川の堤防にボールをぶつけて、よく一人でキャッチボールをしてた。団地の横を流れる川の、コンクリの堤防沿いに続いていた舗装路で。小学生の時だ。
飽きると、寝っ転がって雲を見ていた。何人か、通りがかりのオバサンが心配して声を掛けてくれたなぁ。いっつも、寝転んでる時間のほうが長かった。一人のキャッチボールよりも。
空は、まだ青かった。つまり今ほど白っぽくなかった。雲に気持ちを集中すると、まるで空に向かって落ちてゆくような錯覚を覚えたもんだ。なんで地面から振り落とされないんだろう? なーんて、思った。
それから、部屋の窓から川を見てるのも楽しかった。カモメか何か、白い鳥の群れが堤防の上に集まって、一斉に飛び立つと真っ白になっているの。フンのせいで。(やっぱり飛びながらするのは落ち着かないのか)なんて、真面目に思ったもんだ。
もちろん仲間と遊びもしたけど、僕は割と空想の中にいる時間が長い子供だったらしいんだわ。親に言わせると「公園デビューの頃から、日が暮れるまで砂場に座り込んで」一人遊びに夢中だったんだと。お絵かきも粘土遊びも好きだったし、基本的にはそういう性分なんだろうね。
で、小学6年生くらいで詩の授業があったのよ。本を読むのも好きだったけど、自分で詩を作るのが気に入ってさ。中学くらいで洋楽の影響で歌詞みたいになってきて、いつの間にか日記みたいに毎晩書くようになってた。
といっても、日記というより夢に近いフィクションね。日々の思いつきや、それこそ空想が一人歩きしたような。それが習慣になって、イイ年をした今も相変わらず続いてるって訳。
そんな(詞のノート)の端っこにある、詞になり損ねたままの断片的な走り書き。その中に「空想百景」は埋もれてた。数年前に思いついた、エッセイふう読み物のタイトル。名前だけ思いついて、後はネタ考えてるうちに脳内物置行き。つまり忘れてたってコトだ。
思いつくまま書き連ねてゆくエッセイ百連発!・・・そんな補足説明も付いていた。おかげで(このタイトルが、同時にコンセプトを意味しているのだ)と思い出すことが出来た訳だから、蛇足であっても書いておいて良かったと思う。
とまぁ、そういう経緯で「空想百景」なのでした。
第1回目は、そういうコトで。
平成15年7月14日
