよく計算してみたら足りなかった。
変なところでしみったれたおかげで、台北までの列車代と宿代を差し引いたら400元しか残らないと判明。
両替嬢に顔を覚えられたか、心なしか笑っていたような。
ま、こういうセコい日本人も中にはいるって事で。
明日はクリスマス・イブ、今日は暖かく気持ちよい日差しです。半日かけて台北に行くには、せっかくの上天気が勿体無い!
なので夜行列車の切符を買って、1人で旗津半島へ日向ぼっこに行ってみます。
昨日コオ老人と行ったのでバスの乗り場も分かっていますし、旗津で宿を見つけられたら次に来る機会の余地が拡がるという腹づもりもあったり。
フェリーを降りて、周辺の路地などぶらぶら歩き。
宿は見当たらないですが、K−net旗津店を見つけたので入ってみます。
チェーン店なのに、小琉球の個人営業店みたいな雰囲気。要するに、下町のゲーセンっぽい。
フロントの小姐は、絶対にクラブ好きです。丸いオッパイ見せそうな服といい、黒人ラッパーのPVに出てきそうで。っていうか顔も体つきも超ビッチ(←良い意味で)・・・
・・・まさか全身整形?
1階が禁煙で「2階ならOK」というので、上に行こうとしたら100元上乗せ要求されビックリ。
どうも筆談では意味が分からず、オーナーらしき人物ともケータイで話したが要領を得ず。1階で我慢してネットで書き込み。
どうしても日文が呼び出せず四苦八苦してたら、件の小姐が「ニホンゴ?」と反応してから選択可能になったのは何故だろう・・・・・・? 彼女は触ってもいないのに不思議。
現地ルポを書き終えるところでブザーが鳴り、しかも追加コインが受け付け不可能で投稿前に消えてしまった。
まったく運が悪い、ちぇっ。
港でMTBを借りて、海岸沿いを延々と走り回りました。前後サスの、なんちゃってMTBです。1時間30元。
ギヤ錆はないけど、ギシギシ揺れまくって乗りにくい。
早めに引き上げてフェリーで対岸(高雄側)に戻ったのですが、一向にバスが来ません。
待ってるうちに日が暮れてしまい、やっと来たらギューギュー詰め超満員です。
やはり5時過ぎると学生のラッシュに巻き込まれるのだな、っていうか既に6時も過ぎてるんですけどね・・・・・・!
これからは忘れないようにしよう、以前にも懲りた筈なのですが。
おそらく学生達は、下校じゃなくて塾へ向かう途中なんでしょう。
最初の訪台時、夜10時を過ぎた高雄の駅前で大勢の子供達に遭遇した事を思い出しました。
子供といっても、小学校の高学年から中学生といった年頃でしょうか。1学年どころか全校生徒の行事かという位、周囲は子供達であふれかえっていて。
その流れに乗って歩いていたら、一緒に塾のビルに入ってしまいそうになって(塾のハシゴをしてるのか?)と、非常に驚きました。
台湾の勉強熱は、かつて日本でいわれた「受験地獄」の比ではないのですね。
僕は思わず同情してしまいましたが、それは僕個人の価値観でしかないと思ったりもしました。
他民族による支配や抑圧が繰り返された歴史を持つ台湾ですから、権力や経済力への強い指向は、その経験がない日本とは違って当然だとも思います。
日本には緊張感がなさすぎるとも言えますが、同時に日本の国民が弛緩していられる、その根拠なき平和さに思い至って冷や水を浴びせられたような気分にもなったものでした。
満員バスに耐え切れず、愛河を渡った所で途中下車してのんびり歩いて帰るとします。
夜行列車に乗るまでの時間を、どう潰そうか考えながら夜市へ。
でも夜市のゴハンは期待できないので、適当な屋台店で三合火庚麺60元、肉燥飯20元。
美味いけど、なぜか今日の肉燥飯は脂身の煮込み状。そぼろゴハンが懐かしいなー。
夕飯を済ませると網咖でネット書き込み再トライ。
そして、乗車時間までの予定を決める。
2008年01月24日
2008年01月15日
【'05台湾×2】34/休養館のフジタさん
六合夜市の晩ゴハン後、食休みに休養館(マッサージ店)に入りました。
