先日、大阪に行ったの。まったくの私用だったんだけど、帰りの新幹線が某球団の優勝決定直後に! 幸い、濁流のような騒乱に巻き込まれる事もなく帰途に就いたのでした。
一夜明けてニュースを観ると案の定、フーリガン状態ね。絵に描いたような集団心理って、端から見てるとマヌケ。でもさ、群れてる側の楽しい感じは分かっちゃう。程度の差はあれ、似たような経験ってあるからね。
前に「ハロウィン・トレイン」なる、一種のシークレット・イベントがあったのよ。最近はどうなんだか知らないけれど、ハロウィンの夜の山の手線を勝手に占拠しちゃうの。どの駅だったかは忘れたけど、確か9時ちょうどの内回りに乗り込んで。
多分、最初の思いつきは在日外国人の茶目っ気だったんじゃないかな。単に仮装して電車に乗るだけの。でも僕が参加したのは、外国人の友達に初めて誘われてから何年か経ってからだったのね。それだからかな、相当数の日本人も含めて最終的には車内ギュウギュウ。
当然、何も知らない一般の乗客もいる訳で、停車駅毎に妙な格好の連中ばかり乗り込んでくる異様な事態に愕然としてるの。多勢に無勢で段々とエスカレートしていって、車内で踊るわスケボーするわ、停車するたびにホームを駆け回るわの騒ぎに。
僕は途中で降りちゃったんだけど、翌日の新聞に逮捕者が出た記事が載っているのを見て頭を冷やしたよ。車内のマナーという点でも、安全な運行の上でも迷惑な行為にまで発展してしまった。おそらくは、最初に始めた誰かの、アメリのようなユーモア精神を大きく外れて。
そんな僕だけに、サッカーだ野球だ祭りだと口実をつけては暴走する連中って「見たくない自分」を見せつけられているような気持ちになってしまう。
ところで、勤め人が自分を卑下して「会社の歯車」なんて言い方をしたりする事があるよね。会社に限らず、人間の集団って最大公約数の法則が働くんだって。つまり、その集団に属する人が秘めている願望なり欲求の、一番強い要素が全体の行動を決定するという話。
人間の脳みそって、進化の過程そのままの3層構造になってるらしいのね。中心に、快or不快だけのトカゲ脳があって、その上に少し高度な動物としての脳、そして外側が人間らしさを司る脳があるんだってさ。
会社組織には「利潤の追求」という総意の枠があるけど、たとえば停電とかのような「総意も枠組みも何もない状態」によって偶発的に生まれた人の群れだったら(この激ムカ状態を何とかしてぇ!)って感情、共通する「個人的な欲求」を抱えてるんだよね。その集団内の頭数が多いほど、一人一人がまるで(人数分のエネルギーを放つ巨大な人間)のようになっちゃうんじゃないかな。これは理屈というより、経験として思った事なんだけれども。
それとは反対に「個々の善意が、共通の環境の中で孤立していた人同士を連帯させる」という場合もあるよね。災害などの非常時には(原始的な発想に傾く群衆)だけでなく、同時に(利他のつながり)と呼べるような最小公倍数も生まれてくる。というより、そうなんだと信じていたほうが、僕の人生は楽しいだけかな。
何かの本で「会社の平均寿命は30年」というのを読んだんだ。優良企業名鑑だか、そういった資料で統計を取った人がいて。長生きしようが短命だろうが、まるで人間のように成長期と衰退期がある…。そう考えると、人って会社という塊の血となり肉となる素材なんだなぁーと思う。
会社という、人間の組織。人間という、細胞の組織。
細胞にも汚職があったり、時には反抗してストをしたりしながらも丸め込まれて、結局は使い捨てられてゆく。僕の意志は、細胞組織全体の最大公約数なのかな〜?
最小公倍数?
平成15年9月16日