毎年の事のような気もするけど、冬の星座と夜の匂いは(父親とマラソンしてた小学生の僕)にさせるなぁ。今年も早々と、そんな季節になりましたか。
しかし真夜中に外出するの、割と久々だわ。高校生から20になる時期に続いた、行き場のない夜と変わらない。空気が澄んでいるせいか星が良く見えて、明るい下弦の月が眠そうに僕を見下ろしていてさ。
ところで、自販機の下に必ず下水のフタがあるのは何故かしら? やはり店主は、そこに誰かが落とした釣銭を回収してるのかなぁ?
最近になって突然、友人Nが古い文庫本を返却してきたのね。
僕が中学2年に転校してきてからの付き合いで、一人旅とMTBの師匠で現在は唯一のバンドメンバー。で、先日のスタジオ練習の後で彼が「部屋の中を片付けてて…」と言いながらセカンドバッグ(しかもニセモノの!)を取り出してきたのよ。
どこかで見覚えのある、と思ったら僕の物でさ。中に入っていたのは、フリージャズのピアニストが書いたエッセイ。なんだよ、それも僕のじゃん。すっかり忘れてた、でも今になって…?
本屋の付けたカバーに、若かりし僕の文字で「昭和57年9月10日」と書いてあった。という事は、まだ14歳だった訳か。ちょうど祖母のアパートで一人暮らしを始めた時期だ、というか彼と知り合った年だ。一人で映画や美術展に行き、初めてのライブに行き、フリージャズを聴きに行ったりしてたっけ(だって他に興味が一致する人がいなかったんだもん)。
そうだ、筒井某の全集を買い揃えていたのもこの頃だ。その作家の熱烈な信奉者だった僕は、彼の影響で山下某というピアニストのエッセイを読んだのだった。そして、六本木のPというライブハウスにまで聴きに行ったんだわ。
そうそう。アメリカンニューシネマの影響で米軍のフィールドジャケットを着て行ったが、なぜか恥ずかしい事に髪形はアイパーだったんだぞ。チャージという新しい概念の入場料を支払って、外で初めて酒を飲んだのだ。あれはジンライムだった。あと、演奏が始まる前に、スーツ姿のヤサ男に話しかけられて気が動転したのも覚えてる。
初めて聴いたフリージャズは、ナベサダやオーレックス・ジャズフェスしか知らない僕には理解不能な約束事と緊張感の洪水だった。ガキだった僕には異質すぎて、気取った背伸びを即座に後悔した。だけど徐々に混乱と興奮で訳が分からなくなってしまったのは、単なるデタラメじゃない(何か)があったからなんだろう。
その(何か)としか言えないものが、僕をハイにしたんだ。混沌とした渦の中に溶け出した時、自分もプレイヤーの一人のようになった。キメや、主題に入るタイミングが霊感のように降り注いでくる感じ。フリージャズは、集中して向き合う事を求められる音楽だと思う。真剣にならなけりゃ何も聴こえてこないんじゃないかな、って。
その頃の自分は何かに飢えていたし、音楽にしろ現代芸術にしろ貪欲に向き合っていた気がする。物の譬えに「レコードを擦り切れるまで聴いた」というが、まさにそういう状態だったんだわ。80年代前半にはまだそんな時代の空気が残っていたし、当時の自分もまた必死になって何かを掴みたがっていた。それがうまく重なった時に、僕はフリージャズと出会っていたのかな。
もしも今の自分がフリージャズと初めて出会っても、それほどまでには感じられない気がする。新奇な要素を受け止める熱が、自分の中に確かめられないというか。あんまり認めたくはないけれど、多分そういった理由で僕はフリージャズから離れてしまったのだろうなぁ。心地よいものに魅かれる事自体は、自然だと思うんだけどね…。
センチメンタルと微妙に異なる、そんな内省的な気分にさせる初冬の気配でした。
平成15年10月18日