2005年01月17日

66*新年と苦手の話

 今年は、今頃になって年賀状の返事を出した。昨年も自分からは出さなかったと思うが、それでも返礼がこんなに遅れはしなかった。
 実は今年だって、7日には書き終えていたのだ。しかし「寒中見舞い」と書いてしまったので、仕方なく松の内が明けるまで投函を見合わせていたというお粗末…。つまり時節を気にして、書いた返事を10日も放っておいたのだから我ながら呆れる。
 でも、そういう季節感って大事にしたいよね?…って(まーた心ない言い訳をしてるナ)なんて思われそうだなぁ。それに実際、普通のポストカードを年賀状に使っといて季節感もないか。
 これでも数年前までは毎年、気合を入れて年賀状を描いてたのだ。出す人すべてに手描きで違う絵柄を考えていたので、それこそ松の内を過ぎても仕上がらない年もあった。大晦日の夜中に描き終わって、町中の友達に配達して回った年もあったな。
 特に子供の頃は絵を描くのが好きだったし、大人になってからは絵筆のタッチを忘れないようにと思って欠かした年はなかった。つまり、それだけ僕の身内が健康だっていう証拠でもあるんだなー。そう思うと、有り難さに(初詣で行かなきゃ)って気にもなる。
 そう、今年は未だに初詣でも済ませてないの。別に一人でだって構わないんだが、何だろうな…? なんだか気の抜けたような、良く言えば執着のない心境ですかねェ。
 すれば、旧正月を今年の始まりと思って仕切り直すかな。
「あけおめ、ことよろ!」
…って、なんか例年になく見かけたよなぁ。
 その伝でいうと「昨年中はお世話になりました、本年もご厚意の程を賜りたく…」なーんてのも「さくおせ、ほんごこたま!」ですか?
 こういうのって、気が抜けてるっていうよりも間が抜けてる感じがするんだけど。だからって使いたい人に文句があるんじゃなくて、僕にとって良い語感とは思えないっていうだけの話ね。
 これと似たような感じで、外来語のひらがな表記も苦手なんだよなぁー。
 このサイトが、ある日突然「とむず・せくしょん」になっちまったら、もう更新どころか自分を出入り禁止にするね。しかもパステルカラーとかで。とかいうのも趣味の問題だから、飽くまで僕個人の感じ方としてね。

 ところで、食べ物でいうとラッキョウだけは苦手。あの臭いと歯応え、この世で他に食料がなかったら水で飲み下すしかない。クセの強い食べ物って好き嫌いが分かれるのに、ラッキョウ嫌いの人って少ないのが不思議だよなぁ。
 あと昔は、くさやも食べられなかったな。今は、むしろ旨いと思う。でも食べる機会は滅多にないけどね。
 経堂の駅前を通ると、居酒屋の軒先から強烈な臭いがしてきて(客がくさやを注文したな)って一発で分かったものだ。それも17年前の話、さすがに今じゃないだろう。たまに小田急で通過すると、高架になった駅の雰囲気からして様変わりしてるのが分かる。
 場末ムード満点のビリヤード場も、多分なくなってしまったろう。開け放した窓から吹く夏の夜風、コーラの小瓶。朝まで4つ玉をしてた、あの仕事仲間は何をしてるんだろう? くさやを初めて食べた日は、翌朝まで口臭に残ってゲンナリしたっけ…。
 あの居酒屋が今も潰れずにいたって、いつまでも夜毎に悪臭漂う商店街じゃあるまい。
 次に食べたのは、真鶴キャンプでの罰ゲームだったな。
 あれ、旨いじゃん! と思ったのは更に後の事だったが、いつどこでだったのか思い出せない。

 そういや今年も、お節料理を食べなかった。御屠蘇も飲んでないけどさ、あの組み合わせってお供えっぽいと思わない?

平成17年1月16日ku66.jpg

posted by tomsec at 02:48 | TrackBack(0) |  空想百景<61〜70> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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