2003年09月07日
17*言葉と文化と路の上 Pt.I
「最弱だと思ったらかかってこい」
これ、ウチのすぐ近所の高架下にあったスプレー落書き。見るたびに、何ともいえない可笑しさが込み上げてくる。
これって、他の人が見ても面白いよね? もしかしたら僕だけなのかなぁ、これで笑えるのって…。そんな不安を抱えつつ、言い訳がましく解説しちゃおう。
この台詞は、最初に描いた落書きを他のグループに上書きされた事で登場したのね。その場を目撃しなくても、グループ名にバツ印があって、その横に「最弱だと思ったらかかってこい」と書いてあったら事情は分かる。つまりナメんなよ、と。売られた喧嘩は買いますよ、と。
意味は分からないでもないが、普通に読んだら(誰が最弱を相手にする?)って気持ちになると思うんだけどねぇ。なんだか間抜けな挑発じゃないですか、啖呵を切りながら屁こいてるような。たぶん、文字で書いてあるから尚更アホみたいな感じがするんだと思うけど。
これを書いた本人は何もおかしいとは思ってないだろう、と思うのね。自分達を侮辱されてカッとなった勢いで、頭に浮かんだ話し言葉のまんま書き付けたんだろう。しかしこれを見て、真に受けて「かかって」いく奴がいたのか? 興味深いところ。
文章として変でも、これはこれで意味が通じれば一向に構わないんだよね。彼らは自分らの言語で成り立つ世界に生きてるし、僕とは明らかに異なる価値基準&相いれない思考が常識なのだと思う。
彼らをひとくくりに決めつけるのではないけども、一種独自なルールで生きてる人っているよなって思う。僕から見ればね。もちろん、どんな人も自分流に解釈した上で社会的な規則に従っているから、一部の極端な人々を非難したい訳じゃないのよ。ただ、自分の理解を超越した発想で生きている人は、時として興味深い観察の対象になり得るんだわ。
最近、ふと思ったんだ。先天的な性格で(俺様ルール)になるタイプが、どんな社会集団にも一定の割合で生まれてくるんじゃないか? って。たとえば信号は「黄色が突っ込め、赤で注意」とか、ふざけてるのかと思うけど実際には当たり前に見かけるんだよな。
小さい会社のワンマン社長なんて言われる人にも多いけど、良く言えばカリスマ性がある(悪く言えば自己中心的)人間ね。そういう(俺様ルールが顕著な人)って社会集団の整合性を乱す要素ではあるにしろ、ある局面では重要な役割を担うこともあるのかなって考えたりしたんだ。
ラピュタ人と呼ばれる、太平洋に拡散したモンゴロイドの一部なんだけどさ。なんで海に漕ぎ出したんだろうって思ったの。まぁそれを言ったら、なんで住み慣れた土地を離れて世界中に散らばって行ったのかも不思議だけど、それは食糧不足とか追い出されたとかも考えられるし。
舟に乗って移動する事を思いつくまでは、分かる。でも陸地があるか見えもしない彼方まで、偶然だけで行き渡るものとは思えなかったんだよ。そこまでリスキーな博奕を打てる人間、言い出しっぺになるような人種が、どの集団の中にもいたんだろうね。理に適った道よりも、自分のルールを信じられる人間が。
それは単なる想像だから何の根拠もないけれど、彼らには彼らの存在意義がある事が、僕は勝手ながら納得できたのよ。トランプでいうならババのような、神話でいうならトリックスターのような立ち位置といいますか。
神話でいうトリックスターって、意地悪だったり天の邪鬼だったりする価値のない神様なんだけど、時に無敵の存在として天地をひっくりかえすような事をしちゃったりするんだよね、確か。何の役にも立たない(というか迷惑な)存在でありながら、他の神様が束になっても叶わない力を秘めているの。
だから彼らが何だとかいう話では、重ねて言うけど関係ないからね。もっと大雑把に俯瞰した感じでの話。
平成15年9月7日
この記事へのトラックバック