2003年12月09日

32*帰る場所(短編3)

 たった2年間だけだった、親元を離れて自活してたのは。その最後の冬に、僕は外壁補修のバイトをやってたの。そこそこの金額で週払いだったから、嫌々ながらも仕事に行ってた。夢も大志もあるじゃなし、しかも暮らしはジリ貧状態。恋人も友達もない、なぁーんか殺伐とした心模様だったなあ。でも毎日(困ってる人に募金したい)とか思ってた分だけ、犯罪者になる可能性は薄かったけど。

 その仕事で、郊外の巨大な病院に行ったんだ。屋上近くの壁に張り付いてさ、見渡すと遮る物は地平線まで何もない勢いよ。透き通るような大空を映すガラス窓、向こう側の部屋には白いベッドがあって。誰かいるのに気配はなくて、何も見ないようにしてたけどね。足場の上では、人の生き死になんて考えたくもないからさ。
 某マンモス団地にも行ったな。団地の屋上までエレベーターで上がってから、手摺りを越えて足場に移るのね。ぴゅーって風が吹き付けて眺めると、地上の地下鉄は本当に頼りない命綱に見えたな。まるで外界との接触を断ちたいのかって位、周囲には目ぼしい町並みもないし。まるで糸でつながれただけの、孤立した都市のようだと思った。生活に必要な店は一通り揃っててさ、団地内ですべて事足りちゃうのもね。
 眼下に拡がる団地の景観は小綺麗で明るくて、計画的に配置された緑とレンガの小路、噴水の周りにベンチがあってさ。どしっと構えた建造物群に、隙間なく仕切られた窓があって…。それは人の住処というより、蚕棚っぽく見えちゃったのね。快適そうに造成されてるのが却ってウソ臭く感じてしまった。実は(落下の名所)とか言われてたんだけど、他所の住人が飛び降りるんじゃないなって…なんとなく思った。

 古い西洋の言葉で「死を想え(メメント・モリ)」というのは、どこか日本の武士道に通じるものがあるような気がする。もちろん命を軽く見積もるとかではなくて、突然やって来るかもしれない終わりの瞬間を意識しながら生きる、という意味で。インディアンの言葉で「輪を閉じる」というのもまた、そういう感覚に似てるんじゃないかな。「今日は死ぬのに良い日だ」っていう詩を読むと、民族とか信仰とか価値観が違っていても人間には相通じる感性がある気がしてくる。
 かつては死が身近にあったのに、現代社会では自分で死ぬという選択さえ許されない。といって誤解を招くと困るけど、問題は死ぬ事じゃなくて生きる事なんだ。様々な装置によって強制的に生かされている人々の、定義の上では生きているという状態を遮断する決定権は誰にもないって事も含めて。
 人の夢、と書いて(はかない)と読む…そこに儚さがあるような。

平成15年12月9日
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posted by tomsec at 23:06 | TrackBack(0) |  空想百景<31〜40> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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