夜市の屋台店は、シャッターを下ろした店舗の前に露店を出しているのですが、そこは営業中の店内だけでなく外までマッサージ椅子を並べて大繁盛してました。
それで差配役のオバサンに1時間600元の全身フルコースを頼むと、いかにも面倒臭そうな顔をしたんです。
その瞬間、アツイ視線が。
「私を指名しなさい!」
あ、日本語だ。
「すぐ終わりますから、待ってなさい」
パッと僕に目を合わせてきたのは、奥で別の客をマッサージしていたオジサンでした。
勝手に仕切られ、声を荒げる差配オバサンを説き伏せ・・・・・・というか相手してる客を半分そっちのけで、彼女を言い負かして僕を自分の客扱い。
そんなやり取りからして、百戦錬磨のプロっぽい。
おそらく差配オバサンが経営者で、雇われマッサージ師のオジサンは歩合給で働いているのではないでしょうか。
だから彼は、他の人に回されないよう「自分の客だ」と言い張って先手を打ったのではないかと。
実際、彼はマッサージ中に何度も「もし次に来るなら、僕はここにいますから指差してください」と言っていましたからね。
指名しなければ、手が空いてる順に客を割り当てる決まりになっているようでした。
百戦錬磨のオジサン(日本名フジタさん)は、70代だけに多少あやふやな日本語の使い手でした。
しきりに「日本語が話せて嬉しいです」と言っていたから、もしかしたら高額な客だからという理由で僕を自分の客に取った訳ではなかったのかもしれません。
そういう訳で、マッサージ中ずっと話しかけられてましたが。
だけどこっちは頭の中なんて真っ白状態になっちゃってるから、会話するのも一苦労でした。
途中で「休憩しましょう」と言われて、2人で一服していたら他のマッサージ師に何か言われてました。これは中国語の口調がきついせいではなく、表情からして「さっさとやりな!」とか文句つけられてたのだと思います。
それをいなす余裕というか老練さも、場数を踏んでる感じのフジタさん。
ちなみに「これは学校や資格があるのですか」と訊いたら。
「ないです」
打てば響くような即答っぷりに、思わず笑ってしまいました。
ところで、フジタさんとの会話で気になった点があったんですね。
それは、他のアジア人に対して差別的な傾向がみられたからなんです(コオ老人にも若干感じられたのですが)。
本人達は気にも留めずに口にするので、それはきっと彼らが日本語で教育を受けた時代の名残なのでしょう。
まるで(僕らは日本人同士だからなぁ)と言わんばかりの口調で、同じ台湾人さえも格下扱いするような物言いで話しかけてくるのでした。
当時の日本が「支配ではなく統治をした」と美文調に語られる歴史を、素直に受け止められなくなってしまいます。
過去は今の感覚で測れない事ですが、やはり日本人は第二国民という意識で台湾人と接していたのか。
そう思ってしまうのは、刹那いものがあります。
「貴方は結婚してないのですか?」
唐突に、フジタさんは僕に尋ねました。
「台湾では『早く結婚しろ』とうるさく言われるが、最近は晩婚化で男性の財力に対して女性は厳しいから、大陸や越南やミャンマーから女性が入ってくるんです」
確かに僕も(フィリピン系の女性が目立って増えたな)とは感じていたし、たまに「越南新娘○○○−○○○○(電話番号)」という落書きも見かけるようになりました。それにコールガール的な広告でも、越南新娘の四字熟語は普通に載っています。
そういえばコオ老人の家にも、若くはないけどタイ人の家政婦さんがいますし・・・・・・。
「大陸は、昔『シナ』と言ったよ、知ってますか? シナ」
そう話す時、フジタさんは日本学校時代の心に戻っていたのですよね。
あの頃の空気が言葉の端々に見えるたび、僕は複雑な思いにとらわれてしまいました。
英語で言うチャイナだと分かっていても、今の教育を受けた僕には。
夜市の屋台店は、シャッターを下ろした店舗の前に露店を出しているのですが、そこは営業中の店内だけでなく外までマッサージ椅子を並べて大繁盛してました。
それで差配役のオバサンに1時間600元の全身フルコースを頼むと、いかにも面倒臭そうな顔をしたんです。
