というのも「材料に芯の部分を使う」ってんで、作り置きをするたび丸ごと買ってくるんだから気前が良いやね。能書き通り(ムダ毛が生えなくなる!)かは定かじゃないが、彼女がその代物に凝っている間は恩恵に浴する事ができそう。
まぁ果物全般ストライクゾーンの僕としては棚ボタな展開だ。大体、こんなにパイナップルを食ってる日々なんて人生でも滅多にないね。前世がハワイイ人なら(?)別だろうけど…。なーんて言ったら生まれ変わりを信じてるみたいかな。
でも輪廻転生ってのは、信じるも何も万物流転の道理だよなぁ。ただ、細胞の塊に生命を宿す(見えないチカラ)ってのは、固定された人格みたく単純なモンじゃないでしょ。もっとさ、空気の中に散らばり漂っている何かの集合? じゃないのかな。
だってさ、楽しくないんだよー。たとえば偶然の出逢いとか直感めいたひらめきを「前世の縁です」って言われてもなぁ、それじゃ「決められた運命は変えられません」ってのと大差ないじゃんか。 ま、そんなに小難しく考える事でもないか。
見知らぬ土地に懐かしさを覚える、いわゆる既視感覚ってのもそれかな? としたら、むしろ(きっと前世で良い思い出が沢山あったのねー)って悪い気はしない。けど大抵の眺めって、どっかで見覚えあるもんだよねぇ。そういうのってTVの見過ぎかなぁ、ハバナ旧市街でも感動とかなくて普通にウロウロしてたし。
しかし色々な人が、色々な所に出掛けてゆくね。北極圏でオーロラ見たとか、アフリカ大陸を回ってきたとか、そんな冒険じみたツアーも出来る時代なんだ。僕らが旅に出る理由、それは人それぞれなんだなって思うよ。つくづく。
だって僕は未開と呼べそうな土地も、先進的な町並みにも心躍らないからなー。やっぱ僕の楽園は南国で、しかも山岳地よりは海沿いか島だわ。もちろん、そこに人の営みがあるってのも大事だけど。
そう思えば、自分が知ってる海外って割と共通してる。台湾、メキシコ、キューバ、ハワイイ、グアム…これって前世的な嗅覚だったりして?
しかし韓国だけは例外だな、まぁ渡航回数では一番多いけど修学旅行と仕事の出張だから。
ソウルの中心街がほとんどで、蒸し暑い夏と厳寒の冬しか記憶にない。それでも、場末の古い家並みに迷い込んだ時は前世かと思った。何というか、アジアのギリシャ? 人気のない入り組んだ裏路地は、知らないのに堪らなく懐かしい感じで。妙に胸が鳴って、怖いんだけど帰りたくない気持ちだった。
外国から届く便り、これも良いもんだよね。洒落たポストカードも好きだけど、売れずに埃を被ってたような間抜けなのが最高。五大陸の様々なカードをさ(南極はないけど)、部屋の箪笥に貼り付けて眺めてんだ。そして、ふと気付くの。
減ったなぁー、って。
すっかり手紙も書かなくなって、用件はメールで済ませてるもんな。ただ、手書きとはどうも勝手が違ってんだよね。特に長文になると、スクロールしても内容を俯瞰できなくなるし。それとは別に、便せんなりカードを買い込んだり選んだりするってのも、メールじゃできない楽しみで。
絵葉書屋さんってさ、妙に心をワクワクさせると思わない? 夢のある仕事だなって思ったりするけど、需要も減ってるのに生計立てられてるのか気になったりもする。池澤○樹氏の小説に「絵葉書用の写真を撮って旅をしてる、雇われ写真家」が登場するんだけど、そんな人生も良さそうだなぁ。
そういえば、オンサンデーズで原爆だか水爆のポストカードを売ってたの。買わずにはいられなかった、あれこそ(狂気の美!)ってヤツだ。海面に立ちのぼるキノコ雲、禍々しいのに目が離せなくなる。畏怖という、一種の神々しさに。
…というフリで「もうすぐ終戦記念日〜」なんてオチ、そりゃないわな。
平成16年7月22日
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