2005年01月06日

65*風の匂い

 あだ名と名前の共通点ってさ、自分以外の誰かに付けらてしまう事だね。僕は友人から「トム」とか「アルト」とか「ジャン」とか呼ばれているけれど、未だに自分からあだ名で名乗る事には抵抗があるなぁ。
 自分の名前を自分で決めるのは悪くないアイデアだけど、そういやヘビメタ全盛期には割と初対面で「ジャッキーです」なんて名乗ってくる人がいたっけ…。やっぱ自分で付けた名前なら気恥ずかしくないのか、それとも実は内心(うわー言っちゃった!)って思ってたりしたのかな?
 気恥ずかしいといえば、作詞というのも一般的にはそういう事らしいね。作曲の話をしてたりして、よく言われるんだよなぁ。別に内面を吐露しなくたって良いのに「臭い台詞なんて書けない」とかって。
 だけど愛着かもしれないけどさ、自分の作った唄って(一番あってるのかも)って思う時があるんだ。他人の歌とか比較的に聴かなくなったし、カラオケに行きたいと思う事も減ったもん…っても自己陶酔じゃないよ! 人様に聴かせられる出来じゃなくても、自分の音楽のほうが和むって事。

 ところで最近、香水を1本捨てた。
 正確には芳香剤の替わりにしたんで、部屋に置いてるんだけど。トワレとコロンの中間だっけ? それだけ成分が濃いんだわ。買って4年ぐらい経ってるし、いかにも洋モノっぽい匂いに変わった気がしてね。
 甘い香水で、寝る時にちょこっと使うと寝付きが良かったんよ。外に出る時は別の種類と一緒に、付ける場所を分けて使ってた。たまにつける香水は気分転換の効果がある、いわば休日のリラックス用品で。
 学生の頃とか勤め人の時は、意気がったり格好付けで使ってた。それから長らく香水離れしてたんだけど、ある日ふいに(香水って良いな)って思ったんだよね。しばらくクサクサした気分が続いてて、そんな自分を変えたかったんだろう。
 ジュース1本に迷うようじゃ、動きも気持ちも小っこくなってくる。誰かから香ってきた匂いで、そんな状態に気付いたんだ。何かに気が付くって時は、すでにその枠組みから出てるんだよね。匂いが一瞬にして感覚を研いでくれた訳よ、アイスクリームのウェハースみたく。
 それで(香水にはBGMのような効果があるな)って思ってね、香水というよりCDを買うような感覚だったんだ。自分のテーマ曲というか、お気に入りのフレーズみたいなのをさ。…ま、衝動買いの言い訳ってヤツか。
 音が本当に鳴ってなくても、頭の中とか鼻唄で気分を変えたり盛り上げたりするでしょ? 浮かれた気持ちを落ち着かせたり、泣くに泣けない自分を慰めたりね。思い出の一曲、なんて大袈裟な話じゃないけどさ。でも行き詰まっていた時に、何気なく流れてた街頭の唄に背中を押してもらった事が何度かあるんだわ。
 音の力、言葉の力は偉大だね。周囲を変えようとして抗ってた、そんな自分を変えてくれる。それって自分自身で分かってたって出来ないのに、すうっと肩の力が抜けるような感じの力を与えてくれて。
 そこまでの匂いってのは、まだ知らない。でも同じような力があるって思うんだ、たとえば記憶を再現する匂いってあるじゃない? 子供の頃の、工場の臭いとか。商店街の揚げ物の、タクシーの真新しいシートの、古い病院の待合室の、スーパーカー消しゴムの…。嗅いだ瞬間、まるごと当時に戻るもんね。
 近頃、ふいに台湾の雑踏や屋台の匂いがしてさ。刹那くて恋しくなるんだ、戻れない過去じゃないのにね。だからって行けばまた、あの寂しい夜にあるのは孤独と自己嫌悪だったりするんだろうになぁ。そんなの最悪じゃんねー!
 その孤独を、今の自分が必要としてるのかなぁ…?

平成17年1月5日ku65.jpg


posted by tomsec at 17:42 | TrackBack(0) |  空想百景<61〜70> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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