2003年12月09日

31*家持つ人々(短編2)

 10年前ってさ、夜中に台場までドライブ行くと寂れてたよなぁ。走り屋がフネカン(船の科学館)でいたちごっこしてた頃ね、夢の島には倉庫しかなくて草っ原に遺体が投棄されたりしてた。それが青海あたりから目茶苦茶な勢いで工事始めて、今じゃ見違えるようになっちゃってビックリよ。久々に行ってみたら、夜中の夢の島に小学生が歩いてんの! 一瞬、ついに僕も見ちゃったのかと思って青ざめたね。あの辺は、間違ってもそんな場所じゃないぜ? 少なくとも、まだ今は。

 江東区で、児童の急増に学校が不足する事態…なんだそうだ。一学期の間に、一学年の学級数が倍になる? そりゃあ不自然だよな、本来は町ってのは自然発生的な集合体だったろうに。それが今や、人為的に作られる時代になったって事なのかね。開発業者だとか、不動産屋によって。そういうのって、何だか気持ち悪いけどなあ。
 その事でインタビューに答える父兄(当事者)が行政を非難してたの。いわく「家を持とうと思うのは当たり前なんだから、行政の怠慢だ」とかって。ふーん、当たり前なのかねぇ? 確かに都心に出るのも至近だし、埋立地だけに物件も高くはないのだろうけどさ。だけど江東区は、以前にも児童が急増した事があったんだって。それに対応して学校を増やしたものの、すぐに児童数は急減して相次いで廃校にしなきゃならなかったそうだ。そんなの昔っからの納税者にしてみりゃあ、大いなる税金の無駄遣いでしょ。

 一時期、欠陥住宅が話題になった(今もかな)。聞くところによるとさ、一昔前は住人が現場に立ち会うもんだったらしいね。毎日顔出して職人に茶菓子ぐらいは振る舞ってさ、何食わぬ振りで手抜かりないかチェック入れてたって。今は地鎮祭とか建前とかって、滅多に見聞きしなくなったもんなあ。
 新しい土地に住むとか家を構えるって時には、土地との契約を結ぶ儀式があったんだよね。今は住む事自体には意味がないんだなぁ、そこがどういう土壌や風土なのかも。地盤がゆるかったり水捌けが悪かったりしても、それは単に売り手が悪くて買った方には責任ないってだけの話でね。
 ま、これだけ過密だと気にしてられないんだね。そこが地面なら住むしかない、残された自然を開発して悠々自適…ってのに比べりゃあエコロジーなのかな? しかし色んなニュースがあって非難の応酬だよなぁ、己の都合を押し通す為の正義とか権利とか。どこかに悪の元凶がいるような幻想って、ハリウッド的(あるいは時代活劇か)だなって思うんだけど。
 そういうのって、な〜んか気持ち悪くない?

平成15年12月9日
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posted by tomsec at 23:04 | TrackBack(0) |  空想百景<31〜40> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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