先程、母親から将来の心配をされてしまった。
ま、客観的にも当然といえるかもしれない僕の生きざま。今まで何度も繰り返し話し合い、その度に僕は気持ちを新たに思うのですよ。道なき道をゆく覚悟、といいますか。
しかし年を取ると心配性になるというが、母親が子供の心配を生きがいにしてるのなら一種の親孝行かもしれないね。祖母の話なんだけどさ、昔より母親の事を心配するようになってきてるの。僕から見てると(ばあちゃんはおふくろをダメな大人だと思ってるの?)って言いたくなったりして。母親は黙って言わせているんだけど、ああいう親子関係を僕と再現しようとは思ってない筈なのに。やっぱ見え過ぎる距離だから口を挟みたくなるのかね。
年寄り全般、心配が好きだなって思う。それは相手が頼りないからじゃなく、構って欲しいからなのかなぁ。干渉にかこつけて、まだ自分が必要とされていると認めてもらいたがってたり。要するに寂しいのか、素直じゃないんだから。年と共に遠回しになってくものなのかね? アレ困るよ、気が利かない僕には。
僕は、故・天本英世氏のように老いたいと思ってるんだ。あの人はクリーニング店の隅に寝起きして、開店前の早朝から店が閉まる夜まで外を歩き回って暮らしたのだそうだ。そして大好きなスペインに出掛けて、また日本で仕事して。そんな逸話を聞いた時、僕はドキッした。僕は、そんな朝の天本氏に出会っていたんだよ。
その頃の僕は親元を離れて暮らし、初台で遺跡発掘バイトをしていたの。ちょっと野暮で前夜の居所を早く追われてしまい、冬の早朝から始業時間まで行く当てもなく公園のベンチに座っててさ。霧の濃い早朝で人気もなく、背の高い痩せぎすの男が音も立てずに歩いていたんだ。結構シュールでしょ? 僕も薄気味悪くて非現実的な想像に駆られたもの。
そう。ユダヤ教みたいな帽子の下は白髪で、その人の不思議な静けさを湛えた表情は今も妙に思い出せる。だけど実際の天本氏については、実はよく知らない。ただ僕の中では、あの光景と彼の逸話がリンクしたんだ。年を取るというのは孤独な事だとしても、あの表情には一種の強さがあった気がしてくるんだよ。
周りの友人は家庭を持ち遠ざかってゆくし、やがて家族は死んでゆく。そうなってから絶対的な孤独に気付いたりしたら、それは何て耐え難い事だろう。結婚して仕事して子育てしてさ、忙しくて感じずに済ませていても孤独が消えた訳じゃなかったって。
最近、年寄りと接する機会が増えた。小姑みたいで煙たがられてる人なんかは「このこのぉ〜」って、こっちからベタベタ触ってると孫に甘えられてるような顔になるから面白い。どっちが甘えてんだか。僕が顔を合わせるのは昼間だけど、分別ありそうな人なのに夜中になると暴れ出したり錯乱したりするって話を聞くんだわ。やはり不安が不安を呼んでパニックになるのだろうか…?
それはもちろん環境のせいでもあるけれど(病院というのは患者を管理し制御する仕組みだから、ある程度の個人の尊厳は剥奪されてしまうのだ)、老いるとは「死に近い場所を生きる事」なのかと思う。わがままも痴呆も、死という絶対的な孤独への恐れと抵抗の手段かもしれないって。
あらゆるものが去ってゆくのを肌で感じながら、それを受け入れる以外ない日常。分かり合える人も身につけた知恵も失われてゆく、だから人の手を求めたくなり、非現実へ目を逸らしたくなったりするのかな。誰も自分の話は聞いてくれないし、自分のために立ち止まる人もいない。
彼らの目に光を見た時、見知らぬ異国で話し相手を見つけた時の目付きだと思った。そして逆に、互いの焦点が繋がる瞬間まで、向き合ってる筈の僕らの心が絶縁体のように離れてた事も解ったんだ。どんなに太陽を眩しく暖かく感じてたって、それも光速8分の一方通行でしかないように…。って、分かりにくい譬えだなぁ! そんな孤独があるって事さ。
今の僕に打つ手はないし、それに孤独を手なずけるなんて無理だとしても、その手ごわい相手と仲良くやっていく道はある。それが僕の中の、天本氏の静かな表情なんだ。
平成15年10月29日
2003年10月29日
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