2003年11月07日

25*町の匂い、土の記憶

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 八丁堀のビジネスホテルに泊まったのですよ。
 時代劇の捕り物で知られる町名だけど、東京駅から程近いオフィス街なのね。とりたてて何があるでもない、直線道路に箱を並べたような町。家から銀座までの途中にあるので、車やチャリなんかで通りがかった事は何度もある。まあ、割と見慣れた町並みな訳よ。

 でも面白いもんで、今まで通過点としか思っていなかった場所も、たかが一泊とはいえ宿を取り食事処を選ぶとなると、初めて来た町のように見え方が全然違ってくるのよ。店構えは今風なビルの一階でも、昔ながらの看板を掲げてるのに気が付いたりとか。そういった隅々に染み込んでる、他のどこでもない時間の積み重ねが浮き出て見えてきたんだわ。
 なんかねー、どうも小綺麗な区画にそぐわないんだ。オフィスビル街になってても、なぜか未だに古い家並みの気配がするんだよ。しもたやと敷石と板塀の、ヤツデと苔とイチジクの匂い。八丁堀という土地柄、江戸の門前町として商売や卸売問屋が軒を連ねた頃の名残か? そんなのは、もはや裏通りの道端に、微かな形跡を留める程度なのに。

 それは自分が生まれるより昔の匂いで、本当は知ってる筈がないんだよなぁ。だから実は妄想とか錯覚なんだろうね、でも「土地の記憶」みたいなものが感じられる時ってあるよね? 自分が見ている景色と、感覚的な情報が一致しないような違和感。
…という話題と矛盾しちゃうんだけど、都市近郊の風景って無機質じゃない? 産業道路と安っぽいレストランと中古車センター、みたいな。シアトルでも台湾でも、そういうのって同じなのよ。たとえば北綾瀬とか、国道一号線沿いの眺めと一緒。まるでベタ塗りで、土地の匂いを拭い去ってしまいたいのかって思う。

 こうやって考えるのは目茶苦茶こじつけだとは思うんだけど、やっぱり人が住み暮らしてきた歳月と関連してるのかねぇ? 八丁堀なんかだと江戸時代から500年位は往来の行き来があってさ、それに比べりゃあ町外れの閑散とした場所は人の汗が染み込んでるとは思えない。仮に大昔から道があって家も建ってたにしても、土地の匂いが感じられない場所ってのは昔も寂れてたのかもね。
 そう。僕がいう土地の匂いは、つまり気配みたいなものの事なんだな。人間の息遣いじゃなく、その場所に残っている記憶というか。もしかしたら八丁堀の地面は、ここ30年ほどで作られた風景に未だ順応してないのかもしれない。まだビル街に変わる以前の残り香が、どこか抜け切ってないような。

 ところで、大阪を車で走った時の話。電車とかで行って、現地を歩く目線で見てるのと全然違うのね。運転しながら眺める大阪の町は(東京とは別の文化で成り立っている)って実感したのよ。歩いてても、東京じゃ日本橋近辺の問屋街でも有り得ない「大通りの4車線が全部一方通行」なんて光景を見かけたし。
 車を走らせて感じた違和感は、そうやって説明するのが難しいんだな。変な譬えだけど、トワイライトゾーンに紛れ込んだ感覚というか。SF用語で「パラレルワールド」って言うんだけどさ、過去に別の選択をしたら存在したかもしれない世界に入り込んでしまったみたいな。自分の見知っている、東京と似ているのに何かがオカシイ。

 同じ道路、街路樹、標示板、交差点…。なのに、何か決定的に違う感じがするの。個々のアイテムは共通してるけど、別の知らない発想に基づいて配置されてたような。思うに行政が明治以降に全国統一の道路整備を開始する時、すでにインフラ基盤があった大都市は旧来のフォーマットを活かしたんだろうね。
 だからきっと、その都市の思想みたいなのが違和感を生むんじゃないかな。東京の下町は昔、江戸城の門前町として他藩から侵攻をくい止めるような道路設計にされたそうな。平たく言えば、わざと見通し悪くてゴチャゴチャした道にしてたのね。戦後の区画整理もあって、今は良くなってきたろうけど。

 それから、これは大阪に限った話じゃないんだけどさ、やっぱ関東平野を見慣れていると「ずっと視界に山がある」ってのは不思議な感じ。まだ田園地帯だったら平気でも、都会じみた背景に山があるのは圧迫感を覚えるなぁ。とはいえ、ユカタン半島(メキシコ)の果てしなくフラットな光景も異様だったがね。
 なんかオチがないけど、まぁいいか。…って、前にもあったかな?

平成15年11月7日


posted by tomsec at 22:51 | TrackBack(0) |  空想百景<21〜30> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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