はや正月も過ぎ去り、今年も(お年玉を遣る機会がなかったナ)と思う。親戚や友人の子供にも会わなかったし、上の妹の子供にはまだ早い。僕の小父さん的人生は、まだこれからだ。
僕が子供の時分は、焦れったい正月だったな。貰っても、3が日中は店が閉まってて。やっとオモチャ屋さんに行ったはいいが、欲しかった物を買うには足りなくてガッカリしたりね。そういう思い出も、最近では貴重かもしれない。正月だというのに開けている店の多いこと、有り難みがないっていうか。一年中、街の空気に変化がないのね。
買えなかった欲しい物といえば、レッドウィングのアイリッシュセッターにフライトジャケットのMA−1。アメカジ全盛期に20そこそこだった僕にとって、それは勇気が要る買い物だったんだよ。何故あの頃に買わなかったのか?…なんて後悔はしてない、時期が来れば手にするだろうからね。
もっともブーツの方は、今の僕には買えない額でもない。それでも少しためらっちゃうのは、きっとまだその時期じゃないせいなんだろう。MA−1は、ますます値上がりしちゃったから…。現行品と違って、すごくゴワゴワしていて重たいんだよねー。
ところで中学の時、なぜか周りは僕以外みんなスタジャンを着てた。その時は欲しくなかったのよ、流行への反発とか子供っぽく見えるからって。でも大人になって、ふらりと寄った店で目にした途端、当時の僕が自分自身を欺いていた事に気付いたの。自分だって着たかったのに、もっともらしい理由つけて我慢してただけだったのね。
で、僕はその店でスタジャンを買った訳。春先に売れ残ってた最後の1着で、上質で割安だった。もう冬物はしまい込む季節だったけどね、それでも僕は大いに満足で、袖を通すと中学生の自分に戻った気がしたなぁ。
大人になった自分の内側で、当時の自分が喜んでいる…そんな感じが嬉しかった。
話は変わるけど、何年か前からレトロ玩具の復刻品が目に付くようになったね。ソフビ人形とか超合金といった代物を買ってゆく人は、きっと僕にとってのスタジャンと同じ思い入れを持っているんだろう。
しかしながら、なんで台湾の地方都市にまで出回っているんだ? その手の専門店(というか、正確には日本のアニメ&特撮のフィギュア全般を扱っていた)に日本でもマイナーで古い番組の商品が置かれているのを見て、首を傾げてしまった。
ひょっとしたら台湾で何年か遅れて放映されたりして、それを懐かしいと感じる世代が多かったりするのか。でなけりゃ、それを知らない最近の世代にとっては逆に新鮮味があるのかもなぁ。
これも今じゃ昔の話になるけどさ、一時期、古いアニメ&特撮のSFが如何に有り得ないかを書いた本が売れたんだよ。要するに、怪獣とかロボットのデータを真に受けて検証する内容の。
僕も笑って読んだ側なんだけど、子供の世界に大人が干渉しちゃったような気もしないでもないなぁ。だって、そういう本が売れてから子供向け番組が不自由になっちゃった気がして。大人気ない検証に耐え得る程度には、破綻が減ってしまったような。
でなけりゃ破天荒で荒唐無稽で奇想天外な世界が不人気なのかなぁ…。とか言って実際に観た訳じゃないんだけどね。
沢山のルールや法則を意識して作られるSFより、古い作品のデタラメな世界には希望とかロマンがある気はするんだ。…なーんてさ、こういった話は何も今更なんだろう。僕が思いつく以前に、どこかできっと同じように気が付いた人がいる筈だから。
僕にとっては新しい発見でも、他の誰かは過去に経験済みだったりね。まぁ所詮は人間の発想だから、類型化できない新しい何かなどないわな。
でも、レッドウィングで始めて昔の子供番組で終わる話を書いた人はいないんじゃないかな?
…いたりして。
平成17年2月3日
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