2005年05月27日

メキシコ旅情【風雲編・2 洗濯とお迎え】

 食後の一服をつけるため、僕は更に階段を上がって屋上へと向かう。
 屋上には満艦飾の洗濯物が、張りめぐらされたロープに揺れている。二階の住人の分も干してあるのだろうが、それにしても大量だ。なにか、とても生命力の強さをおもわせる光景。
 太陽は、濃い青空のまんなかにあった。ランニングシャツの背中が早くも汗ばんで、足の裏もビーチサンダルが脱げそうな有様。
 旅の荷物を減らすため、服の枚数は僅かなものだった。くたびれた長袖シャツにジーンズと短パン、ランニングと半袖ポロが一枚ずつ。Tシャツ二枚、あとはパンツ少々。出発時に着ていた物も含め、これで全部だ。暑い国の旅行だと荷物が少なくて済む、とにかく洗えばすぐ乾く。但しパンツの替えも少ないので、こまめに洗わなければ。
 そう、洗濯こそが今日最優先の課題なのだ。一服後、早速とりかかる。階段下の洗い場は、ひと抱え位の石をくりぬいた様なもので、腰の上の高さに据えられていた。日本も、一昔前の台所はこんなだったように思う。
 ただ、それが目の前のサンディの部屋専用だとしたら、勝手に使っては失礼になる。まして彼女達にとって食器の流し台だった場合、パンツをごしごしするのはまずいだろう。僕は汚れ物を抱えたまま、しばし彷徨った。
 それでも、せめてパンツは洗いたいし…。むむっ、これは!
 二つ並んだシンクの右側は、やや浅い底面に僅かな筋状の突起加工が施してあるじゃないですか。これは洗濯板にすごく似ているじゃありませんか。恐らく、いや間違いないきっと大丈夫。意を決して左のシンクに服を入れ、水を貯めると固形の洗濯せっけんを泡立てて一枚づつ右に移し、底の突起にこすりつけ手早く洗う。あまり丁寧ではないけれど、汗臭くなければ構わないのだ。
 洗い場の疑念は程なく解決をみた。僕が洗濯を済ませて立ち去ろうとした時、ちょうどティミーがやって来たのだ。平静を装って屋上に上がりながら、ふと眼下のティミーに目をやると…。彼女も洗い場から僕を見上げ、目が合ったと思ったら慌てて何かを手で隠したのだった。
 間抜けな僕は、彼女が恥ずかしそうに洗濯している理由を見抜けずに(ああ、ティミーも洗濯するんだ)とだけ思って単純に安心してしまった。
 最後の関門は干す場所があるのかどうかだったが、幸いにしてロープの片隅に居所を確保することが出来た。この天気だから、小一時間で乾くかもしれない。

 そのあとトニーと一緒に、ロレーナにくっついて子供たちの学校へと出かけた。ジョアンナとディエゴの、お迎えにいくのだ。
 幹線道路を横切るので車が途切れるのを待っている時、セントロで見た赤い横断歩道がここにもあった事に気付いた。って、油断してたら彼女は一人で向こうを歩いてるじゃん。
「アグアス!」…はい? 何の事だよ、トニー。
「まだ教えてなかったっけ? 車に注意、というような意味だよ」ふぅん、水の複数形かと思った。
「覚えやすいでしょ。それに警告は一言で通じないとね」
 さらに付け足して、トニーは「多分、正確なスペイン語というよりスラングだろう」と教えてくれた。ってことは、かつて宗主国だったスペイン王国では通じないのかもしれない。メキシコ全土で通じるのか、それともカンクンだけで流行っている言葉なのか…? エドベン家だけだったりして。
 なーんて話をしている間にも、ロレーナは僕らなど眼中にないが如く歩いてゆく。僕らもとっとと、だだっ広い駐車場をすり抜けてゆくロレーナの後を足早に追う。
 この駐車場は、メルカドの買い物客が使うのだろう。三方を囲む二、三階建ての店々は「いかにもメキシコ」と思わせる色使いでワクワク気分にさせてくれる。サンタフェ調のサーモン・ピンク、窓辺の白い縁取り、ウェスタン調や元気はつらつな看板の文字が、まったりとしたローカルの空気に気持ち良く空振りしてるのが愉快だ。誰もいないし。
 ロレーナはまっすぐ駐車場を突っ切ると、正面に並ぶしなびた土産物屋の隙間道に姿を消した。慌てて駆け出したら、急に日陰に入ったせいで足を滑らせ、その拍子にビーサンの鼻緒が外れた上にコンクリの角に向こう脛をぶっつけちまった。
 ほー痛てぇー、こん畜生め! 暗がりで本当に目から火が出たじゃあねぇか。夏じゅう使い込んだビーサンは、裏がツルツルにすり減ってたんだな。でもロレーナは振り向きもしないし、トニーも同情しながら急かすしで、痛みを堪えながらビニールの鼻緒を押し込んで駆け出した。しかし一体ナニをやってるんだ、こんな思いまでして…?
「幸先が悪いから、やっぱ帰るわ」
 そう言って立ち止まる僕、それを引きずるように走るトニー。 トニーの腕を振り解く僕に、彼は息を荒げながら言い放った。
「子供たちが楽しみにしてるんだよ!?」
 そりゃ思い過ごしに決まってる、なんで僕がそんな期待を?? そう思いながらも彼の剣幕に気圧され、跳びはねるように片足を引きずって走る。
posted by tomsec at 17:05 | TrackBack(0) | メキシコ旅情4【風雲編】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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