それもまた、よく分からない話だ。でも、こうして歴史は積み重ねられてゆくのだろうな。僕らの次の世代とか、その次の世代には「2004年デフレ脱却」と単純に記憶されてゆく訳だ。下手すれば僕らだって何年もしないうちに、そういう事で納得してしまっている事だろう。算出方式を変えてしまったデータなんて、つまり何の価値もないのに!
どこをどのように変えたかは内緒にして、数字だけが堂々と残されてしまう。そういうエゲツナイ世代が滅びた後、僕らの世代は一体どれだけ後始末できるのだろう? まったく、次の世代に顔向けが出来ないったらないぜ。
データといえば、ダイオキシンの話。いつだか、国が調査結果を発表して安全性が証明された事になっているけれど、ダイオキシンには類似する構造の物質(変異体だか変位体だか変移体)が14、5種類あるのだそうだ。もちろん、公式発表されたのは1種類だけ。だから下手すれば土の中には、その14、5倍のダイオキシン仲間があるかもしれないんだって。当然ながら国が知らない訳もなく、全種類の調査をした上でダイオキシンという名前の物質についてだけ公表したんだそうだ。
考えようによっては、安全性を実証できるデータを抜き出して公表したって事か? つまり、データが間違ってはいないけれど正確ではない。それで意味あんのかねぇ。
同様に、放射能漏れの話。あの時期、近隣住民にガイガーカウンターを向けて放射能汚染を調べる映像が流れた。何となくTVで見た覚えがあるよね? でもね、あれで反応してたら機械が異常なんだって。人体の被爆度を検査するには、もっと精密な機械があるんだそうだ。て事は、あれはヤラセみたいな映像のトリックじゃんね。
そういう事は、今や知ろうと思えば調べられる事なのかもしれない。しかし、自分の食べる物から空気や地質そして放射能まで…途方もなく思えちゃうよ。自己責任、それを言うのは容易いが、現実問題として意識し続けるのは至難だわ。
少し前に、渋谷で無差別殺人(ではないのかな)事件があった。自分の知り合いが「遊び仲間が、その犯人を知ってた」と言ってた。女性の全裸死体が見つかった新聞屋、あれは自分が通った中学の通学路にあった(近所って事ね)。
そうかー、と思った。
僕が、僕の知り合いとパイプを持つ。そのようにして、世界中の知り合い同士がパイプを持っていると、僕の持ってるパイプにも今まで他人事としか思えなかった出来事の現場から流れてくるに違いない。それは苦い水かもしれないし、甘い水かもしれない。
実際には、目には見えなくても同じ事なんだろう。誰かの些細な決断なり言動が交じり合って、僕の口や鼻から入り込んでいる。自分の選択と眼差しが、遠くで起こる意外な出来事に流れ込んでゆくのだとしたら。
この世界は、ここに生きる人間の数だけ複雑かつシンプルなのだろう。
見えないけれど、確かに人間はつながっているし、誰かの責任でもないのだと思う。
パイプで思い出したが、氣の流れというものでいうと、氣が停滞していると心身に障害をもたらすらしい。第三者が氣を修復する時に、悪い氣を取り込んでしまわない方法として、こんなのがあるらしい。自分の氣で治すという発想でなく、自分を天地の氣を流すパイプにするのだそうだ。
自分も、そのスキルも媒介でしかないという発想。それは、どこかインディアンのタバコの儀式に通じるような気がする。
平成15年2月11日

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