2005年03月03日

71*それは理解

 これは「飛蚊症」という奴なのか、時々、小さな埃みたいな影が目の前を横切るのよ。見た感じ、どうやら眼球の裏側にある血管が映り込んでいるみたい。焦点を合わそうとすると逃げてくから、じっと見るのもコツが要るんだけど。
 この(見ないように見る)という物の見方は3D写真に似てるな、あれって交差法だか平行法だか色々あるそうだね。
 ぼんやり見ていると分かるのに、目を凝らすと見失ってしまう。それって何かを思いついた時にも時々あるなぁ。すんごいナイスなアイデアをひらめいて、それを具体的に考え始めると途端に消えちゃうの。
 曖昧なものは視界の外にある…ってか?

 ところで、この宇宙の成り立ちを分化論的に捉えると「クール=冴えてる」って言い回しは絶妙だね。ビッグバンの超高温高圧という状態の塊から冷えてゆく過程で、様々な元素が分かれ出て星になり、更に多種多様な物質へと枝分かれしていった…。
 人の心が、カッとなると全部が一緒くたになるっていう、その逆の仕組みだよね。分かるというのはクールな状態で、言葉というのは切り離す道具なんだ。「アレ」を共有するために、あるいは所有するために「コレ」と違う呼び方をするように。
 ちょっと前、巷では「右脳が偉い」みたく言われてたでしょ。しかしヘソ曲がりは(そうかぁ?)と、ハスに構えてしまうのね。別に右脳は右脳、それ以上でも以下でもない。

 昔読んだ「(スペース)コブラ」というマンガで、視覚と聴覚を入れ替えられてしまう場面があった。…と、いきなり何のコトやら意味不明な話で失敬!
 主人公が、悪役の魔術みたいなのに苦戦するのだ。耳から聞こえる物音や声が図形と色になり、目で見ている筈の物体が様々な音に変換されてしまう…。20年も昔にしては凄い発想だよね、今でも時々ふと思い出してしまう時がある。
 たとえば「脳は脳を知る事ができない」っていう言葉を聞いた時も。

 インターネット上のリンクと検索の機能って、僕が以前にイメージしてた脳内の構造と似てるのね。それは「考え」というのが(頭の中に散らばった情報を、検索条件で呼び出した組み合わせ)じゃないかって思ってたのよ。
 つまり大きな塊としてではなく、小さな記憶が一時的に集合した状態ね。で、検索の号令に呼応する小見出しというか合言葉みたいなのは、いわば招集領域でスタンバってる訳さ。視覚寄りの人間ならアイコンのように、聴覚寄りな人はフレーズみたいな感じで。
 その下に、個人の経験則からリンクの網が関連づけされてるの。つまり、誰かの気持ちとシンクロしても、至るまでの過程は同じ筈がないっていう事。同じ空を見ても同じには記憶されないし(関連付けや比較の仕方が違うから)、同じ歌を聴いても脳の処理は違う流れを辿るって。
 もちろん、そういう僕の想像通りに脳みその仕組みが出来てるって話じゃないよ。でも面白いと思わない? 同じ時間と空間にあっても、君と僕とは孤立した存在だ。共通のルールが、共通の認識で流通している訳じゃない。誰もが、目の前にいる誰とも重なり合わない。
 そんな僕や貴方だけで閉じている回路が、異なる他者を理解する事。その拡がり。まず個であるという認識があり、だからこそ面白がれるのだろうけど。

 しかし、そもそも「考える」という言葉を作った人は、一体どのように物事を理解していたんだろう? あるとき、僕は自分が常日頃「考える」ではなく「考え事をする」ばかりだったという事に気が付いたのね。僕は頭の中で自分の意見をまとめたり組み立てたりしていなかった…と。
 僕の場合、誰かと話すか書くかしないと考えられないのね。誰かに伝えようと言語化して、それを見聞きした時に初めて何かを理解しているんだ。喋ったり書いたりする瞬間まで思いも付かなかった言葉が勝手に飛び出してきて、それが僕を新しい理解へと押し上げてくれるのよ。
 心理学では、人は思考を視覚、聴覚あるいは他の感覚として保存しているものらしい。そして僕の場合は聴覚の比率が高いようで、伝える相手が目の前にいるほうが「クール」になる気がする。

 持論(つまりそれが結論でもある)を他人に押し付ける為に、他人の論理をつまずかせて持論を勝利に導く。それは話し合いとは言えないよね、予定調和のための段取りというか。分からない事柄を分かる事にもならない。
 自分で何が分からないのかを見つけだし、自力でそこを埋めてこそ「分かる」のであって、他の人の意見に誘導されるものであっては意味がないもんね。それじゃあ「分かった事にする」でしかないし。
 そして僕がすでに「分かっている」と思い込んでいる大半は、そのようにして自分自身の心に根付いていない「分かったような」曖昧さの積み重ねで出来ているんだなぁ。

 信じる事は簡単だ、しかし疑う事はもっと容易に出来る(盲信するのは別として)。疑う事と賛同しない事は、大したリスクを負わない、という点で似ているよね。
 どうして世の中は、信じないほうがリスクが小さく出来ているんだろう?

平成17年3月3日
ku71.JPG



posted by tomsec at 23:13 | TrackBack(0) | 空想百景(ALL) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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