2003年09月02日

14*パソコンの住人

 1カ月ばかり、パソコンの前から離れてました。でも横にはいたけど。
 どういう事かを説明しますと、休日を利用して新しいパソコンを組み立てていたのでした。実際に作ったのはP氏(このサイトを作ってくれた人)で、僕は傍らで眺めていただけなんだけど。で、その間は古いほうも触らずにいたのよ。平日も忙しかったし。
 僕は自分のパソコンを所有してないので、いつも家族兼用のパソコンを使っているのね。それを「買い替えよう」という話になってさ、だけど我が家は全員素人なんでP氏に登場願ったという次第。それで彼の厚意に甘えて甘えて、こちらの都合で呼び出しては一切合財やってもらっていたんですわ。おかげさまで快適PCライフ! ありがとう、P氏。

 なかなか大変だったけど(て何もしてない僕なのに…)、特に面白かったのは本体の中身をのぞいた事だなあ。空の箱が、基盤を詰め込まれて“神秘の箱”と化してゆく過程。 基盤の上には切手より小さな円柱や板やらがあって、あれはCPUって言うのかな? 御大層なファンで覆われてるのもあるのね。マザーボードっていう一番大きな基盤だって片手に納まるんだから、それらのパーツなんてハナクソ位しかないのよ。それらの間に筋肉繊維のような電源の束が、立体的に組合わさった基盤の四方八方に収まってゆくの。絹糸みたいに細〜いハンダが、狭い隙間にビッシリ張り巡らされていて。

 P氏が本体の箱に手を突っ込んで、細かい作業をしてるのを上から見ていた僕の脳裏に、ダラス上空の光景が正夢のように蘇ってきた。あれは、メキシコ南部のカンクンという町に行く途中だったな。成田から飛んできたジャンボジェットから乗り継ぎ、小型の飛行機でダラス空港を離陸して、みるみる小さく霞んでゆく町並みに目が釘付けになってたんだ。クローバー型に立体交差するハイウェイを過ぎ、建て売り住宅の無機的な区画に薄雲が懸かり…。
 あの時、僕は(集積回路みたいだ)と感嘆したのね。そして実物は、あの都市上空のイメージと同じだったのよ。基盤上の主要なパーツごとに電源は供給され、鈍い銀色の微細な線は碁盤の目のように走り…。
 パソコンて、中身は家電というより都市に近い物なのね。その急速な性能の向上は、いつか頭打ちになって、そこそこのクラスで落ち着くのかと思ってたけど違うんだ。村落が都市へと発展し拡張して利便性を高め、エネルギーを欲しがるのに似て、更に限りなく進化してゆくのだろう。

 しかしなぁ…。人間は、どこまで付いてゆけるのかね? 32から64メガバイト、128〜256〜512?? 音楽のリズムは4拍子から8〜16ビートへ進んできたけど、32より速くなると人間の耳では聞き分けられなくなってくるんだってね。そうすると、64拍子の音楽は果たして音楽と言えるのかなぁ。まず唄うなんて無理だろうけど。
 ギターの速弾きは、どこまでも速く弾けるような気もする。でも、音符の先には出られない。いかなる即興も五線譜に記され、模倣され、更なる技巧に超えられてきた。世界陸上の最速記録も着実に更新されているけどさ、速さを求めてどこまでゆくのか、もっと気になるのは、限界に至ったとして、それからどうするのか? って事。パソコンの、処理速度の事ではなくて「限界まで速いPC」と人間の関係ね。
 もちろん専門的な仕事では、今以上の処理能力が必要とされ続けるのも理解できるんだ。これだって元々は戦争の道具として、ミサイルの弾道計算という役目を担って育ってきた訳だし。今後も色々と難しい仕事があるに違いない、たとえば僕にスノボを覚えさせるとか。頼む気はないにしても、機械や通信機器と連動させれば後はプログラム次第で何とかなるんだろう。

 10年かかって出来るようになる事を一日で可能にする、要はそういう事を望んでしまう人間て…。いや、人間全体の速さへの信仰みたいなのの話よ。速くて良くないのって、早漏と早老ぐらいかな?って。Live&Deathか…。
 やっぱり永遠とか無限に憧れてるのかな。でもそんなの幸福とか平和と同じ概念でしかないんだけどね、解ってても諦めきれないのかも。

平成15年9月2日
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posted by tomsec at 22:10 | TrackBack(0) |  空想百景<11〜20> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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