安価でタフが売りのGショック、確かに液晶やムーブメント(?)は10年近く使っていても全然平気。だが、外殻のプラスチックが耐えられなかったとは。
ボディボードを始める時に買った、一番最初のモデルだ。ベゼルとベルトのエメラルドグリーンは色褪せて、本体の透明なパーツは黄色く変色してしまった。そして気が付いたら、劣化してひび割れていたのだ。まだ使えない訳ではないけど、気に入ってただけにショック大。
当時は誰でもしてて、Gショックといえば黒一色だった。だけどカラフルなベビーGが登場した頃から妙な付加価値が付いた限定モデルが頻発して、なんでもない現行品でも当時の倍はするもんね。それでいてデザインは詰まらなくなってるし。
ともかく、僕のは(これほど汚いベビーGをしてる人は見た事がない)ってくらい使い込んだ。買った当時は毎週のように海行ってたから、日焼けと潮焼けで変色しちゃったんだわ。そういえば買った直後に社員旅行でハワイに行ったんだけど、その時の写真を見ると同じ腕時計とは思えないもん。
そうだ、勤め人だったからなあ。ボディボードのために、オーダーメイドのシーガル(半袖ウェットスーツ)とボードでローン組んだっけ。初めてグラサンに1万6千円も払ったんだ、ああいう収入が安定してる時期がなけりゃ一生出来ない経験だったんだ…! 向いてなかったし辛かったけど、そう思えば勤め人して良かった気がする(ロレックスも月賦で買えたし)。
ハワイだって、あの社員旅行がなければ行く機会なんてなかったかもしれない。しかも社員が接待ゴルフしてる最中、僕だけ単独行動でサンディビーチ(最もホノルルに近い、ボディボードのメッカ)に行く事が出来た。みんながワイキキショッピングモールで買い物してる間も、レンタルしたインラインスケートで海辺の公園を滑ってたんだ。自分のどこに、そんな行動力があったのか不思議だけど。
もし仮に今の僕がハワイに行ったとしても、そんなふうに動き回るなんて想像がつかない。多分あの時は仕事でストレスすごく溜まってて、その反動が出たんじゃないかって気がする。逆に言えば、欲求を何かで抑え込んでいたほうが行動力とか集中力って高め易いって事だよね。そういや確かに勤めを辞めた辺りで、短かった僕のアウトドア時代も終息期を迎えてるんだなぁ…。
そしてまた長い「超インドア時代」に戻り…。ただ以前とまったく同じではなくて、京都で新しい友人達と出逢い、キャンプをするようになり、メキシコに一人で行ったりしてる。その間も僕の腕にはベビーGがあり、どんどん日に晒されていたって訳だ。うーん、感慨無量じゃん。
だけど基本的に僕は物に思い出を込めたりはしないのね、結果的に捨てないで残ってる物を見て過去を思い出す事はあるけど。思い出のために取っておく事はしない、だって物は所詮ただのモノだから。つまりこのベビーGだって使えなくなりゃあ捨てるだろうけど、これの替わりに腕に付ける物となると簡単に見つからないんじゃないかなあ。
ま、携帯を持つようになってから腕時計の必要性って感じなくなってきたからねー。ただ携帯もかなり調子悪い時があってさ、でもこれも機種変更したくないんだわ。二つ折り型には抵抗あるし、この色味も気に入ってるから。
本当、携帯もパソコンみたくカスタマイズ出来たら良いのに!
平成16年4月30日
追記
えー、非常に長く人気のある記事のようで・・・。
おそらく皆さん、ご自身のGショックに関して。何か役に立つ情報を求めてらっしゃるのではないかと思ったりするのですが。
この、あんまり役には立ちそうにない記事をチェックしていただく方に申し訳ないような気もしたりして・・・。
で、その後のGショックに関する話を少々。
結局、某デパートの修理コーナーを通じてカシオに交換パーツを探してもらったのです。
しかし時遅く、もはや在庫は残っていないとの事でした。
ああいう、ビニールとプラスチックの合いの子のような素材は経年劣化するものです。
黄ばみは当然だと思うのですが、硬化はしても欠損までは予想外でした。
僕が甘かったですねー、想像力の欠如+メンテナンス不足は認めますが・・・モゴモゴ。
因みに現在使用しているG−ZXというモデル。
照明が暗くなってきたので、近くの時計屋さんで電池交換を頼んだのです。
その場で対応してくれたのは良かったのですけど・・・表示板の内側が曇るようになってしまいました!
まぁ専門の店ではなかったんですけどねー、まさか防水の時計のパッキンを無視するとは思ってもいなくて・・・。
で、某デパートの修理コーナーに持って行ったのでした(ベイビーGの件も、その時に確認してもらいました)。
結露による外装交換+パッキン修理+電池再交換・・・と、高い出費になってしまいました。
たかが電池、されど面倒がらずカシオに出しましょう。
僕の場合、1週間ぐらいで戻ってきましたよ。
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