2005年05月27日

メキシコ旅情【純情編・8 スペール・メルカド】

 両替したのでスーパー・マーケットに向かう。人通りも、行き交う車も増えてきた。
 信号機も多く見かけるようになり、ちょっと変わった横断歩道が目に付くようになってきた。それは歩道の高さに合わせてあって、車道から見ればスロープ状の盛り上がりに遮られているのだ。信号は無いけれど、歩行者が渡ろうとするだけで必ず停まる。というか、強引に突っ切ろうとする車は宙に浮くだろうな。
 しかし誰かが渡り始めると反対車線もキッチリ停まる、そんな律儀な光景は日本にいても滅多に見られない。あの決死のJウォークを思い返すと変な気分だが、車道は車で横断歩道は歩行者という義務と権利は分かりやすい。それがルールってもんだ。

 スペール・メルカド[スーパー・マーケット]は銭湯みたいに天井が高く、広々した感じが良い。とはいえ、どうしてこんなに高くしたのかね? もう一フロア、こしらえようとしないのが却って不思議。あるいは非アジア的。
 とりあえず、日用雑貨とお菓子を買う。例のウソくさいコインが使えて胸を撫で下ろす間もなく、僕が買ったばかりの品物を袋に入れる少女が…。おいおいっ! 慌てて袋ごと奪い返すと、トニーが背中越しに僕を呼び止めて言った。
「チップ、チップ!」
 ん? なんだ、そういうコトだったのか。僕は5センタボ硬貨を出して、少女の手のひらに乗せた。百分の五ペソだ。制服の少女は、小さい声で「グラシアス」と言った。僕は彼女に「勘違いして、ごめんよ」と謝りたかったのだが、そんな上等な会話など出来るはずがない。同じ言葉を返すのが精一杯だった。
「アメリカの子供たちは家の手伝いとか庭の芝刈りをするけれど、ここではあんなふうにして小遣いを稼ぐのさ」
 なるほどねー。トニーには、恥ずかしい誤解も見透かされていたようだ。
 スーパーの出口と入り口は、別々に分かれている。出口のカウンターで番号札と引き換えに、入店時に預けていた荷物を受け取った。レジの少女達よりも大人びた女の子ふたりが、せっせと奥の棚から荷物を出して来る。クロークの中は冷房がきいていないのか、じっとりと汗をかいて、疲れている様子だった。女の子とお客さんの列の間には無言のやりとりが続いていて、二人は互いに励ましあって黙々と立ち働いている。
 番号札を出して、僕は荷物を受け取るときに「ムーチャス・グラシアス」と声をかけてみた。ふと一瞬、その子は足を止めた。そして僕と目が合うと、クスッと笑った。
 店の外では、白いシャツと黒い半ズボンの少年が手際よくショッピング・カートを片付けている。エドベンも、少年時代をこうして過ごしたのだそうだ。

 26才のエドベンは、今は空港で働いている。彼は僕より英語が上手で、トニーより日本語も上手だ。スペイン語を含めた三カ国語の総合平均だったら、3人の中で間違いなく一番だろう。
 エドウィン・フェルナンデス・グチエロス、というのがエドベンの名前だ。スペインの血が濃い父親の姓が前で、先住マヤ人の流れを汲むママの姓が後だ。仮にエドベンの子供が生まれると、父方の苗字を継いでゆく事になる。
 僕はてっきり、マヤ人とその文化は半世紀も前に根絶やしにされたと思い込んでいのに、パティとママはマヤ語を話せるのだった。最初に会った時、二人からマヤ語で挨拶されてビックリさせられた。そしてママは、自分達がマヤの血を受け継いでいることを誇らしげに話してくれたのだった。
 彼女はまた、メキシコ北部の人々に好ましからぬ印象を持っている様子だった。それは多分、向こうのほうとは習慣や気質が大きく違うせいだろう。あるいは、侵略者であるスペイン系の人に対する不快感がわだかまっているのか。ここに来るまで考えたこともなかったのだが、メキシコの人種は白人系とインディオ系に大別されるようだ。
 そういえば、ソンブレロをかぶって口ひげを生やしたセニョールを一度も見ていない。
 ひょっとしたら、そんな人間はもうどこにもいないのかな? 日本にショーグンもサムライも存在しないように…。

posted by tomsec at 16:56 | TrackBack(0) | メキシコ旅情3【純情編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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