郵便局は区画の角にあり、セントロの方角を背にして右手の道路に沿って約50m前方が駐車場だ。駐車場前の赤い横断歩道を向こうに渡れば、もうエドベン家の区画だった。
郵便局の裏手に、小路を挟んで隣接する建物はホテルのようだ。通りに張り出した植え込みの縁に、腰を降ろした二人の男性がいた。おじさんと若者、父子だろうか。二人とも、よく陽にさらされた肌色をしている。
やっと町にも人が出てきた、と思った。おじさんは飾り気のないガットギターを抱いて、若者と穏やかに語らっていた。通りで休むふたりの姿は昼の空気になじんで、何となく絵になっている。僕はいったん通り過ぎそうになってから、二人に近付いて声を掛けてみた。
「マリアッチ?」
さすがに自分でも(おいおい、いきなり不躾な物言いだなー)と思った、でも他の言葉が思い浮かばず咄嗟に口をついて出てしまったのだ。おじさんは、驚くでもなく静かに笑って首を振った。若者は口をぽかんと開けて、おじさんと僕を交互に見つめている。少し、僕を警戒しているかも知れない。
僕は短パンのポケットから、ゆっくりとカメラを出して見せた。とりあえず英語で「撮ってもいいか」と言って、彼らにカメラを向けて首を斜めに曲げてみる。一瞬、おじさんは訝しげな表情をしたが黙って頷いた。パシャリ。
礼を言ってから、僕はおじさんに「なんで、ギターを持ってここに座っているのか」と尋ねた。少し間が開いて、答えがスペイン語で返ってきた。僕が目をぱちぱちさせているのを見て、おじさんも若者もにこにこした。僕がスペイン語を話せない旅行者で、そして危害を加えるつもりなどない事が判ったらしい。
隣に座ってもいいか、身振りで了解を求めて僕はおじさんの横に腰を下ろした。ギターを弾いてみて、というつもりでジェスチャーをする。「ギター、じょろろーん」と言いながら、おじさんを指してギターの弦を鳴らす仕草をしてみせたのだ。しかし彼の顔には、ありありと(お前さんは何が言いたいんだろうな)と書いてある。
僕はギターにむかって両腕を拡げて、片手で自分を指差してみせる。僕に弾かせて、と言いたいのが通じたらしい。おじさんは僕にギターを手渡してくれた。まさかメキシコでギターを弾くとは、こんな事なら荷物の中に唄のノートも詰めときゃ良かった。
僕はポケットの小銭入れからピックを選んだ。お金は日本円からペソのコインに入れ替えていたが、ピックはそのままにしてあったのだ。僕は小銭入れにピックを入れる習慣がある、それが意外なところで役に立った。でも曲までは持ち歩かないのだ、惜しい。
ギターを抱えてはみたものの、実は暗記している曲なんてなかったのだ。2人はじっと見ているし、もはや適当にコードを鳴らして茶を濁す訳にもいかない。こうなったら度胸一発、ご当地ソングで仲良くなろう(歌詞も伴奏もうろ覚えだけど)。
「あー、ラララララララ・バンバァー!」
でたらめながら、調子良く声を張り上げた。分からない歌詞はうやむやに唄って、一フレーズ目でコードはそのまま「ツイスト&シャウト」に歌を変えちゃう。(受けた?)と思い、横目で二人を見やると…固まってるよ…。とほほ、尻すぼみにフェイドアウト。
おじさんに返して、再度(おじさん弾いてよ)の手真似をすると今度は伝わった。彼は唄うでもなくかき鳴らすでもなく、そっと弦をはじく。親指の腹で太い弦の低い音、人差し指と中指を使ってナイロン弦の透き通る音色を鳴らし、静かにギターを弾き始めた。
どうやって扱えばガットギターが喜ぶのか、最もいきいきと響かせる事が出来るのかを、彼の奏でる音が語っていた。紡がれてゆく丁寧な音が、穏やかな午後に流れ、それが目の前の空気を鮮やかに染めてゆく…。ギターを弾きながら、おじさんは目を軽く閉じている。
3人で、音を味わった。
短い曲だった気もするのだけれど、ずいぶんと長くそこに座っていたような不思議な感覚があった。ギターの深く澄んだ響きが消えると、喝采のごとく町のざわめきが戻ってきた。催眠術が解かれたみたいにして、すうっと僕の現実感もまたよみがえってくる。自分のお粗末な演奏を恥じる気持ちさえ、すっかり(ちゃっかり、か)忘れていた。
それは合図というか、ちょうど微妙な区切れめ、といった感じだった。僕は、名残り惜しげに植え込みの縁から腰を上げて深呼吸をする。良いひとときだった。真昼の暑さを思い出したかのように、再び汗が吹き出してくる。
僕は知っているスペイン語の賛辞を全部並べあげて、おじさんに感謝の意を表した。二人とも、にこやかに僕を見上げていた。若者が、白い歯をみせている。僕は(楽しかったね)と、心の中で彼に呼びかけた。若者の黒い瞳は、いたずらっ子の目の色だった。
素敵な時間を体験した。
2005年05月27日
この記事へのトラックバック