2005年05月20日
80*Womanity
「Womanity」というのは、自作曲に付けた僕の造語なの。読んで字のごとく、ウーマン+ヒューマニティって意味ね。
演奏時間10分のインスト曲で、未だに(これ以上の曲は作れない)って気がしてる。少なくとも、打ち込みではね。もう何年も前に作ったんだけど、以降は同じような打ち込み作業で曲は作ってないもんなぁ。
やっぱり、満足しちゃった時点で終わりなんだろう。言い換えるなら、創作意欲というか(まだ表現し切れてない)っていう渇きのような部分が充たされちゃったんだね。唄モノに関しては、まだそこまで達してないけれど。
それはともかく。女性性、というか広く一般に女性的とされるエネルギーについて。
もう何十年も昔に発表された筒井〇隆の小説で「主人公の女性が、神様から引き継ぎを任される」というような話があったのね。(それからというもの、世界は女性化し始めている…)といったオチでさ。さすがにウーマン・リブ運動よりは後に発表された作品ではあるけれどね、時たま思い出すんだよ。
ニュー・エイジではアクエリアン革命とか、宗教では民間のマリア信仰、それに巷の癒しブームね。環境ホルモンでのメス化、電磁波の影響で男の子が生まれにくくなる…等々。この10年余りで見聞きした話題は、ますます世界が女性化してきてる感じで。
それに「〜に優しい」なんてフレーズもそうだし、最近ではヒステリックなまでに感情的な事件報道とかもね。
ひどく男性的だった、古い価値観からの揺り戻しが起きているのかもなぁ。たとえば解き放たれた女性的なエネルギーが、その勢いで歪んだ形に突出して不協和音を生んでいるんじゃないかって気がするのよ。
だって愛は地球を救わないし、弱者救済というのも両刃の剣じゃない?…なぁーんて大きな声じゃあ言えないけどさ、そういう誰にも反論できない正論を振りかざすのもまた暴力的な匂いが感じられてね。
こんな言い方だと、まるで環境保護や福祉拡充に反対してるみたいだけど。そうじゃなくて、なんというか、バランスの問題だと思うのよ。男尊女卑から下克上なんて方向じゃないじゃん、やっぱ調和でしょ? そんで、今は過渡期的な状況なのかなって。
ところで、よく「大和撫子」と形容される(古き良き女性の理想像)ってのは、明治〜大正時代の西洋思想をもてはやす風潮から生まれた一種の輸入品だという説があるらしいのね。詳しくは知らないけど。
つまり、近代に作られた「女性かくあるべし」といった幻想が、いつのまにか歴史認識っぽくすり替えられてしまって現代に至る…と。
ちょっと面白いよね、僕らが(というより、僕らにとってのウルサ方が)抱いている民族的オリジナリティの一部が虚構に基づいていたって思うと。
実際、江戸庶民は男女の身なりが逆転したような、優男と威勢の良い女が流行ったとか(これも詳しくないけれど)。
まぁこれは勝手な想像で言うんだけどさー。男性優位社会ってのは、人類の長い歴史の中で西欧文明に偶然できた一瞬の産物じゃなかったのかなって。「もののけ姫」に出てくるタタラ場の女衆みたいにね、どんな民族社会でも女性が担う役割って小さくはなかった気がするんだよなぁ。
だって男性の寿命は短いし、案外ストレスに弱いしさ。女性を抑圧してたというより、それぐらい手加減してもらってやっと男女エネルギーのバランスが取れてただけかもよ?
余談ながら、僕は田嶋センセイって割と嫌いじゃないんだよな。この頃お見かけしないけど。
平成17年5月19日
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