アメリカ西海岸の第一次サーフ・ムーブメントは、東京の団地に住む小学生達にもスケボーを流行させたのでした。もちろん子供だった僕らは、単純に(ローラースルーとかホッピングのようなもの)としてしか認識してなかった訳ですが。
当時、僕が初めて観に行った洋画は「ボーイズ・ボーイズ」という青春スケボーもので、今になって思えば後々の服の好みにまで影響を与えてるんだなーと思う。アメカジ系の古着が好きなのは、あの映画の男の子達が着てたヨレヨレしたレタードTシャツなんかが原点にある気がするもんなあ。
服で言うと、あとサープラス(軍の放出品)好きも小6〜中1頃に深夜のTV映画で観た「タクシー・ドライバー」などのアメリカン・ニュー・シネマに影響されたのかも。ベトナム戦争直後という時代の空気、そして何より機能的でいて安いところが良いね。でも最近じゃあ着てるだけで、短絡的にブッシュ派みたく見られてしまうような…。
ま、今それは関係ないんだ。
図書館でCD借りて聴いてたんだわ、AORのコンピ盤。「大人向けロック」の略だとか、そうじゃないとか。ジャンル分けなんてどうでもいいんだ、ただ70年代後半から80年代前半の日々に流れてた音楽なのよ。第一次スケボー・ブームからMTVまで、僕の音の趣味も大体その辺で決まっちゃった気がする。AOR、ブラコン、クロスオーバー、ニューミュージック、などなど。
中学生になったばかりの僕は、いつも学ランの内ポケットに「西海岸ガイドブック」を突っ込んでた。1ドル=何円か知りもしないし、書かれた店や通りどころか内容すべて分からなかったくせにね。それでも構わなかったんだ、僕の精神は常に半分を夢の中に置いていたかったんだ。
ふと思ったんだけどさ、みんな何かしらあったんじゃないかなあ? 僕だけじゃなくて、成長の過程では誰もが(無自覚な危機的状況)を通過しなければならなくて、そういった一種の象徴的な「よすが」で少年期を乗り切って行くとか…。人によって色々な、あるいはもっと内面的な要素かもしれないけど。表面に出ない、奇妙な習癖みたいなの。
第二次性徴期ってのと関連するのかもしんない、その位の年齢って親も知らない秘密を持ったりする時期じゃん。エロ本とかタバコなんかを買っちゃったりさあ、カツアゲ食らったりホームレスいじめたりね。いやいや、飽くまで一般論としての譬え話だから。んでまぁ行動半径が拡がって、それまで見知っていた近所の大人子供とは別個の関わりがバンバン生じて。
そうやって自分の勢力圏外にさらされる、いわば心のヘソの緒が取れる時に僕らは通過儀礼がないでしょ。インディアンにとってのトーテムみたいな、繋がりというか契約は持ってないよね。でもさあ、もしかしたらそういった儀礼は人の心に欠かせない事柄だったりして、そんで無意識に疑似的な行為をしてるとしたら…? たまたま僕の場合は、それが「キャリフォルニア」だったんだろうという気がしたんだ。
今はもう誰も、そんなふうには呼ばない。カリフォルニア、それは単なる地名だ。しかし不思議な事に「キャリフォルニア」という響きには、僕の要素がギッシリ詰まっている。一粒の種子の中に、いつか大木になる要素が全部あるように。現在から見れば最も孤独が寂しくなかった頃であり、きっと当時の自分から見た今の僕を一言でいうなら「キャリフォルニア」しか思いつかない。
そうか! 僕の南国志向も、そこに端を発しているんだな。
平成16年4月10日
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