2005年05月27日

メキシコ旅情【風雲編・3 学校】

 小さい子がはしゃぐ声が聞こえてきた。
 低いブロック塀の木々に隠れて、学校が見える。とても濃厚な、草いきれの匂いが鼻をふさぐ。小さかった頃に、空き地で遊んだ夏の匂いだ。懐かしい土埃の匂い。
 校門の前には出迎えのお母さん達に混ざって、下の妹を連れに来たのか女の子も何人かいた。みんな群がるようにして、校門の軒下で日差しを避けている。見るからに暑苦しそうだけど、僕ら3人もそこに加わった。無風状態で、日陰にいても汗が吹き出してくるのは堪らない。うだるような暑さに、たまに意識が飛ぶ。
 そこに折よく、自転車のアイスキャンデー売りが来た。あいにく、こちとら運悪く持ち合わせがないときた。まったく、いい商売だぜ。下校時刻に現れる物売りって、やっぱりどこの国でも同じなんだなぁ。よく売れている。
 トニーはすかさず買って、ロレーナに分けていた。僕は断ったが、彼が何度も勧めるので一口もらってしまった。これだけ喉が乾くと、この一口が却って逆効果になる。あー、なんで財布を置いて来ちまったんだろ…!
 それからまたしばらく経って、やっと係員が来た。観音開きの鉄の扉を引くと、しびれを切らした母親達が殺到してバーゲン初日のデパート状態。この暑さだ、気が立つのも分かるが…コワイ!

 校庭は二百メートルのトラックが描ける程度の大きさで、奥の二階建て校舎の規模を考えれば狭い感じでもない。その運動場をとりまくように低い建物がいくつかあって、鉄棒などの遊具は見当たらなかった。
 校庭の手前を右に折れて、教員室らしき平屋の建物に沿って歩く。教員室よりも引っ込んだ場所、運動場の隅っこにプレハブの長屋造りの教室が並んでいた。窓と入り口がテラス越しに校庭に開かれ、部屋の中は明るい雰囲気だ。
 帰り支度の生徒に混ざって、ディエゴが姿を見せた。青と白のボーイスカウトっぽい制服に、黄色いこぢんまりした肩掛けカバン。色のコントラストが爽やかで、彼をカッコ良い男の子に見せている。
 ディエゴは僕ら二人の名を呼んで、教室の入口に立っていた僕達のそばに来た。トニーに対して、何やら学校のことを話し続け、黄色いカバンを開いてみせたりしている。トニーを見つめるディエゴの顔は、家にいる時の甘ったれ坊主に戻ってしまっていた。
 彼の家に来て三日目だからな、まだ僕には気を許していない様子のディエゴだ。言葉が全然通じない事も、打ち解けにくい理由のようだった。
 二階建校舎のほうから、いつのまにかジョアンナもやって来て、僕らは5人で帰途に就いた。
 トニーが子供達にキャンディをあげると、ディエゴは包みを道ばたに投げ捨てた。トニーが軽く注意して拾うよう促し、ロレーナも振り向いて息子にこわい顔をして見せたが、それしきの事で動じる少年ではない。結局トニーが引き返して、ゴミを拾った。そして日本語でさりげなく言った。
「…しょうがないネ。考え方、違うョ。」
 価値観は、人の数だけ違っている。トニーはきっと、そう言いたかったのだろう。だけど僕は、こう解釈した。美化意識や環境問題なんて言っても、所詮は最悪の事態になってから気にし始めるものだ。アメリカも、日本もそうだったように。
 それにしても、この町はきれいだと思う。ゴミが落ちていない訳じゃないけど、さほど目に付く程でもない。歩道のコンクリートがあちこちひび割れたりデコボコしてるのに、この町並みには品の良さがある。わざとらしさの無い居心地の良さ、とでも言おうか。
 それは道幅の広さ交通量の少なさ、家の高さや色使いも関係している。けれど決定的なのは、俗に「捨て看」と呼ばれる置きっ放しの立て看板がない点かもしれない。そう、広告の少なさ。
 あふれかえる看板広告がなければ、かなり日本の町並みもすっきりするだろうな。って、安易な比較で批判をする気はないけれど、東京がこんな風景だったら面白いのに。個人的には、下手に近未来的な景観よりも。

 午後の町は静かだ。
 洗濯物は、さっき干したばかりなのにもう乾いた。しかし取り込むのは後回しにして、昨日の夕方に書いたポストカードを出しておこう。トニーに訊くと「ポストより郵便局の方が近い」という。あのだだっぴろい駐車場の並びか、じゃあ迷う筈がない。
 子供たちの出迎えで、転んで青あざを作った場所だ。あの薄暗い閑散としてた土産物屋が並ぶ区画は、ガイドブックには「民芸市場」と書いてある。皆は単に「メルカド」と呼んでいて、マーケットという意味だ。
 家からは目と鼻の先だ、それにメルカドへの道はセントロに行くのにも利用している。

posted by tomsec at 17:05 | TrackBack(0) | メキシコ旅情4【風雲編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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