しかし考えてみれば、目元のシワに魅力を感じるのって不思議だ。魅力的なシワと、そうでないシワがあるの? と自問してみる。それをいうなら「石庭に侘び寂を見る」という心の主観性と似たようなものだろう。だって、神経質に整えた砂利じゃんね。侘び寂の砂利と、そうでない砂利。
ところで、僕には「モテモテ願望」がある。まるで絵に描いたみたくカワイコチャンがキャーキャー寄ってくる、そんな単純なイメージへの憧れが。
そんな嘘臭い願望を体現してる(と僕の目には映った)青年がいたのね、彼女がいようが関係なくグイグイ迫ってくる女性が後を絶たないような。壮絶な入れ食いラブライフ状態。
そりゃもう羨ましい! というか、心底あやかりたくてさ。彼の爪の垢ゴクゴク飲む勢いで観察してて、ちょっとした発見をしたの。彼の目元は優香に似てる、って。もちろん性格だってモテモテで当然だったんだけど、そこはやっぱり太刀打ち出来ないし。
ちょうど(癒し系)なんてフレーズが旬だった頃でさ、すでに優香も巨乳アイドルじゃなくなってて。TVなんかで見かけるたびに僕は、あの半開き気味の瞳がポイントだと思ってたのよ。それから鼻の下を伸ばすような話し方ね(高松しげおかよ)。
微妙にトロンとした眼差し、そこに彼と優香の共通点を見いだした僕は(これぞモテる秘訣では?)と短絡的に結論付けた。たとえばベティブープの誇張されたアイシャドウね、半開きの瞳ってのは性的な恍惚を連想させると思ったのよ。これが半開きの口となると、知性的にビミョーだけども。
僕は以前から、瞳に芯がある人を「眼力がある」と呼んでる。メイクで作られた「目ヂカラ」なんてのとは別ものとしてね。優香眼は、そういった一種の緊張を強いる力とは逆の安心効果がある気がしたんだ。
でもその効果で引き付けられちゃう人って、不安を多く抱えてるって事になりそう…。おおっ、ノーサンキューだぜベイビー!
浅草で仕事をしてた頃は、特に(色気は所作)って感じたな。あの界隈は芸事の師匠がとても多くて、今も地元の女の子が普通に稽古通いしてるのが珍しくないんだ。そうすると普段の所作ってのも違ってきてさ、たとえば三社の時期なんて地元以外の神輿担ぎが大挙して祭り装束が入り乱れる訳よ。だけど浅草の女のコって一目で分かるの、きりりとした色気というか所作が自然に決まってるから。帯の締め方がだらしない、なんてのは論外でね。
背筋や立ち居ふるまいがすっとしている、そういう女性の色気は年を重ねても衰える事はない。ただ、習い事に即効性はないからなあ。もし自分が女性で(イイ女になりたいな)って思ったとしても、結局は目先のダイエットやエアロビに走ったりするだろうけど。服とか小物に金をかけたりね。そういう買い物は、消費という楽しみと(キレイになった自分)という妄想をも与えてくれる。身につければ即座に効果が実感出来る、という満足も与えてくれる。10年、20年で二束三文だろうが。
そう、長期的なスパンで物事を見れないんだ。これは女性云々じゃなくて、今は「結果を出す」という言葉が象徴するような価値観の時代なんだな。100年後のために木を植える、9世代先の子供達に遺すという考えが根を張る土壌は期待出来そうにないのかも。
だって所作の色気を絶賛してる僕自身、思い描く「モテモテ願望」のカワイコチャンは外見優先なんだもの…。
平成15年2月11日
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