エレキベースを、半永久的に預かった。といっても、あるベース弾きから「もう弾かないが手放すのは惜しい品だから、是非とも弾いてやってほしい」と頼まれたのだ。決して阿漕な理由じゃない。
さすがにクラシックの楽器とは桁が違うにしろ、ウン十万円の特注品だ。今まで自分が所有したベースに比べれば5〜10倍もする…というか演奏歴20年強で2〜3万の楽器しか知らないんだから、技術的に大した事ないのは想像に難くない筈。それでも託されてしまうのだから、文字通り有り難い話だよなー。
確かに素材や加工の違いもあるだろう、しかしやっぱ弾き易さが段違いに良いのね。格好つけて言えば「潜在的プレイアビリティを引き出してくれる」という訳だ、そいつが真の実力って奴なのかは置いといて。
んで改めて、14の時に中古で1万2千円したベースを弾いてみた。これが頑張っても悲しいまでに情けない音しか出ない…。こりゃもう「サヨナラ昔の自分!」って位の気持ちになっちゃうよ、まぁ安物なりに個性があるんで大事にするけどさ(改造してるし)。
ところで僕はギターも弾くし、中学時代は管楽器も吹いていた。だけど音楽をベースラインで聴いてしまうのは、ベース弾きの習性かもしれない。他の楽器を演奏する人も似たような癖があるのかな? でもピアノやギターはメロディに対して和音的な弾き方が多くなるし、案外そうでもないのかもな。
和音楽器と違って、ベースが一度に鳴らすのは一つの音だけだ。そこがベースの裏メロ的な面白さで、かなり好き勝手に色合いを添える事が出来る。といっても仮に和音から外れた音を混ぜ込むには、曲の階調を踏まえてないと台なしにする危険があるけど。
そしてベースは、ドラムと一緒に「リズム隊」なんて呼ばれたりするような役割もあるのね。つまり打楽器的なポジションで、リズムに抑揚を付けるのもベースの隠し味な訳よ。そうやって和音とリズムを調整する(どの音をどのタイミングで鳴らすのか)という案配の、さじ加減次第で同じ曲でも印象が違ってしまう。
予定調和に外しを加え、一発で全体のニュアンスを変える…。案外、ベース弾きからプロデューサーになる人が多いのも分かる気がするね。バンドとして外から見ると、派手さでアピールする面はないに等しいから(パシリの立ち位置)に見えるかもしんないけど。
ベースを始めるのは簡単だ、単調に音を鳴らしていても格好がつく。段々と手数が増やせるようになると、小洒落た技を並べ立てる自己満足の罠に陥ったりもする。だけどタイトなベースラインに目覚めると、そこには侘び寂とか禅に通じるような減数美的境地が待っているんだな。そして最初に覚えた単調かつダサいフレーズが(これを思いついた奴ぁ凄いな!)なーんて感じたりして。
ただ、いかんせん僕にはリズム感が欠けているようだ。プレイするのが楽しくて堪らない時は大抵ズレてるし、リズムに対して正確に弾こうとすると疲れてしまう。そこで基礎練習だ!…といきたいが、それをしない僕は気持ちの良さを優先して弾いている。別に巧くならなくても、それも味だという事で。
ベースって自由で楽しいなぁ、そう思わない?
平成16年11月3日
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