2003年07月19日
12*脳とゲーム
ゲーム脳。やり過ぎるとナニだとか…? 炭酸飲料を飲み過ぎると骨が溶ける、って最近は言われなくなったな。単に、僕がオトナになったからなのかな。
それよりさ、パソコンやりすぎると男の子が生まれなくなるってね。システム開発の友人に聞いたから、パソコンじゃなくて大型汎用機か。家庭ユーザーが浴びる程度の電磁波なら平気なんだろうけど、男の子を産んだって友人はいないしなぁ。
この丸2年間、僕はゲーム浸けの日々を送ってました。生まれてこのかた、ファミ○ンもプレ○テも全然やった事なかったのにね。でも33歳にして突如、食事抜き3日徹夜の勢いで目覚めてしまったのよ。そして毎日毎晩、寝ても覚めてもゲーム三昧。
ゲームにも色々ジャンルがあるけど、男子定番の格闘ものやレースは単調だし勝てないと腹が立つ。それに僕は「ときめき云々」とかの恋愛シュミレーション(略して恋ゲー)がやりたかったんだ。だから周囲は僕に憂慮していたのかしら(自覚なし)。併発するように、ガン○ムのプラモにも熱中時代。でもいいじゃんね、単なる趣味だぜ?
恋ゲーは、自分のプレイする男子高校生の入学から卒業まで[勉強]やら[部活]やら[バイト]など様々な行動で数値(パラメーター)を上げさせてゆく。更に[デート]の選択で意中の女生徒の[ときめき度]をアップさせて、更に本星以外の女性にも嫌われないよう面倒をみないと評判が下がっちゃう。何という苛酷さ!
架空の人格全員に気を遣って、これほど報われないとは何事か? 一向にハッピーな結末は訪れない、というか現実よりフラれまくり。やってられっかっつーの。さすがに懲りて、ロールプレイングゲーム(ロープレまたはRPG)に路線変更。
ザコ敵と戦って主人公を成長させ(パラメーター上げ)、物語の途中に小ボスを倒して最後に大ボスを退治する、といった物語形式のゲーム。選択肢によって物語が進み、画面も賑やかで飽きない。ただ、筋立ては「姫を助け、巨悪を挫く」というハリウッド的なのばっかりだけど。
小説と映画の中間的な感じで楽しめる、という事で月に何本も買い込んでは途中で煮詰まって…。最初は新鮮味があって面白いんだけど、次第に話が進まなくなってくるのね。数値上げの作業をこなさないと小ボスに勝てないから。結局、やりかけゲームの山を築く事になっちゃった。
そういうのやってるうち、いつの間にかパラメーターっていう考え方を現実の方にも応用するようになってたんだ。たとえば金貨の数値を上げるのに仕事のコマンドを実行、とか。要するに現実も、自分の数値(実行可能な領域)とコマンド(行動パターン)に置き換えてたんだね。そうかー、こういうのが「現実とバーチャルの区別がつかなくなる」ってコトかと思ったりして。
だからって、それが何なんだ? 現実だって毎日がルーティンな作業の連続なら、むしろリアリティないじゃん。0か1かで結論が出る、ゲームの理論で成り立ってる現実なんて…。生きてる実感って、もっと非合理的で不条理な要素を求めていると思わない?
話は飛ぶけど、高校生の僕は学校帰りに本屋で立ち読みに励んでいたのね(漫研だったし)。すると小学5、6年の可愛いコが恐怖コミックってのを好んで買って行く事を発見したのよ。女性心理の不可解さは奥が深い…と申しましょうか。仲間内で「線一本で怖い」と評された不気味なマンガが、少女漫画より人気あったんだ。
恐怖って、自分では理解できない存在とか、制御できない底知れなさに向き合う時の感情なんじゃないかなぁ。神とか悪魔とかは非現実的だと分かっていても、思わず受け入れてしまう瞬間があるよね。そういうのを理屈で排除するんじゃなく、なんとか折り合いを付けて暮らしてきた筈なのに。
しばらく前から「癒し」は売れ筋みたいだけど、解消しきれないモヤモヤもそれだけ増えてるって事だよね? 賛成しかねる何事かに、心は気が付いて「NO」を言ってるんじゃないかな。モヤモヤの発生源が見えなくて、余計にモヤモヤしたりして。
台湾は、まだ信仰心が日常の暮らしに息づいていた。宗教だと相互依存のバイアスがかかるけど、信仰ってのは「理屈じゃないものを受け入れる姿勢」だと思うのね。星空や、壮大な光景に心打たれる感覚…。あの時の気持ちが「癒し」に似てるなら、そういう要素が仕事場や学校や町の行事にあれば、少しは折り合いが付くかなぁって思った。
ところで僕は、この2年間でゲーム機本体とコントローラー4ヶを壊しました。でもゲームのせいでキレたんじゃなくて、自分の鈍い神経にカンシャクを起こしただけよ。幼少時の性格って、ずっと抑えてきたって直りゃしないのね。
三つ子の魂なんとやら…。くわばらくわばら。
平成15年7月19日
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