僕は、あんまり飛行機に乗った経験がない。搭乗ゲートの先は、そのまま真っすぐ機内に通じているものと思い込んでいた。しかしノーズの先は階段になっていて、降りたところは滑走路の端っこ……はて?
ダクトの熱風と、穏やかな風が混じりあって吹き抜けていく。思案に暮れていると、でっぷりとした風体の白人のおじさんが、僕のあとを付いて階段を降りてきてしまった。まずいなぁ、どうしよう? ところがおじさんは僕に目もくれず、足早に前方のマイクロバスに向かっていく。僕も後に従って乗り込むと、バスは滑走路の見上げるようなジャンボ・ジェットの下を走り抜けてゆく。
バスが停まったのは、拍子抜けするくらい小さな飛行機の前だった。滑走路からタラップをくっつけて、しかもジャンボ以外に乗るなんて初体験の二乗だ。不安げに搭乗券を差し出して見せると、制服の男は黙って頷いた。
小さな飛行機は、鳥のように軽やかに舞い上がってゆく。古いアメリカのドラマ「ダラス」のオープニングよろしく、ハイウェイの立体交差が四つ葉のクローバーに見える。本当ならここでナレーションが入るところだが、視界はぐいぐい上昇を続けて二層目の雲を突き抜けた。大都市が、冷気に包まれた集積回路に見える。コンデンサーが見えなくなると、白い水玉が鮮やかに映える緑の大地が拡がった。ぽっかり浮かぶ雲を見下ろし、やっぱり窓際の席はいいなぁーと思う。
窓の外を眺めてる人って、最初の飛行機でも僕ぐらいしかいなかった。せいぜい離陸までだ、あとは着陸まで見向きもしない。地上を見下ろすと、なんだか天国にいる気持ちになる。更に高度が上がり、三段目の雲の天井が迫ってきた。突き抜けるとそこは―。
神の国だ!
深いインディゴの空、思いもよらない雲海の造形美に圧倒される。彼方には壮大な雲の柱、あれはハリケーンの横顔だろうか? やがて一面の海になり、ビロードに残った海流と航路の模様に見とれていた。夢中になって窓の外を眺めていると、島が見えてきた。と思ったら、僅かに陸とつながっている……。カンクンだ!
飛行機は大きく弧を描きながら、ゆっくりと着陸体制に入った。
青緑の海面下に透けるサンゴ礁と、地平線いっぱいまで敷き詰められた濃い緑。なんて美しい、虹のような楽園だ。映画やTVなんかじゃ味わえない、肉眼で直に感じる色彩の調和だ。しあわせな気分に、僕は感激して声も出なかった。これが大袈裟だと思うなら、実際に経験してもらいたい。
カンクン空港はシンプルで小綺麗な造りだった。無機質な税関を出ると、徐々に南国メキシコの空気に変わり始めた。行き交う人や色あざやかな売店には開放的な気配が漂っていて、まるで長旅を終えたような心持ちになってしまう。到着ロビーで出迎える人々の中にトニーがいた。
先に僕を見つけて手を振っている、彼の隣では長身のエドベンが穏やかに微笑んでいた。かつて一緒に遊んだ頃と変わらない、ひとなつっこい笑顔だ。彼の手が、僕の肩をバシバシと叩いた。
「ハロー、モト!」そのひとなつっこい笑顔を見上げて、
「オーラ!」僕も笑った。
空港の外は真昼の日差しを照り返し、僕は目を細めて歩く。サングラス越しでさえ、なにもかもが白っぽく発光して見える。その熱は、オーブン・レンジに突っ込まれたようだ! 着いて早々、熱帯の手荒い出迎えかよ。日本の夏とは根っこから違う。
風はなかったが、空気が乾いているせいか爽やかに感じられる。それでも慣れないせいなのか、やけに息が詰まって苦しい。気温差が関係しているのだろう、サウナ風呂に入った時の呼吸困難に似た空気圧だ。それとも酸素が濃いのか?
エドベンが、駐車場から車を回してきた。
2005年05月27日
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