2005年05月27日

メキシコ旅情【分水嶺・10 お土産】

 いっけない、すっかり忘れてた!
 着いた初日に渡すつもりで、エドベン家に簡単な土産を持参してたのだ。出発の朝に突然(日本らしい土産物を)と思い付き、慌てて詰め込んで来たのだ。まぁ土産といっても自分の使い古しで喜んでもらえるとは思えないけど、要は気持ちだからな。
 赤い千代紙を貼り合わせた団扇と、薄っぺらい唐桟縞の半纏。居合わせたジョアンナとディエゴに「ハポネス・レガロ[日本のお土産]」と言って見せるが、反応が鈍い。子供って正直だよなー。
 ちょうどエドベンがいたので、彼に「これは使い古しのお土産です」と説明すると、彼は苦笑いしながらママ達に通訳して伝えてくれた。ママは目を丸くして喜んで、子供達も改めて興味深げに手に取った。
 まず団扇の使い方を実演してみせて、子供達に半纏を着せてやる。初めは戸惑いをみせたジョアンナにも笑顔が浮かんで、僕は何となくホッとした。
 エドベンは仕事から帰ったばかりらしく、ネクタイ姿のパリッとした格好をしている。僕は朝寝坊だから、一日のうちで彼と会う機会は少なかった。こんな夕方に帰ってくるのは交替勤務制だからなのか? 彼はランチリ航空に勤めているそうだ。
「これから車屋さんに行かないか」エドベンは僕を誘った。
 車に興味はないけど、ちょっと面白そうだ。部屋に戻ってトニーに訊ねると、面倒くさそうに肩をすくめた。習ったばかりのスペイン語を復習していたいらしい。
 僕は少し迷ってから、やっぱり行くことにした。

 帰ってきて夕食を取り、部屋に戻ってポストカードを書く。
 トニーとMTVを観ながら、これから何して過ごそうか話していたら騒々しくドアを開けてエドベン登場。彼のほうからやって来るなんて初めてだ、なんか妙にテンション高いな。
「オーラ、アミーゴス! 出掛けよう」
 元気よくトニーの肩を叩き、屈託のない笑顔をみせた。2人のスピードで話されると僕の英語力じゃ追いつかないが、ディスコに行こうという話らしい。
「では後ほど」とエドベンが去って、僕はトニーに内容確認。しかし彼も今いち解っていないらしく、自信なさげに「エドベンのベイブの、ホーム・パーティだと思う」と答えた。
「ディスコ、って言ってなかった?」
「どっちだって一緒だよ。女の子と、お酒と、ダンスだ…」
「違うよ、トニー。ディスコはお店だし、ホーム・パーティだったら他人の家だ」
 ため息まじりに首を振って、彼は乗り気じゃないのか?

 そろそろ時間だ、僕はトニーより先に階下に降りた。階段の途中で、通りに人の気配を感じて(パーティ仲間が集まっているのか)と思いきや…!!
 鉄格子の向こう、暗がりから浮き上がった顔はベイビー・ベイブと数人の男性だったのだ。連中の約束は昨日じゃ…? だが誘いに来たのは間違いない、胃だか胸だかがギュウッとなった。
 ベイビー・ベイブが呼んでいる、もう回れ右するには遅かった。なんという間の悪さ! 
「オーラ。うーん、ボニータ[きれい]!」
 今夜の彼女は化粧していたので、僕は努めて自然な笑顔で言った。そして立ち止まらないでリビングに直行、背後で何か訴えている彼女を振り返らず「ブエナス・ノーチェス!」と明るく手を振った。
「ケ・パソ[何かあったの]?!」
 何かを察したママたちが、少し険しい表情で僕に尋ねてきた。僕は大したことない、という素振りで「ベイビー・ベイブ」と答えてソファーに腰を下ろす。この位置なら、表からは見えない。
 ママとロレーナはガレージに出て、僕は初めて入り口の扉が閉ざされるのを見た。エドベンの家族が、僕を守ってくれているのを感じていた。アメリカン・ジョークで「メキシコ人の男はマザコンだ」というのがあったけど、実際メキシコの女性は強いなぁー。そんなお門違いな事を、ぼんやりと思った。
 外からは、まだ話し声がしている。僕はスペイン語が出来ないおかげで、それを無視する事ができた。僕は「ヘンなガイジン」なのだ…。TVに意識を集中して、状況を理解していない振りを続け、でも胸中では罪悪感でいっぱいだった。
 あの時、彼女に返事をしたのは僕じゃない。でも髪を切った代金を払うと約束したのは僕だ。僕の心が「彼女に会うべきだ」と告げていても、指が震えて止められなかった。彼女と僕じゃ言葉が通じないし、ママ達の厄介事を増やす真似はしたくない。彼女には、何の落ち度もないのに…。
 やがて、ママとロレーナが入って来た。エドベンが奥から出てきて、2人と短い言葉を交わす。ママは笑顔を取り戻し、僕にうなずいてみせた。それで終わりだった。まるで何もなかったかのように。
 おめかしして来たベイビー・ベイブの、はにかんだ笑顔が脳裏に焼き付いている。
 ガレージの外には、すでに彼女達の姿は見えない。格子戸にもたれて考えにふけっていると、エドベンが来て横に並んだ。
「心配や迷惑を掛けてごめんね」
「その通りだよ」エドベンは真顔で言う。
「知らない人の家に行くなんて何を考えているんだ。特に日本人の事は皆、金持ちだと思っているのだから」
「でも、彼女は知らない人間じゃない。あの夜は確かに怖いと思ったけれど、彼女は友達として髪を切ると言ってくれたんだ。僕は彼女に、その報酬を払いたいと思っている。約束は守りたい…」
 彼は深く息を吐き、僕に向き直った。
「今、何を言っているのか判ってる? そんな事をしてみろ、その辺の乱暴な連中が家で待っているのに、無事で済む訳ないだろう?」
 それでも食い下がる僕に、エドベンは強い口調になった。
「君は分かっちゃいない。とにかく、もう終わったんだ。今後、そんな事は考えないでくれ。もうすっかり忘れるんだ、いいね!」
 エドべンと家族の考えは同じだろう。言ってみたところで彼が賛成してくれるとは思っていなかったし、僕も意地を張るつもりはなかった。郷に入れば郷に従うものだ。彼と家族への感謝を棚上げしてまで、己の声に従うことが、果たして僕の正しさなのか。
 彼らの顔に泥を塗るような気にはならなかった。

 トニーが下りてきて、僕らはエドベンの車に乗り込んだ。
 僕は小声で「彼女たちが来たんだ」と言ったが、トニーには聞こえなかったのかもしれない。
posted by tomsec at 17:14 | TrackBack(0) | メキシコ旅情5【分水嶺】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック