巷間を騒がす話題が、非常に身近な危機だった時代とは違う。だけど、ひょっとしたら身近さの範囲が、自分が感じてるより拡大してるのかもしれないなぁ。世界情勢が及ぼす経済的な影響なーんて意味じゃなく「すべては象徴として現れてる予兆だ」として眺めると、この身に迫り来る警告としては相当深刻な気がしてくる昨今。
世界では色々な事が起こってる、というか主に人同士が争ってる。それを知って思うのは(人間って、心は進歩しないんだよなー)って事。大抵が過去の不満に起因して(あるいは口実にして)てさ、あらゆる文明的な進歩は争いに勝つため生まれたといっても過言ではないくらいだもんなぁ…。
俗に「9・11」と称される事故か事件があって、勧善懲悪の人と反戦の人が日本じゅうで盛り上がってた頃。コンビニで買い物したら、店員の態度が微妙に刺々しかった事があるのね。その実直そうな青年の目が政治的意図を語ってたんだよ、思い違いでなく誰が見ても明らかに分かるように。こっちがL‐2B(薄手のMA‐1)着てっからってさぁ、アーミー色してたら戦争っていう短絡さかよ…。坊主と袈裟を同じレベルで憎まんでくれ。
その正義に燃える若さは仕方ない、身の回りに戦争の恩恵を被っていない事柄を捜すほうが難しいんだから。つまり僕らの足元は負け犬の血で濡れてるのに、目の前の脅威だけしか見えてないんだな。誰の日常も、勝ち残るために編み出された技術にまみれてる。そんな事を矛盾に思ってる人間が、彼に何を言えただろう?
イージー・ターゲットに気を取られがちだけど、問題の根っこは分かりやすい物の中にはないんじゃないかって気がするよ。それは例えば少年凶悪犯罪なら、あの宮崎勤事件の時にそう思ったんだけどね。犯人を糾弾したりオタク文化が犯罪の温床だと見なしたり、毎回その繰り返しで同様の事件は根が深くなる一方に思えるんだよ。オウム真理教の件でも、背景にある社会を探ろうとする論者を「教祖擁護だ」と論壇から引きずり下ろしたりしてさ。
確かに「被害者の立場になって考える」と言うのは間違いじゃないよ、ただ何もかも感情的に流されてる感じも危なっかしいんだよなー。だって「弱者」って言葉は最強じゃん、圧倒的優位に立ちたい時に使われたら敵わないもん。そして弱者の味方は善意を持ってるし、善意も割と最強に厄介だからね。良かれと思っている人の態度や言葉って、時に他者を容赦なく刺すから。
ところで「テロは悪だ」という断定表現は、今や常識なのかねぇ。この「テロは悪だ」ってのと「戦争反対」って、なんだか近い匂いがしません? そう言われて何の疑念もなく(当然だ)って思ってる人、やっぱり多いのかなぁ…。てなこと口走ってて要らぬ誤解を招かぬ為にも「私は、あらゆる人殺しに同意しない」と明言しときます。それから「どんな大義名分にも加担しない」というのも明確にしとこうか。
もちろん悲観はしたくないのよ。小さな声で語られる小さな取り組みが、次の世代を変えてゆくんだと信じてる。それはまだ滅多に聞こえてこないけど、僕は小さなエールを送るのです。それがメディアに騒がれないように、着実に根を延ばしてゆけるようにと。
大声で語られる言葉に沈黙するしかない昨今、僕に返せる言葉は少ないのです。
平成16年9月2日
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