2005年05月27日

メキシコ旅情【風雲編・7 マリアッチ】

 男達は「何なんだ?」という顔をして僕を見ていた。
 英語は通じなかったが、彼らは僕の身振りを観察しては仲間同士言葉を交わし合っていた。少年のような目をした青年もいれば、しわの刻まれた目元の深く陰った男性もいる。それぞれが手にしているギターは、ウクレレみたいなのからチェロ並みの大きさまで様々だ。
 リーダーらしき年配の男性が、手振りを添えて僕の問いかけに答えてくれた。それによると、彼らはベラクルスからやって来たマリアッチで、夜は裏手のバーで演奏しているという。「今夜飲みに来なよ」と誘われ、僕は「行きたいけどノーマネーだ」と断った。だけど、その時なぜ僕が彼の誘いを理解出来たのか…? 後で考えると謎だ、そんなスペイン語を知るはずもないのに。
「どんな曲を演るの? やっぱりラ・バンバ?」
 僕が尋ねると、彼らの表情が一変した。
「オー!、ラ・バンバ!!」
 リーダーが仲間たちに声を掛けると、タバコの火を消して皆そこで楽器を構えた。僕は一体何が起きたのか、訳が分からなかった。しかし、まさか……。
 リーダーのカウントで、突然のストリート・パフォーマンスが始まったのだ。彼の粘り声に艶のあるコーラスが重なり、大小のギターは太くリズミカルに高く細やかに奏でられる。大きな箱みたいなギターも胸まで抱え上げられ、全員がはちきれんばかりの笑顔で音楽と一体化していた。
 写真を撮れば良かったが、すでに僕は手拍子足拍子で踊っていたんだから仕方ない。緊張も警戒も、いつの間にやら消し飛んでいた。曲が終わると僕はもう拍手してお辞儀して合掌という、興奮で意味不明の大絶賛。
 気が付けばメルカドの広場から遠巻きに、人々がこちらを見ている。ちょっとした人だかりの中心に僕とマリアッチがいる…と思うと、この信じられない展開に実感が湧いてきた。ところが彼らは僕の感謝の言葉も上の空で、いそいそと広場へと繰り出して行った。
 彼らにすれば、人の目が集まった今は絶好の稼ぎ時だ。もう僕に関わりあってる場合じゃない。テーブルの間に分け入って、ガーデンチェアでくつろぐ観光客たちに「一曲、如何です?」と陽気に声を掛けて回っている。颯爽として粋な、白いマリアッチ。その後姿に、しばし見とれる。
 後で聞いたが、普通は「マリアッチといえば黒」が相場らしい。その語源は結婚式(英語で言うとマリアージュ)に由来してるとかで、フォーマルなブラックスーツじゃない彼らは…観光専門なのかな?
 ともかく、彼らのおかげで僕が今どんなにハッピーなのかを伝えきれないのは心残りだった。

 メルカドの土産物屋でポストカードを買い込んで戻った。
 エドベン家の中のドアは開け放たれ、ガレージの格子は閉ざされている。外からのぞき込むと、ディエゴが僕の名を呼びながら飛び出してきた。彼は食事中だったのでロレーナにたしなめられ、ママが笑いながら格子戸を開けてくれた。
 みんなにメルカドでの出来事を伝えたかったが、ロレーナに英語で説明して通訳してもらうのは大変だった。そこに折良くトニー登場、彼とはノリだけで通じる部分があるから話が早い。
「マリアッチが路上で、しかもタダで歌ってくれたの?!」
 そんな感じで皆ビックリした様子だった。彼の英語訛りのスペイン語はママ達には分かりにくそうだったけど、それでもトニーの名調子に引き込まれていた。
「そうそう、彼もギターを弾くんだよ」とトニーが付け足して言うと、興奮交じりにディエゴが「ギターロ!」と叫んで走って消えた。ギターはギターロと言うのか? それにしてもどうしたんだか…。
 気が付くと、いつの間にかディエゴが無造作にガット・ギターを抱えて立っていた。どこから見つけて来た、っていうか誰か弾けるの? そこにいる誰もが、初めてギターを見たような顔をしていた。家にあるのに誰も弾かないギター、それは日本の家庭でも珍しくないが。
 ディエゴはギターを差し出すと、半ば強引に僕に持たせた。クラシックギターのナイロン弦は、とても美しい音がする。僕のようなロック系の弾き方では台無しだって思い知らされたばかりだが、笑ってごまかそうとしても彼はあきらめなかった。音楽よりもボール投げとかに夢中なヤンチャ坊主、そんな印象のディエゴにしては意外だ。
 ギターの調弦は、思った通り全然あってない。僕は大ざっぱにチューニングすると、ロックの有名な曲の触りを幾つか弾いてみた。けれどトニーを除いて、他は一人も知らなそうなので適当に止める。トニーが「ビートルズの有名な曲だ」と言っても、それすら分かってない様子だった。
 僕はすごすごと部屋に戻り、結構なカルチャー・ショックに凹んだ。僕個人としてビートルズに肩入れする気などないが、それにしたって…。みんな、本気でレットイットビーを知らないの?
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