その瞬間、アツイ視線が。
「私を指名しなさい!」
あ、日本語だ。
「すぐ終わりますから、待ってなさい」
パッと僕に目を合わせてきたのは、奥で別の客をマッサージしていたオジサンでした。
勝手に仕切られ、声を荒げる差配オバサンを説き伏せ・・・・・・というか相手してる客を半分そっちのけで、彼女を言い負かして僕を自分の客扱い。
そんなやり取りからして、百戦錬磨のプロっぽい。
おそらく差配オバサンが経営者で、雇われマッサージ師のオジサンは歩合給で働いているのではないでしょうか。
だから彼は、他の人に回されないよう「自分の客だ」と言い張って先手を打ったのではないかと。
実際、彼はマッサージ中に何度も「もし次に来るなら、僕はここにいますから指差してください」と言っていましたからね。
指名しなければ、手が空いてる順に客を割り当てる決まりになっているようでした。
百戦錬磨のオジサン(日本名フジタさん)は、70代だけに多少あやふやな日本語の使い手でした。
しきりに「日本語が話せて嬉しいです」と言っていたから、もしかしたら高額な客だからという理由で僕を自分の客に取った訳ではなかったのかもしれません。
そういう訳で、マッサージ中ずっと話しかけられてましたが。
だけどこっちは頭の中なんて真っ白状態になっちゃってるから、会話するのも一苦労でした。
途中で「休憩しましょう」と言われて、2人で一服していたら他のマッサージ師に何か言われてました。これは中国語の口調がきついせいではなく、表情からして「さっさとやりな!」とか文句つけられてたのだと思います。
それをいなす余裕というか老練さも、場数を踏んでる感じのフジタさん。
ちなみに「これは学校や資格があるのですか」と訊いたら。
「ないです」
打てば響くような即答っぷりに、思わず笑ってしまいました。
ところで、フジタさんとの会話で気になった点があったんですね。
それは、他のアジア人に対して差別的な傾向がみられたからなんです(コオ老人にも若干感じられたのですが)。
本人達は気にも留めずに口にするので、それはきっと彼らが日本語で教育を受けた時代の名残なのでしょう。
まるで(僕らは日本人同士だからなぁ)と言わんばかりの口調で、同じ台湾人さえも格下扱いするような物言いで話しかけてくるのでした。
当時の日本が「支配ではなく統治をした」と美文調に語られる歴史を、素直に受け止められなくなってしまいます。
過去は今の感覚で測れない事ですが、やはり日本人は第二国民という意識で台湾人と接していたのか。
そう思ってしまうのは、刹那いものがあります。
「貴方は結婚してないのですか?」
唐突に、フジタさんは僕に尋ねました。
「台湾では『早く結婚しろ』とうるさく言われるが、最近は晩婚化で男性の財力に対して女性は厳しいから、大陸や越南やミャンマーから女性が入ってくるんです」
確かに僕も(フィリピン系の女性が目立って増えたな)とは感じていたし、たまに「越南新娘○○○−○○○○(電話番号)」という落書きも見かけるようになりました。それにコールガール的な広告でも、越南新娘の四字熟語は普通に載っています。
そういえばコオ老人の家にも、若くはないけどタイ人の家政婦さんがいますし・・・・・・。
「大陸は、昔『シナ』と言ったよ、知ってますか? シナ」
そう話す時、フジタさんは日本学校時代の心に戻っていたのですよね。
あの頃の空気が言葉の端々に見えるたび、僕は複雑な思いにとらわれてしまいました。
英語で言うチャイナだと分かっていても、今の教育を受けた僕には。
2008年01月05日
【'05台湾×2】33/高雄の夜・12月、そして2月
コオ老人宅を後にして、儂來旅館に戻ると・・・・・・。
なぜか、ユニットバスが水浸しになっていました。少しドブ臭くて、くずかごに小さなゴミが。
最初は(もしやトイレットペーパーが詰まって逆流したのでは)とも考えたのですが、汚れてるのは風呂の排水溝でトイレ回りはキレイです。
フロントでキーを受け取る時は、何も言ってなかったけどなぁ?
