2003年07月16日

05*ふたつの川

 2003年の夏は、電気が足りなくなるかもしれないんだってさ。
 なんで足りないの? といえば、それは原発が動いてないからでしょ。良い話じゃないですか、このまま止めちまえば。
 社会主義がなんで失敗したかってぇと、そこに使い手の事を過大評価したからだ。身にあまる力を適切に使えるほど、人間なんざ賢くないってぇの。原発のニュースを見るたび、その事を思い出すんだよね。所詮は理屈でしかなくて、ヒューマン・エラーは人間が人間である証拠のようなものじゃん。
 でも安全なんかじゃないのに「安全だ」と言い切るのは、電気を欲しがる大都市の要求でもあるとは思うんだ。都庁の横に作れば筋が通るのにねぇ。
 だからって電気がなくても生きて行けるとは思わないけど、電力消費を強制的に減らしても何とかしていけるんじゃないのかなぁ? これが水なら話は別、水がなければ人は死ぬもん。断食には耐えられたとしても、水が飲めなきゃ三日ともたない。

 今年の梅雨は、梅雨らしくなかったから、また水不足に悩まされたりしてね。
 ずいぶん前に「水源税」という言葉を聞いたんだけど、知ってる? 都心で消費される水を賄うための税金を徴収して、水源を確保・整備しようという発想。なるほど言われてみりゃあ当然の事だ、でも実現には至ってないな。惜しい。
 地球規模で水不足なんだとさ。もしかすると、温暖化や食糧危機よりも深刻かもしれない。痩せた土地に水を引いて涸れちゃった湖とか、水はけが悪いのに潅漑して文字通り泥沼化しちゃったりして、世界中の耕地面積は縮小の一途。片や干ばつ、片や洪水。食べ物より飲み水の心配が先みたいよ。
 日本が水に恵まれた国だからって、後先考えないままだと子供や孫の世代でツケが回ってくるに違いない。今の僕らが、古い世代のツケに追われているようにね。
 そんな事を思っていたら、我が家のマンションに「電力停止時の事前知識」みたいな貼り紙が出されていた。黒電話以外の電話も止まるし、エレベーターも止まる。11階の人は大変だ。それどころか水も止まるのだというから驚いた、なんと給水ポンプが動かなくなるのだ! もはや電気なしでは水も飲めない。都会って恐ろしい。

 ところで我が家は、ふたつの川に挟まれた地域にある。思えば引っ越しの度に、少しずつ川下寄りに移動してきただけ(笑)。窓の外には、いつも川が見える。これも奇遇ってやつかしら?
 上流で二つの川は一つになってるんだけど、その分岐点の小島に由来を示した説明板があったのね。読んでビックリ、片方が100年前に作られた人工の川だったのよ。コンクリートの堤防に囲われた(ドブの親分)みたいな川と、緑豊かな河川敷と土手を従えた大きな川。10数年がかりで掘られたのは、さてどっちだ?
 現在は支流の名前となっているけれど、本来はドブの親分こそが本当の暴れ川で、何度も氾濫する水量を調節する目的で支流を造成したのだ。つまり、正解は後者。本流より太い支流を作って、洪水などの災害はなくなったとさ。

 今も、暑い国のどこかが水浸しになってるんだろうな。ここは水を手なずける事に成功し、高度経済成長時代のドブ臭さも懐かしい思い出に変わりつつある。海へとゴミを運び出していたダルマ船も、大人になってから見かけなくなった。
 ベトナムの、メコン・デルタの夕暮れは、この世のものとは思えない程の美しい眺めだそうだ。僕がかつて旅行したカンクン(メキシコ)には川がなかったけど、あそこら辺に降った雨は地面に吸収されちゃうんだ。大隕石の衝突でサンゴ礁が隆起した石灰岩の層、その下から湧く泉(セノーテ)がマヤ人の水源だったそうな。
 川と言っても地下水脈はなぁ…。怖くて見る気も起きないや。

 平成15年7月16日
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posted by tomsec at 18:50 | TrackBack(0) |  空想百景<1〜10> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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