さすがに以前に比べれば臭いも消えて、最近じゃ無粋な堤防も取っ払われて親水公園へと変わり始めてる。造船工場や町工場も減ってきて、小洒落た眺めの川べりは見ていて虚しい気もしてくるんだけど。
この川を少し下った辺りは、吉宗公の時代から桜の名所で知られている。が、同時に見事なホームレス様式の家が川沿いに並んでいるのも一見の余地あり! そういう話です。
さてホームレス様式(と勝手に命名)の大きな特徴は、
1・木材とブルーシート(工事現場で使われる雨よけ)で作られている。
2・高床式を採用している(おそらく浸水対策)。
3・ほぼ正確な立方体、ないし直方体。
他にも、流行なのかマウンテンバイク(前後サスペンション付き)を所有している…など生活様式にも一定のパターンが見られる。ママチャリやリヤカー(大抵はチャリを改造した自作品)の場合もあるにせよ、それで一斉摘発を家ごと逃れているのは感動的だ。警察が見回りする日に限って、親水公園からは青い立方体が消滅する。
モンゴル魂、というか「都市の遊牧民」と呼びたくもなるねこりゃ。
こないだ、偶然その建築途中の現場を見かけたのよ。数人がかりで、手際よく骨組みを切って組み立てていた。職人の仕事だ。そういう生計もあるのだなぁ。
もちろんアルミ缶潰しも彼らの一般的な生き方だ。町なかと違うのは、空き地をアトリエ状態で活用している点にある。山積みされたアルミ缶の片隅にコンロと鍋の食堂まで完備、そこに自転車で通勤してきては潰しに励む姿…。青空の下に暮らしていても、生き方は変えられないという事か。形は違えどホームレス以前の生活様式を模倣して暮らしているのかと思うと感慨深い。
全部が拾い物なのか、発電機を使ってテレビ生活までしている人。小さな菜園にはナスやトマトが、更に犬小屋ならぬ猫小屋まで持つ人もいる。納税者まで、あと一歩か?
ところで、我が家からそう遠くない所に「ホームレスの町」がある。
一昔前は日雇い労働者の代名詞だったけど、最近では海外の若いバックパッカー達の町になってきた。簡易宿泊所は安いからね。以前に比べれば路上生活者の数も減ったような気がするし、路肩に散らばるガラスの破片も少なくなった。ワンカップを呑んでは割る輩が多かったのだ。
昭和が終わる年は、思想もないくせに大騒ぎだった。しかし、その時期を境に町の淀んだような空気は消えて行った。当時は、明らかに独特の匂いに覆われていたんだぜ。
その町にアーケード街があって、当然のように雨露をしのごうとするホームレスが集まってくる訳。夜はもちろん、昼間でもシャッターを閉めている店があれば遠慮なく段ボールを敷いている。そこからは職安も近いし、いうことないよね。
その商店街で、福引のイベントがあったのね。引き換え所で振り袖の女のコと人力車が記念撮影に応じていて、買い物客が並んでたのよ。そこに大酔っ払いの浮浪者が寄って来て、スタンプラリーの説明も馬耳東風で女のコに絡んでさ、しつこさに耐え兼ねた町内会の人に突き飛ばされちゃった。
男は千鳥足で引っ繰り返って、手を貸した仲間が「こんな商店街、潰れちまえ!」と、こう言ったんだよ。がっかり。僕は生き方を否定する気はないんだけど、せいぜい(住まわせてもらっている)という気遣いは持ち合わせていると思ってたんだわ。地元の人に迷惑をかけるような真似をすれば、結果的に自分らの首を絞めるだけなのにね。
だからといって(川のホームレスは良くて町のホームレスはダメ!)なんて短絡的なオチじゃないよ、でも距離としては近いのにライフ・スタイルが全然違うんだよね。それぞれの環境に順応化してる所に、なんて言うか命の輝きを感じたりして。
川の人は住居的に閉じてるけど独自の職で暮らしてるっぽいし、町の人はひとつ屋根の下で日銭を稼いだり(アルミ缶潰しもしてるけど)ボランティアに食わせてもらったりしてる。
この観察を極めれば、ちょっとした文化人類学になりそう。って、僕は遠慮しとくけど。
平成15年7月17日

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