でもまぁ、いっか。別に害はないし。
台湾では、トイレで使った紙は流さずクズかごに捨てるのが一般的らしいんですね。
ガイドブックにも(古い宿では下水管が細くてトイレが詰まるから流してはいけない)と、書いてありました。
僕も心では「郷に入っては郷に従え」と思っているのですが、これだけは強い抵抗を感じまして。
なので非常に節約して、詰まらせないよう気を付けて流してしまっているんです。
ともかく違ってたようで安心しました(今まで詰まらせてしまった事は一度もない筈)。
ホテルの1階にある網咖、K−netで2時間かけて現地ルポ。
ようやく打ち終えて投稿しようとした、まさに寸前で時間切れ〜!!
普通なら10分前に警告音が鳴るんですよ、運が悪いと諦めるよりありません。
なんだか六合夜市という気分にもなれず、フライドチキンとビール買い込んで宿メシです。
明晩が最後の夜です。
日中に高雄を発って台北泊まりにするか、あるいはコオ老人の言っていた「夜行列車で台北に行き、早朝のバスで空港に」という方法にしようか・・・・・・?
CATVのチャンネルを延々と変えながら、なかなか心が決まりません。
なにか落ち着かない気持ちのまま、ビール煽って寝ます。
12月の台湾は3回の中で一番短い、5泊6日という慌しい旅でした。
さて話は2月に戻り、電気マッサージの後です(ややこしいなぁ)。
初めて会ったコオ老人と別れて宿に買い物袋を置き、六合夜市で晩ごはんに出かけました。
前回よりも人出が少なく、行きつ戻りつブラブラ食べ歩くには丁度好い混み具合です。
つくね串焼き1本4元、愛玉冰20元。串焼肉は、ソーセージと肉団子と骨付きカルビの3本で90元。
案外と腹に溜まってくるんですが、やはり物足りない。
そこで、たまには(高級そうな店に入ってウマーイ食事でも♪)と思ったんです。
入り口に立ってるドアマンが「粥もある」と言ってた、明らかに周囲の屋台店とは値段も雰囲気も違う店に。
でも席に着いたらウェイターには「粥?没有」と言われ、ドアを振り向くと彼は申し訳なさそうに僕を見てる・・・・・・。
お冷も飲んじゃったし、それじゃあ紐西蘭牛排というのを頼んでみましょう。
何が出てくるのか楽しみにしてたら、ニュージーランドビーフステーキ!? 要するに、ここって洋食屋さんだったんですかー(ちっ!)。
仕方なくライスとコーヒーを追加して、ヤケで綜合(ミックスグリル)も頼んでしまいました。
今時どこのファミレスでも美味い、というか(どこのドライブインだよ)ってレベルです。これで205元は無駄遣いでした。
でもまぁ腹はふくれたので、食休みを兼ねて「休養館」で揉んでもらいましょう。1時間600元の全身フルコ〜ス♪
それからゲーセンも入ってみましたが、みんな網咖でネット対戦してますね。
あとは昔ながらの博打系コインゲームが主流で、UFOキャッチャーの他にはアーケード型のカーレースが店頭に数台。
帰りにコンビニで大量に買い込んだ排骨味のポテチは、日本でも屋台店の気分に浸れる手軽なお土産となりました。
なぜか、ユニットバスが水浸しになっていました。少しドブ臭くて、くずかごに小さなゴミが。
最初は(もしやトイレットペーパーが詰まって逆流したのでは)とも考えたのですが、汚れてるのは風呂の排水溝でトイレ回りはキレイです。
フロントでキーを受け取る時は、何も言ってなかったけどなぁ?
でもまぁ、いっか。別に害はないし。
台湾では、トイレで使った紙は流さずクズかごに捨てるのが一般的らしいんですね。
ガイドブックにも(古い宿では下水管が細くてトイレが詰まるから流してはいけない)と、書いてありました。
僕も心では「郷に入っては郷に従え」と思っているのですが、これだけは強い抵抗を感じまして。
なので非常に節約して、詰まらせないよう気を付けて流してしまっているんです。
ともかく違ってたようで安心しました(今まで詰まらせてしまった事は一度もない筈)。
ホテルの1階にある網咖、K−netで2時間かけて現地ルポ。
ようやく打ち終えて投稿しようとした、まさに寸前で時間切れ〜!!
普通なら10分前に警告音が鳴るんですよ、運が悪いと諦めるよりありません。
なんだか六合夜市という気分にもなれず、フライドチキンとビール買い込んで宿メシです。
明晩が最後の夜です。
日中に高雄を発って台北泊まりにするか、あるいはコオ老人の言っていた「夜行列車で台北に行き、早朝のバスで空港に」という方法にしようか・・・・・・?
CATVのチャンネルを延々と変えながら、なかなか心が決まりません。
なにか落ち着かない気持ちのまま、ビール煽って寝ます。
12月の台湾は3回の中で一番短い、5泊6日という慌しい旅でした。
さて話は2月に戻り、電気マッサージの後です(ややこしいなぁ)。
初めて会ったコオ老人と別れて宿に買い物袋を置き、六合夜市で晩ごはんに出かけました。
前回よりも人出が少なく、行きつ戻りつブラブラ食べ歩くには丁度好い混み具合です。
つくね串焼き1本4元、愛玉冰20元。串焼肉は、ソーセージと肉団子と骨付きカルビの3本で90元。
案外と腹に溜まってくるんですが、やはり物足りない。
そこで、たまには(高級そうな店に入ってウマーイ食事でも♪)と思ったんです。
入り口に立ってるドアマンが「粥もある」と言ってた、明らかに周囲の屋台店とは値段も雰囲気も違う店に。
でも席に着いたらウェイターには「粥?没有」と言われ、ドアを振り向くと彼は申し訳なさそうに僕を見てる・・・・・・。
お冷も飲んじゃったし、それじゃあ紐西蘭牛排というのを頼んでみましょう。
何が出てくるのか楽しみにしてたら、ニュージーランドビーフステーキ!? 要するに、ここって洋食屋さんだったんですかー(ちっ!)。
仕方なくライスとコーヒーを追加して、ヤケで綜合(ミックスグリル)も頼んでしまいました。
今時どこのファミレスでも美味い、というか(どこのドライブインだよ)ってレベルです。これで205元は無駄遣いでした。
でもまぁ腹はふくれたので、食休みを兼ねて「休養館」で揉んでもらいましょう。1時間600元の全身フルコ〜ス♪
それからゲーセンも入ってみましたが、みんな網咖でネット対戦してますね。
あとは昔ながらの博打系コインゲームが主流で、UFOキャッチャーの他にはアーケード型のカーレースが店頭に数台。
帰りにコンビニで大量に買い込んだ排骨味のポテチは、日本でも屋台店の気分に浸れる手軽なお土産となりました。