2008年03月24日

99*水の如く

「水の低きに流れるが如く」という言い回しがありますな。
 人の心の怠惰さを戒め、楽な方へと逃げたがる姿勢を揶揄して使われるのだろう。
 でも僕は、むしろ進んでそうありたいと心がけている節がなくもないのね。
 何かに迷った時、まず思い浮かぶのがこの言葉なのだ。逃げられる時は逃げたって構わない、自分から砂や苦虫を噛む事もないではないか?・・・って。
 できるだけ面白く楽しく過ごせるように、と思う。

 ましてや、水は流れて海になります。清濁併せ呑む、大海へと下ってゆく。
 もちろん、そこから熱帯性低気圧なんかから雨になって野山へ降り注ぐのかもしれない。でもまぁ、それはそれとしてまずは海を目指そう。
 海に出たなら、より深い愛へと針路を取って。僕は「自分に甘く、他人にも甘い」という人になりたい。

 しかし、それは欺瞞だという人もいます。
 自分に厳しくできない事を、もっともらしく正当化しているだけだとか。そういう考え方は、自己管理能力の劣った下流の思想だとか。
 でもね、そういうゲームは退屈になっちゃったのですよ。

 競争社会は意味なく疲れるし、これ以上「人類の発展」が重要だとも思えないし。勤勉さと向上心は、資源を消費する文明から方向転換できるまで抑えた方がいいとさえ思うんですね。
・・・と、これでは話の順序が逆なので言い訳っぽいかな?
 でも実際、世界がよくなるためには「できるだけ何もしない事」が僕にとっての答えなのです。
 いろいろ僕なりに考えて、突き詰めていったらね。何かをすべきで、損得抜きでは他者を受け容れないような世の中には貢献しないようにと。
 他人の世界は変えられなてくても、自分の世界は変えられるから。

 美の領域を拡げることは、どれだけ赦していけるかという事に通じているのかもしれない。
 キライだった物事、醜いと感じてた事から自由になるほど自分が許されていくような。
 いろんな不快さを遠ざけて、日本は潔癖症な社会を目指してるのだろうか? ガンジス川の水だって飲めれば、どこでだって暮らせるだろうにね。・・・って、これは飽くまで比喩表現だけど。
 そりゃあ澄んだ水が好きだし、そう心がける努力は素晴らしい。
 だからって澄んでない水を隠蔽したり排除したり、それって結果は一緒に見えてもコンセプトから全然ちがう。

 とはいえ、どこまで行っても苦手な事はなくならないだろうなぁ。
 たとえば酒は好きでも、迷惑な酔っ払いは好きになれないし。
 もっといえば、酔いを口実に甘ったれる人間は虫唾が走るんですよ。
 そういうのは常に「自分に甘く、他人にも甘い」人間ではないんじゃないかな、どちらかといえば普段は厳しい系の人間が自分勝手なオンオフで羽目を外してるように見えるんですね。
 まぁ仕方ない、許してやるけどさ・・・!

「酒の席では無礼講」とは、飽くまで年長者が目下の者にかける言葉です。
 本来は主催者からの、粗相を気にして宴席が白けることのないようにという、粋な計らいなんですよね。それを格が低い人間から言ってしまっては、ますます格を下げるのに分かっていないから哀れになっちゃう。
 そもそも、武士の心得を説くという「葉隠」に無礼講はないそうです。むしろ酒の席こそ無礼のないように、と書かれてあったかは定かでないけど。
(酔って性格が変わる)と言う時、善い方に変わる人はいない。
 僕の場合、酔っ払うと寝るか理屈っぽくなるか。なので、あんまり普段と変わらない。

 そうそう、ついでにね。
「学歴なんて関係ないよ」と言えるのは、関係ない筈の学歴が高い人だけ。
「お金なんて問題じゃない」と言えるのも、本当は金持ちの人だけ。
 それは家柄であれ国籍であれ、何かを「関係ない」と言える人には限りがあるんです。つまり「関係ない」筈のステータス(あるいは豊かさと言い換えてもいいか)それ自体を獲得した人間によってのみ、否定できるのね。
 持たざるものが言うと、それは逆説的に己を陳腐に貶めるだけで。まぁ一過性のお笑いにもなるみたいだけど?

「関係ない」と言えるのは、余裕ですなぁ。
 たとえ発する側には悪気などなくても、発せられる側にとっては、その台詞が出た瞬間に返しようのない格差となるもんでもあります。
 自分の豊かさを無意味だと評する時、その価値に対するジャッジメントは相手を沈黙させるかもしれない。何故かといえば、それは同格の間では生じない言葉だから。
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平成19年10月2日


posted by tomsec at 21:21|  空想百景<91〜100> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

98*物分りのよさ

 僕は時々、ユーザー・フレンドリーって何だろうと思う。
 これって常識外れな住人から苦情を受けた役所が始める、無益なサービスみたいなものか?

 たとえば最近の携帯電話や乗用車などに、当たり前に付加された機能。
 その中で(あぁ、まさにユーザー・フレンドリーだな)と、1つでも実感できるものがあれば上等。ほとんど無くても困らないし、その分だけ壊れにくく安く作ってくれよと思う。
 全部オプションで別売りにするのが、ユーザー・フレンドリーじゃないのかって。

 お店に入って「いらっしゃいませ」でなく「こんにちは」とか言われる、それ位なら構わない。
 そんな頻繁に色々な店に出入りしないので、滅多には感じないけれど。
 なんでもかんでも、先回りされたりすると鬱陶しくなる。友人でもない、赤の他人から馴れ馴れしくされる居心地の悪さも。
 子ども扱いされてるみたいだし、それを望む客がいるとしても基準をずらさないでほしいと思う。

 かつて「田舎者」という蔑みの言葉があった。
 でもそれは決して地方出身者という意味ではなく、最近いわれる「KY」というニュアンスに結構近いのではないかと思う。

 狭い道で行き違う時の会釈、エレベーターに乗り合わせる時の目礼、そういった仕草に気付かない人。
 並んでいる列を追い抜いて割り込もうとする車のように、見れば分かりそうな事を無視できる厚かましさ。
 そういうのを総じて「田舎者」と呼んでいたのだった。

 ちなみに「KY」という場合、そこには地理的な限定がない。
 数人で井戸端会議でもしてるとすれば、そこに話の腰を折るような人間が首を突っ込んでくるようなものだろう。
 暗黙の了解を壊してしまう点では「田舎者」とも共通しているが、よりパーソナルで狭い了解であると思う。
 ゲームでいう、ローカル・ルールのようなものだ。

 たとえば都会に引っ越してきた子どもが、近所で遊んでる子ども達の仲間に入れてもらうとする。
 ところが、自分が知っているケイドロとは全然ルールが違っていたとする。
 当然、周りから馬鹿にされたりからかわれたりするだろう。
 ただし、そのエリアに団地が多かったりして転入してくる子どもが珍しくなければ、転校生の儀式も長くは続かない気がする。
 少なくとも、初めて外部の人間が越してくるような状況ほど引きずりはしないだろう。

「田舎者」と呼ばれる場合でも、自分から揉め事の種になったり我を通したりしなければ、徐々に周囲の了解事項が呑み込めて円滑に近所づきあいできるようになってゆく筈だ。
「KY」という言葉には、どこかそういった寛容性が感じられなかったりする。拒絶や排除のニュアンスが強くて、却って痛々しく思えてしまうのだ。
 とはいえ、僕自身が「KY」という言葉が交わされる場所にいないから実際には分からない。

 ずいぶん前になるが、あるバイト先に年下で学生の同僚がいた。
 名の通った大学から立派な会社へ内定が決まっていて、穏やかで腰の低い青年だった。
 そういう非の付け所のない外面とは裏腹に、彼は常に陰湿な事を企んでいる人間でもあった。
 無闇に体を鍛えていて関節技の相手をさせられ、僕は古い大藪晴彦の映画を思い出した。
 中学時代に味わった屈折した感情を、彼は成人式を過ぎても未だ脱け出せないのか・・・?

 その頃にも、やはり「MG5」とか「MMC」といった流行語が「チョベリグ」の陰で囁かれていた気がする。
 しかしそれは半分テレビのネタであって、実際に聞いたこともない渋谷界隈の内輪用語だった。だから、なぜそんな言葉が今になって喧伝されるのかが不思議でならない。
 でも結局は当時のように短命で消えてしまうだろう。いくらメディアなりネットなりで話題にしても、所詮は残らなかった言葉だ。

 今、この国の子どもたちは大人と対等に扱われているようだ。
 僕が子どもだった頃ほどには、抑圧されていない感じがする。
 反抗しても立ちはだかる壁はなくて、自分たちの言葉もスタイルも簡単にすくい上げられてしまう。
 それが気の毒に思えてしまうのは、単なる感傷なのかもしれない。

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平成20年3月14日


posted by tomsec at 19:54|  空想百景<91〜100> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月04日

97*十年一昔

 いつの間にか、頻繁に「ここ10年」といった区切りで何かを喩えたりする事が多くなった。
 それも自覚するようになってから、だいぶ経つ。なんだか懐古主義みたいで気恥ずかしくもあるのだが、どうにも止まらないようだ。

 具体的には「ここ10年」で携帯を持つようになり、パソコンも持つようになった。そこには当然ながら、メールやホームページやブログといった事柄も含まれる。
 それから作詞作曲や描画といった、割と創作的な趣味も熱意と共に失われた10年という気がしている。それに代わってガンプラだったりゲームだったり、まぁそういった消費の度合いが高い趣味に走った。
 それ以外にもキャンプなどから縁遠くなったとか、理想主義者的な考え方が鳴りを潜めたとか、少なくとも自分で感じる「ここ10年」の変化というのが結構あるのだ。
 体重が増える一方になってしまった、というのもある。

 老化、いや老成の始まりなのかもしれない。
 そう思ってみて、ほろ苦い気持ちになる。
 体力や体質の変化に抗おうという気はないし、精神的にも淡々としてくるのだって分からなくはない。まぁ他愛のない事ばかりであれど、いろんなことがあったものな。

 先週、このブログにて1年ほど更新してきた「'05台湾×2」が終了した。
 いわゆる旅モノも、これで一段落といった感じがする。行ってみたい場所というのも、それほど思い浮かばないし。
 それに自分にとっての旅というものが、何というか少し分かったような気がして。
 変な喩えだけど、メーテル・リンクの青い鳥みたいなね。

 10年前、自分の表現を公表できる環境があったら好いなと思っていた。
 要するに「プロになるかならないか」といった選択肢でなく、それまでのように親しい人にカセットテープやワープロ出力した紙の束を渡すよりも広い手段がないものかって。

 5年ほど前に自分のサイトを立ち上げてもらう時、真っ先に思いついたのは「メキシコ旅情」だった。それまで友人に読んでもらっていた自家本を、更にネット向けに手直しした。
 同時に「台湾日記(ブログ移行時に「台湾の7日間」に改題)も、旅行時の日記から書き起こしながら更新していった。
 そしてテキストのコーナーがこのブログに移行され、旅日記よりも後回しにされながら続けてきた「空想百景」も、ついに100回目の更新が近付いてきている。
 いつだか(これが終わったら、その後どうしよう?)と考えていて、ふと気が付いた。
 すべて過去形だったのだと。

 少なくともいくつかの話のネタと、この「空想百景」の基本的なコンセプトを書き留めていたメモは、ホームページという形態すら知らない時点から生まれている。
 つまり、自分のサイトもブログも、すべて10年以上前の表現物だったのだ。

 そして「ここ10年」とは、過去の願いを叶える時間だったのかもしれない・・・なんて思ったりもする。
 10年前までの自分が表現したことや、表現したかったことに一段落つける時が来た訳だ。
 20代の自分に対する落とし前、だったのかもしれない。

 ところで今、僕は髪を伸ばしている。
 とりあえずは自分史上で最長、といえるまで達した。
 こんなのは後付けの理由だけれども、ある意味で新たな自分を象徴している気もする。

平成20年3月4日
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posted by tomsec at 23:52|  空想百景<91〜100> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする