2009年07月29日

トラバ雑想記18 男女間のフォッサマグナ考

なんかもう、近頃は「らばQ」さんの記事をまとめてるだけのような気もしますが・・・。
まぁ面白いと感じるんだから仕方ないよなー、特に海外サイトの男女ネタを意訳するセンスが冴えてると思うんです。

思わずニヤリとしてしまう記事の多さに、どういうふうにまとめようか整理できずにいたのですが。
どこか他のサイトで「旦那が料理を作ってくれるのは嬉しいんだけど・・・」というようなトピックが上がってまして、かなりうろ覚えなんですが・・・。
●曰く換気扇をつけない(ニオイがこもるらしい)
●曰くなんでも強火(テフロン加工がダメになるらしい)
●曰くやたら調味料を使いたがる(そういう実験が楽しいのに)
他にも身に覚えのある指摘がズバズバと、まるで世の男性諸氏は僕そのものなんだなぁと・・・呆れるといいますか。

で、こちらから。
『男性にぜひ受けてもらいたい25の学習コース』
1.はじめてみよう、あなたにも出来る家事

2.余計なひとことを言わない学習

3.製氷機に水を入れる練習

4.朝4時に泥酔して帰宅すると女性がどう迎えるのかを肝に銘じる



15.ゴミ − ゴミ捨て場まで持って行く

19.便座の下げ方

22.自分の子供より大人に振舞う

24.放屁した後に布団をふわっとあげる必要はないということ
まったく、実にね、なんといいますか。

次に、言葉と行動における男女差をみてみましょう。
全文ですと長くなりますので、ピンポイントに引用しておきます。
『「同じ言葉なのに…」男と女で果てしなく意味が変わる8つの単語』
2. コミュニケーション
女性: 自分の考えや気持ちをパートナーにさらけ出し分かち合うこと
男性: 友達と遊びに行くときに残すメモのこと

5. おなら
女性: 消化不良によって起こる恥ずかしいもの
男性: エンターテイメント、自己表現、男同士のつながりを表現するもの

6. もどかしい
女性: 話を聞いてくれないとき
男性: ブラのホックが外れないとき

7. メイク・ラブ
女性: 愛する二人が成しえる、親密さの偉大な表現
男性: 出来さえすりゃ何と呼んでも良い

『「絶望的な違い…」これだけ差がある男女の行動パターン』
◆あだ名について
・ マユミ、ケイコ、サユリの3人がランチに行くと、お互いにマユミ、ケイコ、サユリと呼び合う。
・ アキラ、ヒロシ、タカオの3人がランチに行くと、愛着を持って、デブ、ゴジラ、メガネなどと呼び合う。

◆洗面所について
・ 男は6つのものを置いている:歯ブラシ、歯磨き粉、髭剃りクリーム、かみそり、石鹸、タオル。
・ 女が置いている物の平均数は337アイテムであり、それらのうち数十個は男にとって何か分からないものである。

◆言い争いについて
・ 女は必ず最後の言葉を投げる。
・ 男が何を言っても、その直後には新しい言い争いが始まる。

◆未来について
・ 女は夫を持つまで、未来についての心配をしている。
・ 男は妻を持つまで、未来についての心配をしない。

◆成功について
・ 成功した男というのは、妻が使う額よりも多く稼ぐ男のことである。
・ 成功した女というのは、そんな男を捕まえた女のことである。

◆結婚について
・ 女は男が変わってくれるものと期待しているが、男は変わらない。
・ 男は女に変わらないでくれと期待しているが、女は変わる。

◆自己再生能力について
・ 男は朝起きたときと夜寝るときの顔は同じである。
・ 女はなぜか寝ている間に劣化する。
このような男女の違い、どこまでがジェンダーと呼ばれるのかは分かりませんが。
まぁ少なくとも、到達し得る合意点が見出せたとしても、それさえ幻想なのではないだろうかとも思えてきます。

さて、最後にご紹介するのは、個人的にユースフルな採点表になります。
『男は女からこんな採点されていると肝に銘じよ─モテるための鉄則』
モテるため、というよりは女性に対する心配りが平素以上に求められる状況でしょうか・・・不思議と脳裏をよぎる機会の多い、そんなチェックシートです。
* 女性の喜ぶことをすると得点がプラスされます。
* 女性が嫌がることをすると得点がマイナスされます。
* そして女性が(誠に残念ながら)男がやって当然と思うことをしても得点にはなりません。
是非ともリンク先の詳細な項目をご覧いただきまして、女性との間に横たわる「深くて長い溝」に、共に戦慄を覚えようではありませんか。
なるほど、男性の平均寿命が短いわけです。
それでも僕としては、声を大にして言ってみたい。
“男に生まれて、よかったァーッ!”と。

言ってみたいです。笑
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2009年07月15日

思い尽きたが好日・持ち歌に飽きて

あらかじめ申し上げますが、記事中で断言している文章は(〜と思う)を省略しています。
すべて個人的な感覚によるものですので、もし気に障ったらごめんなさいね。



よく、テレビの「懐かしのヒットパレード」的な番組には、持ち歌に飽きている歌手が出る。
いや本当に飽きているのかは知らないが、ヒットした当初とはまるで違った歌い方なのだ。

どこ呼ばれても必ず歌わされて何十年も繰り返し、変化をつけないとやってらんないのだな。
ものすごく前倒しに歌ったり、やたら後ろに引っ張ってみたりして・・・。
愛がない、というのは言いすぎだけど、その歌への敬意みたいなものは失われてしまっている。

本当は歌い飽きて、乗れない自分を鼓舞しているのだろうか?
だけど聴衆はその歌を待ち望んでいる、期待に応えようと勤める兼ね合いの中でなんだか違ってくる。

カラオケというのは完成された歌唱を真似るだけだが、最初はゼロから自分で歌を作っていく。
声の張り方や伸ばし方などその歌詞やメロディに最も相応しく表現できるようにと。
もちろん、歌い続けていく間にも工夫はされるだろうし理解が深まって変化したりもする。
だが、それはシンガー・ソングライターの話。

作詞家と作曲家に、自分のための歌を書き下ろしてもらっている歌手に改良の余地はない。
すべてコンポーザーが入念に作り上げているのだ、それを改変するのは作り手に対する侮辱でしかない。
言葉の一言、演奏の1音まで厳密なのだ。
という次第で、来る日も来る日も同じ歌を求められる中で編み出す苦肉の策がクイやタメなのだろう。

誤解を招かないようにお断りするが、この動画が「持ち歌に飽きて」の好例という訳ではない。
単に「最初と違っている」というのを、言葉で説明するより分かりやすい筈だ。
この人の場合はどう考えても意図的なんだが・・・もうノリノリである。


  ****************

先日、加藤登紀子と八代亜紀がテレビで競演していた。
それぞれが自分の持ち歌ではない歌を歌う、という趣向で、先ず加藤が尾崎豊の「I LOVE YOU」を歌った。

僕は加藤の歌には詳しくない。
せいぜいアニメ「紅の豚」のエンディングで流れた歌ぐらいだ。
だけどあの「時には昔の話を」という、まさに全共闘世代を思わせる歌を聴くと、自分には共感しようもない時代と知りながらも何故か涙が出てくる。

尾崎は世代的にリアルタイムだから、決して嫌いな訳ではなかった。
しかし当時から、ぶっちゃけ(浜田省吾の路線を同年代が歌っている)という意味で共感していた。[尾崎の「十五の夜」が'83、ハマショーの「愛の世代の前に」が'81年]
要するに尾崎の歌は、80年代という時代にしては直截で昔っぽい印象があった。

加藤の「I LOVE YOU」は(アレンジの効果も大きかったろうが)、オリジナルよりも深みがあった。

貧しくて先のあてもない2人が純粋な思いを重ねあう姿・・・それはどんな歌を歌っても不思議と60年代末の色あせた懐かしさを感じさせる加藤の真骨頂だろう。
大げさに言えば「神田川」とか「昭和枯れすすき」の時代風景に、ぴったりとおさまるのだ。
加藤は時代の変化に合わせてスタイルを変化させない、だけど時代遅れには不思議とならない。

八代亜紀は、井上陽水の「リバーサイド・ホテル」を歌った。
ブルージーなアレンジにあわせて、蓮っ葉な歌い方が新鮮だった。
バブリーな世相を皮肉るような歌詞なのに、緊張感が漂う雰囲気になっていた。
それでいて普段の演歌調とは違った、力の抜けた印象があった。

自分のために作詞家作曲家の先生が書き下ろしてくれた曲ではない、それは(こうあらねば)といった表現の方向性から自由な感じがした。

彼女たち2人のコーナーが終わると、別のグループが(いわゆるムード歌謡の定番曲)持ち歌を披露していた。
レコーディング時の歌い方をオリジナルとするならば、やはりクイやタメで崩していた。

一時代を築いた持ち歌があるから、こうした歌番組に招かれるのだが、その一方で歌い手は自身の持ち歌に縛られてもいると感じる。
きっと自分たちのステージではカバー曲も歌って、そこではもっと自由に伸びやかな気持ちでで歌えているに違いない。
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2009年07月08日

トラバ雑想記17 僕が上手いこと言えるには

「上手いこと言うね〜?!」
・・・なぁんて、そんなウィットとユーモア精神に憧れたりします。

しかしどうも日本人は口下手なせいか(咄嗟に出てくる機知に富む一言)なんて、なかなか容易には出てきません。
一休さんの得意な「とんち」にしたって、現実だったら心が和みそうな気がしませんし。
むしろ「この橋わたるべからず」という警告を無視する時点で心が荒みそうです。

いや西洋人のみなさんにしても、映画の中やスピーチ慣れしている方ぐらいなのかもしれませんが。

で、毎度おなじみ「らばQ」さんの記事から「上手いこと」の考察を試みてみようと思います。
まずはこちらの、ウィットに富んでいない例から。
『思わず脱力してしまう、愚かな10の質問』
1. 映画館で友達や知人に会ったときに・・・・・・「ここで何してるんだよ?」

6. 真夜中に電話が鳴り相手が・・・・・・「ごめんなさい、寝てました?」

7. 同僚や友人が明らかに髪の毛が短いとき・・・・・・「髪の毛切った?」

8. 歯医者さんで尖った道具を口に突っ込まれて・・・・・・「痛かったら言ってくださいね?」

10. 店で店員に・・・・・・「これってお買い得なの?」
これらは要するに、脳みそを通っていない言葉ですね。
たとえば真夜中の電話であれば、日本なら「夜分に失礼します」という表現であれば相手も言葉に詰まりません(多分)。

しかし、これらの問いかけによってウィットの需要も生まれるんですが。


お次は会話文ではありませんが、『自己向上というより悪魔のささやき─19ヶ条』より。
2. 知り合いの半分は並以下である

3. 99%の弁護士は他の弁護士を陥れようとしている

4. 82.7%の統計はその場限りで作られたものである

5. 良心というのは、それ以外の全てが気持ちいいときに最も痛む部分である

6. 清らかな良心というのは記憶が低下している兆候である

8. 全てがうまくいってるように見えるなら、絶対に何かを見落としている

9. 鬱というのは、単に熱意のない怒りである

10. 何もかも自分に向かってくる気がするなら、明らかに間違った場所に立っている

11. 意欲というものは、怠けるのに十分な感覚を持ち合わせていない情けない言い訳である

12. 勤勉の見返りは未来だが、怠惰の見返りは今だ

14. 鷹は空高く飛べるが、いたちはジェットエンジンに巻き込まれることはない

17. 経験は、それが必要な直後にしか得られないものである

19. 早くから落ちこぼれたということは、追いつく時間を余分に与えられているということである
これらは削り込んだ逆転の発想といいますか、状況を入れ替えて(えーと、つまり・・・なーるほどね)と相手に首をひねる一瞬を作るのがポイントでしょうね。
当意即妙に繰り出すには、高度なスキルが要りそうですが。

たとえば「知り合いの半分は並以下」というのは、自己を過大評価しがちな心理を皮肉っている訳ですし。
どういうシチュエーションで良心という言葉が発せられるかを思うと、なかなか辛辣でもあります。

ただし、そこには発言者自身への厭世的な含みがあると思うんですよね。
ビリー・クリスタルが「恋人たちの予感」で演じていたような(多分)。

今回の最後にご紹介するのは有名な「上手いこと言った」サンプルです。
『「名言?それとも迷言?」ユニークだけど妙に感心してしまう23の格言』
・愚者と天才の違いは、天才には限度があることだ。 アインシュタイン

・脳というのはすばらしい器官である。朝起きるやいなや働き始め、会社に到着するまでは止まらない。 ロバート・フロスト

・心臓発作が起きる一番最悪なタイミングは、ジェスチャーゲームの最中である。 デメトリ・マーチン

・もし自分の上司がバカだと思っているなら、その上司が賢かったら仕事がなかったと思え。 ジョン・ゴティ

・同性の人間とベッドに入るのはなんら間違ったことではない。人間は性について自由であるべきで、ヤギの前で境界線は引くべきだ。 エルトン・ジョン

・子供が生まれると最初の12ヶ月は歩いたり話したりすることを教えるが、次の12ヶ月は黙ることと座ることを教える。 フィリス・ディラー

・とても奇妙なことなんだが、図書館で「ああああああ!!」と叫んだらみんながじっと見るが、飛行機の中で叫ぶとみんなも参加してくれるんだ。 トミー・クーパー

・最初は人の名前を忘れ、そして顔を忘れ、次にチャックを上げるのを忘れ、最後にはチャックを下ろすのを忘れる。 ジョージ・バーンズ

・Sexするのに女性は理由、男性は場所がいるだけだ。 ビリー・クリスタル

・他人に起こっている間はすべてがおもしろい。 ウィル・ロジャーズ

・バスを待っていて、誰かが「もうバスは来ました?」と尋ねてくる。もしバスがすでに行ったなら、オレがそこにいると思うのか? ビリー・コノリー
もうほとんど高田純二語録!といった感じですね。笑
無責任というか、語っている内容そのものには感心する部分がほとんどないような?
ただし最後の名言は、まさに愚問に愚問で返すというパターンですが。

意味のない本文に仮託して、少しズレた事柄の真理を突いている・・・としたら本文の周辺にある「上手いこと」ゾーンの見極めと測り方に、ウィットの神髄があるのかもしれません。

ま、こう理詰めで考えるうちは見込みなさそうな気はします。

(それにしてもエルトン・ジョンの発言、いかにも英国ジョークですがネタでしょうね)
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2009年07月01日

思い尽きたが好日・そんなに紫外線が怖いのか

あらかじめ申し上げますが、記事中で断言している文章は(〜と思う)を省略しています。
すべて個人的な感覚によるものですので、もし気に障ったらごめんなさいね。



僕は、サンバイザー姿の女性が怖いのです。
サンバイザーといっても、ママさん連中が自転車に乗る時に装着しているタイプ。
つばが広く顔全体を覆い隠している、それだけで不気味に見えてしまうのです。
そして、対向して走ってくる相手の情報が読めないことに、身の危険を感じたりします。

とはいっても、もちろん具体的に危ない思いはしてません。
だけど相手が何を認識していて、何かを見落としている可能性を予測できないのって不安。
特に、こちらも自転車に乗っていてすれ違う時には、とても緊張してしまう。
サングラスであれば、まだ口元や顔の向きから読み取ることが出来るけれど・・・。
バイク乗りがフルフェイスのヘルメットしてるのと違って、自転車には安全運転義務違反なんて意識ないからねぇ。

そんなの着けている人にしてみれば、なんだか分からない難癖に思われるのでしょう。
というか、僕のように感じている人なんて他にはいないのだろうし。
ひょっとしたら逆に(私の顔をジロジロ見てる訳?)なんて不要な警戒心を抱かれるかもしれません。
たとえば夕闇の自転車がライトを点灯させないようなもので、別に問題ではないのです。

サンバイザー姿そもそも、あのサンバイザーがなぜ普及したのか考えてみますと。
あれは両手が塞がっていて、日傘を差せないから必要なんですよね。
だから、まるで舞踏会のような長い手袋とセットで装着されています。
オゾンホールで紫外線が強いから、皮膚がんの恐れが高いのだとか。
気象庁だって紫外線予報をやってるじゃないか、UVケアは心がけないといけないのです。
・・・とかなんとか。

誰が何を信じようと構わないし、世に物申すような気もないのです。
それに毎度々々、何かにケチをつけているつもりもなく、素朴な疑問に近い感じなのですね。
ただ、これらの疑問に該当する方々に訊くには不躾な気はします。
友人知人にいれば率直に訊けるのですが、まぁそれで答えが出るような話でもないし。

スミやソバカスが、そんなに汚らしいものなのだろうか?
年を重ねて、つるっと白くてシワのない女性だったら魅力的なのだろうか?
そう訊ねても、明快な返事など返ってこないのは知っています。
僕にとっても美的感覚の是非ではなく、たった数年で全体が右向け右になってしまうのが怖いです。
まるで日本中すべての女性が一斉に、その単一の価値観に従っているように見えるのですが。
きっと実際には、そうでもないんですよね。
でも、そのように見えてしまう自分がいるのでした。
posted by tomsec at 18:26 | TrackBack(0) | 思い尽きたが好日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする