2005年05月27日

メキシコ旅情【旅路編・5 カーサ・ブランカ】

 この白いワーゲン、エドベンには申し訳ないが思わず笑ってしまった。そして背筋が、ちょっと冷たくなった。カーステレオもエアコンもない、それどころか内張りすら無いという極め付きのシンプルさ。シブ過ぎ。というか、窓の開閉レバーもなくて床の鉄板に穴が開いてるんだけど?
 ともかく2人は意にに介さず普通に乗ってるし、僕も(ここで乗らなきゃ一生乗れないぜ、こんな車)と思い直した。ま、どっちにしろ乗るしかないんだけど。
 これはエドベンのパパの車で、エドベン自身の車はまだ部品が揃っていないのだそうだ。どうやら給料日毎にパーツを買い集め、こつこつ組み上げている途中らしい。って、プラモかよっ! とツッコミ入れたくなるけれど、これに乗ってりゃあ納得するしかないよな。
 機能本位と言えなくもないが、これをアクセル全開で走らせるとは恐れ入る。僕を怖がらせる冗談ではなく、本当にこれで彼の家に向かうのだと言われて一気に熱が引いた。洒落なんかじゃなくて、マジに風圧で車体バラバラになりそうだ。最初は硬直していた僕も、じきにアドレナリン出過ぎて気持ち良くなってきた。
 ワーゲン・ビートルという車は、地を這うような乗り心地がするものだ。そして、ちっとも速くないくせにやかましい。エドベンパパの白い車は、それにもまして「頑張れー」と祈りたくなるほどの揺れと騒音で走るのだった。老いぼれた野良犬のようで、かわいい。
 何車線もある真っ直ぐな道を飛ばしていると、路肩の森が途切れて海が見えた。窓を全開にしているので、後部座席にいると前の2人の声が風にかき消されて何がなにやら。なんとか聞き取ろうとして気を取られているうちに、いつの間にか窓の景色は静かな住宅街に変わっていた。
 スピードを落とし、細い路地に入る。湾曲するアスファルトの両側にサンタ・フェ調の家々が並んでいて、いかにもメキシコらしくなってきた。やがて白い建物が見えてきて、突然トニーが「カサブランカ」と僕に言った。カーサは家でブランカは白、つまりホワイト・ハウスがエドベンの家だったのだ。
 僕らを車から降ろすと、エドベンは鉄格子を開いてガレージに車を停めた。

 一階の正面は、重々しい黒い鉄格子で覆われている。ガレージ奥の右側に重厚な木の扉があり、僕はエドベンの後から入った。そこは玄関も何もなく、いきなりリビングとダイニングを併せたような部屋になっていた。暗くて様子が判らなかったけれど、むしろ表の日差しが強すぎたのだ。トンネル効果って奴だ。すぐに目が慣れて、そこにいたエドベンのママとお姉さんに紹介された。
「ブエノス・タルデス、メ・ジャモ・モト、ハポネス、ミ・アミーゴ、エドベン、トニー……」
 訳さなくても想像つくと思うけど、僕はたどたどしいスペイン語で自己紹介をした。
 冷や汗ものである。もっと練習しておくんだった、と今ごろ悔やんでも仕方ない。ともかく気持ちは通じたらしく、ママは顔いっぱいの笑顔で応えてくれた。ふたりに通訳してもらうと、彼女は「トニーよりもスペイン語の発音が上手だね」とほめてくれたようだ。
 そんな筈がない、彼は7月頃から来て家庭教師を雇っているのに。でもトニーが言うには、スペイン語の発音は英語よりも日本語に近いそうだ。ともかく、気に入ってもらえたなら嬉しい。
 あいさつを済ませると、トニーは僕を部屋へ案内してくれた。ガレージ左側にあるコンクリートの階段を上ると子犬が二匹、転がるように駆け降りてゆく。トーティはエドベン家の犬でミニチュア・ダックス、黒いムクムクした犬はティキーだ。
 意外なことに二階は吹きさらしで、そこに独立して幾つかの部屋が建っているという、不思議な造りになっていた。う〜ん、さすが異国の発想は違う。ガレージの真上と階段の正面に一棟づつ、正面がトニーの部屋だった。入口は右手にあり、回り込んだら右端から屋上への階段があった。奥にもまだ部屋があり、人に貸しているらしい。
「モト、足元に注意しろよ!」
 急に言われてびっくりした。ドアの前に足跡付きのウンチがあって、間一髪で避ける。3匹目の犬、ヨーディの仕業らしい。なぜか必ずこの位置に残していくレガーロ[お土産]らしい。今回は運が良かった、今日から僕はこの部屋に居候するのだ。気を付けよう…。
posted by tomsec at 15:40 | TrackBack(0) | メキシコ旅情2【旅路編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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