仕上げの粗さは相変わらずの事、何をやっても作り込みが甘いのが身上なので。絵にしても縫い物にしても、どこか(オレがチョチョイとやってみた)という感じを残したくてね。
しかし、それにしても(こんな曲がホイホイとまぁよく出てきてたものだ)と我ながら感心したわ。今の自分には、こんなに次から次へと色々な着想が浮かんでこないし。あと温度差ね、こんな事やる熱があった自分もいたのかーって。
大体は、詞のノート見ながらギター片手に鼻歌で作ってるのね。でも一時期はDR−5という、ギタリスト向けに作られた安価なシーケンサーみたいな機械に音を打ち込んでいたんだよ。そいつ一台で、スコアが起こせなくてもオーケストラっぽい曲だって作ろうと思えば出来ちまうてんだから利口な機械だ。僕的には名機と思うが後継機種も出ずに、今じゃ中古の相場は1万円台ってとこか。
それはともかく、僕は(作曲なんて誰だって出来る)と思っている訳。みんな思い付きみたく鼻歌が出てくる時ってあるじゃん? それを形にしようって気がないか、手段を知らないだけなんだろうって。
僕の場合は始めに、心に浮かんだ音のタマゴをギターを使って現実の音階に置き換える。ついでに時間と情熱次第で、それにリズムを付けたり楽器毎に音を振り分けたりして録音してゆくのね。
唄を作る時は先に詞があって、コードが決まると同時にメロディが浮かんでくる事が多いなぁ。それから色々なリズムを試していく過程で、ベースラインの骨組みができる。やってるうちにベースラインが変わってゆくのは珍しくないし、いきなりフレーズが生まれる事もあるけど。
まぁつまり内側から外側に音を変換する媒体はギターなんだけど、替わりにDR−5を使うとギターと違った感じの曲に仕上がるから面白い。どう違うかっていうと、ピアノで作った曲みたいな気がするんだよね。
音楽って、大半がギターかピアノで生まれてくるように思う。というか、作曲者がギター弾きかピアノ弾きかって見当がつく場合が多いのよ。
ギターはメロディと伴奏を同時にこなすのが難しい楽器だから、どうしても唄声に対する伴奏になりがちでさ。小節毎に和音が鳴るような、印象として整然とした音のカタマリが続いてく感じなの。これがピアノ弾きの発想と大きく違うところだと思う。
ピアノ弾きは、ギターの仕事を左手だけでやっているのね。そんで空いてる右手で和音の足し引きをして、お手玉みたく両手に分散させてコード感を組み立ててる感じ。だからピアノ弾きの作る曲は、僕の耳には曖昧に流れてゆく和音で特定しにくく聞こえるの。
そう、考えてみればギター弾きの唄を聴いてると分析してるかも。どっかで無意識にコード進行を比べたり参考にして、自分の曲作りを気にしちゃってて純粋に楽しめてないような…? だからかな、案外ピアノ音楽って好きなんだ。鍵盤の響きも好きだし、ギターじゃ出来ないボイシング(和音の展開)とかも新鮮で。
ピアノは一種の神秘かもなぁー、自分が弾けないからかもしんないけど。
平成16年11月3日
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