2005年04月26日

77*祝祭の日

 たとえば「スポーツ観戦が趣味」って聞くと、なんとなく(男の子っぽいな)って思うんだよね。でも実際それを趣味に挙げる人って聞かないけど、割と男性一般に共通してると思う。よく夕刊紙を買ってたり、毎晩その手のTV番組を見てたり。
 僕は全般的に興味ないので、よく初対面で(無難にスポーツの話題でも)なんて切り出す相手をシラケさせてしまうんだなー。話に合わせて相槌ぐらいは打つけど、自前のネタがないから間が持たないのね。
 でも小さい頃は父親に連れられて、神宮や後楽園球場でナイター観戦に行ってたんだよ。だからスポーツ観戦の雰囲気は嫌いじゃないんだ、Jリーグ・ブームの時期も何度か行ったし、会社帰りに東京ドームでWデート…なんてのも楽しかったもんなぁ。
 別にルールとか何勝してるかなんて知らなくても、スタジアムのLIVEな感じだけで盛り上がるんだよね。ただTVの前に座って中継を見る気はしないのよ、しかも何でもかんでもダイジェストで結果だけ見ても。

 第一印象で、僕は一見(お祭り野郎)みたく思われがちでさ。見た目だけは体育会系で、しかも口調が割と下町言葉なもんだから仕方ないんだけど。だが実は正反対、室内の一人遊びが大好き野郎なのだ。
 でもさ、人ってのは、相手が自分の受けた印象通りだと安心するんだよね。だから時々、ちょっと仲良くなってから(あ、こいつ見かけ倒し…?)って顔をされる事もある。
 それでって訳じゃないんだけど、たまに「外見そのままキャラ」を演じてるような自分がいるの。無理してなくても自然と(絵に描いたような江戸っ子)になっちゃってたりして。
 まぁ自分としては「ふたご座AB型とか特有の二面性」なんて程でもなくて、なんか引き出されるままの受け答えしてるだけってつもり…なんだけどね。特に仕事や何かで、別に友達付き合いするとか腹を割るような間柄にならない場合なんかに。
 もしかしたら、初めは意図的に演じてたのかな。でも今は気が付かないうちに切り替わるんで、そのテンション上がる感じを内心では(ここまでやったら落語の熊さん八っつぁんだな〜)とか思ったりして、結構楽しんでる部分もあるんだよ。
 ところで、実は祭りが大の苦手でさ。何が厭かって、あの人込みね。とにかく大勢がギューギュー詰まってる状態はダメ、気が立ってきちゃうんだわ。特に大きな祭りになると、町じゅうピリピリしたオーラが充満してくるよね。…ま、好きな人は「そこが堪らない」んだろうけど。
 とはいえ、過密してると誰だって一種の興奮状態に陥っちゃうでしょ? 満員電車なんかでも、殺気立って寛容な気持ちじゃいられなくなるじゃん。そこへもってきて、祝祭の非日常な場だからねー。
 集団社会における祝祭儀礼は、どの世界でも「日常のルールからの解放」といった側面があるよね。それが祭りの本質だとしても(もはや現代の日本で「ハレとケ」なんて曖昧なのにねぇ)って思っちゃう。冷静な人間性が失われる、というか無礼講じみてくるのが許せなくなるんだよ…ってなるのもまた、祭りの空気に影響されてる?

 祝祭儀礼というと、とあるイベント的なキャンプの事を思い出すんだ。枯れ枝を集めて火を起こしたり、真夜中の山中を明かりなしで歩いたり、一言でいえばエコ・キャンプ(?)。
 そこで、自分で鶏を絞めて食材にしたの。もちろん強制じゃなく、希望者だけね。敢えて僕は、選んだ鶏を日中ずっと可愛がってから殺したんだ。食べるという行為の裏にある、その経験を忘れないために。慣れてないし平気で出来る事じゃなくて、いざとなったら自分でも(ちょっと異常だな)って分かる精神状態になったよ。
「〇獄の黙示録」という映画のクライマックスで、原住民の祭りで牛の首を一刀両断するシーンがあるんだ。僕はもう、その祭りの真っ只中の気分で。鶏を絞めて血抜きして腑分けする間、祝祭の狂乱状態に自分を隔離してなければ耐えられなかったんだろうな。
 祭りって単なる日常の憂さ晴らしじゃなく、そういう厳粛さにも意味がある気がするんだよ。

平成17年4月14日
ku77.JPG

posted by tomsec at 21:28 | TrackBack(0) |  空想百景<71〜80> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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